1.13
「けん、たい?」
ようやく、俺は口を開く。いや、口だけならもう既に開いていたかもしれない。
あいにく俺は、漫画やアニメの世界の住人ではない。自分のことを僕と呼ぶ女の子には会ったことはないし、さえない男の子が突然モテモテになる展開を見たこともない。
だけど、容姿に似合わず饒舌に不遜に話す少女には会ったことはあるし、見たこともある。
というか、今だ。今まさに、だ。
「おお。ようやく喋ったな。殴られた衝撃で、言葉までも失ったかと心配していたよ」
人観は未だ、意地悪そうな笑顔。
「これ以上、君の知能が低下したらどうしようかと杞憂していたが、その必要はなかったようだな」
……………。
「……てめぇはどうやら俺を馬鹿にしてるみたいだな」
「おお。私の言っていることが分かるのか。なかなか賢いな、葛平七生。ちなみに、君の今の言葉を添削させてもらうと、『してる』ではなく『している』が正しい。さらに言わせてもらうと、『どうやら』と『みたい』は必要ない」
「てめぇは俺を馬鹿にしている!」
すぐに修正できた俺は、なかなか賢い。
「だがそれでも多少の語弊が残る。私は君を馬鹿になどしていない。むしろ哀れんでいる。だけど、君が悲しむ必要はない。安心してくれ。私のような生まれつき有能な人間が、必ず君を導く。だから安心してくれ、葛平七生」
「……色々と言いたいことはあるが、ここは堪えよう。俺も、もう大人だ」
そうだ、いよいよ十八だ。
「だが、一つだけ言っておく。年上の人間を呼び捨てするのは感心しないぞ。人観ヨウコ」
煮えたぎる感情は一切顔にも言葉にも出さず、俺は大人の対応をした。
実に、紳士的な対応だ。
「その言葉、そっくりそのまま君に返そう。私はこう見えても君より年上だ。人は外見で判断するべきではない。君にぴったりの教訓だ。おおかた、影虎のことも『巨乳美人』としてしか見ていなかったのだろう。そんなことだと、君とこの国の将来が不安になるよ。葛平七生」
……てめぇ。俺がずっと我慢していた『巨乳』というフレーズを簡単に!
「まあ、そうは言っても私は君を見捨てたりはしない。先ほど言ったとおり、君を導こう。君の問いに答えよう。このまま君と私のやりとりを何行にもわたってしていても、読者の方々に申し訳が立たないからな」
いや、こんなことを言っては世界観が崩れるかな?
と、人観は笑う。
「君は忘れてしまっているかもしれないから、もう一度訊こう。君は何を知りたい? ここがどこなのか? 私が誰なのか? 鬼は何なのか? 佐々良沙雪が何故、生きているのか? それとも、全て、か?」
……………。
「……全て、だ。全て教えろ。人観ヨウコ――さん」
「おお。命令口調になっているのはいただけないが、敬称を付けられたことは素直に褒めてあげよう。君の将来が楽しみになってきたよ、葛平七生」
そんなことを、楽しみ、ではない笑顔で言った。
「だが、まあ。時間も時間だ。昼食でも取りながらにしよう。空腹では理解できるものもできなくなるからな。それに、君の苛立ちも食事で少しは解消できるだろう」
「ああ。俺の苛立ちが食事程度で少しでも解消できると、素晴らしいな」
そうして、人観は動き出した。正確には、影虎さんが車椅子を押して動かしているのだが。
俺も黙って、その後に付いて歩いた。
この空間に入ったときに人観がいたデスクの近くに、吹き抜けにあったものほど大きくはないが、とはいえ三人は十分に腰掛けられる程度のソファーと、同じくらいの大きさの長テーブルが置いてあった。
テーブルの上には、コンビニのサンドウィッチや菓子パンがいくつか並んでいた。
「好きなところに掛けてくれ」
人観の言うとおり、俺はソファーに腰掛けた。
「紅茶を淹れてきます」
人観の乗る車椅子を、テーブルを挟んで俺と向かい合うように固定して、影虎さんは来た通路を戻っていった。
「まあ、こんなものしか用意できていないが、好きなものを食べてくれ。ただし、メロンパンは私のだ。ちょっと、取ってもらってもいいか?」
俺は目の前のメロンパンを手に取り、人観に投げ渡す。
「おお、ありがとう。これだけは誰にも譲れないんだ」
手際よく包装を開き、モグモグとメロンパンを頬張る人観。
小さな手で、小さな口で、食べる姿はどう見ても少女そのものにしか見えない。
「女性の食事姿をジロジロと見るのは、あまり感心しないな」
「ああ。それは失礼した」
人観に女性という印象は受けないけど、確かにそんなことを聞いたこともある。
「それに、私のような可愛らしい少女をジロジロと見ていると、君がただの変態ロリコン野郎に見えてしまう」
「ああ。あんたは失礼だ」
「はぁー。また敬称がなくなったな。君の記憶力が心配になってきたよ。果たして、質問に全て答えたところで、君が覚えていられるか不安になってきた」
「安心してくれ。『あんた』が無駄なことを言わなければ、覚えていられる自信はある」
俺はここでサンドウィッチを一つ、手に取った。
「……仕方ない。君が敬称を使いこなすことは諦めよう。私は君より、大人だ。だけど、そんな人生の先輩から君に一つ、助言を送ろう。『無駄なこと』なんていうものは、この世の中には一つだってない。そう思うこと自体が『無駄なこと』なんだよ。矛盾になっているけれどね」
「そんなことを口の周りにメロンパンを付けて、してやったり顔の大人に言われても、心には一切響かない」
「そうか。現代の若者は不感症だと聞いていたが、本当のようだな」
「あんたのその姿で、不感症、とか言うんじゃねぇ」
「どうしてだ? 別段、おかしなことを言ったつもりはない。君がそういう解釈をするのが問題だ」
「ぅ……」
言葉に詰まる俺。
ここで正論を振りかざすのか、この女。
――ってやりとりを、昨日もした気が。
「何も君が、何をしてもされても一向に反応のない情けのないモノを、ぶらさ――」
「食事中だ! 変な話をするんじゃねぇ!」
持っていたサンドウィッチをテーブルに投げつけた。
「どうしました?」
ティーカップを二つ、お盆に乗せて持ってきた影虎さんが、相変わらずの無表情で訊いた。
「いや、大したことではない。現代の若者がキレやすいことと、無駄だと思うことが無駄という話をしていただけだ」
そうですか、とだけ言って影虎さんはカップを二つテーブルに置いた。
「では、私も向こうで昼食を取らせていただきます」
そう言い残して、影虎さんは再び通路を戻っていった。
そしてまた、人観と俺が残された。
「そういえば、無駄なことなんていうものはないという話だが」
一口、紅茶をすすり、人観が言った。
「またその話からスタートするのかよ」
先ほど投げつけたサンドウィッチの包装を、俺はここでようやく開く。そして、食べ始める。
「私がメロンパン好きだというのも、無駄にはならない、とても大事なことだ」
「そんな伏線に重要性があるとは、俺にはとても思えないんだが」
――そんな小説も、俺は読まない。
「はぁー。それだから、君はまだまだ子供なんだ」
いや、見るからに子供にいわれても。
「もしもこれからグッズ展開をするような際には、コンビニと提携して『ヨウコちゃんのメロンパン』を売り出せるじゃないか」
「それは確かに『大人』の話だな」
というかグッズ展開って何の話だよ。
世界観が云々の話はどこへ行った?
「そしてその収入で私はメロンパンを買う。メロンパンが売れると、メロンパンが買える。これぞ現代の錬金術だな」
「その等価交換は限りなく無意味だな」
というか、正確には等価ではないし。
「何を言う。メロンパンによって世界に平和が訪れるのだ。これ以上有意義なことは他にはない」
「俺にはメロンパンをボロボロこぼしながら、そんな空想を熱く語ることが、無駄にしか思えないよ」
人観が熱くなればなるほど、俺は冷めていっていた。
こいつ、本当は年下なんじゃないかと。
そんなやつの馬鹿話に付き合っているんじゃないかと。
はぁー、と今日一番のため息をつく人観。
「無駄なことなどない、と今さっき教えたばかりなんだが。本当に君の記憶力が心配だ。だが、私は約束を守る大人だ。君の知りたい全てを、私が知るだけ教えよう」
人観の口調が変わった。初対面のときの真面目モードだ。
俺も真剣に聞く体勢に入る。
「いよいよ、本題に入ろう。こんな何の意味もない無駄話はやめにして」
「自分で無駄って思ってるんじゃねぇか!」
トラップだった。
身構えた自分が恥ずかしい。
「当たり前だ。無駄なことなんて無数にある。第一、この小説自体がこの上なく無駄だ」
「前言撤回した上に、この小説を否定した!」
「そう大きな声を出すな。ガミガミとうるさい。あまりうるさいと、私も悲鳴を上げるぞ」
「……何故、悲鳴を上げる?」
「悲鳴を上げれば、向こうの影虎や雛村美月が何事かとやってくるだろう。そして私は、葛平さんが私を急に押し倒そうとして、と涙目で言う。これで晴れて、君は変態ロリコン野郎の称号を得る、という寸法だ」
「すいませんでした、人観さん! 大人しくしていますので、お話を続けてください」
俺の心は、爪楊枝レベルで折れた。
「よし。その調子で私のことを、人観さま、と呼んでみよう」
「……そこまで、俺は堕ちていない」
折れても、爪楊枝にだって誇りはある。
「そうか。それは残念だ。君とは仲良くやれそうな気がしていたんだが、とても残念だ……」
人観が音を立てて空気を取り込む。そのペシャンコな胸が、少しだけ膨らむ。
「すいませんでした、人観さま! どうか無知な俺に色々と教えてください!」
折られ、先端を潰され、爪楊枝は役目を失った。
「ふう。君が最初からそうやって素直なら、私もこんな無駄な苦労をしないで済んだのだが」
……また、無駄って言った。
なんてことは、絶対に口にしない。
俺は黙って、静かに話を聞く体勢を整える。
「まずは、ここがどこなのか。それから説明しよう」
今度は本当に真面目モードのようだ。
「その昔、といってもそれほど昔ではないが。世界は大きな戦争の危機に面していた。地球全土を戦場、焦土にするような戦いが。つまりは第三次世界大戦が」
「第三次? 世界大戦は第二次までだぞ」
「まだ説明の途中だ。まったく気の早い男だ。あっちの方も早いのか?」
「どっちの方か、皆目見当が付かないな」
大きな声が出せないので、突っ込みも実に弱々しい。
「まあ、君が早いのかどうかは、今は後回しにしておこう」
……後には回ってくるのかよ。
「結論として、戦争は起こらなかった。各国の協力で実に平和的な解決を果たした」
平和的な解決を、と人観は繰り返し、意地悪く笑った。
「戦争は起こらなかったが、危機は確かにあった。もちろん、この矮小な国にも」
ありえない歴史を、教科書に載っていない歴史を、語る人観。
俺はそれを、ただ黙って聞いていた。
「そして、この国が有事の場合を想定して取った手段の一つが、国家再生計画。実に消極的な計画さ。たとえ国が滅んでも、また全く同じものを最初から造ろうという計画。その方法として、この国で起こったこと、とはいえ国家事業やそれに付随するものに限るが、それらを全て記録するものを作った。ただ、記録のみに特化したスーパーコンピューターの誕生だ」
ここまで語り、人観は紅茶を飲んだ。
俺も、紅茶を口にした。既にかなりぬるくなっていたが、渇いていた喉には丁度よかった。
「しかし、計画担当者は不安になった。開発当時の通信技術では、どうしてもそれを、国の中心部に設置するしかなかった。だが、そこは戦火に巻き込まれる可能性が非常に高い。いくら地下のシェルターにあるとはいえ、安心とは言えなかった。だから彼らは、もう一つ同じものを作った。『全く同じ情報を共有し続けるもの』を。その頃には通信技術も進歩していて、戦場となる可能性の低い片田舎に設置できた。それが、あれだ」
そう言って、人観が指差す。
俺がここに来て真っ先に目に付いた、巨大な円筒形の何かを。
「まあ。結果として戦争は起こらず、あれが役目を果たすことはなくなった。だけどあれも、オリジナルも、その機能を維持し続けている。生き続けている。そしてあれの機能を利用して、私たちは活動をし続けている」
皮肉な話だがね、と人観はまた笑った。
「活動、って何だよ?」
俺は質問した。紅茶を飲み干した。
「そう話を急ぐな。まったく君は早い男だ」
そんな軽口に、俺はもう突っ込まない。
そんな無駄なことを、したくなかった。
「では次に、私が誰なのか。鬼は何なのか。そして、佐々良沙雪が何故生きているのか。その三つに答えよう」
君の記憶力を期待して話を進めるが、と前置きをして人観は話した。
「私の正体は検体番号第十三号。とある実験の、とある人物のクローンだ」
「……クローン、だと?」
そんなことをさらりと言われても、信じろという方が無茶だ。
「ああ、そうだ。その、通りだ」
だけど、それが当たり前のように人観は頷く。
「第二身体計画、通称スペアパーツ計画の、実験サンプルのクローンが、私だ」
まるで他人の話のように彼女は語る。
「計画の目的はシンプルだ。オリジナルの一部が欠損や劣化した場合に、クローンのその部位を使って修復する。クローンをオリジナルの『スペア』の『パーツ』とする考え方だ」
「……………」
欠損。劣化。修復。
それは、人間に使う言葉、ではない。
「そして計画の第一歩として、完全管理の完全培養で作られたのが、私たちだ。私はその十三番目だ」
「私、たち? 他にも――」
「みんな死んだよ。私以外は一人残らず」
俺の言葉を、人観は続けさせなかった。
「所詮、試験管の中で人間を作ろうというのが無理な話だったんだ」
実に、無駄な、実験だったんだよ、と笑った。
「それでも、研究者たちは諦めなかった。唯一の生存例である私を調べ、そして一つの結論を出した。試験管の中から人間は生まれない。今どき小学生でも知っているような答えだ。そして、その答えから彼らは次に何をしたと思う?」
人観は質問する。
俺は答えられない。
待たれてもいない。
「試験管よりも優秀なものから人間を生み出そう」
――つまり。
「人間にクローンを生ませようという話だ」
……………。
「……狂ってる」
ただの感想として、俺は呟いた。
「ああ、狂っている。彼らも成果が出ず、追い詰められていた。だけど、実験は続行された。数年間、数十体の母体に対し、もちろん本人に無許可で、実験は行われた。どこかの誰かから、全く別人のどこかの誰かのクローンが生まれた。その結果が、影虎や他の鬼、そして佐々良沙雪だ」
淡々と語られる話を、俺はなんとか理解する。
だけど、感情が追いつかない。
人観だけでなく。
影虎さんも。
そして佐々良も。
クローンだというのか?
それも。
両親とは、全く関係のない、別人。
「だけど、実験は中止になる。成果が出ないものに、資金は出せない。当たり前の話だ。しかし、成果は出なかったが、過程は残った。この上なく、厄介なものが。世間に露見してはならない、役目を果たせない、なのに生き続けているものが」
――だから。
「だから、出資者たちは処分した」
……処分。
それも、人間に使うべきではない言葉。
「だが、処分は完了しなかった。研究者の一人が、途中でデータを破棄したからだ。せめてもの償いとして、残りのみんなを助けようとした」
――私に言わせれば、単なる自己満足だよ。
「しかし、それもまた、完了しなかった。第三次世界大戦の遺産があった。この実験も記録されていた。記録しかできないものに対して、情報の破棄はできなかった。だから研究者は、暗号化という情報を記録させ、実験の情報を隠した」
そこで、人観は紅茶を飲み干した。
そして、
「ああ、失礼。おかわり、いるかい?」
まるで雑談の合間のように、俺に訊いた。
「いや。大丈夫だ……それで、その後、どうなった?」
「その後の話は、大して面白いものではない」
本当に面白くないような表情で、続けた。
「結局、情報を暗号化しただけだ。いつかは解読される。そして処分される。だけど私も、遺産のもう一対の存在を知り、手に入れて、活動している」
遺産のもう一対。
全く同じ情報を共有し続けるもの。
オリジナルに対しての、コピー。
役目を果たせないのに、生き続けるもの。
――皮肉な話だがね。
と、あのとき、人観は笑っていた。
「こちらはオリジナルと違い、存在は忘れられていたから、隠れ家としてもちょうどよかった。私たちはもう、堂々と外を歩けない身だから。やつらに見つかれば、処分されるからね」
――私たちのことも、忘れてくれればいいのに。
人観は、意地悪く、笑い続ける。
「さっきからあんたが言っている、活動、って何なんだ?」
「ああ、失礼。その説明を忘れていた。私としたことが、あるまじき失態だ。今世紀最大の大発見は、更新だな」
最初に会ったときの軽口を、人観は繰り返した。
「一人の研究者の意志を――いや、遺志、を受け継ぐこと。遺産のオリジナルの方で解読された情報を元に、やつらより先に処分対象者を見つけ、助ける。私は、私の家族を助ける。身を隠す場所を与え、顔を隠す仮面を与え、家族に生き続けてもらう」
――私のも、単なる自己満足、だよ。
相変わらず、笑って、言った。
「と、私が君に教えられるのは、この程度だ。ずいぶんと長々と話して悪かった。何か質問はあるかい?」
「……正直、まだ頭が混乱していて、質問とかできる状態じゃない」
そうか、と人観はあっさり頷いた。
俺の記憶力云々については、何も言わなかった。
「まあ、そんなに深く考える必要はない。昨日、家族が間違って君を襲ってしまった代償として、君の知りたいことを教えただけだ」
君の制服がやつらのスーツに見えたそうだ、と続けた。
確かに、ブレザーのない制服は、上着を脱いだスーツにも見える。特に、あの暗い通路では。
「一昨日の夜、沙雪を助ける際に、やつらと一悶着あったばかりで、その翌日に彼女の親友を連れて歩く男を、私たちのテリトリーで見かけた彼らは、やつらが人質を連れてやってきた、と思ってしまったんだ。彼らは悪くない。全部、私の不手際だ。本当にすまない。頼む。どうか許してほしい」
人観にしては珍しく、素直に、謝った。
ずいぶんと、その彼らをかばっている。
家族、に対しては甘いみたいだ。
「どうしてもと言うなら、私が全裸で謝ってもいい」
「……その謝罪方法はよく分からないが、そこまでしなくてもいい」
「そこまで、ということは全裸でなく半裸ということか。なかなか君もいい趣味をしている」
「一切脱がなくていい! 俺に変な趣味はない!」
「変な趣味、とは聞き捨てならないな。それでは私がまるで異常だと聞こえる」
……さっきまで異常な話をしていましたけど?
「よし、分かった。私の魅力を、君に嫌というほど見せてやろう」
そう言って、ワンピースの裾に手を掛け、めくろうとする人観。
「嫌だ! もう嫌だ! 見る以前に嫌だ!」
俺はテーブルの上に身を乗り出し、その手を押さえた。
「何をする! やめろ! 離せ!」
「やめない! 離さない! 諦めろ!」
バタバタと暴れる人観を、俺はそのまま押さえ込む。
「何、騒いでるの? 葛平くん」
そこに来たのは、雛村だった。
「……………」
……………。
状況整理。俺の特技。
人観は、自分のワンピースの裾を握って、離せと言っている。
俺は、人観の手を握って、諦めろと言っている。
雛村は、今、その場面だけを見ている。
……………。
……………。
「ち、違うの! 葛平さんは悪くないの! 全部ヨウコが悪いの!」
人観が叫ぶ。
その声は、加害者を必死にかばう被害者の、幼い少女の声だった。
「……………」
雛村は何も言わず、表情も変えず、そのまま戻っていった。
「違うの。葛平さんは悪くないの。全部ヨウコが悪いの」
意地悪な笑顔で、同じ言葉を繰り返す人観。
その通りだ。
全部、あんたが、悪い。