第二十二話 存在感が無いのはいいことかな
人生は死んだ後も分からない」と誰かが言ったが、かつてこの寺の周辺に住んでいた男たちはその言葉を体現しているのかもしれない。
京都・壬生寺――ここは幕末の一時期京都を席巻した新撰組縁の地である。 当時は新撰組の名を恐れて近づく者はいなかったであろうこの寺は、今ではその名ゆえに多くの人が集まる。
和平・一香・杏子の三人も今日はそれらの一員だ。
「二人とも、新撰組に入ろうよ、ねえ」
日本史が得意な和平はもちろん、学年でトップクラスの成績を納める一香と杏子も新撰組は知っている。
「えっあん子、入るってどういうこと?」
「なんかこの用紙を書いて受付に渡せば入隊証がもらえるらしいよ」
すでに杏子は入隊用紙を手にしている。
「そうね……、今は隊規違反したからって切腹する必要無いから入ろうっかな」
「そうだよ、今は土方さんも監察の人たちもいないから」
以前来たときに入隊している和平は、「切腹よりも学園を卒業できない方が恐ろしいよ」と、言おうとしたが、一香と杏子の掛け合いに水を差すようなのでやめておく。
「それじゃあ二人が入隊届け書いている間に俺は絵馬を書こうかな」
様々な願い事が書かれている絵馬を見ながら、和平は自分が書く願いを決めていた。
葵塚学園二年生の教室――
放課後を知らせるチャイムが鳴ると、純は机の中にあるものをカバンにしまう。
途中読書に欠かせない栞が宙を舞うことに気がつき、素早く空中で受け止める。
栞には純が大好きな三國志の武将が描かれている。
彼は曹操に古くから仕えた弓の名手であり、股肱の臣でもあった。
惜しくも主君の病死する一年前に定軍山にて劉備を主とする弓の巧い老将に討たれている。
そのため、三國志をベースにしたテレビゲームにおいてこの好きな武将を使って戦場を駆け、宿敵たる老将を討ち取るのは純にとって当たり前のことだ。
ちなみに純はこの武将を彼の字である「妙才」にちなんで「妙さま」と呼んでいる。
(そうだった、この本図書室に返すんだった)
栞が挟んであった本を見て貸し出し期限が今日までだということを思い出す。
「通子ちゃーん、私先に図書室寄ってから部室行くねー」
すでに教室前の廊下で待っている通子に声をかけると
「分かったー。先に行ってるー!」
と、通子の元気な返事が聞こえてきた。
何度も図書室に通う純にとって、教室からそこまでは迷わずに行ける。麻雀部に入って以降、図書室から部室までも目を瞑ってもいける。
階段を降りて一年生の教室が並ぶ廊下を歩いていると
「人は居るべき所に居なければならないんだ!」
一年生男子だろうか叫び声が聞こえる。
純は気配を押し殺すと声のする方へと近づく。
純は他人と比べてあまり目立たない存在である。彼女自身それを自覚しており、自らの意志でさらに存在感を希薄なものにすることができる。
それゆえクラスメイトの秘密や嗜好を家政婦並の頻度で知ってしまうことが多く、その知識が中学時代の彼女を大いに救った。
と言っても人見知りな彼女は弱みを握った相手を裏で脅かすということはしない。彼女は常に誰かの癪に障るような言動をしないようにしていたのだ。
彼女はこのことを通子にこう話している。
「そうじゃなければ私みたいに大人しいオタクは、クラスの誰かに目をつけられていたわ」
もちろん、それを続けていたらいじめに遭わないとはいえ純自身のストレスは溜まる一方。だから彼女は定期的に葵塚ファミリーランドに行く。
麻雀部には、彼女を攻撃しそうな人はいない。
その上数少ないながらも親しき仲の通子と正二もいるので精神的な意味で隠密めいた行動をする必要は無い。大人しく素直な純で麻雀をしている。
さて今回も純は気配を殺して、起きている事を見届けようとしたのだが、相手が悪かった。
「だから俺は麻雀部に行って……、あっ!」
麻雀部に用がある者が近くにいる麻雀部員の純に気づかないわけがなかった。
(ちょっと近すぎちゃったかな)
純に気づいた男は今の話し相手を完全に無視し、純に声をかける。
「あなたは麻雀部員ですか」
自然に髪が立つ程に短く、目からは自分の意見を主張したいという強い意志。自然に目を除く顔の部分も、意志に引きずられるかのようにしっかりとしている。
「え、ええ……。そうですがあなたは?」
純が尋ねると背の高い彼は純を見下ろすような姿勢になり。
「俺は一年生の松岳四郎と、言います。俺を麻雀部の部室に連れて行ってください!」
「そ、……それは……ま、麻雀部に入りたいと解釈してよろしいですか?」
純は少しおどおどしながら尋ねる。人見知りしていることもあるが、彼の口から「入りたい」という言葉をはっきりと聞いていないからだ。
「い、いや……入部希望のための見学ということ……で!」
これまで意思を持って話していたが、純の意外な質問に対して勢いを落としながら答える。しかし緩んだ表情には僅かながらそんな事を尋ねる純を咎めるような気持ちも感じられる。
純がいじめを回避できた要因は知識だけではない。知識を基にしてできた情報分析と行動選択の確かさと勘の鋭さもある。
そんな彼女の勘が四郎の話を聞いてこう囁く。
――この人を部室に連れて行くわけには行かない――




