第二十六話 その姿、負け犬のように
麻雀プリティの本選出場が決まった日の夕方――。
葵塚学園の廊下にて、教頭室に戻ろうとした明美を直が呼び止める。
「こ……このたびはうちの部から麻雀プリティを本選出場者に選ばせていただいて……。あ……ありがとうございます……」
その表情は悔しさに満ちながらも、言葉遣いは丁寧にしている。
一瞬何事かと思った明美だが、直の神妙な様子を見て笑顔で手を振りながら。
「そんな……、彼女の実力があれば選ばれるのは当然でしょう? それに私は今回の選別にはなんの関与もしていませんよ」
「そうなのか!?」
直の大げさな驚きに対して明美は冷静に
「私は麻雀プリティこと清水一香さんが、本選出場が決まったも同然の状況にて立候補を決断してくだされば充分です。これでさらに私が関与したらコンテストの公平性が保たれませんわ」
明美は直の耳元に顔を寄せるとこう囁いた。
「計画がすでに成功したと言うのに、余計なことをしてヘマをするわけがないでしょう」
そう、明美の計画はすでに成ったも同然なのだ。そこに少しの不安要素がないとの情報も仕入れている。
それゆえにこの自信のある言葉を直に囁けるのだ。後は全てが終わるその時を待つだけなのだから。
直が明美を見ると、彼女は笑顔で直に背を向け自室へと戻っていった。
その背中を見送る直の表情は全てを諦めたのだろうか。先ほどの悔しさや驚きは微塵もないほど穏やかだった。
この日から一週間がたち――。葵塚学園文化祭の開催初日となった。
明美の仕事は『ミス葵塚学園コンテスト』の開会式に立ち会うこと。明美の待つ「その時」だ。
中庭に造られたステージに向かう前に、明美は一度立候補者と顔合わせをしようと控室へと足を運ぶ。
以前直に言ったとおり、明美はあれ以来コンテストの準備には一切関与していない。その心配も理由も実行委員会からはもちろん”他のところ”からも報告されていないのだ。むしろ彼女を安心を与える報告ばかりである。
「明美……」
彼女の目の前には力無く立つ直の姿が。
「あら立花先生、元気がないですが文化祭の準備にお疲れになりましたか?」
明美は笑顔で答えるがその笑顔でもって直を元気付けようとするつもりはない。
最後の最後で自分の計画がひっくり返されないためにもここにいる直には慎重に対応しなければならない、そのための笑顔。
突然、直は廊下に土下座をした。今まで見たことのない彼女の姿に明美は思わず笑顔が凍りつく。
「あ、明美っ! 頼むっ、この通りだ。『ミス葵塚学園コンテスト』を中止させてくれ!!」
この申し出に明美は呆れた。今さら何を言うのだ。すでに文化祭は始まっているではないか。
しかしここは冷静に対応しなければならない。と、明美は直の下へ膝を突き、優しく諭すように。
「何をおっしゃるのです立花先生。すでに文化祭は始まっているのですよ。候補者の名前はまだ公表されていないとはいえ……。中止できるわけがないじゃないですか」
「だ、だからまだ誰もうちの部から出ることは知らないだろ!? 間に合うじゃないか!!」
すがりつくように直は明美の右腕を両手で掴む。
一瞬明美は困ったような表情を見せる。
(ここまで弱くなってしまうものなの……)
そこにいるのはかつて明美の顔をかすめるようにして壁を激しく叩いた直ではなかった。自分の負けを認めたくなくて勝者に命乞いをする負け犬――。
自分の計画にてこの状況に追い込んだとはいえ、共に校長を支えている彼女のこのような姿は明美にとって負の副産物であった。
しかし、ここで彼女の要求をのむわけにはいかない。
自分と妹たちを育ててくれた学園の恩に報いるためにもいざとなれば仲間までも切り捨てなくてはならない。それが厳しい現実、明美はそう信じている。
「立花先生、今さら決めたことをひっくり返すわけにはいきません。これは学園のためにみんなが決めたこと。だから清水さんもコンテストの出場を決めたのでしょう?」
「た、確かに……彼女は学園と麻雀部のために立候補した……。でもそれじゃあ彼女が気の毒すぎる!」
直の悲鳴が示すとおり。明美の脳裏には麻雀プリティの衣装に身を包んだ一香の気の晴れない表情が描かれている。それは決して彼女の想像や空想ではなく、実際に”その画像を見た記憶の再生”だ。
「学園のためならば個人の心情や気持ちなど考慮するわけがないでしょう。あなた今さらそのことが分からないのですか?」
後半は明美自身の悲鳴でもある。どうして自分の信念が理解できないのだ。例えできなくてもこのような無様な姿をなぜ私に見せるのか、と。
「学園と部員を天秤にかけて時には部員を優先する。それが顧問ってもんだろうが!」
直の力強い両手は明美の両肩を掴み、迫る。その表情はあの時の壁を激しく叩いた直そのもの――。
(この人、ヤケになっている……!?)
あまりにも自分が勝ちすぎたために、その差に絶望したために自暴自棄になったのであろうか。明美は身の危険を始めて感じた。
しかし、救いの手は現れる。
「教頭先生、そろそろ『ミス葵塚学園コンテスト』本番ですよー」
実行委員の一人が明美を呼びに来たのだ。その声に直の力が弱まる。
「立花先生、何をやっているんですか!?」
実行委員とは反対側――つまり明美たちの後方から凛の叫び声がする。
「いきなり姿が見えなくなったと思って心配して探したら……、こんな馬鹿なことを……」
凛は直を咎めるようにして二人のもとへ駆け寄ると
「うちの顧問がすみませんでした」
と、明美に頭を下げた。彼女としては精一杯の謝罪のつもりなのだろうが、目はいつもの細いままである。
「は、ははは……終わった……」
力なく明美から離れ、直は乾いた笑い声を上げる。
「教頭先生、もう時間が無いです」
実行委員は直の異様な様子に怯えたのか、近づこうとはしない。
「ええ、今すぐ行きます」
直から解放された明美は、立ち上がり服装の乱れを直す。立候補者と会う時間は直によって失われてしまったが、そのこと自体は特に大した問題ではない。
それよりも明美の心に引っかかるのはこのような事を起こした直の醜態である。彼女は凛に両手を押さえられ光なき眼を明美に向けるだけであった。
「……立花先生。今までの学園への功績や付き合いに免じて今回のことは無かったことといたします。……これ以上コンテストの邪魔はしないでください」
今までの笑顔と余裕ではなく、少しの悲しみと怒りと軽蔑を直に表情と声でぶつける。
そして素早く実行委員に
「待たせてごめんね」
と、笑顔を見せて明美は歩き出した。もう直の方へと振り向くことはない。振り向きたくない。
明美の足音が直の耳から消えた頃、直の瞳から光が蘇る。
「……明美はもう行ったか……」
「ええ、行きましたよ……。本当にビックリさせないでくださいよ……」
呆れたような声を上げる凛。しかしそこには明美が見せた悲しみや軽蔑はない。
「……やるからにはこのくらいしないとダメだろ。明美相手には……さ」
そう言いながら直は凛の胸に頭をつけると思いっきり押し殺した声で
「チクショー」
と、叫ぶ。
「ええええっ!?」
突然の行動に驚く凛。瞳の動きが若干分かるほどに目は開かれた。
「必要とはいえアイツに土下座するなんて、やっぱり悔しいんだよー。小さな声で叫ぶくらいいいだろー」
それを聞いた凛の目はいつもの細さに戻り、彼女は直の頭をそっと優しく撫でた。
「文化祭が終わったら、私も付き合いますから。一緒にスロットの新台打ちに行きましょうか」
「それではいよいよ『第一回ミス葵塚学園コンテスト』の開幕です!」
中庭に造られたステージにて実行委員が用意したパイプ椅子に明美は腰を降ろしている。
主役は立候補者なため、教頭という立場であっても彼女がいるのはステージの端。もちろんそれは理解しているので、椅子のこと共々彼らに文句を言うことはない。
「さーて、お待たせしました。我が学園初めての『ミスコンテスト』に名乗りを上げた立候補者に登場していただきましょう!」
候補者は最初に全員を登場させてから一人一人ずつ紹介することになっている。
舞台袖から中央へと進む候補者を見て、明美の表情が歪んだ。
時間は杏子が里美との麻雀勝負に負けた直後の和平と一香との会話へと遡る。




