第一話 結構臆病なんです
葵塚学園に鐘の音を元にしたチャイムが鳴り響く。
今日一日の授業が終わった証だ。
和平が初めてこの音を聞いてから二ヶ月が経とうとしている。
いつものようにチャイムを聞いて部室に向かおうする和平。
ふと、周囲の雰囲気がいつもとは違うことに気がつく。
ある者は何かを祈るような。
ある者は何か気合いを入れるような。
僅かながらに諦めの気持ちを出す者も。
(そうか、今日はパーティーの翌日じゃないか)
和平たち麻雀部も参加した新入生部活紹介パーティー。
麻雀部はもちろんのこと、どの部も一生懸命に自分たちの部をアピールした。
その成果が一番分かりやすい形で現れるのが今日の放課後なのだ。
和平も周りの空気に呑まれていく。
(うわーっ、これで部室前の廊下に誰もいなかったら嫌だなぁ……)
懸命なアピールが新入部員の数に必ずしも直結するわけではない。
かと言って「今日は部室に行かない」という選択肢は選べない。
(みんなと協力して一生懸命やったんだ。誰かはきっといるだろう)
否定的な観測をなんとか希望的観測までに変えて廊下を出る。
「わへい君」
「森君」
「あっ、清水さん…」
和平に声をかけたのは、一香と杏子だ。
二人とも出口の向かいにある窓に寄り掛っていたのは和平を待っていたのだろうか。
(どうしても俺と一緒に部室に行きたいとか?)
和平の鼓動は高鳴る。
「私たちだけで部室の様子を見るのはちょっと怖かったから…」
「こういう怖いものを見るには男の子と一緒の方がいいじゃない。断らないよね、森君?」
「絶対自分とじゃなければダメ」な訳ではなかったようなので、和平は心の中で肩を少し落とす。
「それじゃあ行きましょう。わへい君は先頭をお願い」
「お、おう」
歩きながら初めてケーキ屋に行ったときもこんな並びだったよな、と和平は思う。
違う点は通子がいないこと。そして――
「あっ、姫様だ」
「おはようございます」
このやりとりが時々聞こえること。
「おはようございます」と挨拶する丁寧なあん子は麻雀部ではまず見られない。
部員同士での会話における杏子の挨拶は「やあ、おはよう!」だろうか。
これじゃあ「姫様」ではなく、「社長」だ。
一香から杏子は自らは意図せずして周囲から「姫様」と呼ばれるようになったのは聞いている。
おそらく廊下での「おはようございます」も「姫様」としての責務なのだろう。
初めて「姫様」として振舞う杏子を見て、和平の動きがぎこちなくなる。
「姫様」と一緒に歩いている自分は周囲には「お供」と認識されているだろうから。
「わへい君、いつも通りでいいから」
和平の緊張が一香に伝わったのであろう。極力和平にしか聞こえないように伝える。
「あ、うん。分かった」
和平も小声で返していつもの歩き方に戻る。
(あん子と一緒の機会が多い清水さんが言うんだ、大丈夫だろう)
葵塚学園の部室は、教室とは違う建物にある。
和平たちが今いるところは「本棟」であり、これから向かうのは「部室棟」。
棟同士は三階と一階にある渡り廊下で繋がっており、和平たちは四階から三階へ降りて、部室棟へ向かう。
その渡り廊下の入り口部分にて見慣れた顔が三つ並んで座っている。
「先輩、来てくれたんですね」
目を輝かせながら見上げる通子。
「待っていましたよ、森先輩」
眼鏡の奥に期待に溢れた瞳を見せる純。
「や、やっぱり役職が付いている人かまずは行かないとね」
申し訳なさそうに照れ笑いを浮かべる正二。
「いや正二よ、お前は副部長つまりは役職付きだろうが!」
正二の言い訳は和平には通用しない。
「それは年長者を立てようと……」
「そういうのはウソでも先に言うんだよ!」
「わへい君」
一香が和平と正二の口論を制する。
はっ、と我に和平は辺りを見回す。
幸いにも自分たちを気にする生徒はいない。思い思いに渡り廊下を歩く。
だからと言ってこれ以上騒ぐのは得策ではない。
「……、お前らも部室に行くのが怖かったんだな」
和平が言うと、三人は揃って頷く。
「わへい君、私たちも不安だったんだから」
「森君、一年生だけで行くのはやっぱり酷だよ」
一香と杏子が三人にフォローを入れる。
「しょうがないな、俺が先頭歩いてやるから」
「ありがとうございます!」
いっせいに立ち上がって和平に頭を下げる三人。
再び先頭を切って歩き出す和平。
部室棟に入ってすぐの角を左に曲がると
「……え?」
麻雀部顧問である直がなぜかモップを手に廊下を磨いていた。
「……先生、何をやっているんですか?」
「あ、ああ……森かぁ。ボランティアで廊下掃除だよ」
(先生も一人で部室に行くのが怖かったのですか?)
と、尋ねようとしたが、殴られそうなので黙ることにした。
麻雀部部室まであと五十メートル。もう一度階段を下りる必要がある。




