第二十話 鑑定士の方はいるのかな
嵐山の麓より渡月橋がかかり桂川を越える。
橋はもちろんだが、川も山も人の手が加えられ、人によって維持されている。
はるかな昔から守られてきたこの風景。その一員として和平たちは橋を北へと渡る。
「この辺りの豆腐が有名なのは、肉が食べられないお坊さんが必死に美味しい豆腐を作ったからでしょう?」
杏子が川の中洲を右手に見ながら尋ねると
「それに使う水がよかったのかもしれないわね。山らかの湧き水がこの川に流れてそう」
一香は左手・車道の端を歩く人力車を見ながら答える。
二人だったら人力車乗れたであろうに自分がいて三人になって乗れないのは少々申し訳無い、と和平は二人の後ろを歩く。
空はどの方向を見ても雲ひとつ無く、近々入るであろう梅雨の気配を全く感じさせない。
「この橋を渡り切ると右側に湯豆腐が食べられる店が並んでいるはずだ」
「そうなんだ、思ったより近くて嬉しいな」
一香の歩みが少しばかり軽くなった。
芝生や苔に囲まれた石造りの灯籠たちを眺めながら和平たちは湯豆腐の到着を待つ。和平は庭を眺めながら池と「ししおどし」が見当たらないことに気がつく。
ついで部屋の中へと和平は視線を移す。床の間には掛け軸や高そうな茶色の壺があるが和平はその価値が分からない。一香と杏子も同じのようだ。
もしかしたら白地にひょろひょろとした線が描かれている障子まで高いのか、と和平はつい考えてしまう。
「改めて考えるとこの三人だけなのは初めてかもね……」
「そうだね、私と一香のだけならしょっちゅうだけど、森君はねぇ」
「そもそも男の人を加えることも無かったね」
一香と杏子が微笑みながら和平を誘うという自らの行いに感想を述べる。
「まあ俺はお嬢様たちのボディーガード兼案内役だから」
「姫様」では杏子にわるいので、言葉を選ぶ和平。
「うむ森とやら、その方の心掛け頼もしく思うぞ」
よくできました、と言いたいばかりに頷く杏子。言っていることは「姫様」だが、このノリの良さは「姫様」ではない。
(まあ、俺らの前だからこういうのができるのか)
当の杏子は和平の心の内を知らずに一香を見ると
「ねぇ一香、せっかく三人揃ったからあの話をしようか?」
「あ、うん。そうね」
心構えが出来ていなかったのか、一香の瞳が丸くなる。
「えっ、何の話?」
自分が誘われたのはこの話が本当の理由ではないか? そう考えると和平の体に緊張が走る。話す側の一人である一香が緊張しているのならばなおさらだ。
(いや、俺も構えないといけないけど、もう少し時間が欲しいな……)
和平の願い(あるいは一香も)が聞こえたのか、店員が湯豆腐を始めとする注文の料理を持ってきた。
鍋は元は白だったのだろうが、使い込まれたせいか所々が茶色くなっている。
中には鍋の七割くらいの水と、底に幾つかの切れ目を入れた昆布だけだ。どうやら湯豆腐は自ら作っていくらしい。
「昆布は出汁を取るために入れているけど、この切れ目は水を煮たぎっていく過程で泡に昆布が踊らされないためなんだ。つまりは泡の逃げ道だよね」
和平は修学旅行前に読んだ漫画で得た知識を披露する。
これで切れ目が入っていなかった場合、和平にこのことを教えた漫画の中にいる料理人はきっと片手で鍋を持ち、調理場へ怒鳴りに行っていただろう。
「湯豆腐できるまで時間がかかるから、先に他の豆腐食べていようか」
テーブルには湯豆腐の他に冷奴、厚揚げの煮付けといった豆腐料理が並んでいる。
一香は嬉しそうにそれらを見回すと
「そうね、まさに豆腐尽くしね。いただきます」
「ヘルシーで健康的なお昼だね。いただきまーす」
杏子も一香と同じく両手を合わせる。
和平は一人暮らしに慣れてしまったせいか、学園に入ってからは「いただきます」を言わなくなったが、それでは二人に注意されると思い、同じ仕草で「いただきます」をする。
美味しいものを食べているときは皆無言になる、その言葉は誰が言ったのか全く覚えていない。しかしその言葉どおりだ、と和平は思う。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうまさでしたー」
「ごちそうさまでした」
ここでも和平は一香と杏子に合わせる。
「まさに本場の豆腐を食べたという感じでよかった」
一香は満足そうに笑顔で頷く。
「そうだね、俺もここを選んでよかったよ」
「薄味ばかりでもここまで美味しいってさすがは長年続いているだけあるわー」
杏子も笑顔でお茶をすする。
「えーと、お昼食べて満足だけしてちゃダメだ。それで、さっき話そうとしていたことなんだけど……」
「ああ、うん。なになに?」
美味しいものを食べたせいか、和平は先ほどの緊張がすっかり消えていた。
「そうね、わへい君には言っておかないとね」
一香も心構えが出来たようだ。
「凛先輩がうちの部活に入ったときの話しなんだけどね」
「ああ、確か大学で麻雀部作るために入ったから、俺たちは大学進学に有利になるってことでしょ?」
凛は大学生ではあるが来年葵塚大学に麻雀部を作るため、そのノウハウを学ぶために高校の麻雀部に入っている。大学としては麻雀のできる生徒が欲しいので、和平にとっては高校での麻雀部の成功が大学進学とイコールであると認識している。
「私はね、ここで麻雀覚えてすっごく楽しいから大学でも麻雀部やりたいと思う。森君もそうでしょ?」
「うん、そうだね。俺には麻雀しかとりえがないから」
そうで無ければ「麻雀部を作っていいですか?」なんてあの暗かった部屋で言うわけが無い。
「いや、そんなこと無いと思うな、私は」
一香がすこし上目遣いでフォローを入れると、和平は首を右手でさすりながら笑顔で首を傾げる。照れているのだ。
対する杏子はいつになく真剣な表情になっている。
「まあ私と森君は麻雀で葵塚大学に行くとしてだ、一香には元々行きたい大学があるんだ」
(うん? それってもしかして……)
和平の右手が止まり、首がまっすぐになる。
「そう、一香は葵塚大学には行かないから」




