第三話:理解できない
「てめえら、それでも第三軍か! たった一人にどれだけ時間をかけてやがる!」
まるでやられ役のような台詞を履いて、デジが戦線に乱入する。
千人いた第三軍はわずか一人の魔王を相手に、既に半分程度まで数を減らしていた。魔王相手に半分生き残っているというのが凄いのか凄くないのか。だが、兵法の通例ではこの戦争は完全な敗北だと言えるだろう。
もっとも、相手の兵はたった一人しか残っていないんだけど。
利き腕に握られたセレステが真っ赤な熱を纏い、空を切って振り下ろされる。
熱波が高い温度の風を呼び、砂埃を巻上げる。
デジが口を大きく開けて嘲笑う。
「きっきっき、さすがに直接の一撃は防ぐのか」
「……軍団長か」
想定よりも理知的なハスキーボイス。
象牙色の三日月刀がセレステを向かい撃っていた。それは魔王が初めて出した直接的な手だ。
デジは肉体も鍛えている。だが、膂力は魔王のスキルによって向上している魔王の方が遥かに上だ。腕が千切れんばかりに力を込められ、鋼の肉体が熱を発するがゼブルの表情は涼しい物だった。
デジが残りの腕で剣を振るうが、ゼブルの背中から生えた触手がそれを迎え撃つ。
腕が六本あってもデジの身体は所詮はひとつ。可動域の高い無数の触手を有する魔王と比べれば其の数は児戯に等しい。
「いい腕だ」
「きっきっき、お褒めにいただき光栄ですよっ!!」
魔剣が爆炎を纏い、炎がゼブルを舐める。
赤き光がひらめき、それを白の剣が迎え撃つ。不規則にきらめく刃は炎をまとっている事もあり、ひどく認めづらいが、魔王はそれを易易と受ける。まるで全ての動きが読めているかのように。
だが、私達にはそれも読めていた。一撃で決まるなどとは考えていない。
正面から斬りかかったデジ。
その隙をついて、身を低くしてゼブルに斬りかかった。
触手の動きに法則はなく、疾いが視界に止まらぬ程ではない。左手の短剣で触手を切り払い、右手に握った氷の剣で切り上げる。
瞬間に、ゼブルが大きく身を翻した。
剣が空振る。ゼブルの眼が私を見ていた。
熱のこもった瞳。それは情欲を抱いた色欲の魔王に、魔剣を前にしたデジに似ていた。
ただし、それはより罪が深い。ただ、嫌悪があった。
ゼブルが暴食を司るのならば、その感情は当然――
「二人か……少々小さいけど、なかなか美味しそうだね」
――『食欲』に他ならない。
同種に強い食欲を抱かれる。怖気が全身を奔り、一瞬腕が硬直する。
暴食を司る者は多かれど、その中でも『好んで』同種を食らう悪魔はそうそういないだろう。
悪食のゼブル・グラコス
大地を、悪魔を、そして魔王さえ喰らい、魔王に至った暴食を司る悪魔。
触手が背面から左胸――魂核を貫く。魔力が、肉体の構成が剥がされる。
「ふむ……薄いな……幻……この味、君は色欲くんか……」
分割されていた最後の視界が消える。分装幻舞が終わる。
これで私はたった一人しかいない。
だが、隙は作った。
「きっきっき、やるじゃねえか、嬢ちゃんっ!」
一瞬空いた意識の空白に滑りこむように、デジの刃が降ろされる。
背中に振り下ろされたセレステ――天使をも滅ぼす魔剣を前に、あろうことかゼブルは首だけで振り返り、口を大きく開けた。
咥内に見えるずらっと並んだ牙、頬まで裂けた口、喉の奥から如何なる摂理か平静とした声が出てくる。
「魔剣か……食べたことがないな。珍味かもしれないな」
「何ッ!?」
豪腕で、確かな隙をついて振るわれた剣が口で受け止められる。赤き刃に牙が突き立てられる。
炎が牙を蹂躙するが、何もかもを一瞬で焼きつくす炎を食らってなお、ゼブルの顔に痛痒は見られない。牙がぎりぎりと剣身に食い込む。
デジが剣を引こうとするが、ガッチリ噛みあった牙は剣を離す気配がない。
だが、剣に噛み付いているということは、本体は動けないということだ。
デジの左上の手が握る剣が振り下ろされる。
それをゼブルは剣で迎え撃つ。これで手も塞がった。
好機!
身を低く疾走し、無防備な背中に剣を振り下ろす。
しかしその瞬間、予想外の箇所から声が響いた。
「君が本体か……なかなか美味しそうな魔力をしている」
背中が裂け、粘液が黒の外套を濡らす。
それは、巨大な口だった。ずらっと並んだ牙は其の一つ一つが短剣と同じくらいの長さがある。
慌てて剣を引くが、口から飛び出た長い舌がそれを追いかける。
それは無理な姿勢で引いた剣にたやすく巻き付いた。冷気が舌を凍らせるが、意に介する事なくそのまま凄まじい力で剣が引かれる。
「ふふふ、舌触りは悪くないね……」
機嫌の良い魔王の声。
仮にも剣を振るう悪魔相手に対する感情の揺らめき。
食欲なんて安易な言葉で片付けていいのかどうかすら分からない理解不能の欲望。
「く、化け物めッ!」
左中央の腕が振るったデジの剣を、ゼブルが空いた手で受け止める。
いや手ではない。その手の平には――口が生えていた。
牙があろうことか、容易く剣身を噛み砕く。仮にも魔剣である一振りが無残な欠片を空気中に散乱された。
手の口から伸びた舌がそれらを残さず絡めとり、最後に折れた剣に巻き付いた。
今のタイミングならば、デジの腕を捉えられたにもかかわらず。
「……いいものを持ってるじゃないか。『美味しい』よ。歯ごたえも味も、悪くない」
離した柄が口の中に消える。
手の口が味わうようにゆっくりと咀嚼する。
ゼブルの眼が至福に綻ぶ。
「こいつ……俺のコレクションを……」
「ふふふ、君は強欲くんか。久しぶりに腹が満たせそうだ」
私の腕力を上回る舌の力に、剣をもぎ取られる。
デジには悪いと思ったが、バックステップで距離をとった。
歯が剣をすり潰すばきばきという音が響く。まるでそれは剣の悲鳴のようだった。
デジがそれに気づき、声にならない悲鳴を上げる。
「お、おい。嬢ちゃん! 食われるんじゃねえ! 俺の剣だぞ!」
「し、仕方ないでしょ!」
明らかな隙に、ゼブルの舌がさらなる獲物を求めて宙を泳ぐ。
標的は私よりも近い位置にいるデジ。
叫ぼうとした寸前に、その舌を巨大な剣が迎え撃った。
「……何だ君は?」
「……」
巨大な骸骨――レイジィ様の虐殺人形が太い鉄柱のような腕を振るう。
ゼブルの身長よりも遥かに巨大な剣が地面を穿つ。
地面が爆散し、それでも腕は止まらない。普通の悪魔では決して成し得ない可動域。剣が奇妙な線を描き切り上げられた。
舌と触手がそれに巻き付こうとするが、凄まじい膂力で振るわれたそれはまとめてそれを吹き飛ばし、ゼブルの顔に迫る。
その骸骨に気配がなく、その攻撃には生命が感じられない。
「よくやった!」
デジの空の腕が異空間から新たな剣を取り出す。
骸骨の膂力は凄まじい。その豪腕はおそらく鍛えあげられたデジのそれに勝るだろう。
ゼブルの表情が困惑に染まり、セレステを離して距離を取る。
セレステは粘液に塗れ、剣身には小さなひびが入っていた。
「……何だい、それは……悪魔でもないし気配がない」
「きっきっき、ただの燭台だぜえ! ちょいと旦那のスキルがかかってるがなあ!」
骸骨がデジの意志を受け、地面を踏み抜いた。
爆発的な力で前に出たそれをゼブルが万全の態勢で迎え撃った。
バスタードソードと魔王の剣が撃ちあう。
ゼブルの倍はある巨体から繰り出される刃はまるで暴風のように疾く、無秩序に切り薙ぎ払われる。
だが、ゼブルの刃はそれを的確に弾き、その視線は確実に斬撃を捉えていた。
「……あまり美味しそうじゃないんだよなあ。僕はこう見えてもグルメなんだ」
「…………」
悪食がどの舌で言うのか!
骸骨のバスタードソードを軽々と躱し、象牙色の剣が切り上げられる。
斬撃を受けた左腕の二の腕、関節部が折れ、空に舞う。
だが、人形は全くそれを意に介さず、残った右腕で剣を振るい、横一文字に切り払った。
ゼブルがその斬撃を身を低く落として躱した。
痛みはなくとも所詮は人形、明らかに魔王相手では力不足だ。
隙を作るには十分。恐ろしい腕力を持つ手が増えた事で意識を向ける相手が増え、確かに隙は大きくなっている。
だが、所詮はその程度。こちらの攻撃は尽くゼブルに通じず、こちらの武器は無差別に喰らわれる。
状況は依然、最悪だ。生きていることは奇跡に等しい。
しかも未だ、ゼブルはまだまともなスキルすら使っていない。
魔力もほぼ空に近く、威力の高いスキルも使えない。
ゼブルがため息をついて距離を取る。
「やれやれ、うざったい食材だね……まぁ、食事は手間暇をかけたほうが美味しいからねえ」
その身体から無数の触手が湧き出す。もう本当に勘弁してほしい。
本数、太さ共に先ほどの比ではない。
魔王の小さな身体はもはや触手が本体なのか判断がつかない程に埋もれている。
口だけが、ただその中心に見えていた。異形の肉体になってなお、その声は先ほどから何も変わらない。
「強欲の悪魔は……コレクションを先に食べると味に深みが出るんだ」
唐突な言葉。
その痩身に力が満ちていく。空気中に漂う魔力が散漫だったマナが、集中していく。
「色欲の悪魔は犯しながら食べると、とても甘い味がする。ふふふ、至上の快楽を教えてあげるよ。大丈夫、君たちはそれなりにいい食材だから、他の悪魔のように食べない。ちゃんと正規の食べ方で食してあげるから」
全然……嬉しくない。
犯しながら食べる。犯されながら食べられる。
想像しただけで怖気が奔る。
同じ悪魔からしても、全然理解できない。
何かがやばい。何がやばいのかはわからないが、このまま時間を使わせるのはやばい。
だが、脚が動かない。プレッシャーが身体を縛る。
魔王のスキルだ。自分も動けなくなるが、他者の動きを縛る事ができる。下位の存在しか縛ることができないが、スキル起動の『タメ』を作り出すには十分有用なスキルだった。
デジも同じなのか顔をこわばらせながら口を開く。
「冗談じゃねえなあ。お前の目的はなんだ……」
「目的……? そうだな、強いていうなら……お腹が減ったんだよ」
あまりにあっさりとしたその言葉に、一瞬耳を疑う。
が、その台詞にはあまりにもそれ以上の意味が含まれていなった。
無限の食欲……よかった。暴食を司らなくて。いや、こいつが異常なのか。
「僕は少しばかり大食いでね……いつの間にか僕の持っている取り分を全て食べ終えてしまった。だからさ、仕方ないんだよ。生きるためには食べなけりゃ行けないし、民を食べさせる義務があった」
「……その民は?」
「もう食べてしまったよ」
大魔王様に下賜された臣民を……食らった?
ゼブルが釈明するように言う。
「まぁ、粗悪品ではあったけどそれなりに腹の足しにはなった。ふふふ、ただ僕の部下は満足だったみたいだけど、僕にはちょっと味が悪すぎてね……正直、そこの強欲君の剣の方がよほど味がよかったよ」
「……」
さすがのデジもその言葉は想定外だったのか、何も言わなかった。
自分の剣が美味しいと言われて返す言葉はないだろう。
いや、こいつの持っている性は――決して私には理解できない。第二軍にだって暴食の悪魔はいるが、せいぜい少し大食いな程度で、ここまでぶっ飛んではいない。
「まあ、安心してほしい。君たちはちゃんと――僕の中で生き続けるからッ!」
無数の触手が今までとは比較にならない速度で飛来した。
何かが来ると。
警戒だけが私の命をつないでいた。触手の飛来と同時に力が戻った脚が反射的に大地を強く蹴り、横に避ける。
一本一本の触手が先ほどとは異なる紫の粘液に滴り、光にきらきらと輝いた。
デジもやばいとわかっていたのか、とっさの判断で立ち向かわずに距離をとった。
人形だけが片手だけで軽々と剣を振り、触手に相対した。
四方から絡みつく触手を剣で切り払う。
同時に、剣が『ずれた』
巨大な剣身が地面に派手な音をたて落ちる。
障害物を切り崩した紫の触手が骸骨人形の身体に巻き付くと同時に、レイジィ様のスキルで強化されているはずの金属の身体が文字通りばらばらに解体された。
「なっ……」
あまりにあっさりした最後に、デジが悲鳴を上げる。
触手はばらばらにされた骸骨の部品をそのまま引きずり、触手の塊に埋もれた穴に引き込んだ。
「……やっぱりただの金属だ。魔道具でもなんでもない……何かのスキルによるものかな? 美味しくないけど、まぁ食べられなくもない」
「くそっ、それを作ってもらうために俺がどれだけ苦労し、何人殺したか……ッ!」
「ふふふ、それは申し訳ない事をした。大丈夫、すぐに腹の中で会えるよ」
紫の触手をセレステで切り払い、血の涙を流しながらデジがギリギリで触手を避ける。
背後に詰めていた第三軍の一人が触手に捕まり、容易くばらばらにされる。血のシャワーが空気中に霧散してあっという間に触手に吸収される。
食らった……あの触手――一本一本が口か!?
「長じゃなくてもなかなか美味しいじゃないか。精強だね」
「……」
飛来する触手の速度は先ほどまでの触手とは比べ物にならない程早く、四方八方から乱れ散るそれは捉えきれない。
ぎりぎりで外套が貫かれ、接した箇所からじわじわと穴が広がっていく。とっさに外套を脱ぎ捨て、身を低くして触手を躱す。
本気じゃない。本気だったらとっくに死んでいる。
躱した触手がそのまま地を滑り、他の悪魔を貫き、吸収する。その度にゼブルは恍惚とした声を上げた。
何故、本気を出さない?
いや、違う……こいつ――
避けきれず、触手がベルトをぎりぎりでかする。
侵食する傷に、ベルトを切り捨てる。
まただ。確かな隙を攻めない。こいつ――
八方から触手が伸びる。とても反撃するような余裕はない。
触手が金属のプレートメイルをかする。まただ。
触手の粘液は金属すらも容易く溶かす。魔力がこもった品だろうがなんだろうが無関係に。
プレートメイルを脱ぎ捨て、距離をとる。
四方から絶え間なく襲来する一撃必殺の触手に、魔王の威圧。体力が限界だった。
触手の有効範囲は広く、第三軍を溶かす度にゼブルの魔力が回復している。
だが、明らかにこの魔王は私に対してのみ、手加減していた。
「何のつもりだ……」
「ふふふ、君は食事をする時に殻ごと食べるのかい?」




