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堕落の王【Web版】  作者: 槻影
Chapter3.色欲(ルクセリア)

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第一話:曾て色欲の魔王は言った

 曾て色欲の魔王は言った。


 攻撃性の魔力などなくとも、渇望を達成するに不足はないと。

 欲望を満たすのに何ら障害はない、と。そう言って食べるものも食べず、がりがりに痩せ劣った私の頭を優しく撫でた。

 その涼やかな容貌と惚れ惚れするほどのグラマラスな肢体は仮にも女である私の眼から見てもそういった情をいだきかねないくらい、堕落してしまいかねない位に美しく、これこそが魔性の美貌というものかと感心すると同時に、嫉妬を抱かずにいられなかった。

 多分彼女は、私に一般的に見られる『色欲(ルクセリア)』とは別の視点で『色欲(ルクセリア)』を見て欲しかったのだろう。それは非常に甘く、昏く、儚い感情だったに違いない。


 もうその魔王は滅ぼされてしまったが、その教えは私の中に、根源にしっかりと根付き、生きている。

 色欲とは、相手が人ならばともかくそれぞれ原罪を抱く悪魔種の中では、もっとも『やりにくい』型であると言われている。

 悪魔はそう簡単に色に惑わない。


 強欲とは物欲で、傲慢とは名誉欲。

 暴食は食欲だし、嫉妬と憤怒はベクトルが違う。

 怠惰なんてたった一人で世界が完結していてこちらの名前すら覚えてくれない。


 そして上位の悪魔、強力な悪魔になればなるほど、渇望を追求してきたということであり、その感情に染まっていく。魔王ともなれば、もはやその他の感情など薄っぺらい紙切れほどにも残っていないだろう。


 目下の敵は暴食の魔王なんかではなく、自軍の魔王だった。

 もう私が所属を共にして何十年何百年も経っている。せめて名前くらいは覚えて欲しい。

 そう思ってしまうのは私の業が深いのだろうか?


 強欲のデジは嫌いだ。だが、その強力な戦闘能力は認めていた。

 私や傲慢は自ら攻めに入るという発想がない。追加でレイジィ様にもその感情はないから、褒賞として強力な武具を求めるデジは目下のところレイジィ様傘下の軍では最も役に立ち得た。


 戦闘と渇望が直結している彼はうちの軍では唯一の『肉食系』だった。


 それがただただ羨ましい。

 私だって……欲しいものくらいある。ただ、それを明確に求めたことがないだけで。

 それは私の司る属性からして仕方のない事だとしても。


 接敵はわずか数秒で成した。

 仮にも私は上位の悪魔である。よく小さいだの無愛想だの色気がないだの言われるが、それは戦闘能力とは関係なく、上位悪魔の脚力で地面を蹴ることによって、またたく間に見晴らしのいい荒野を踏破し、数キロ以上離れた暴食の行軍に接敵した。

 分割していた視界がぶれ、さらに倍程度に分割される。

 もはや視界の数は百を超えるが、数百メートル先にはっきりと見える暴食の軍勢はこちらを見る様子すらない。


 色欲(ルクセリア)のスキルツリーで最も多いのは精神を汚染するスキルである。


 それは魅了などの至極一般的な汚染から自由自在に幻覚を見せるスキル、他者を眠らせるスキルなどが存在する。

 だがしかし、これらのスキルは悪魔にとって有効なスキルではない。

 悪魔の持つ基本的なスキルツリーの最初の方で精神汚染耐性のパッシブスキルが手に入るためだ。悪魔や天使を除いた他の種族はそうそう持ち得ないが、悪魔や天使などの種族にとってそのスキルは持っていないのが不思議な類の基礎的なスキルだった。


 そのせいで、色欲(ルクセリア)を司る悪魔は色目で見られる。色欲(ルクセリア)のスキルツリー、初級から中級にかけた精神汚染スキルは、基礎スキルツリーの最初の精神汚染抵抗のパッシブスキルによって完全に防がれてしまうからだ。

 ひどい場合は愛玩用などと揶揄される事もあるくらいで、私はそういった色眼鏡で見る連中を尽く討滅してきた。肝心な時は興味すら抱かないくせに、戯れに抱かれるなど傲慢を司るわけでもないのに私のプライドを刺激し、憤怒を司るわけでもないのに私の心を激怒させる。


 大体、色欲(ルクセリア)の属性とはそういったものではないのだ。奴らはひどい勘違いをしている。

 決して……私に色気が足りないわけでも、魅力が足りないわけでもない。髪だって肌だって服装だって気を使っているし、表情だってなるべく明るく親しみのやすいものにできるように努力している。

 身体の凹凸が乏しいのは決して私が悪いんじゃない。幼少時に栄養が足りなかったのが悪いのだ。物心ついてから慌ててなるべく栄養をとるよう心がけたけどもう遅かった。


 運命を呪わずにはいられない。


 でもいい。我が主の口癖ではないが、何もかもどうでもいい。

 私は別に――万人から性欲を抱かれる存在になりたいわけでも、抱きたいわけでもないのだから。 


 悪食のゼブルの軍団(レギオン)の構成悪魔のそのほとんどは暴食の原罪を抱える悪魔だ。

 そのスキルは広範囲の攻撃手法に優れている。憤怒(イーラ)のスキルに続いて高い攻撃力を誇るスキルツリーだ。


 だが、当たらなければいいだけの話。

 精神汚染に耐性があるということは、もしそれが破られた場合の対応手段に乏しい事を示している。


 特に、色欲の上位スキルである『分装幻舞』はただの精神汚染スキルじゃない。

 幻全ての視覚がとらえたビジョンが私の頭に入ってくる。


 先頭に悪魔が揺らめく私の幻をようやく捉え、脚を止める。


 その存在から感じられる力は決して低くない。ゼブルの軍勢は精強だ。


 暴食の軍は異形の悪魔の群れだった。人の形を完全に保っているものはほとんどいない。その暴力的なまでの獣性――食欲を表現するかのような獣の唸り声が風となって荒野に響く。


 一人一人から感じる魔力は第三軍の所属悪魔と比べてもそれほど変わらない上に、奴らにはもう後がない。大魔王カノンに逆らい、既に魔王を二人討滅している以上、彼らは背水の陣だ。辛勝すら生ぬるい。圧勝しなければ大魔王の保有する残り十五人の魔王には太刀打ちできないだろう。


 なんでも聞いた話では、悪食が反旗を翻した理由は食料の不足らしい。魔界には食料は少ない。いや、一般の悪魔からすれば必要十分な量ではあるが、暴食の原罪はその必要量を限りなく増大させる。彼らは食えば食うほど強力な力を得られるらしい。色欲が性交渉を行えば行う程に力を増大させるように。嫉妬が他者への嫉妬心を抱き続ければ抱き続ける程その力を増大させるように。


 こちらに気づいた先頭の悪魔の暴食のスキルが発動される。

 黒の魔力の波動が一瞬で大きく広がり、波となって私を飲み込む。


 なるほど……暴食のスキル。なんという凶悪さか。

 身体にまとった魔力が牙で貫かれ、引き剥がされる。制御し、発動していた身体強化の魔力の制御が無理やり引き剥がされ。純粋な魔力に還元される。力が抜ける。


 これが……他者の魔力を喰らい還元し自在に扱う暴食のスキルか。

 おそらく、本体がわからなかったのでまとめて対象にしたのだろう。その範囲の広さは色欲のスキルと相性が悪い。

 初めから、わかっていたけど、面倒な相手だ。


 だから私が先に出た。このレイジィ様の軍でも三人しかいない将軍級の私が。

 いくら相性が悪いとはいえ、いくら戦闘向きではないとはいえ、悪魔としての格の差は覆らない。


 色欲(ルクセリア)の見た目に騙され、一瞬悪魔の眼が手が止まる。舐められたもんだ。

 しかし、止まったのは僅か一瞬で、すぐにその眼は『食欲』に染まる。こいつらは同族すら食らう。性的な意味ではなく物理的に食らう。だから嫌いだ。いや、別に性的に食べてほしいとかじゃなくて……


 五指から伸びた鉤爪が容赦なく私の頬をかする。一筋の血液が空気中に飛び散る前に、私の手刀がその喉を抉った。まずは一人。倒れる事を確認せずにそのまま地面を蹴る。


 できれば色欲のスキルを使いたいが、初級のスキルは通じない以上私には肉弾戦しか手はない。だがそれで十分だ。


 背後から繰り出された牙が私の腹を貫き、そのまま私の幻の一体を喰らい尽くす。宙を舞った血液が一瞬で幻に変化し、消え去る。

 視界がひとつ消える。だが、その程度何も私に痛痒を与えない。暴食の悪魔相手でも私の直接攻撃は通じる。久しぶりに直接的な戦闘だったが、大丈夫。まだいける


 デジは忌々しい男だが、その戦闘眼は確かな男だ。下卑た所もあるが、わずか十年程度で実力で司令官の座を勝ち取ったその力は侮れない。


 数多の幻の五感を集約し纏める私の役割は決して殲滅なんかではない。


 私に与えられた役割は魔王の力を確かめる事。口に出されなくても、わかっている。

 悪食のゼブル。音に聞こえる上級の魔王のスキルを身をもって受け確かめること。幻を操る私が適任だ。いくら攻撃力と機動力に優れたデジの第三軍でも魔王のスキルを受けてしまえば一瞬で数が減らされかねない。

 魔王といっても、その力には差異がある。攻撃力、耐久性、敏捷性、性格、特殊能力。ゼブルが強力な魔王であることは疑いないが、その傾向を肌で確かめる必要があった。

 軍の被害はレイジィ様への被害。避けねばならない。


 その時、軍全体が停止した。

 全身を貫き奪い去る悪寒。


 中央に立つのは小山のような影。悪寒の中央はそれだ。

 身体が、精神が、汚染され力を抜かれ誇りを崩される気配。

 何もかもを洗い流さればらばらにされる予感。


 それは、私が今まで仕えてまだ一度も感じたことのない感覚だった。

 その衝撃に一瞬手が止まる。


 馬鹿な……これは―


 思考する刹那の瞬間に群体が十体単位で消える。

 だが、今最も気にしなくちゃいけないのはそんなことではない。

 魔王の戦いは縄張りの取り合いだ。

 今拮抗していたそれの盛衰が決した。


「レイジィ様の縄張りが食われた……!?」


「……おいおい、どっから出てくるんだよ。嬢ちゃん……」


 唐突にデジの前に出現した私に、デジが呆れた声を出す。

 大丈夫、まだ数キロ離れたここまでは食われていない。

 私の分体が片っ端から消え去り崩され吸収される。逃げようと地を蹴った瞬間にその脚に触手が絡みつき、空中にぶん投げる。黒い饅頭のような球体が無数の触手を振り回す。それが分体が見た最後の光景だった。為す術もなく黒い身体に接した瞬間に、幻が消える。


 なんという剛力。視界を騙しきる余裕すらない。

 仮にも将軍クラスの膂力が全く通じない。


 まさに悪魔を超えた悪魔。原罪を突き詰めた化け物……これが上位の魔王。

 わかっていたつもりだったが、あまりに……違いすぎる。何のスキルを使ったのかすらわからない。いや、わかっていても躱せない。

 基礎能力値が違いすぎる。渇望が違いすぎる。


 魔力を宿した分体の拳がゼブルの後背に突き刺さる。そのままたやすく貫いたかと思った瞬間、分体が身体に飲み込まれた。離れようとするが、そのまま一瞬で消化され、意識が消える。

 様子見とは言え、分体とは言え、将軍クラスの悪魔がたやすく殺される魔王という存在。

 色欲の幻を気にも掛けずに薙ぎ払われる純粋なまでの暴力性。

 新参とはいえ、魔王を二人飲み込んだ存在。その意味がのしかかる。


「デジ、まずい……こいつ、強い……」


「……やれやれ、んなの当然だ。相手は……上位の魔王、レイジィの旦那を殺すつもりでいかないと……」


 デジが六本の腕を器用に操り、ため息をつく。

 腹立たしい男だ。だが、確かにその通りではある。


 しかし、ゼブルの力は……異常だ。私が生を受けて数百年、これまで見た中でも突き抜けている。

 勝ちの目がまるで見えない。それが実際に刃を交えた私の感想だった。

 一旦引いて立て直すべきか?


「一旦態勢を立て直したほうがいい?」


「いやいや、このままじゃ俺の軍は全滅。戦うしかねえなあ」


 デジがニヤニヤ笑いながら右腕に握られた魔剣を振り上げた。

 魔剣セレステ。伝説の炎竜『セレステ』を殺したとされる炎の魔剣。

 大魔王から魔王様に与えられた最上の魔剣の一振りが、今大きく振り払われた。


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