第一話:この世界は――地獄だ
この三千世界において最も最低最悪な耐え難き感情は『飢え』だと思う。
魔界は途方もなく広いが、この渇望を超えた『欲』が在るとは僕にはとても思えない。
それ故に、僕が悪魔として生を受け、気づいたら『暴食』を得ていたのは、至極自然な流れだと言える。
順調に年月を経て、ただただ飢えを満たすことのみを考えていったらいつの間にか抱えていたクラスが『魔王』になっていた。
魔王となって何かやることが変わるかというと、何も変わらなかった。僕にできるのはただ食べる事だけであり、それだけで事足りた。
変化したのは、強者になったが故に、『食べられる範囲が広くなった』ことくらいだった。
本当の意味での弱肉強食。僕らはただ強者であるが故に喰らい、その結果クラスの位階が変わる。
その対象が、一般的なその他の欲を抱える悪魔が表現する『食べ物』から無機物、同族にまで広がるのに時間はかからなかった。
同族が美味しいのはグラを抱えるものとしては一種の常識である。食べるのに手間が掛かり過ぎるのであまり食べる者がいないだけで……つまり、それはその一点のみ解決できれば躊躇うに値しない。
長い間生きていた。
悪魔として生まれ、魔王となり、大魔王の配下になり、敵対する魔王を食らった。
対象が強ければ強い程、僕の舌には美味と感じられた。
悪魔の位階で言う、5つの位。
すなわち、特に呼び名のない『位なし』から始まる
『兵士』
『騎士』
『将軍』
『魔王』
の5つ。
位なしが一番味が薄く、魔王は別格の味を持つ。
それにプラスして、抱える渇望によっても味が違う。至高の食物が何かと聞かれたら僕は間違いなく『悪魔』を挙げるだろうね。
無限の飢えを持つ暴食に取って食べ物などいくらあっても足りるものではない。
生粋の捕食者である暴食は同種にも好かれることはない。なまじ、攻撃力に優れた性質だからこそ、あまり無差別にやるとそれを恐れた周囲に処分される可能性があった。
秩序が必要で、渇望を埋めるのにはにはさらなる上位種の庇護を受けるのが一番手っ取り早かった。
それが大魔王様だったというそれだけの事だ。
特に難しい理由があったわけでもない、事情があったわけでもない。至ってシンプルな理由で私は大魔王様付きの悪魔になり、臣下を頂き領地を頂き、そして――敵対する悪魔を食らう権利を手に入れた。
さらに長い年月が過ぎた。
悪魔としての力は上がり続け、同時に飢えも成長し続けた。
僕の舌は肥え、ただの食べ物では微塵も飢えを満たせなくなった。
大魔王様は三代移り変わり、僕が生まれた時にはまだ存在すらしなかった破滅のカノンがついた。
美しい煉獄の炎を形にしたような真紅の悪魔だった。
着任した際にお目通りした時の事はまだ覚えている。
その身に感じる魔力は憤怒に相応しく燃え上がり、周囲の空気を燃やし尽くすような熱に満ち強大で、その場でひれ伏してしまいそうな程に罪に満ちていた。
なんと強く美しい悪魔だろうと思った。
そこにはカリスマがあった。
この大魔王様の元でならば、曾てない程に自身の飢えを満たせるだろうと。
まだ見たことのない味を識ることができるだろうと。
そして同時に思ったのだ。
もしも彼女を食らうことができたならば――天にも昇る心地がするだろうと。
親も親友も臣下も同じ暴食すら食らった。
怠惰も強欲も色欲も憤怒も暴食も傲慢も嫉妬も食らった。
泣きながら怒りながら笑いながら感謝しながら食らった。
食べ物に貴賎はなく、それ故にこの世の万物の価値に優劣はない。
まずくても美味しくても、例えそんなものでは飢えが満たせないとわかっていても食らった。
この世界は――地獄だ。
減って増えて、移り変わって、戦争が始まって終わって滅んで復活して、万物流転盛者必衰、その中で飢えだけが何一つ変わらない。
飢えだけが変わらない。
そして、それを満たした時の途方も無い多幸感もまた。
だから、僕が大魔王カノン・イーラロード様に反旗を翻すのは、別に食料がどうのとかではなく、恐らく時間の問題だったのだ。
なんたって、僕は暴食の悪魔なのだから。




