1.05
「ほぇ? こんなとこで何してるの? 葛平くん」
それが雛村の第一声だった。
こんなとこ、はお互い様だろ、と思ったが、何してる、に関しては自分でもよく分かっていなかったので、俺は言葉を飲み込んだ。
そして出た言葉が、
「……ちょっとしたアクシデントだ」
……………。
……何、その、映画みたいな台詞。
……言ってから三秒後に恥ずかしい。
「ふぅん。アクシデントかぁ」
そんな俺の恥ずかしさなど一切関係なく、雛村は納得したみたいだ。
……いや。クラスメイトが降ってきて、アクシデントで納得するのもどうかと思うぞ。
「とりあえず、大丈夫? 立てる?」
とりあえず、俺も状況整理しよう。
もはや状況整理は得意技だ。
そうだ。後で特技に追加しておこう。
――俺は雛村が入ったという建物に一歩入った瞬間に、落ちた。
もちろん床がなくて、ついうっかりというわけではない。
俺にドジっ子要素はない。
床は確かにあった。そしてその床が崩れ落ちたのだ。
そして飛行や滞空のスキルのない俺は、重力に丁寧に従って、床と仲良く一緒に落ちた。
で、今の状況だ。
おそらく先ほどまで床であったろう瓦礫の上に、仰向けに倒れている状況。
雛村が直立のまま、俺の顔を覗き込んでいる状況。
制服姿の雛村を、その足元から俺が見上げている状況。
……………。
……いいこと教えてやる。今どきの女子は常時スパッツ着用だ、女郎花。
――女郎花涼庵が『女郎花さん』からランクダウンした、記念すべき瞬間だった。
「何が『足元に気を付けて』だよ。あの野郎」
「ほぇ? あのやろう? 何の話?」
「いや、こっちの話。ただの独り言」
俺は立ち上がり(いつまでもクラスメイトのスカートの中を覗くような人間ではない)、制服のほこりを払う。ズボンは大したことないが、さすがに白のシャツは汚れが目立つ。
最終的には、得体の知れない黒いラインが、いくつかシャツに残ってしまった。
……絶対、母さんに怒られる。
若干帰りたくないなぁ、と思いながら身体をその場で少し動かしてみる。
指と手首と足首、腕と肩、首と背、腰と膝。
とりあえず痛みを感じるところはなし。むしろ、かすり傷一つないことにびっくりだ。
上を見上げると、見事に天井がない――いや、さっきまで床だったんだが。
高さは三メートル強ってところだろう。実際、普通は怪我する高さだろ、これ。
……もしかして俺も妹と同じくサイヤ人なんだろうか?
「本当に大丈夫そうだね」
うん、と頷いて、
「それじゃ、気を付けて帰ってね」
バイバイ、と背を向けて立ち去る雛村。
「あっ、おい。ちょっと待てよ」
条件反射のように声を掛けた。
それに応じて雛村は立ち止まり、振り返った。
「ほぇ? 何? 葛平くん」
きょとん、と何故呼び止められたのか分からない顔だ。
「あぁ。出口ならそこの階段だよ。落ちてきた建物とつながってるよ」
ビシッ、とすぐ近くの階段を指差す。
「あ、いや……そうじゃなくて……」
……しまった。
声を掛けてから後悔する。話す内容を決めてないことに。
「あ、あぁ。床、なくなっちゃってるんだもんね。そっかぁ、困ったねぇ……」
ポン、と手を叩いた後、うーん、と唇を尖らせた表情を作る。
――なんだか一挙一動が漫画やアニメのキャラみたいだ。
「いや、そういうことでもなくて――」
「私も、その階段しか出口知らないしなぁ……」
「いや、だから――」
「でも、崩れてない端の方なら、なんとか行けそうじゃない?」
「あの――」
「うん。行けるよ、葛平くんなら!」
「そ――」
「葛平くんファイト!」
「――」
「フレー、フレー、葛平くん!」
「――」
……なんだろう。全然噛み合わない。
というか、会話ができない。話にならない。
あまりに一方的なマシンガントークだ。
戦場なら、とっくに俺は戦死している。
『まずは相手に話をして――相手の話を聞いて――そこから始めよう』
……………。
……むかつくな。
なんで今、明日木の言葉を思い出さなきゃならない。
なんで明日木は、時々正しいこと言うんだ。変態のくせに。
四六時中、変態のくせに。
だけど今の一瞬だけなら、あいつと友達になって良かったって思う。
あの日、あいつと話ができて良かったと思う。
そういえばあれも、夏、だったな。
「あのさ!」
まるで応援団の如く、俺にエールを送り続けていた雛村に、俺はそれを上回るように声を張った。
「ひゃぅん!」
雛村はビクッと、その身を縮こませた。
小さくて細い雛村が、より小さく細くなった。
「あ、悪い。急に、大きな声出して」
とりあえず謝る。
――そんなに大きな声を出したつもりはなかったんだけどな。
「あのさ、雛村。少し、話、訊いてもいいか?」
「……………、……………」
返答はなし。小さくなったままで、こちらを見ている。
いや、よく見れば目が泳いでいる。
「こんなところに何か、用事あるのか?」
返答は待たない。
今度はこちらから、少し一方的に話をさせてもらう。
「この辺り、あんまり治安良くないみたいだからさ。早く出た方がいいぞ」
ここでようやく、俺は目的を果たす。
できれば無理にでも連れ出したいが、なにぶん根拠がない。
ただの、俺の勘。
ただの、俺の直感。
ただの、悪い予感。
だけど。
だけど、俺はもう既に、この話に首を突っ込んでいる。
首どころか身体ごと、床を突き破っている。
……面倒だから、やっぱり無理にでも連れ出すか?
そう思って、俺は雛村に手を差し出した。
「ほら。一緒に出ようぜ」
その手を、雛村が取ることはなかった。
その手に、触れられることを避けた。
ただ、さらに小さく縮こまって、その身を後ろに引いていた。
……………。
……いや。確かに、いかにも温厚そうな人間じゃないけどさ、クラスメイトにそこまで露骨に拒否されたら、さすがの俺でも傷つくわ。
「……駄目」
若干凹んでいた俺に、その声が届いた。
ともすれば、そよ風にかき消されてしまいそうな声が。
「……私は、捜さなくちゃ」
うつむき加減の雛村の口が動いている。
当たり前だ。雛村がしゃべっているのだから。
だけど、それを俺は理解しかねている。
このか細い声が、いつもいつでも明るくて、明るくて、明るい彼女と、一致しない。
天賦の明るさに満ち満ちている雛村美月という人間と、合致しない。
「捜さなくちゃいけないの。沙雪を」
……………。
このとき今日初めて、雛村と目が合った。
その瞳を、真正面から見た。
……俺はまたもや前言撤回しなくてはならない。
雛村美月は、漫画やアニメのキャラでは、ない。
確固たる意志を有した一人の、人間、だ。
――なんてことを言ったら、漫画やアニメのキャラに失礼だろうか?