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堕落の王【Web版】  作者: 槻影
Chapter5.暴食(グラ)

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第二話:その味を見てあげます

 その程度の魔力では、魂核では全く満足できなかった。


 昔は良かった。強力且つ長い年月をかけて渇望を満たした悪魔が魔界全土に溢れかえった。

 僕は長く生き過ぎたのかもしれない。美味しいものを食べ過ぎた。そして限られたリソースの中、肥えた舌を満足させるためにあがき続ける僕らは地獄の餓鬼みたいなものだ。


 ふふふ、昔は良かった……か。年寄りじみた事を言ってしまったかな。


 強力な悪魔は一万年以上前――天界からの襲撃者である、天兵との大規模な戦争で、その多くが討滅されてしまっている。

 それ以来残っている大多数の悪魔は、魔王は一万年程度も生き延びていない若年に過ぎない。


「ゼブル様、腹減っだ」


 狼の頭を持つ悪魔が言った。

 将軍級であり、暴食を司る者でもある。魔王には至らぬ者の、その飢餓は僕には痛いほどわかった。


「ふふふふふ、そんなの――僕もだよ。我慢するんだ。極限の飢餓を我慢した後に取る食事こそが至福。空腹は究極の調味料って言うだろ?」


「食い物……食い物が……欲しい」


 血と肉と魂の芳しい香りが鼻孔を擽る。

 悪食なんて呼ばれるけど、別に僕は美味しい者を求め続けている探求者であり、断じて悪食なんて呼ばれる謂れはない。

 純白のマーブルの玉座の上で足を組み替える。くぐもった悲鳴が玉座を支える食べ物の口から響いた。


 傲慢の悪魔は……そのプライドを叩き折って食らうのが一番美味しい食べ方なんだ。

 だが、どちらにせよその悪魔からはそれほど強力な力を感じない。味もそこそこだろう。


 もちろん、僕の胃袋は無限だから残すような勿体無い真似はしない。頂きますと、ご馳走様は欠かさないのだ。

 血液がシャワーのように飛び散り、頬を濡らす。同時に、玉座ががくりと大きく揺れた。


「こ、こら! 勝手に食べちゃだめだろ?」


「ぐ?」


 慌てて下を覗くと、ちょうど巨大な顎で首を噛み砕く配下の悪魔の姿が見えた。


 あああああ、せっかく調理中だったのに……

 いくら素材が悪いからって、できるだけ美味しく食べたいという僕の気持ちがわからないかなあ。

 だが、がりゅがりゅという骨を砕く音を立て、狼頭で裂けんばかり笑みを作る配下の姿を見ていると、どうでも良くなってくる。その思いは僕にだってわかるから。

 全く、仕方のない子達だ。

 僕も玉座から飛び降り、鮮度を失いかけている死体の右腕をちぎり取って口に入れた。

 成熟した魂の甘い味がしたのは一瞬。数度の咀嚼であっという間に消える。


 やれやれ、全く、空腹の足しにもならないね。

 続いて左腕を裂いた所で狼頭が言う。


「ぐ……ゼブルざま……早い……」


「ふん、僕は……ちょっとばかり食べる方なんだ」


「ざっぎ、魔王ぐらったばかり……」


「ああ、美味しかったよ」


 やっぱり魔王は違う。味の深みが違う。歯ごたえが違う。身体が悦んでいるのがはっきりわかるのだ。

 新参だろうと、その有する魔力は例え一個したのクラスである将軍級と比較してもまさに格が違う。

 狼頭が頭を食べ終え、続いて獲物を物色しようとした時には既に四肢がなくなっていた。

 僕に非難するような目を向けてくる。


「ずるい……」


 やれやれ。

 なんてことを言うんだ、この男は。

 その食に対する飽くなき渇望に僕は感心を込めて言った。


「ずるくない、ずるくないよ。自分の獲物は……自分で取るんだ。クラード・アスタルと戦ったのは僕だ。僕が食べて当然じゃないか。君、何かしたのかい?」


「いまの悪魔は……俺がごろじだ……」


「……あれ? そうだっけ? ふふふ、まあ、臣下の倒したものは主のものだろ? 嫌だったら……偉くなるんだね」


 そうすれば、君も魔王の味を識ることができるだろうさ。まぁ、もしかしたら識らない方が幸せになれるかもしれないけどね。


 暴食のスキルを発動させる。

 魔力を使い、飢えがより深く腹を揺るがした。


無形の食手(ミリオン・ディッシュ)


 背中から生えた無数の触手が、頭と四肢をもがれて達磨になっている元傲慢の悪魔に突き刺さる。

 狼頭が悲鳴を上げた。


「ぢょ……」


「ふふふ、まあ少しくらいは残してあげるよ」


 暴食のスキルは食事をするためだけに存在する。

 突き刺さった触手が独自に動き、四肢と頭をもがれた傲慢の身体を僅か一秒足らずで喰らい尽くした。

 慌てて噛み付いた狼頭の牙が空を切った音が虚しく響く。

 ふふふ……人の食事を邪魔しようなんて、意地汚い悪い子だ。


「ああああああ、ずごじ残ずっで、言っだ……」


「ふふふ……ご馳走様……まあまあの味だったよ」


 ただ、将軍級にしてはいまいちだったかなあ。やはり昔とは違うのか。

 いや、せいぜい十五位の魔王、集まってくる悪魔もその程度の質ということか……


「……ゼブルざま……」


「ふふ、ほら、残ってるだろ?」


 涙目で見える狼頭……僕の軍に所属する将軍級の悪魔、ガル・ルクセドに純白の玉座を指さしてみせた。


「……玉座」


「皿……いらない」


 全く、将軍級だってのに品位がないんだから……上級悪魔たるもの、もっと優雅さが必要だよ?

 あはは、まぁ、狼って肉食なんだっけ? それは――悪いことしたね。

 でも、好き嫌いは良くないなあ。


「なるほど……ふふ、そういうのなら僕がもらおうかな」


「……食べるもの、選ばなずぎ」


「いざとなったら、地面でも岩でも食べなきゃいけないんだよ」


 がりがりと、玉座に触れた手に生えた口――牙がマーブルを削る。

 なかなかの味だ。でも、高級素材で出来ているとは言え、所詮は皿だね。飢えをごまかすのにはいいけど、やはり皿の中身には敵わない。


 戦線はとっくに決していた。今は勝利の宴だ。


 傲慢の軍はとっくに瓦解し、敵兵は全て食料になっている。

 全然相手にならなかった。相手には魔王までついていたにも関わらず、僅か二時間足らずで勝敗は決していた。

 うちの軍には暴食の悪魔しか存在していないが、暴食は攻撃力に優れており、最も基本的なスキルである『飢餓の波動』は範囲スキルでもある。

 僕がいる以上、相手の一定以下の能力の悪魔はスキルに巻き込まれて、ただの餌にしかなれない。

 もちろん手加減はしてあげたけど、それにしたって彼らは初めから及び腰だった。


 ふふふ、及び腰の傲慢(スペルヴィア)の悪魔なんて話にならない。所詮はカノン・イーラロードに屈した負け犬だ。

 傲慢は……不遜であれば在るほどに強いのだ。そして、それは同時に美味しいという意味でもある。

 与えられた位が違いすぎたというのもあるだろうが、魔王の使用した『優越』も大したことがなかった。

 絶望と悲鳴は、調味料としては悪くなかったけどね。


 玉座を食べ終え、僕は一度腹を撫でた。

 僕は痩身だ。栄養は全て暴食のスキルが食らっている。


「ゼブル様……腹減っだ」


「ん? やれやれ、もうか……確かに量だけだったからね……」


 この程度じゃあ使ったスキルに対して全く釣り合いがとれていない。

 周囲を見渡すが、もう各々かじっていた食料はとっくに腹の中に消えたらしく、飢餓に満ちたぎらぎらした瞳だけがそこにあった。

 やれやれ、正規の調理法をすれば少しは腹持ちが良くなるはずなんだが……まぁ、我慢出来ないんじゃしょうがない。

 魔王を食らった僕にはまだまだ我慢出来たけど、臣下の期待に応えるのも王の役目だよね。

 僕は、獣欲にたぎる配下達に手の平を一度打って言った。


「さ、じゃあ次の食べ物を探しに行こうか……」


「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 配下共が叫ぶ。地鳴りが飢餓の波動、獣の唸り声に揺れる。

 やる気は十分だ。僕の臣下の暴食のほとんどは獣の身体を持っている。それはまだ、何もかもを噛み砕く力を持っていない彼らがせめて硬いものを食べられるように自身の身体を変化させているためだ。


 だから僕の軍のメンバーは……あまり頭を使うのが得意ではない。まぁ、ただ食らうのに頭を使う必要はないからね。

 その中で、こんななりでも軍の中ではそれなりの智将で知られるガルが顎から涎を垂らしながら地図を広げた。


 大魔王様の居城である破炎殿は与する魔王の領地に囲まれており、そうそうにたどり着けるようにできていない。

 だから、カノン様を食らう前にその他の魔王を前菜に破炎殿を目指すのはなかなか利にかなった素敵な計画に思える。

 ふふふ、いくら僕でも……一度に複数の魔王を相手にするのは骨だからね。このまま順番に喰らい尽くすとしよう。

 大魔王様さえ喰らえば、僕の能力は更に上る。何なら代わりに大魔王様をやってもいい。

 魔王はみんな野望にあふれているからね。食われた弱い大魔王様のことなんざ誰も気にかけないだろうさ。


 ガルの指差す進行先、線で分けられた領地を見る。

 破炎殿への最短距離に立ちふさがる広大な地。広さは昨日と今日食らった魔王の領地を足しても全然追いつかないくらいに広い。飛竜を使っても一日じゃ踏破できないであろう距離だ。この統括地を避けて行くには相当な遠回りをしなければいけないだろう。

 僕はそこにあった名前を見て、さすがに顔を顰めた。


「あっちゃあ……侵攻ミスったなあ。なんで二十人近くも魔王がいるのに、ここでこの人が出てくるのかなあ」


「ん? 何が問題あるのが?」


「ありありだよ。あーりーあーりー。まったく、ミズナ達は何を考えてこんなルートを考えたのか……」


「ゼブル様……ミズナはもういない。セータもグラードも」


「いや、知ってるよ。美味しかったからね」


 知ってるけどさあ、と文句の一つも言いたくなる。


 カノン様から監視官として派遣されてきていた三人を思い出す。

 僕の部下は計画の立案には役に立たないので、侵攻計画は彼ら三人を上手いことおだてて立てさせたものだ。もっとも、カノン様を食らうためだなんて馬鹿正直に言っていないが。

 考えてもらったのはルートだけだ。当然、カノン様直属である彼ら三人は邪魔にしかならなかったので、立案が終わった後はこの晩餐の前菜になってもらった。

 所詮、将軍級で、おまけに不意をつかれては僕には敵わない。

 まぁ、美味しくいただかせてもらった。傲慢の軍の将軍級よりもよほど美味しかったのは、質の違いというべきか。


 でも、よりにもよってこれはなあ……

 僕は久しぶりに飢え以外の感情を抱きつつ、地図に記載されている名前をこすった。

 正直……凄く気が乗らない。


「何が問題だ?」


「……君、まさか怠惰の魔王、レイジィ・スロータードールズを知らないの?」


 元第四位、ついこの間功績を立てて現在は第三位に位付けされる怠惰の魔王だ。

 別に、魔王の強さは決して順位通りではないから、強さという意味ではそんなに怖いわけではないし、別に彼が新参ではなく、僕と同じく一万年前に発生した天界との大戦争を生き延びた旧悪魔だから恐れているわけでもない。

 もちろん、戦ったことこそないが、そんなに長く生き延びているということは同時にそれだけの力を蓄えているということでもある。だから十五位や十六位を相手にするようには対応出来ないだろうというのは全くもってその通りなんだが、問題の本質はそこではない。

 僕は深くため息をついた。


 そして、全くわかっていないらしい可愛らしい臣下達に、その衝撃的な事実を教えた。


「怠惰の悪魔って……凄く苦いんだよねえ」


「苦い……?」


「ああ。僕は倒したものは何だって食べる事を信条としてるけど……そんな僕でも怠惰の悪魔だけは食べたくない」


「えええええええええ?」


 ガルが飛び上がって驚いた仕草を取る。

 そんな大げさな……と思いながら周囲を観察すると、いつもは食べる事しか考えておらず知性の欠片も見せない僕の配下たちが皆一様に信じられないものでも見るかのように見ていた。

 いやいやいやいや。


 僕は弁明するように説明した。これ、暴食の知恵ね。


「いや、別にさ……下位の悪魔ならいいんだけどさ。怠惰を司る悪魔って極めれば極める程、怠惰に過ごす術が増えていくんだけど……その中に食べられなくするために自身の肉体と魂の味を落とすスキルがあって……」


 それがやばいのだ。


 専用のスキルでおまけに結構上位のスキルだけあって、凄まじい味を体現するのだ。

 その味たるや、一口食べただけでトラウマになるレベルで苦い。苦いものが好きとか嫌いとかそういうレベルじゃなくてただ苦くて不味い。

 悪食って呼ばれた僕から言わせてもらっても、ただ食べることにかけては天下一品を自称し、毒含めてありとあらゆるものを食せる無限の胃袋を持つ僕からしても……やばい。死ぬほど不味い。僕はあれで初めて腹痛というものを味わったのだ。

 ならば丸呑みにすればいいのじゃないのかと思うが、それも違う。奴らの味は魂に響く。例え胃に直接送り込まれても間違いなく不味い。


 食べられないように味を変えるなんて、まるで植物みたいな属性なのだ。


「下位の怠惰なら……相性もいいしあまり動かないから狩りやすいし、味も独特だけど悪くないんだけど……よりにもよって魔王だからねえ」


「というと?」


 僕は一拍、力をタメて宣言した。


「この世で一番まずい。間違いないね」


「おおおおおお」


 何を勘違いしているのか、拍手が鳴り響いた。

 ……君たち、分かってないね。そりゃそうだよね。暴食の味に対する評価はやたら懐が深いから……美味しくないならともかく、『不味い』なんて感情は味わったことがないのだろう。

 僕はその幸運を祝福せざるを得ない。僕の数万年の生の中でも間違いなく三指に入るトラウマだ。


 まぁ、怠惰の悪魔を食べる機会なんてそうそうないし、おまけにそれが将軍以上の上位になるとまず戦線に出てこないからこれからもないだろうけど。

 ……ん?


「……なるほど……出てこないと踏んだのか。ミズナ達は……」


「ん?」


 なるほどねえ。そう言われると納得だ。

 確かに、怠惰の魔王が自ら戦線に参加するなど、まずありえない。

 何故なら、彼らの渇望は暴食と違って他者を害する必要がなく、怠惰の王というのはこの魔界で最も怠惰な存在なのだから。

 戦争なんて面倒なことに参加するわけがない。例え大魔王様からの命令があったとしても、ありえないだろう。


 僕は、レイジィの顔を思い出そうと思考を探ったが、思い出せなかった。

 三代前の大魔王様の時代から大魔王軍に与する僕はこの軍の中でも古株なはずだが、その記憶をどれだけ辿っても、殺戮人形のレイジィ・スロータードールズの姿はイメージできなかった。


 僕は眉をひそめて思考に栄養を割いた。そして、ようやくらしき記憶に引っかかった。

 確かに朧げに、覚えている。


 カノン様が大魔王になった際の祭典には出ていたはずだ。当時の監察官に引っ張られながら。

 黒髪で頼りない痩身の男だったはず。なんであんなのが、と当時の魔王達が話していたのが記憶の欠片に引っかかっていた。


「どうじだ? ゼブル様……」


「……ちょっと待った。あれ? その一個前のフェルス・クラウン様の時にも出てたな……」


 さらなる記憶を遡る。

 前大魔王様がその地位についた時の祭典だ。

 もはや記憶はあやふやで、その光景は全て霞に包まれているが、確かにいた。

 黒髪でだらし無い風体の男で、部下に背負われて参加していたはずだ。どうしてこんなのが、と当時の魔王達が話していたのを本当にぎりぎりで覚えている。


 僕は首を傾げた。


「……あれ? 何年前からいるんだよ……相当古参だぞ、フェルス・クラウン様の時代って……」


 フェルス・クラウン様が大魔王に就任されたのはもう二万五千年も前だ。

 その前の代の大魔王様の事はさすがに覚えていないが、僕が魔王になった時には既にいた? いなかった?

 悪魔の寿命は非常に長命だが、さすがにそこまで長く生きるには相当な力が必要なはずだ。

 多分、さすがにいなかったと思うが、ちょっと自信がない。

 いてもいなくても別にどっちでも変わらないと思ってたからなあ……


「ゼブル様どうずる?」


「んー……どうするって言われてもね。ここまで来たら行くしかないでしょ」


 僕達は今や背水の陣だ。如何に早くカノン様を下せるかどうかにかかっている。

 遠回りする手は……ない。不退転の覚悟でいくしかない。


 幸いなことに、怠惰は耐久性に優れたスキルを持っているとされている。暴食のスキルとは非常に相性がいいはずだ。味さえ我慢さえすれば。

 いや、味にしても……さすがに、僕も前回怠惰の悪魔を食らってから長い時間が過ぎている。記憶もあやふやだし、もしかしたら、昔の話だから印象に残っているだけであって、今食べてみたら言うほどまずくはないかもしれない。


 うん。そうだ。昔ならともかく、今の僕がものを食べて不味いなんて感じるわけがない。


 それに、怠惰が出てくるわけがない。出てきたとしてもせいぜい怠惰の軍ぐらいだろう。確かにレイジィの軍は精強と名高いが、所詮は将軍級の悪魔では魔王の僕に敵うわけがない。

 逆に、味が楽しみなくらいだ。


「よし、じゃあ破炎殿に向かって直行するよ!」


「おおおおおおおおおおおおおおおお!」


 カノン様……待っていてください。

 僕が、全暴食の悪魔を代表して、その味を見てあげます。

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