第四話:ご馳走様でした
「ふふふふふ、なるほど……これが君達の秘策か。やるじゃないか、全然気づかなかったよ」
「……え? あ、いや……」
色欲くんが困惑の表情で横たわる怠惰の王を見た。
その表情には嘘はない。え? 偶然? いやいや、そんな馬鹿な……
よりにもよって怠惰の王が偶然、通りかかるなんてありえない。
だが、色欲くんも強欲くんも戸惑いの視線を魔王に向けている。
レイジィがうんざりした表情で転がったまま言った。
「なんで俺が……」
「……え? この後に及んで!?」
レイジィとほぼ同時に存在が現れた、真紅の髪をした少女が思い切り顔をしかめる。
黒を基調とした、制服は、ミズナ達が来ていたものと同じ、黒の徒の者だ。
寝っ転がっているレイジィの腕を引いて何とか立たせようとしている。その様子は、記憶に存在する大魔王様の着任式で引っ張りだされていたレイジィの図とぴったり一致した。
……なるほど、怠惰の王を戦場に引っ張り出してくるなんて、随分優秀な憤怒だ。
どうやら、本当に僕は勿体無い事をしてしまったらしい。ミズナ……もっとちゃんと料理して食べてあげればよかったかな。
ただ、引っ張っているがレイジィに立つ様子はない。凄い嫌そうに首を横に振っている。その所業は怠惰に違いなかった。眼にはまるで生気がない。
食われるのを待っているようにしか僕には思えず、そして同時にそれが怠惰の悪魔の本質でもあった。
彼らはとことん硬いが、同時にほとんど動かない。
ふふふ、面白い。本当に面白いよ。そんな状態で僕と戦おうだなんて――
すさまじい力を持つ魔王との対戦を前に、飢えが戦意を伴って燃え上がる。
一応ご挨拶だけでもしておこうか。
「怠惰の王。お初にお目にかかる……いや、久しぶりだね。僕の名はゼブル・グラコス……暴食を司る魔王だ」
「そうか」
僕の自己紹介にさもどうでも良さそうにレイジィが答えた。しかも一言で。
だが見た目、動作に騙されては行けない。
レイジィのゾーンは間違いなく僕の上をいっている。
こいつは怠惰なだけで決して弱くなく、こうして馬鹿でかい魔力を眼にしていても何故か食欲が湧いてこないあたり、ある意味、暴食と相性が悪いと思わせられる。
「レイジィ様! せっかく来たんだからちゃんと戦って!」
「……だって、あいつ、強い……」
憤怒くんの言葉に、レイジィが心底嫌そうな表情を向けた。
憤怒くんの顔が絶望と怒りに染まる。燃えるような辛い魔力が芳香となって鼻孔を擽る。とても美味しそうな香りだ。
ふふふふふふ、あはははははははははは、まさか、この僕を相手にするというのに、容易く討滅できると思われていたのか?
「さすがに舐めすぎだよ、レイジィ」
「ああ……カレーじゃ割りに合わないな……」
意味の分からない間抜けな台詞と同時に、何の合図もなく唐突に戦闘が始まった。
腕試しに、餓鬼の腕を四方八方からレイジィに伸ばす。一本だけは側の憤怒くんへ。
レイジィに文句を言っていながらも油断していなかったのだろう、憤怒くんがバックステップで飛来する触手を躱し、そのまま手の平を向けて炎を発した。
触手が炎を飲み込むが、飲みきれない。先っちょが焦げる。なかなか強力な憤怒の担い手だ。
だが、相応の美味な味がした。僕は吐いた。
「うおっ、ぐえええええええええぇ!」
跪き、触手を戻し両腕を地面につく。
胃が凄まじい勢いで上下に振られているかのような嘔吐感。
頭がしっちゃかめっちゃかになる感覚と、酸っぱい臭い。身体が痙攣して止まらない。えづくが、口からは何もでてこなかった。
久方ぶりの強烈な苦痛に涙が出てくる。
な、なんだこれは!?
涙で霞む景色の向こうを見る。
戦闘中になんてザマだ。だが、敵は誰も今の状態を理解していないらしい。突然吐き出した僕に不審な眼を向けるだけだった。攻撃も仕掛けてきていない。
ぼやける世界で、俊敏な動きを発揮した憤怒くんとは真逆に全く動かず触手を受けたレイジィが涙を滲ませて言った。
「……痛い」
よく見ると、触手が刺さったのであろう全身の至る所の、『服』が破けている。隙間から見える地肌から、誤差の範囲で血が出ていた。
これが耐久に優れていると言われている『怠惰』の極地。
怠惰の王……なんて硬さだ……
かつて討滅した怠惰の将軍級なんて比較にならない圧倒的なVITだ。魔剣すら容易く貫き、食らう餓鬼の腕が全く歯が立っていない。
ぐふ……ふふふ、お、面白いじゃないか……!!
涙を拭って、魔眼を使用する。レイジィを除いた三体の悪魔の動きが縛られる。ついでにレイジィは自主的に動かない。
なんとか吐き気も収まり、スキルを使用しようとした瞬間、鼻に突く凄まじい苦味、えぐみに気づいた。それは曾て怠惰の悪魔と戦った時に感じた衝撃の体験を遥かに上塗りするこの世のものとも思えない極悪の臭気だった。
先ほどまでは猛烈な吐き気の方に集中してしまい、まったく気づいていなかったがこれって……
魔力を確認すると、先ほどよりも僅かに回復している。
憤怒くんの炎を食べただけにしては多すぎる程に。
僕は絶望した。この世に神はいないのか!
トラウマは今ここで上書きされた。
レイジィを睨みつける。口元を袖で拭って文句を言った。
「……君、すっごい不味いよ……この世のものとは思えない」
「……痛い」
レイジィが緩慢な動作で破けた箇所をこすっている。もう血は消えていた。てか、血が出ていたとしても、あれぜんっぜんダメージに入らないレベルでだからね!!
憤怒くんが絶望した表情で隣のレイジィを見ているが、絶望したのは僕の方だ。
やばい。何だあの味は……
以前食した怠惰の上級悪魔なんて足元にも及ばない、食を冒涜した味。
とても、この世のものとは思えない。一体如何なる摂理であんな味がするのか? 今の今までこの世のあまねく全てのものは食べられると思っていたけど、全力で撤回せざるを得ない。それは人生観すら変わる味だった。
我慢できるレベルを遥かに超えてる。二度と味わいたくない。
……ということは、レイジィの力を吸収できないってことだ。
我慢して吸ってたら多分レイジィを討滅する前に僕が衰弱して死んでしまう。
ははは、食えない暴食に何の意味があるのさ!!
全くもって、忌々しい属性だ。
レイジィがまだ涙が滲んだ眼で唐突に言った。
「降参」
「は? なんで?」
「俺、痛いのは嫌いなんだ」
「はああああああああああああ?」
ど、どうやってこいつ、魔王になったんだ……いや、なんでここまで生きてこれたんだ?
ある意味、味よりも衝撃的な言葉に僕の意識に一瞬の空白ができる。
刹那の瞬間、呆れる僕に対してレイジィから放たれた不可視の力、スキルを、パッシブスキルが無効化した。精神汚染耐性のスキルだ。レイジィの表情が絶望的にめんどうくせえというなめきった表情になり、舌打ちした。
飢えが殺意となり風と化して荒野を吹き荒れる。
……ふっふっふ、随分舐めたマネしてくれるね。油断させて不意打ちとは、悪魔の風上にも置けないマネを……
いいだろう。もうカノンなんてどうだっていい。全力でお前を殺してやるよ。この世界に食えないものなんてあっちゃいけないからね。
暴食のスキルのほとんどは相手を食らうスキルだ。
それを除いてしまえば、僕に使えるスキルは非常に限定される。
手の平を力いっぱい握りしめ、牙を求める。何もかも噛み砕く原初の力を。
レイジィがナマケモノよりも緩慢な動作で、ナマケモノよりも読めない表情でポケットを探ってそのまま力を失って腕を落とした。
「……駒忘れた……駒持ってない? チェスのでいいから……」
「は? チェス? も、持ってるわけないでしょ!」
憤怒くんがいらっとした顔でレイジィをたしなめる。
もうそれもこれも、僕には舐められてるとしか思えなかった。
ああ、もうだめだ。
いいだろう、食らってあげよう。
暴食の極地を見せてあげよう。
グラが食らうだけだなんて思うなよ。
餓鬼の腕を出した時よりも遥かに多くの魔力が消費され、飢えが耐え難い程に強くなる。
胃が意志を持って自身を喰らい尽くしてしまいそうな程に。
そして僕は、実に一万年ぶりにそのスキルを使用した。
『原初の牙』
敵の耐性を無視して何もかもを噛み貫く魔神の牙を顕現するグラのスキル。
肉体を変化させるのではない、魔力を操り腕とするわけではない、純粋な武具、剣を生み出す幻想兵装と呼ばれるスキルの一つ。
暴食の原罪から生み出された闇の剣が僕の腕を包み込むようにして発生する。
それは、柄も刀身も何もかもが黒い太刀だった。身の丈一メートル半。
だが、リーチは関係ない。これは僕の牙であり、同時にこの世の飽くなき飢えを顕現化させた存在でもある。
強欲くんと戦う際に使った曲刀を捨てる。そして、両手で太刀を構える。触手を引っ込める。
何ら行動を起こさない愚かな怠惰、食欲を感じさせない怠惰を睨みつける。
「……ふ……ふふ……じゃあ魔王の戦いを始めようか」
「……はぁ……」
レイジィがため息を漏らした。
この……舐めやがって!
全力で一歩踏み出す。魔王の膂力を使ったそれは爆発的な推進力を与え、僅か刹那の瞬間で距離を詰め――
身体が一瞬固まる。すぐに脳内で精神汚染治癒のスキルが自動で発動し、硬直が解かれるがその時には何もかも遅すぎた。
身体が重い。身体の上からかかる凄まじい荷重に耐え切れず膝を突く。
プレッシャー? いや、明らかに違う。物理的に重くなっている。
刀を握っていられない。
地べたに伏せる僕に、現れてからほんの半歩も動いていないレイジィが、暗い目で見ていた。
「馬鹿な……何をした……」
「……はぁ……」
レイジィがさらにため息をつく。
いや、わかる。怠惰のスキルは受けたことがある。
怠惰の上位スキルに敵の動きを阻害するスキルがあったはずだ。
だが……この僕を縛る程のスキルだと? そんな馬鹿な!
「ぐ……ちょ、レイジィ様……」
「ふ……や……」
「ぐぐ……だ、旦那!?」
三者三様の悲鳴が飛び交う。
あげられない首を何とかずらして見てみると、何故かレイジィ軍の悪魔まで地べたに這いつくばっていた。
こいつ――平然と自軍を巻き込みやがった。
いや、違う。
一瞬の判断で触手を無数に生やし、身体を支えて立ち上がる。
それを見下す怠惰の王の眼には殺意はおろか、戦意すらない。
これは……ただ阻害するスキルじゃない。こいつ、重力を上げてる。
理解する。はっきりと実感する。怠惰のレイジィ。相性もあるだろうが、こいつの力――僕の力を超えている
震える手で刀をあげて向ける。
何キロ、何トン荷重を掛けられている? どうして僕が動けない程の重さの中、自軍の悪魔は圧殺されていない?
戦意すらない魔王に負けるだと?
「……ふっふっふっ、久しぶりだよ……この僕を跪かせるなんて」
「そうか」
レイジィがただ一言言う。
同時に唐突に真横から衝撃が襲った。
何だ? 今度は何が起こった?
戦意が、殺意がまるでない。反応が遅れる。
体全体を揺さぶるような力。ぎりぎりで触手に支えられていた身体が容易く吹き飛ばされる。
揺さぶられる視界、目眩が魔王の状態異常耐性のスキルによって一瞬で消える。
気配は微塵もしなかった。レイジィも一歩も動いていない。
僕は凄まじい速度で流れる地面に刀をつきたて、触手を百本以上一気に出し、地面に突き刺す。
地面を削る感触。摩擦に触手の先が熱せられる。地面から煙が上がっていた。
物理攻撃だ。ダメージはほとんどない。だが、何が起こったのかがわからない。
理解不能というのは戦場で最も恐ろしい物だ。
数百メートル距離が離れたせいか、身体の重さが消える。
勝機!
悪魔も万能ではない。
怠惰は耐久に優れたスキルツリー。それは逆に言えば、攻撃力はさほどでもないということだ。
完全に不意をついたにも関わらず僕に大きなダメージを与えられないくらいに。
飢えは満たせないが、別の感情が沸き上がってくる。
面白い。この僕と対等に戦える相手だなんて、何千年ぶりだろうか?
百本の触手を後背に生やし、地面に突き立てる。
刀を下に構え、脚に魔力を集中させ、脚力を強化する。
立てられない程の重力? ならば、かけられる前に一太刀で討滅するまで。
レイジィは確かに硬いが、真っ二つにしてしまえばさすがにスキルは使えまい。
一歩踏みだそうとした瞬間、頭の奥で警鐘が鳴り響いた。
虫の知らせをほぼ100%にまで高めた戦士の直感。慌てて横に避ける僕がいた場所が轟音を立てて大きく凹む。
見えない。見えないが……何かいる。
凄まじい速度、重さ。
理解する。さっき僕を弾き飛ばしたのはこいつだ。
横に薙ぎ払われるそれを空気の流れで察知し、跳んで躱す。宙で動けないなんて道理は無数の触手を操る僕には存在しない。突然方向転換して向かってくるナニカを、触手を伸ばして迎え撃った。
見えない力に触手が突き刺さる。僕は空中で吐いた。
動きが完全に止まる。僕に向かって、それが振り下ろされた。
「ぐぅおえぇ……ぐ……ちょ……ずる――」
先ほどの比じゃない天が落ちてきたかのような衝撃が容赦なく僕の身体を潰した。
頭蓋がみしみしと音を立て、慌てて上に伸ばした手がごきりと嫌な音を立てて逆方向に折れる。
衝撃を逃がす事ができた先ほどとは異なり、荒れた地面とのサンドイッチは魂が消えてしまいそうなほどに強烈だ。
だが、今は痛みはどうでもいい。この苦味がやばい。地面に這いつくばり、涙を流しながらえづく僕に容赦なく何かが襲いかかる。
先ほどよりも広範囲で。
飢餓の波動?
儚き寓夜?
馬鹿な……そんなの使ったら、食ってしまう。強制的に摂取してしまう。
この世のものとは思えない味を。
魔界より尚、下位に位置し、地獄の底、自分からは抜け出る事叶わぬ奈落に溜まりに溜まり、濁りに濁った絶望の泥の如きこの味はまさに、悪魔を悪魔と思わぬ鬼畜の――
衝撃が二度、三度と絶え間なく身体を叩きのめし、地面に打ち付ける。意識が一瞬飛ぶ。視界が揺れまくり絶え間なく状態異常治癒のスキルが自動で発動する。もしスキルがなければとっくに僕はめまいで動けなくなっていたはずだ。
くっそ、あんなぼんやりした顔して容赦ねえ。
スキルの一つ一つが一撃必殺と言われる魔王のスキルの中では威力は低い方だが、それがなおのこと嫌らしい。まるでもてあそぶように不規則に身体を襲う衝撃の正体は全くわからないが、味がレイジィのものであるという究極的最悪な事実だけは確かだった。
その当のレイジィは、さっきから全く場所が変わっていない。
舐めやがって。
地面に叩きつけられた瞬間を見計らい、触手を地面に突き刺し、身体を無理やり横にずらす。強くはない。ダメージは決して高くないが、何度も食らうのはまずい。
折れた手を無理やり元の位置に戻す。溜め込んだ栄養を使って一瞬で完治させる。
それを感じるまもなく、僕は地を蹴った。
衝撃が今まさに僕がいた位置を通過する。
頭をよぎる考え。
このスキルは……なんだ?
自動追尾の攻撃スキル? 風? 無属性のエネルギー?
悪魔のスキルにはその尽くに意味がある。当然、それは悪魔の渇望に関わっていた。
暴食が他者を食らうことに特化しているように、怠惰も特化しているはずだ。
何に?
他者を怠惰にすること? 違う。いや、違うわけではないが、それは本質ではない。
遠く彼方で、レイジィがだるそうに地面に手を振り下ろしていた。
これだ!
攻撃を――遠くに飛ばすスキル。
即ち、動かずに外敵を撃退するための『怠惰』のスキル。
上空から降ろされた広範囲の衝撃を躱す。地面に、端から端まで五メートルはあろうかという巨大な開いた手形がくっきりとついていた。
なんてくだらないスキルだ。だが、そのくだらないスキルに翻弄されているのも事実。
レイジィの手元に注視しながら、地面を一気に蹴る。レイジィが腕を薙ぎ払った瞬間に大きく飛ぶ。
振り下ろされた拳骨を刀で受け止める。見えない手が容易く切り裂かれるが、レイジィの手にダメージが入った様子はない。見えない拳を破ってもフィードバックはなしか……一撃必殺の力はないが、デメリットも見当たらない。腕を使えない事くらいだ。優良なスキルだね。
真横からの振り下ろしを刀で捌く。見えない指――それだけで将軍級を超える魔力が千切れ宙に溶ける。食えない事が非常に惜しい。
……いや、食える食えないなど言っている場合か?
僕はカノン様になんとしてでも勝たなくてはいけない。勝利して味を確かめなければならない。先に逝った臣下のためにも。
そのためには、レイジィの持つ莫大な魔力は大きな武器になる。
確信していた。魔力だけ比較しても、僕よりも遥かに格上だ。
くそ、こいつ何年生きてるんだよ。
だが、何度もこいつを食えば僕は間違いなく死ぬ。あまりの不味さに衰弱して死ぬ。それは暴食の魔王としては非常に遺憾だ。
だが……だが、あと一度だけならば――!
そうだ。覚悟するんだ。それこそが必勝の策。
不味い? だからどうした。
まだ鼻の奥に残ってる凄絶な苦味と臭みが、僕の精神をべきべきに踏みにじる。
うまい不味い、そんなの関係ない。
覚悟を決めて、敵を睨みつける。
僕は、自身のためだけに、自身の力のためだけに、レイジィ、君を――
「――食らうよ」
「……勘弁してください」
勘弁してくださいじゃないよ……
ふざけた声にイラッとした瞬間をつかれて身体が横薙ぎに吹き飛ばされた。
本当にやる気なさそうに攻撃する。
僕が食らうように、憤怒が激高するように、強欲が求めるように、レイジィはただ、意味もなくだらける。
それは、非常に食欲をそそらないが、まったくもって見事な一貫性だった。
怠惰の王……なる程、納得だ。
仮にも同じ魔王である僕が翻弄される多種多様なスキル。
怠惰を求め、その深淵を覗きこんで識ったものがそれなのかい?
……いいだろう。僕もお返しに見せてあげよう。暴食の至高を求め続けた結果、得た力を。
魔眼を使う。レイジィのそれとぶつかりあっさり撃ち負ける。
不意打ち気味に背後から迫る憤怒の炎を飢餓の波動を発して吸収する。魔王でもない悪魔の不意打ちで負ける程やわじゃない。
久しぶりの食べられる魔力に身体の奥に残っていた苦味が払拭される。
ダメージはいい。憤怒くんも色欲くんも強欲くんも今は気にしなくていい。
精神を集中させる。
左手を掲げ、祈る。飢えたる鬼の神に。
左右から迫る風圧。みしみしと音を立てて肋が折れる。両手で押しつぶされたようだと脳が理解する。
右手に握った刀だけは離さない。これは切り札だ。腕が折れる。離さない。治癒が働く。全体を平均で慣らす重圧。治る度に再度折れる。
レイジィが手を握る。体全体に甚大な負荷がかかる。骨がまるで爪楊枝のように折れていく。久しく感じていなかった痛みに全身が悲鳴を上げる。
防御スキルは使えない。レイジィを食らってしまう。
全身を締め付けるような熱、痛みの中、僕は大きく深呼吸をして覚悟を決めた。
殺意を牙に乗せる。僕は、渾身の力を込めてそのスキルを発動させた。
「『餓王の晩餐』」
轟音とともに地が裂け、荒野が割れる。生身の人族ならばただ触れていただけで十分と持たないだろう莫大な魔力に、天地が鳴動し空間が歪曲する。
強欲くんと色欲くんが慌てて逃げる。渦中の魔王は平然と座っていた。いや、寝転がっていた。
呼び出したるは餓王の口腔。
全長数百メートルにも及ぶ巨大な虚空。牙もなく、舌もないそれは、飽くなき飢え、耐えられぬ飢餓を満たすことのみに特化している。空から見下ろせば、大地に入った巨大な半円型の切れ目が見えただろう。
そして、僕はあっけに取られた。
突然地面に開いた穴に、ターゲットとして設定した、レイジィが慌てることなく平然と落ちていく。眠そうに欠伸までしている。
怠惰は憤怒や暴食、傲慢など攻撃力の高い悪魔と相性が悪い。何故ならば彼らは基本的に動かないからだ。動かない悪魔なんていい的とかそういう話ではない。じっくりスキルも練れるし、彼らは相当強くならなければ狩られてしまう定めにあった。
だが、いくらなんでもこの結末は予想外だ。
え? 何? そんなんなの?
今まで散々戦ってたのに?
躱そうと跳んだ所を刀でバラバラにする予定だったんだが……
手元の黒刀に視線をやる。幻想兵装にリーチなどない。僕の意志で自由自在に伸ばせるのだ。それはここぞという時に使用する僕の必殺の切り札だった。
巨大な唇が閉じられる。
身体を締め付けていた力が抜け、身体が解放された。
右手で頬を掻く。
「……何か拍子抜けだね」
「……そうか」
後ろから聞こえてはならない声が聞こえた。
慌てて振り向き、刀を向ける。無傷のレイジィが無節操に寝そべっていた。
背後を取ったにも関わらず手を出す様子もない。
ちょ……
反射的に刀を振るう。リーチを伸ばすまでもなく、ごく間近だ。寝そべった状態で躱せるものではない。だが、刃がレイジィを真っ二つにする寸前にレイジィの姿がかき消えた。
悪寒が奔る。
これが餓王の口の中から逃れた理由!?
……瞬間移動だと!? ありうるのか? いや、唐突に現れた時点で想定してしかるべきだった。
完全な僕のミスだ。
回避と怠惰でイメージに差がありすぎて考えもしなかった。
てか、卑怯すぎる。
馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!
三位と五位、ここまで差があるのか!?
カノン様はここまで考慮してレイジィを僕にぶつけたのか!?
振った力をそのままに刀を背後に振り切る。
後ろに転移していたレイジィの腕に刃が掠る。噴水のように吹き出た血。そこに感じた匂いに、僕は数歩後ろに下がった。
レイジィが涙を流す。多分痛みに。だが、その時には既に腕の血は止まって何事もなく再生している。途方も無い再生力。研鑽された頑強性。そして、それ故のとんでもなく脆弱な痛みへの耐性。
踏みだそうとした瞬間に身体がまたも一瞬硬直した。
再び重力に囚われる。気づく。この一瞬の身体の強張り――魔眼の力だ。
レイジィが魔眼で僕を縛っているのだ。格下にしか効かないはずの『魔眼』で。
それははっきりと分かる力の差だった。
「あ、はは、ははは……レイ、ジィ。君、何年、生きてるんだい?」
「……多分百年くらい」
んなわけあるか!
僕は、君と、一万年以上前にあったことがあるよ!!
絶対……忘れてるだけだ。
ははははは、なんだか戦ってるのが馬鹿みたいになっちゃったよ。
いくら食べても満たされなかった飢えまでどうでも良くなってしまいそうな程に。
レイジィはただ何も言わずに眠そうに半分眼をつぶっている。
この魔王がここまで強力無比な力を手に入れた理由を考えてみた。
発生から一万年と経たずに魔王となったカノン様と違い、怠惰のレイジィは恐らく、ただ悠久の時を生きた結果、力が自然とたまってしまい、魔王と成り上がってしまった悪魔なのだろう。
野望と呼べるものなどなく、目的と言えるものもない。無為の王。
他者の渇望すらどうでもよく、僕と戦ったのだってきっとすぐに忘れてしまう。それはなんと羨ましい事か。
いつの間にか、レイジィの手が、指が白くなるくらい力強く握られていた。
身体が八方から締め付けられる。体中から何かが折れる音がしたが、もはや痛みもない。抵抗する気にもなれない。方法がない。食欲が沸かない。
十万年近い時を生きた結果、得られた『原初の牙』が砂となって手の中で消えていく。
目の前には、怠惰があった。薄っすらと眼が開く。ただただ面倒くさそうな眼が。
「……ふ……ふふ、ばい……ばい、怠惰。楽しかったよ」
「……そうか」
できれば僕の代わりにカノン様を倒してほしいなぁと思ったけど、そんな面倒なことはしないだろう。
握られている手の隙間に億劫そうにねじり込まれる人差し指。
頭を無理やり力技で押しつぶされながら、僕は思った。
ご馳走様でした。
 




