第八話 姫様はあだ名で呼ぶことを望まれる
一香と姫様こと杏子が話しているところに和平は意を決して声をかけた。
「あのー、姫様も一緒にここで勉強します?」
杏子は和平のほうを見て
「えっ、麻雀の勉強!?」
と声を上げた。
「いや……、麻雀じゃなくてテスト勉強ですよ。清水さんと一緒にここで勉強しないかと」
「でも、一香はここで麻雀の勉強しているんでしょ?」
杏子の言うとおりで一香が見ているのは教科書ではなく麻雀の本だ。
「テスト勉強はその気になればここじゃなくてもできるから」
この部屋にいる間、一香は麻雀に集中したいようだ。
「そ、それじゃあ……、姫様も清水さんと麻雀の勉強……」
「でもしませんか」と言いかけたところで、杏子は「君ねぇ」と遮った。
「『姫様』と呼ぶのはよくないなぁ。一香がいるんだから『あん子』か『杏子』のどちらかにしてほしいなぁ」
(『あん子』が先ってことは『あん子』で呼んだほうがいいのか?)
杏子の注意に和平が戸惑っていると。
「先輩、姫様は清水先輩の前だと、ちょっと違った印象ですね」
と通子が小声で囁いてきた。
「た、確かに『姫様』とは違うような話し方だね……」
姫様だともっと上品なイメージを持ったけど、何か目の前にいる彼女の話し方はフランクだ。
「あん子、『姫様』と呼ばれるのはしょうがないじゃない。みんなあなたにそういうイメージ持っているんだから」
一香が杏子をたしなめると
「えーっ、一香の前では『姫様』はやめたいよぉ」
と、麻雀卓に突っ伏した。彼女の前に積まれた牌が崩れる。
「ひ、姫様! いや……、あん子さん牌山崩すのはいいけど牌を落としてなくしちゃダメですよ!」
通子が慌ててノートを放り出して杏子の所へ駆け寄る。
「あー、ごめん……、なんかだらしなくなって……」
(いくら気の許せる清水さんの前だからって俺や通子もいるのにここまで見せるか?)
和平には今の杏子がテレビの仕事を終えた楽屋裏でだらしなくしているアイドルのように見えた。
「ほら、二人とも驚いているじゃない。あん子、もう少ししゃきっとしなさい!」
一香がいつにもなく厳しい声を上げる。
「分かったわよ、その前に一回麻雀打とうよ」
杏子は見よう見まねで自らの崩した牌山を直していく。
「えっ、あん子さん麻雀できるんですか!?」
和平が驚いて駆け寄る。麻雀部に誘おうと思った彼女が麻雀できるとなれば好都合ではないか。
しかし、そんなに都合よく行くものではなかった。
「ううん、やったことない。どう打つの? 森君」
首を横に振る杏子を見て、肩を落とす和平。だが彼女が麻雀に興味を持っているのを知れたのはいい事だ。
すると一香が卓上の牌を適当に十三枚杏子の前に並べ
「いい、麻雀はこの十三枚から四つの『一二三』と、一つのペアを作るのよ」
と、自分なりの麻雀の説明をし始めた
「それじゃあ一枚足りなくない?」
「一枚持ってきて、いらないの一枚捨てて、捨てる必要が無くなるまでそれを繰り返すの」
杏子のもっともな疑問に、一香は自分なりの考えを続ける。
「うん、まあ……、簡単に説明すればそうだけどね……」
と、和平が割って入り、通子のサポートも得ながら説明を続けた。
「なるほどね、じゃあ実際にやって見せて」
一通りの話を聞いた杏子が目を輝かせながら和平を見る。
「えっ、あん子さん!?」
(う……、姫様にこんな近くで見つめられている……)
和平の鼓動が早まる。
(しかも姫様じゃなくて『あん子』って呼べ、だなんて……)
彼女を「姫様」と呼ぶ人たちがこれを聞いたら、きっとただで済むとは思えない。そのため和平は「あん子」さんと呼ぶことにした。
「い、いや……、麻雀は四人でするものだから、ここにいる部員は三人、一人足りないでしょ? 初めて麻雀知ったばかりのあん子さんが四人目になるわけにも……」
本当は杏子の前で麻雀をしたいのだがそれはこの状況を見るに適わぬ事だと、和平が断ろうとしている途中で杏子は首をかしげて
「うーん、麻雀の説明しているときもそうだったけど、できれば同い年の森君には『あん子さん』と『さん』付けはして欲しくないなぁ……」
と、呟いた。
(えーっ、これって呼び捨てってことか!)
「そうですよ、先輩。ここで『さん』付けにしてあん子さんの機嫌を損ねてはいけません、私は年下なので、『さん』付けなのは当然ですけどね」
通子が小声で意地悪そうに言う。
「あん子がいいなら私もいいと思うけど」
一香が和平の背中を押す。
少々焦るも和平は腹を括ることにした。
(俺は麻雀部の部長だからな……、ここで慌てては部員に示しがつかん、ここは日和らず、全ツッパするか!)
「そういうわけだからあん子、今日はダメなんだ。もう一人来ないと麻雀はできない。明日面子を集めるから明日また来てくれないか!?」
明日も来いだなんてちょっと強引過ぎたか、と心に思った和平。しかし後戻りはできない。
「うん、それならばしょうがないや! 無理いってゴメンね。また明日ね」
と、笑顔で席を立つ杏子。しかし、彼女は部室を出ることはなかった、なぜなら……
「テスト問題作るの飽きたー、お前らいるなら麻雀すっぞー」
と、直が欠伸をしながら扉を開けたからだ。
「よ、四人揃っちゃいましたよ……、先輩」
「う、うん……、顧問の許可も下りたことだし清水さんやろうか」
「そ、そうね……」
「わ、わーい、じゃあやってもらおうかな……」
あまりのタイミングの良さ(もしくは悪さ)に戸惑う四人の生徒を尻目に
「パソコンばっかり見ていたら眠くなるよ……」
と、持っていた缶コーヒーをすする麻雀部顧問・立花直であった。