1.07
地下二階も、構造自体は前のフロアと大差はなかった。
ただ圧倒的に違うのは、明るさだ。
ここの明かりは、左右の壁の足元にあり、その生存数も格段に少ない。
かろうじて見える、という程度の照明だ。
もちろん、ここにも窓はないし。当たり前だが、日の光は届かない。
「なんか、一気に暗くなっちゃったね」
「そうだな。足元、気を付けて歩けよ」
不覚にも、女郎花と同じ言葉を言ってしまった。
「ふふーん。葛平くん優しい」
なんとなく、語感が嬉しそうだ。
「別に。普通だろ」
「だから、葛平くんは普通じゃないって。異常、っていうか、変態?」
「……俺は女子に優しくしただけで、変態扱いされるのか」
俺は、明日木と同じレベルまで堕ちたのか。
やっぱりもっと早くに、友人が変態である危険に気付くべきだったのか。
「あぁ、でも。いい意味で、だから。なんていうか、こう、変態紳士、って感じ?」
「より変態レベルが上がった気がするんだが」
というか、変態自体に『いい意味』があるとは思えない。
「でも、レベルは上げといた方がいいと思うよ。このダンジョンで生き延びるためには」
いつの間に、この地下道はダンジョンになったんだ?
「何のスキルもない、村人Cとしては」
「頼むから、せめて格闘家にジョブチェンジさせてくれ」
変態紳士の村人Cなんて可哀想すぎる。俺が。
一体、どんな変態な台詞を一生言わなければいけないんだ。
何の罰だよ。
前世で俺は何かしでかしたのか?
「まぁ、そこまで頼むなら、してもいいけど。でも、レベル1からだよ?」
「ああ、構わない。俺には基礎経験値があるから」
「だけど、今ゾンビに襲われたら一撃だよ?」
……お前はゾンビの話、本当に好きだなぁ。
ただでさえ俺は、ますます暗くなってビビっているのに。
「まぁ、このダンジョンにゾンビがいる確率は、半分くらいだけど」
「半分の確率でいるの!?」
無駄に大きく突っ込む。
気を強く持つためだ。
「まぁ、ゾンビの話は置いといて」
置いとくなよ。取りに戻れよ。俺のMPに大きく関わるわ。
「『人喰い鬼』って話、知ってる?」
……ゾンビに続いて、鬼かよ。
この女は、俺のガラスハートを叩き割った上に、さらに踏み潰したいようだ。
「『幽霊病院』と同じ都市伝説なんだけどね。あぁ、幽霊病院、って知ってるよね?」
「……隣の日之輪市の廃病院だろ?」
……俺、この話に参加しなきゃ駄目だろうか?
ゾンビに、鬼に、幽霊。
――どんなコンボ技だよ。
踏み潰した上に、さらに爆破するのか?
前世で俺は、雛村に何をしでかしやがったんだ。
……ああ、前世からやり直したい。
「そうそう。その幽霊病院と同じく、今この町で流行ってる都市伝説が『人喰い鬼』」
やっとこの町も都市化してきたよね、と雛村は誇らしげに言った。
「そんなことで都市化してほしくねぇ」
それなら田舎のままでいい。
それなら田舎のままがいい。
……ていうか、そんな話を流行らせたやつ、誰だよ?
見つけたら、格闘家スキルでボッコボコにしてやる。
「なんでも、人を攫って巣に持ち帰って、引き千切って食べるだって」
……………。
……想像してない。断じて俺は想像していない。
「実に、非現実的な話だな。この二十一世紀の日本に、鬼、なんているわけがないだろう?」
少し声が裏返った気が、しないでもない。
「そう、だよね。非現実的だよね。鬼なんているわけないよね」
――あはは、変な話してごめんね。
雛村は、そう笑った。
……………。
……………。
……あれ?
人を攫う、ってもしかして、佐々良が?
佐々良が、攫われて、巣に持ち帰られて、そして……。
「あのさ、雛村――」
そう、声を掛けたときだった。
――その音が聞こえたのは。
――――こつーん。
――こつーん。こつーん。
――こつーん。こつーん。こつーん。
――――。
それは、足音だった。
同じリズムを刻む、誰かの歩く音。
無人の――俺たち二人しかいないはずの通路に響く、俺たちのではない音。
だって、俺たちは立ち止まっている。
だって、俺たちは一言も発していない。
深い闇の中から響く、足音。
その姿は、見えない。
だけど、それは確実にこちらに向かっている。
それだけは、分かる。
一番高い可能性は、佐々良だ。
俺たちの捜していた佐々良が、こちらに向かっていることだ。
この冒険の、この上ないハッピーエンドだ。
だけど。
だけど、その可能性を俺の何かが否定する。
――これが、本能、ってやつだろうか?
そんなことを考えている間も、足音は止まらない。
そして、その足が、足元の照明の範囲に入る。
スニーカーだ。
サイズ的に、明らかに男。
この上ないハッピーエンド、の可能性はないようだ。
もう一歩、彼は踏み出す。
その全身が、照らし出される。
英字プリントのTシャツに、ダメージジーンズ。
それと、右手に金棒ならぬ金属バット。
それに、プラスチックの赤い鬼のお面。
――ずいぶんと近代的な鬼、だな。
そんな冗談は、冗談でも言わない。
そんな冗談は、冗談でも言えない。
だって彼は、こちらを見て、立ち止まっているから。
冗談の通じそうな彼では、ないから。
「雛村」
横にいる彼女に、声を掛けた。
目線は彼から、外さずに。
「何? 葛平くん」
雛村も、目線を外さずに答えた。
横を見ていないから、正確ではないが、そんな気がした。
「喧嘩で負けない方法、って知ってるか?」
雛村は答えない。
別に俺も、答えを待ってもいない。
「それはな――」
位置について。
「相手と――」
よーい。
「喧嘩しない、ってこと!」
どん。
――格闘家は、勇者の手を強く握って、逃げ出した。
敵前逃亡も、いいところだ。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!」
「きゃあああああああああぁぁぁぁ!!」
走る。
走る。
走る。
葛平七生は走る。
走る。
走る。
走る。
雛村美月も走る。
走る。
追う。
迫る。
人喰い鬼も走る。
その距離は、徐々に、縮まる。
その距離は、確実に、縮まる。
「くそっ! 俺の背中に乗れ、雛村!」
背の小さい雛村の速度は、遅い。
その手を握っている俺も、全速では走れない。
――ならば、どうする?
答えは、雛村を背負う。
それなら、全速は無理でも、全力では走れる。
「よしっ! 私は背中に乗るよ、葛平くん!」
速度を殺さず、俺は前かがみになる。
速度はそのまま、雛村は背中にしがみつく。
合体だ。
フュージョンだ。
だけど、パワーアップできないのが、残念極まりない。
走る。
走る。
走る。
雛村美月を乗せて、葛平七生が走る。
――背中に当たるマシュマロ的な二つに、感覚を研ぎ澄ませている暇は、残念極まりないが、ない。
俺は本当に、変態的にも、紳士なようだ。