1.14
「なんで俺が、こんなことをしなくちゃならないんだ」
恨めしい言葉を呟きながら、俺は作業を続ける。
吹き抜けの一階部分、大広間と人観が呼ぶ所。
そこにつながる一室に俺はいた。
広さも作りも、今朝目覚めた部屋と全く同じ。
ただし家具は一切なく、その代わりに山積みのダンボール。
「そろそろ誰かが整理しなくては、とは思っていたんだが」
と、する気のない人間の決まり文句を、人観は言った。
「今、みんな出払っていてなぁ」
困った困った、と困っていない人間の決まり文句を、人観は言った。
「どこかにやってくれる、心優しい人はいないかなぁ?」
俺の顔をガン見して、人観は言った。
「そうか。やってくれるか。やはり君は心優しいな」
思ってもいないことを、人観は言った。
「そんな君が、雛村美月に『変態ロリコン野郎』と思われているのは、私も心苦しい」
思ってもいないことパート2を、人観は言った。
「よし。雛村美月には、あれは誤解だと私の方から言っておこう。君は心置きなく、作業に取り組んでくれ」
……………。
……………。
そして、俺は『自分の意思』でダンボール整理をしている。
倉庫として利用されているこの部屋には、食料品やら雑貨やらが何の法則性もなく、置かれている。
普通の人間なら、心が折れてしまうような悲惨さだ。
だが、その点に関して俺は普通ではない。
片付け好きの本能が燃える。俺は典型的なA型だ。
次々とダンボールをジャンル分けし、きれいに積み上げていく。
我ながら見事な手際だ。
そして、残りの作業も半分くらいなったところで、
「あ、あの。葛平くん。ちょっと、いい?」
聞き覚えのない声がした。
ドアの方を見ると、あまり見覚えのない顔があった。
だけど、俺の記憶力は優秀だ。クラスメイトの顔くらいは覚えていられる。
彼女は、佐々良沙雪だ。
「どうした? 佐々良」
作業の手を止め、佐々良とちゃんと向き合う。
「あ、あの。忙しかったら、後で、でもいいんだけど……」
俺と佐々良の目は合わない。
佐々良の目があちこちに泳いでいるからだ。多分、マグロといい勝負だ。
……そういえば、極度の人見知りだったな。
俺も、あまり人のこと言えないけど。
「いや。大丈夫。ちょうど休憩しようと思っていたから」
本当は休憩の予定はない。
だけど、極度の人見知りの佐々良が、自ら話し掛けてきたんだ。
それを断るほど、俺は野暮な男ではない。
「大広間で話すか?」
ここは単なる倉庫だ。椅子などない。
「あ、いや。ここで。ここでいい」
佐々良が細かく首を振る。
昔流行ったハムスターを連想させるような動きだ。
「そうか。それじゃあ、これ、座れよ」
俺は近くにあったダンボールを持ち、佐々良の近くに置く。
ペットボトルの入った未開封のダンボール。
見るからに軽そうな佐々良で潰れることはないだろう。
「あ、ありがとう」
ちょこん、と座る佐々良。
ダンボールの方が重いような印象さえ受ける。
そして俺は、その隣の床に直に座る。
体重的にダンボールは不安だし、適当なものも近くにはなかった。
「で、どうした?」
結果的に、俺は佐々良を見上げた。ただし、それほどではない。
雛村同様、佐々良も小さい。
依然、目線は合わない。
「よ、ヨウコさんの話、聞いたんだよね?」
「ああ。聞いた。まだ整理しきれてないけど」
だけど、分かっていることはある。
隣にいる佐々良が、どこかの誰かのクローンだということ。
本当の家族とは、本当に他人だということ。
もう二度と、堂々と外に出られないこと。
「私も、まだよく分かってない、かも」
そう言って、佐々良はうつむいた。
「夜、突然大人の人たちが来て、脅されて無理やり遺書を書かされて、屋上に連れてかれて、でも皆さんが助けてくれて、それで……」
声はどんどん弱々しくなっていった。
佐々良は今にも泣きそうだった。そのときの恐怖が蘇ってきたのだろう。
「それ以上言わなくていい。もう、言わなくていい」
俺は言葉を遮った。
「ご、ごめんなさい。葛平くんにこんな話をして」
「謝るな。それと、気にするな」
言葉を自分の限界まで優しくする。
今の佐々良は、俺のガラスハートの比ではないくらい、脆そうだ。
「……みっちょんと同じこと、言ってくれるんだね。葛平くん」
佐々良は微笑んだ。弱々しいが、微笑んだ。
「……雛村も、全部知ってるんだな」
自分の親友の話を。
俺のように、ただのクラスメイトの話として、ではなく。
「うん。ちゃんと聞いて、ちゃんと分かってくれた」
さっきよりも、強く、微笑んだ。
親友が分かってくれたことが、何よりの支えになっているんだろう。
俺も、その気持ちなら、分かる。
「そして、葛平くんもちゃんと分かってくれる、って言ってた」
「俺が? ずいぶんな過大評価だな」
――こっちは状況整理で手一杯だってのに。
「葛平くんは普通じゃないくらい優しいから、って」
「俺はまだ変態扱いなのか……」
「変態? 何の話?」
「あ、いや。こっちの話」
佐々良には関係ない話。
俺には重要な話、だけど。
「そういえば今、雛村は一緒じゃないのか?」
せっかく再会できたんだ、片時も離れたくないんじゃないのか?
「みっちょんは今、ヨウコさんに呼ばれて行ってる」
「……そうか」
人観ヨウコ。約束は果たせよ。等価交換だ。
「で、ちょうどいいから葛平くんのところに来たの」
「ちょうどいい? どういうことだ?」
「葛平くんだけに、聞いてほしい話があるの」
俺だけに? 何の話だ?
「最初ね、ここでみっちょんに会ったとき、驚いたの」
「まあ。俺もこんなところで佐々良に会ったのは驚いたけど」
――本当は、もう死んでいると思っていたし。
「それもあるけど。もう一つ、あるの」
もう一つ? いよいよ何の話だ?
「みっちょんが葛平くんと一緒だったことに、驚いたの」
「確かに俺も、まさか雛村と一緒に行動するなんて思ってなかったよ」
クラスの人気者と、無愛想キャラが。
「違うの。そうじゃないの」
佐々良が、否定する。
「みっちょんが、男の人と一緒、っていうのに驚いたの」
本当は私が言ったらいけないんだけど、と続けた。
「みっちょん、男の人が駄目なの――男性恐怖症なの」
「男性、恐怖症?」
……あまり聞き慣れない言葉だ。
でも、ニュアンスで意味合いは分かる。
……あれ?
「でも、クラスの男子とは仲良く話してなかったか?」
雛村は人気者だ。クラスの中心だ。
男子と話す機会は、俺以上だ。
「うん、話してた。でも、必ず私や他の女の子と一緒に」
――じゃないと、無理なの。
「……………」
そうだ。
確かに、そうだ。
雛村は、クラスの中心、の以前に、女子の中心だ。
本当に私のするべき話じゃないんだけど、と前置きをして佐々良は言葉を続ける。
「みっちょんのお父さん、と言っても十年以上前に離婚してるらしいんだけど。そのお父さんが、あまり優しい人じゃなかったみたいなの」
「……………」
俺は、雛村の秘密を、佐々良から聞く。
「それが原因で、男の人が、特に、男の人の『手』が、駄目なの。怖いの」
「男の、手……」
俺は自分の手に視線を落とす。
男の手に対する恐怖。
それがどういうことなのか。
馬鹿な俺だって、分かる。
心当たりは、確かにあった。
地下に来て、最初に雛村に会ったとき。
雛村を地上に連れ出そうとしたとき。
俺が、手を、差し出したとき。
そのとき、雛村は拒否した。
――いや、あれは、恐怖だったんだ。
それなのに、俺は気付きもせずに雛村の隣を歩き、さらには、緊急時とはいえ彼女の手を握った。
自己満足、なんかじゃない。
俺はただの、自己中心、だ。
あの夏から、ちっとも成長していないじゃないか。
「でも、みっちょんは普通に葛平くんと、ここまで来た」
……まあ、俺は来たときの記憶はないが。
「だから」
あちこち泳いでいた佐々良の目が、ここで初めて、俺の目を見た。
……………。
……俺は気付くのが、いつも遅い。
佐々良もしっかりと、その目に意志を宿していることに、ただの人見知りキャラではないことに、今、気付いた。
「だから、葛平くんにお願いがあるの」
「……俺にできることなら」
「ううん。葛平くんにしかできない」
こんな、自分のことしか考えられない、俺にしか?
「上に戻っても、みっちょんを助けてあげてほしいの」
――私は、もう戻れないから。
「卒業まででいいから、みっちょんのそばにいてほしいの」
――私は一緒にいられないから。
「自分勝手なお願いだって、分かってる」
――だから。
と、佐々良はうつむく。
「だから、その代わりに私、今ここで葛平くんに何かされても、誰にも言わない」
……………。
……あれ?
ニュアンス、おかしくない?
「心配しないで。鍵はちゃんと掛けておいたから」
「いや、そんな心配は一瞬もしてないんだが……」
一瞬どころか、刹那もしてない。
「努力するから。声を出さないように努力するから」
「そんな努力もいらないし」
「だ、駄目だよ。ど、努力しないと。私、意外と声大きかったから」
「何の経験談かは、絶対言うなよ!」
「絶対、ってのは前振り? 本当は聞く気満々?」
「違う! 本気でNGの方の、絶対だ!」
「そんなこと言っときながら、熱湯風呂に入るタイプでしょ? 葛平くん」
「入らない! 俺は風呂はぬるめが好きだ!」
意味のない告白をする、俺。
「あ。私もぬるめ。気が合うね。今度一緒に入ろっか?」
「は……入んねぇよ!」
一瞬想像してしまった、俺。
刹那で答えるべきだった、俺。
情けないぞ、俺。
「葛平くんって結構面白い」
クスクス、と笑う佐々良。
「やっぱり、みっちょんと気が合うと思う」
お風呂のことじゃなくてね、と付け足した。
「葛平くんにみっちょんのこと、お願いして正解だった」
佐々良が優しく笑う。
「……俺はまだ、受けるとは言ってないぞ」
「ううん。葛平くんは受けてくれるよ」
俺の否定の言葉を、否定する。
そして、続けて言う。
「女の子の秘密を聞かされて、助けてくれない男の子なんて、いないもん」
……………。
……俺は気付くのが、いつも遅い。
佐々良が話し始めた時点で。
この部屋に来た時点で。
もしかしたら、俺が男の子として生まれた時点で。
選択肢も、選択権も、なかった。
雛村が勇者で、俺が格闘家で。
佐々良は、策士だった。
俺は気付くのが、いつも遅い。