1.06
「それにしても、何なんだろうね? ここ」
トコトコ、と足音を立てながら雛村は話しかけてきた。
――やっぱりこいつ、何かのキャラなんじゃないだろうか?
そう思ったが、その思考はすぐに止めた。
なんとなく本末転倒、矛盾の無限ループに入ってしまいそうな気がした。
「確かに。電気は点いているけど、現在使用中って感じはしないな」
六人は並んで歩けそうな、だけども無人の通路――いや、俺たちがいるから無人ではないけど。
天井に等間隔で取り付けられた蛍光灯のおかげで暗くは、ない。だけど、途中途中には死んだものや、瀕死のものがあり、その辺りはどうしても薄暗くなってしまう。
複雑に入り組んだ通路に、もちろん窓は一つもない。ここは地下だ。
これで停電でもしたら、なかなかスリリングなイベントだ。
これでゾンビでも出てきたら、かなりショッキングなゲームだ。
……やば。変なこと考えてしまった。
忘れよう。忘れよう。
胸を張って、声を大にして、はっきり言って、俺はホラー系が苦手だ。
だって、ほら。
怖いじゃん。
素直に。
妹は笑いながらホラー映画とか見るけど。あれは、俺にはとても真似できない奇行だ。
……なんか今日は妹の話ばっかりだな。
もしかして本当に、俺は妹独占主義なんだろうか?
ロリコンではないにしても、シスコンなんだろうか?
明日木ではないが、確かに最近の妹は急成長期だ――胸とかが。
色気は、ないに等しいけど。
――それでも魔の手が迫っている。
許すまじ、サジタリウス。
ついでに許すまじ、女郎花。
「なんか、ゾンビでも出そうな雰囲気だね」
……………。
……せっかく忘れ始めたのに。
忘れよう。忘れよう。
怖くない。怖くない。
「たとえば、その横の道から……ぅわっ!」
「ひぉうっ!!」
「――とか、ね」
……口から心臓が飛び出そうだった。というか少しこぼれたんじゃないか?
「あはははは。葛平くんって案外ビビりなんだね」
……この女、俺のガラスハートを叩き割るつもりか。
よし、無視しよう。
怖くない。怖くない。
こわくない。こわくない。
人って字を書いて飲み込めばいいんだっけ?
あれ? ひとってどんな漢字だっけ?
どんな感じだっけ?
……………。
……とりあえずは、別のことを考えよう。
そうだ。さっきのことを思い出そう。
そうだ。これは現実逃避じゃない。
場面回想だ。
――こわくない。コワクナイ。
「さゆき? 佐々良のことか?」
雛村の言葉に聞き覚えはあった。いくら俺でもそのくらいは覚えている。
佐々良沙雪。クラスメイトの名前だ。
会話したことはまず間違いなく、ない。もちろん、人付き合いが苦手で無口な俺自身も原因だが、それ以上に佐々良は無口だ。ただし、俺みたいな無愛想な無口ではない。極度の人見知りで、極度の恥ずかしがりのため、極度の無口だ。そういう人のことを、生まれたての小鹿のよう、と言うみたいだが、佐々良の場合は、生まれる前の小鹿のよう、だ。同じクラスにいながら、その声を聞くことは滅多にない。かろうじて聞けるのも、授業中のみだ。いつも雛村と一緒にいて、いつも雛村が佐々良の言葉を代弁している。そんな光景を見て、雛村はスピーカーみたいだな、と思ったことがある。だけど、そのくらいだ。佐々良について知っていることは。雛村とは対照的に目立つタイプ(ある意味で目立つが)ではないので、クラスの輪から三歩離れている俺は、そのくらいしか知らない。
「そういえば、今日休みだったな。佐々良」
テスト最終日に可哀想に、と思った記憶がある。まあ。今日のことだから、忘れていたら自分の記憶力を疑うが。
もう一つ追加情報だが、佐々良は見るからに病弱で、その見たまま病弱だ。
病欠もよくあるし、貧血で倒れたところも何度か見たことがある。
「そ、そうなの! 沙雪、今日も休みでさ」
途端、雛村の口調も表情も、変わった。
変わった、というよりは、元に戻った。キャラに戻った、という感じだった。
「それでね。実は私、登校バスに乗ってるときに、この辺で沙雪を見かけたの。そして、学校行ってみたら、休みだったから。もしかしたら、また貧血で倒れてるんじゃないかなぁ、って思って」
「それで捜してるのか……でも、家で休んでるんじゃないのか?」
「……家には、いなかった」
それでね、と続けた。
「この辺で捜してたら、親切な甚平のおじさん――じゃなくてお兄さんが、ここに入っていったよ、って教えてくれたの」
「……ほう。その『お兄さん』は親切だったな」
――あの野郎、雛村にも若さアピールしてやがったのか。
「うん。親切だったよ。ここの床が崩れそうだから、端の方を通りなさいっても教えてくれたし」
「ほほう。それはそれは、親切だなぁ」
――よし。近いうちに、絶対にお礼に行こう。
「で、いざ出発、と思ったら、葛平くんが落ちてきたってわけ」
「ああ。俺はあいにく『親切なお兄さん』には会えなかったからな。残念だよ。本当に残念だ」
「? 残念、だったねぇ」
俺の言葉に疑問を感じた雛村だったが、とりあえず頷いた。
でもまあ、ここであれこれ残念がっていても仕方ない。
想いの丈は、お礼、で返させてもらおう。
「よし。それじゃあ、捜しに行くか」
俺はようやく瓦礫の上から降りる。そしてそのまま、雛村の方へと歩み寄る。
「ほぇ? 捜しに、って?」
「佐々良を、だよ」
ここで雛村の横を通る。
「いや! 大丈夫だよ! 私一人で全然、問題ないから!」
ブンブン、と首も手も振って、またも拒否する。先ほどのレベルではないが、なかなか強く拒否されている。
だけど、もう凹んだりはしない。俺のアイアンハートは強いのだ。
「あっそ。それじゃあ、俺は勝手に付いていくだけだから、気にしないでくれ」
もう既に俺は、雛村に背を向けて立ち止まっている。
なんとなく、彼女の瞳を見たら、その意志に負けそうな気がした。
「大丈夫、大丈夫! 本当に、私の方こそ気にしないで!」
「悪い、雛村。俺はこんなところにクラスの女子を置いていけるほど、薄情な人間でもないし。大丈夫、って言われて、はいそうですか、って引き下がるような、謙虚な人間でもないんだ」
雛村の拒否の言葉は、もうない。
「だから悪い。俺の自己満足に付き合ってくれないか?」
――今、映画みたいな台詞を、恥ずかしげもなく、俺は言えているだろうか?
「なんだか本当に、ゲームみたいなとこだよね」
トコトコ、と俺の歩幅に合うように、雛村は歩数を稼いで歩いていた。
確かに、身長差が結構あるので、俺もゆっくり歩いているつもりなんだが……もう少しスピード、落とすか?
「俺には、お前自身がゲームキャラに見えるよ」
相変わらずの、無人の通路。
俺たちの話し声と、足音しか聞こえない。
通路は複雑に入り組んでいるため、さっきから同じ場所を何度か通った、ような気がする。同じような景色が延々と続くので、些細な違いで判断するしかないのだが。
そして、さっきから一方的ではないにしても、雛村が話しかけてくれている。
決して話し上手ではないし、あまり聞き上手な俺ではないが、それでもこの静かな通路で二人無言、というのはさすがにきつい。
その点では、雛村の他愛もない話はとてもありがたい。
「やだぁ。そんなに褒めないでよ、葛平くん。私に美少女バトルヒロインは、まだ早いよ」
……いや、褒めたつもりもないし。美少女バトルヒロインとも思ってないし。
「でも確かに、この冒険の主人公は間違いなく、私だね」
あっさり主人公の座も奪われたし。
「でもって葛平くんの役どころは――」
雛村が、俺の配役を思案する。
まあ、格闘家、ってのが妥当だな。間違っても、魔法使い、ってタイプじゃない。
だけど、主人公より、その仲間たちの方が人気になることは、よくあることだ。
残念だったな、雛村。
……あれ? なんだか自虐になってないか?
「『村人C』ってとこ、かな」
「AもBもいないのに、いきなりCかよ」
俺は一生、同じ台詞しか話せないのか?
「ほぇ? AもBもしてないのに、いきなりC――だなんて、葛平くん大胆」
「少し聞き違えただけで、大変なことになった!」
大きな声で、突っ込んだ。
サジタリウス事変以来の突っ込みだ。
ていうか、ついうっかり、明日木相手と同じノリで突っ込んでしまった。
雛村を見る。
目がまんまるになっている。どんぐり眼というやつだ。
……あー。またビビらせてしまったな、これ。
だけど雛村は、俺の予想とは全く違う反応をした。
「はは……あはははは」
笑った。
「はははははははは」
笑っている。
「はははははははは」
涙を浮かべながら、笑っている。
「はは……ひぃ、ひぃ、ひぃ」
腹を抱えて、呼吸困難になっている
……いくらなんでも、笑いすぎだ。
「あぁ、ごめんね。突然笑って」
涙を拭いながら、雛村はようやく落ち着きを取り戻し始める。
「葛平くんって意外と突っ込みキャラだったんだね。もっと無愛想キャラだと思ってた」
「べ、別に突っ込みキャラとかじゃねぇよ」
――失敗した。
俺の、無愛想オーラで人を近寄せない作戦、は成功していたみたいなのに。
「うん。これは私のボケとしての才能が試されるね」
「変な期待するな。さっきのは、その、なんとなくノリで言ってみただけだ」
まだ修正はできる。なんとか無愛想キャラに戻さなくては。
ボケは明日木だけでお腹一杯、手一杯だ。
「てっきり、明日木くんが『攻め』で、葛平くんが『受け』だと思ってたよ」
「誤解を生む言い方をするんじゃねぇ!」
「あ、ごめん。逆だった?」
「そういうことじゃない! 『突っ込み』と『ボケ』と言えってことだ!」
「あぁ。『突っ込む』側と『突っ込まれる』側ってこと?」
「より際どい言い方をするな! この話に年齢制限掛かるだろ!」
「もぅ、葛平くん注文多い」
それに、と続ける。
「私は別に変なこと言ってないよ。葛平くんにはどんな風に聞こえてるか知らないけど」
「ぅ……」
言葉に詰まる俺。
ここで正論を振りかざすのか、この女。
「葛平くんと明日木くんが○○○○だってことは、とっくにみんな知ってるよ」
「○○○○には『ともだち』の四文字以外、入る余地が一切ないな!」
「葛平くん強引。それは読者の方の自由でしょ?」
「それは、その通り。大丈夫だ。俺は読者の皆様が聡明な方々だと信じている」
むしろ、祈っている。
本日二度目の、神への祈りだ。
いつの間にか俺は、熱心な信奉者になっていたみたいだ。
「あはは」
雛村が笑った。
さっきの馬鹿笑いではなく、楽しそうに笑った。
「こんな会話、男の子とするなんて思ってもみなかった」
笑顔のまま、そう言った。
「ん? クラスのやつらと、してるんじゃないのか?」
雛村がクラスの男子と仲良く話をしているのは、日常的な風景だ。
「しないよ、こんな話。普通の男の子には」
「その文脈だと、俺が普通じゃないみたいだな」
「十分普通じゃないよ、葛平くんは」
「そうか? 普通を自負して生きているつもりなんだけどな」
「普通の男の子はクラスメイトだからって、こんな得体の知れない所に付いては来ないよ」
「そうか?」
「普通の男の子はクラスメイトの美少女だからって、こんな得体の知れない所に付いては来ないよ」
……わざわざ言い直すほどのことか? それ。
「だけど、勘違い、しないでね」
気付くと、笑顔は消えていた。
「ちょっと優しくされたからって、心も身体も開くような女じゃないから」
「……別に、そんなつもりはねぇよ」
なんだ? 警戒されているのか? 俺。
「ちょっと優しくされたからって、心も身体も開くような美少女じゃないから」
なんだ? さっきのところは、ちゃんと突っ込むべきだったのか? 俺。
「勇者美月の装備はスタンガンだから」
「ずいぶんと近代的な勇者だな」
なんだ。やっぱりボケだったのか。
「それに私、彼氏いるから」
「へぇ。クラスのやつか?」
まあ、雛村なら一人や二人、いない方がおかしい。だてに、美少女と連呼しているわけじゃない。
ドラゴンボールを集めなくても、神龍に頼まなくても、彼氏くらいできるだろう。
「うぅん。相原先生」
「あのナルシストメガネ(悪口)の!?」
「実は、保健室の先生」
「女性になっちゃったけど!?」
「本当は、校長先生」
「完全なるおじいちゃんですけど!?」
「ごめん。嘘」
「どれが? どこが? どこまでが!?」
どうやら俺は、根っからの突っ込みキャラみたいだ。
「女の嘘くらい見抜けないと、これから先、生きていけないぞ」
「……なかなか過酷な生存競争だな」
気付いたら消えていた雛村の笑顔が、気付いたら戻っていた。
「弱肉強食の世界は厳しいからね。次の瞬間、葛平くんは私に、唇も身体も何もかも奪われても、文句は言えないんだからね」
「さっきと言ってること、まるっきり逆になってるぞ」
「ほぇ? そうだっけ? 忘れちゃった」
「五百九十五文字前から読み返して、しっかり思い出しとけ」
「えぇー。面倒くさーい」
……この女。小説の良さを否定しやがった。
「あ! とか言ってると、勇者美月は下へと続く階段を見つけた」
確かにそこには、下へと続く階段があった。
……いや、待て。小説の良さを蔑ろにしたまま、話を先に進めるんじゃねぇ!