1.11
「おはよう。葛平くん」
その声で、俺の意識は再生される。
コンティニューされていく。
「って言っても、もうすぐお昼だけどね」
――寝すぎだぞ。葛平くん。
ぷくぅ、と頬を膨らます。
萌え漫画や萌えアニメでしか見たことのないリアクション。
そんなことができるのは、俺は一人しか知らない。
「どういう状況か説明していただけませんか? 雛村さん」
俺は冷静沈着に敬語で質問した。
いくら特技が状況整理でも、この状況までは整理できない。というか、整理するだけの情報がない。
コンクリート打ちっ放しの、ワンルームの一室のようなところに、俺と雛村がいる。
雛村は俺の最後の記憶と同じく、制服姿のまま。
対して俺は、なかなか異様だ。
両手は後ろ手に固定され、安そうな金属製ベッドの上に寝ている。
ベッドの柵の一本には青いロープのようなものが結んであり、おそらくそれは両手につながっている、と思う。
だけど、そんなことはどうでもいい。
むしろ、そんなことはどうでもいい。
もっとも異様なのは、俺がパンツ一丁だということだ。
……………。
……変な誤解をしてほしくはないので、一応弁明しておこう。
決して取り乱した上での言い訳ではない。至って俺はクール&ドライである。
――葛平七生は、変態ではない。
普通。一般。平凡。
ノーマル。ポピュラー。アベレージ。
そんな男である、俺は。
たとえ、この文章がコピペだと非難されようとも、俺は主張を続ける。
「うぅーん。何から説明したらいいんだろう?」
雛村が唇を尖らせる。
俺が、漫画やアニメのキャラみたいだ、と思った動作だ。
そのくらい思い出せる程度まで、意識ははっきりしている。
「うぅーん。私、説明下手だからなぁ……」
雛村が悩んでいる間に、俺は身体を起こす。両手の固定は外れそうにない。
そして、ベッドの上で色々な体勢を試してみる。
正座。あぐら。体育座り。その他、名前があるかどうかさえ分からない座り方。
俺はいつまでもパンツを女子に見せびらかせるような、そんな男では、ない。
そんな性格では、ないし。
そんな性癖も、ない。
見せる、よりは、見る、ほうが好きな男である。
……………。
……今、極限に必要ないこと言わなかったか、俺?
そんなことを感じたとき。
鋭くて、鈍い痛みを頭に感じた。
「っぅ……」
後頭部を押さえたい。だけど、両手は動かない。
俺の記憶の最後のシーンが再生される。
……そうだ。
この痛みは――鬼に殴られたときの痛みだ。
「雛村!」
鬼、だ。
とりあえず、鬼がどうなったか、の説明だ。
そう言葉を続けようとしたとき、この部屋の唯一の出入り口の扉が開いた。
「お目覚めですか? 葛平さん」
彼女は、無機質に、言った。
赤い鬼のお面を着けたまま、言った。
……噂をすれば、ってやつか?
いや、まだ俺は鬼というフレーズは口にはしていない。
なのに。
なのに、鬼が現れた。
――まずい。
どういう経緯か分からないが、俺は今、動けない。
手が使えない。
鬼と戦えない。
だけど――雛村の盾になるくらいなら。
そう思って、ベッドを軋ませて、動き出そうとして、
「安心してください。危害を加えるつもりはありません」
制止された。
そして彼女は、鬼のお面を取った。
美しい、人だ。人間だ。
年齢は多分、俺たちより少し上。
整った顔に、長く黒い髪。
その髪を後ろに縛って、まとめている。
そして何より。
目を惹くのが、その大きさ、だ。
もちろん、背のことだ。
多分、俺よりも高く。
雛村のより、遥かに大きい。
もちろん、背のことだ。
彼女がこちらに近づいてくる。
大きく上下しながら、近づいてくる。
もちろん、背のことだ。
彼女が俺の目の前に、雛村の隣に立って、再度実感する
大きい。デカい。
その迫力に圧倒される。
雛村と比べると、より一層。
月とすっぽん。
東京ドームと野球ボール。
高級ベッドとマシュマロ(一袋百円)。
無地の白いTシャツに、シンプルなジーンズ。それが、その大きさを、これでもか、と言わんばかりに強調している。
あ。もちろん、背のことだ。
今の俺の変態的状況や、人喰い鬼のことなど、どうでもよくなるような、大きさだ。
もう後先考えずに飛び込みたくなるような、大きさだ。
「ずぅぅぅぅぅっと、葛平くんは何を凝視しているのかニャー?」
我に返ると、目の前には猫の鳴き声を真似る獅子がいた。
ありえないほど、笑顔な獅子だ。
「途中で私と比較して。何度も言い訳を入れて。何行にもわたって描写して。一体、何を見ていたのかニャー?」
俺は、一言も発せない。
何か言えば、狩られそうな気がした。
「このへタレチキン野郎が」
笑顔のまま、ありえない台詞を吐き捨てた。
……………。
……キャラ変わってますよ。雛村さん。
……………。
そんなことは絶対に、言わないけど。
そんなことは絶対に、言えないけど。
「楽しげな会話中に申し訳ありませんが、私の用事を済まさせてもらってもいいですか?」
巨……。
巨体な彼女が、相変わらず無機質に、言った。
「あぁ、ごめんなさい。影虎さん」
雛村が笑顔で謝る。
その笑顔は、先ほどの笑顔とは全くの別物に、俺には見えた。
「かげ、とら?」
俺は馬鹿みたいに呆けて、雛村の言葉を繰り返す。
「そぅ。『影』『虎』さん」
雛村は自分の影を指差し、その後、がおー、と虎のポーズを取った。
……それ、女性の名前じゃないだろ?
目の前の大きな彼女は、どこからどう見ても女性だ。ありえないほど女性だ。
第一、男でもそんな名前のやつには会ったことはない。そんな忍者みたいな名前。
だけど、俺も名前については他人のことは言えないので、口にはしなかった。
ていうか、この部屋には、虎と獅子がいるのか?
虎と獅子と、ベッドに縛られたパンツ一丁の男。
――何プレイだよ?
ていうか、自滅だよ。
素直に、自殺だよ。
……………。
……自殺。
そうだ。俺たちは。
そうだ。雛村は――。
「ご準備をお願いします。沙雪さんがお待ちになられています」
相変わらずの無機質、無表情で影虎は言った。