第二十三話 検討って便利な言葉だな
純がこの男子生徒を怪しんだ根拠は勘だけではない。
なぜ彼は純が麻雀部員だと知っているのが?
あの日、一年生への部活紹介パーティーでは純は完全な裏方であり、舞台はおろかスクリーンにも顔を出していない。杏子のように声の出演すらない。
それでも純が部員と認識しているのは彼が麻雀部についていろいろ調べたのであろう。ならばなぜパーティーから一月半後に入部ではなく見学希望なのか?
純の出した結論は「麻雀部に見学と称してなんらかの迷惑行為をするのが目的」であった。この日に声をかけたのは部長である和平や顧問の直が修学旅行でいないタイミングを狙ったのかもしれない。
「えーと……ま、麻雀ってできます?」
ひとまず純は入部希望者に必ず聞く質問をしてみる。
「い、いやそれは……」
しどろもどろになりながらも男は質問をした純を咎めるような目を向ける。
この視線が純の勘を確信へと変えた。
「そ、そうですか……、あいにく私はこれからクラス委員の仕事で図書室に行かなければいけないんですよ。だから今日は部活を休みます」
本当のことは「図書室に行く」だけだ。 だがそれを聞いた男は信じたのか
「それじゃあまた次の機会に……」
と、純に背を向けて走り去っていった。まるで悪事をし損ねた不審者が逃げるように。
「とりあえず凛先輩に報告したほうがいいですね……」
留守を守る凛を通じて顧問の直にもこの不審者の件は伝わる。
「その前に早く本を返さないと」
純は急ぎ足で図書室と歩きだした。
「なるほどね、それはかなり怪しいわね。うまく逃げたのは正解だったわ」
純の話を聞いて凛が頷く。
直がいない今は彼女が年長者になる。そのためか純は凛にお姉さんっぽい印象をさらに感じる。
「でも……また同じことをするでしょうねぇ」
隣の通子がそう言いながら三菜と彩の二人を見て
「松岳四郎って言うらしいけど、二人は知ってる?」
そう尋ねると、二人とも首を横に振った。
「私たちのクラスにはいないですね」
一年生二人は同じクラスなので三菜が代表して答える。
「中学時代もそんな名前聞いたことありませーん」
彩が過去に遡って答えると、三菜も同様のことを言った。
「こっち側が知らなくても向こうが一方的に知っているかもしれません」
「えーっ、純ちゃんそれはストーカーじゃない!」
通子が現実にありそうな妄想を口にする。
「ストーカーね……、この学園でそんなことするなんて命知らずだわ」
凛が楽しそうに呟く。一昨年女子生徒にひどいストーカー行為をして退学と訴訟に追い込まれた男子生徒が彼女の脳裏にあった。
凛には人の不幸を蜜とする思想はない。ただ人を困らせ、苦しめる者には相応の報いが必要だと思っている。
「とりあえずあまり麻雀部にいい感情を持っている人とは思えませんね。松岳四郎か……、気をつけないと」
三菜は何度か男の名前を呟いて顔を引き締めた。
しかし気をつけるまでも無かった。
「やあみんな、入部希望者を連れて来たぜ!!」
得意満面の笑みで正二がその男を連れて扉を開けたからだ。
「ま、松岳……!」
純の呟きと表情の変化を見て何が起こったかを悟り身構える麻雀部の女性たち。
正二はそれを見て
「あれ、みんな喜ばないの?」
と、のんきに首を傾げた。
その背後にいる男――四郎の表情は、相対する女性たちよりも険しいものだった。
京都・池田屋跡――
「何よこれ、パチンコ屋じゃない!」
壬生寺の参詣を済ませた和平・一香・杏子の三人が向かったのは新撰組の名を一夜にして広めた池田屋である。
しかし彼女が頭の中で描いていた池田屋は木造二階建てで中央に大きな階段があった。しかしその想像はコンクリート造りのビルから流れる大音量のBGMに打ち砕かれた。
「あれだけの騒ぎを起こしたんだもの、その後も経営することが出来なかったんだよ、きっと」
一香が慰めの言葉をかける。
事実池田屋の主人は浪士を匿った罪で捕らえられている。後を親戚が継ぐがそこからの移転を余儀なくされてしまった。
それを知っている和平はたぶんそれを知らないであろう一香の読みの鋭さに内心驚くのであった。
葵塚学園麻雀部部室――
「とうとう見つけたぞ! 色部三菜!!」
四郎は険しい表情のまま、三菜を指差して叫ぶ。
「……あんた、誰?」
刺された三菜はさらに眉間に出ていたしわの数を増やす。
「おい、お前。いきなり女の子に指差して叫ぶのは失礼じゃないか」
正二が四郎の指を掴んで咎める。それは「何か分からないけどやらかしてしまった」と自覚した彼のせめてもの謝罪の意味もあった。
しかし、正二を攻めるのは気の毒であろう。純に断られたことで四郎は麻雀部員への対応を考え直したのだから。
だが構わず四郎は叫び続ける。
「色部三菜! お前はなぜ陸上を捨ててこんな所にいるんだ!!」
その言葉に部室にいる誰もが気分を悪くする。指された三菜はその筆頭であり
「どうしてお前にそんなことを言われなければならない!!」
と、立ち上がって叫んだ。その顔は部員の誰も今まで見たことも無い恐ろしいものだった。
同じクラスの彩がそれを見て息を呑む。
ところが四郎は怯まず
「お前は知らないかもしれないが、俺は学校は違えど同じ地区で陸上をやっていた者だ! かつて『秩父の快速』といわれたお前がたかが怪我一つで陸上を辞めるとは何事だ!!」
通子は彼の叫びに身を硬くした。三菜と同じ中学であった彼女が最も恐れていた事態が起きてしまったのだ。
「だからどうした!? 私はもう陸上をやらない、どうしてその事にお前の許可が必要なんだ!!」
「人はなぁ、居るべき場所に居るべきなんだ、お前のその場所は陸上だ! たった一度の怪我でその場所を捨てるなぁ!」
四郎の持論を聞いて、純は廊下での彼の話していた言葉を思い出す。
彩は少し顔を四郎に向けたがすぐに目を瞑って視線を卓の上に戻す。
「うん、君の言いたいことはよく分かったよ。松岳くん」
凛がいつもと変わらぬ細い眼のまま入り口越しに四郎の前に立つ。
「要は三菜ちゃんに陸上部に戻って欲しいってことでしょ?」
「そうです。あなたは話が分かる人だ」
四郎はもっともと頷く。
「でもね、今は顧問の先生も部長も修学旅行でいないの。だから君の意見はよーく検討するから今日は安心して陸上部の練習に戻って欲しいな」
四郎を刺激しないように言葉を選ぶ凛。
「そ、そうですか……、よい答えを待っています」
強張った顔のまま、一息吐いて四郎は部室を後にした。
その姿が角を曲がって見えなくなり、さらに数十秒の間を置いた後で凛は
「はい、検討終わりー! 彼の意見は、門前払いとしまーす」
笑顔で皆の顔を見た。




