第六話 生で見るのは違うと思った
学園からは頭だけしか見えないが、ここからは裾野から頂上まで邪魔をするものはいない。
下の湖面には波立ちながらその姿が映っている。
この国の最高峰、富士山。誰にも寄らずにただ一人立つその姿はまさに第一であり、唯一である。
和平たち麻雀部は河口湖の北側にある合宿所に来ている。
バスを降りてまず最初に目に入ったのは湖越しに見える富士山。
「まだ上の方はうっすらと雪が見えるのね」
一香が水面の富士山と向こう岸のそれとを交互に眺める。
「三千七百メートルもあるから下は暑くてもあっちは寒いかもね」
隣に立つ和平。眺める二人とも葵塚市の猛暑に耐えるための薄着であり、少々肌寒さを感じている。
「もう一枚何か着てくるんだったな……。薄手のカーディガンは一応持ってきているけど……」
「俺は……長袖持ってきてないから半袖を重ね着しないと」
「みんなー、富士山見物は荷物を部屋に入れてからにしてー」
後で麻雀卓と共に来る直の代わりに引率者となった凛の声が聞こえて来た。
窓が湖に面しているため、部屋に入っても視界に富士山はいる。
室内は落ち着いて壁紙もベッドの上に敷かれた布団も地味な色合いなのに大きな窓の外は富士山と湖の青を基調とした鮮やかな世界。まるでこの対比を元に部屋を設計していたかのようだ。
「こうまで大きいと逆に見られている気がするなぁ」
茶色のカーテンに触れ閉めようとした和平だが、すぐにその手を離す。
「私も同感だわ」
たまたまその様子を廊下で見ていた一香が声をかける。
「風呂屋の壁絵などで何度も富士山を見ているから実際に見ると恥ずかしくなる。って書いた作家もいたわね」
「さすがにそこまでは思わないけど」
和平が笑いながら答えると、一香も笑みを返して自分の部屋へと向かう。
直が麻雀卓とともに合宿所に来たのはそれから三十分後。
和平と一香が直の指示で食堂の空いているスペースに置こうとした時に事件は起こった。
「ナニ我々ノ許可無クソンナモノ置クノデスカー!」
合宿所の事務員が麻雀卓設置に抗議したのだ。
「は? 学園の校長からの許可は得ているけど……」
直は正当な理由を述べるが。
「ココデハ私タチガ絶対デース。校長モ一人ノオ客サンデース」
「な……」
自己中心的な反論に直は呆れてしまう。
するとコック姿の男が調理場から現れて
「クロガスキーの言うとおりデース。ここは我々三人に従うデース!」
(おいおい、三人もいるのか……)
二人ともがっちりと筋肉質な体型だがこれがもう一人いるのかと思うと和平は思わず苦笑してしまう。コックは白で、クロガスキーは名を体で現しているのか、通り黒いスーツに黒いネクタイにその筋肉を包んでいる。
(ひょっとしたらコックには『シロ』って名前がつくんじゃないか?)
和平の予想は当たってしまう。
「しかしなー、もう置いちまってるからなぁ。後で上の人に確認してよ」
直が既成事実を突き付けると、コックの男は
「それならば我々三人と麻雀で勝負するデースヨー! 我々に勝てば許すデース」
「えっ……、麻雀できるの?」
和平は信じられない、と声を上げた。麻雀卓を置くことに反対ならば当然麻雀はやったことないだろう、と思っていたからだ。
「当タリ前デース。私タチノロシアハ麻雀大国! 世界一強イー!!」
(仮に本当ならばそいつらと三対一か……。厳しいな)
「じ、じゃあ俺が……」
和平は自ら対戦者として名乗り出るが
「男ハダメー!」
と、拒否権を発動される。
「何なに、勝負ー? それじゃあ私が相手しようか?」
通りすがりの杏子が顔を覗かせるが
「髪ノ毛染メテル、ダメー!!」
と、再び拒否権。
「えーっ、そんなの差別じゃない!」
杏子は思い切りクロガスキーの足を踏むが分厚い筋肉がダメージを全く与えないらしい。
「私たちと対戦するハ、まさにこの国ノ美女、黒髪ロングで白の靴下を履くあなたデース」
コックが指差したのは
「あ、あたし……?」
一香だった。
三人目のロシア人がやってきて勝負開始となるが、彼は和平の期待を裏切り、細身で眼鏡を掛けている。和平はその男に腹黒い官僚をイメージした。
コックの男の名は自分の予想が当たったものの、それを表に出しては面倒だと和平は平静を装う。
東・カミノーケ・クロガスキー
南・クーツシタ・シロスキー(コック)
西・一香
北・ソメルノハ・ダメポフ(眼鏡)
開始の合図と共に牌を取る一香。自分の配牌を見て手が止まる。
「え……」
一香の配牌
二三九九(135559)7東北
「あ、赤が……無い?」
麻雀部で使用している牌は赤(5)が二枚入っている。だが、(5)が暗刻になっているにも関わらず、赤(5)が一枚も無い。
「先生、麻雀牌変えました?」
一香が直を見て尋ねる。直も一香の手牌を見て
「え……、いつも通り赤二枚だけど……、業者が間違えたか?」
と、首を傾げる。
「フッフッフッ、気づいてしまいましたね……」
ダメポフが不適に眼鏡を光らせた。
「……まさか、お前らが!」
「私たちがどこから来たとお思いですか?」
和平の質問にダメポフは質問で返す。
「え? ロシアでしょ?」
杏子が少々気の抜けた回答をする。さっき自分たちで言ったじゃないか、と言わんばかりだ。
「違いますねー、私たちが来たのはもっと古い……あの連邦共和国です」
連邦共和国が崩壊してロシアに変わったのは今から二十年以上も前になる。
「私たちは、あの国の政策を嫌がって亡命したのデース!」
「ソンナ我々ガ、アノ国ヲ象徴スル赤ナド入レルワケガアリマセーン!」
「赤牌は全て普通の牌に交換させていただきましたよ」
(なんという極端な……)
和平は呆れながらもその表情を彼らに見せまいと手で覆い隠す。
(しかし、代えた牌はどこから持ってきたんだ?)
「……そう言うことならまあいいけど……」
抗議をしては面倒な事になると、直はため息をつきながら答える。赤牌が無いことは自分にとって点数が増える要素は減るが、それは相手にとっても同じことだからだ。
「使う牌はそっちの都合に合わせるわ。その代わりルールはこっちのルールを使ってもよいかしら?」
これ以上変なルールを付けられては面倒だ、と直は三人に告げる。
「いいですね、交換条件です。それで参りましょう」
ダメポフが眼鏡を光らせながら承諾した。
「清水……、こいつらに自棄酒を飲ませてやりな!」
「そうだー、私の茶髪否定したこと謝らせろー!」
直と杏子の声援を聞いて一香は頷く。そして物欲しそうに和平の方を見る。
「し、清水さん……。麻雀部の代表として任せた!」
その視線にドキリとしながらも和平は部長として信頼の言葉をかけた。
「うん、頑張る!」
ニッコリと微笑みながら、一香は卓に視線を戻す。
――同時刻・葵塚市――
「ただいまー」
大型電気店の紙袋を下げた教頭は木製の引き戸を開けて入ると、その紙袋ごと床に座り込んだ。
「お姉ちゃんお帰りー、ってどうしたの? その紙袋」
教頭を出迎えたのはフードパークにいる赤眼鏡の店員だ。
教頭は彼女を見ると、紙袋を赤眼鏡に渡し
「ボーナスが出たからみんなの分買ってきたんだよー」
と、やっとの思いで床に腰掛けてハイヒールを脱ぐ。
木の床はよく掃除が行き届いているのか、薄暗い屋内でもうっすらと教頭の姿が映る。
家の年代は古いが常に綺麗にすることを忘れない。そんな意思が玄関の様子から伺える。
「うわーっ、これタブレット型パソコンじゃん、欲しかったんだー」
赤眼鏡が喜びの声を上げると
「えっー、お姉ちゃん全員分買ってきたの? いくらボーナスが出たからって高かったんじゃない?」
と、葵塚ファミリーパークで働く黄色眼鏡――成美――が足音高らかにやったきた。
「いやー、まとめ買い割引と従業員家族割引を両方駆使したから全部買えたんだよ」
そんなにすごくはない、と手を振りながら居間へと足を運ぶ教頭。
居間は畳八畳分の広さながら真ん中に大きな分厚いちゃぶ台が置いてあるだけであり、周りには座布団すらない。ちゃぶ台もよく磨かれており、濃い茶色をした地肌からところどころ黒い木目が電灯の明かりで輝いて見える。
「あれー、珠美は今日シフトだっけー?」
「そうだよ、お姉ちゃん。珠美お姉ちゃん今日は遅番だよ。パチンコ屋さんは閉まるの遅いから帰りは十二時過ぎるかもね」
成美が答えると、教頭は腰を降ろしながら
「それじゃあ三人か……。勝美ちゃん、タブレット三人分出してー」
と、紙袋を持った赤眼鏡――勝美――に手を差し伸べる。
「うん、分かった」
紙袋を置いて大切そうにタブレットの入った箱を取り出す勝美。
まるでこれで落としたら後が無い、と真剣な表情だ。
勝美から箱を受け取り、タブレットを取り出すと教頭はこれまた慎重に箱を開ける妹二人を見る。
「初期設定が済ませたらあなたたちには、あるアプリを入れて欲しいのよ」
「何を?」
手を止めて自分を見る妹たちに微笑みながら教頭の出した答えは
「麻雀」
彼女が口を開いたタイミングに合せるかのように、電灯が点滅した。




