1.10
はじめまして。
あなたにとっての『おはよう』か。
あなたにとっての『こんにちは』か。
あなたにとっての『こんばんは』か。
……………。
ちなみにこっちは――なんだろう?
ちょっと、よく分からない。
大変、申し訳ない。
改めまして、自己紹介。
名前は葛平七生。年齢、十七歳の高校三年生。かに座のA型。趣味は、特になし。特技は、状況整理。まあ、どこにでもいるような、普通の男子学生、だと思います。
……え?
前にも聞いた?
それは大変、申し訳ない。
だけど、少し付き合ってほしい。
それこそ、一生で一度のお願いだ。
俺は只今、走馬灯タイムだ。
千載一遇、一騎当千、国士無双、確変確定、走馬灯チャンスだ。
だから、少しだけ、付き合ってほしい。
あまり長く語るつもりはない。
今までの伏線を、全て解消しようというつもりでもないし。
これからのページを、俺の回想で埋めようというつもりもない。
だって、俺の回想、俺の歴史なんて大したものではない。
たかだか十八年に満たない、歴史だ。
自分自身の意思があるかないかのガキの頃、俺は父さんの勧めで近所の空手の道場に通い始めた。父さんは昔、なかなかやんちゃな青年だったらしく、ときどき警察にお世話になるような青年だったらしい。そのとき、真っ当な道に戻してくれたのが、空手だったと教えてくれた。礼儀作法に、心の在り方。それがなければ、俺は生まれていなかったみたいだ。でもそんなことは、ガキだった俺にはどうでもよくて。ただ楽しかったから、道場に通い続けた。道場でまともに負けた記憶は、俺にはない。小学校中学年あたりでは、既に中学生相手に組み手をしていた。
中学生になり、空手部に入った。その当時住んでいた所は、今より少し田舎で、中学校は全国的には、ほぼ無名だった。俺の一年の夏の大会が始まるまでは。全ストレート勝ちの、優勝。一躍、中学校と俺の名前は有名になった。天才空手少年、として地元紙にも載ったことがある。クラスどころか学校中の人気者になった。その年の冬、翌年の夏、そして冬、ついに四連覇を果たした。誰もが、俺がいれば負けない、と思っていた。俺も、思っていた。調子に、乗っていた。
次の夏、五連覇は叶わなかった。
中学三年だった俺は、中学一年の相手に、負けた。調子には乗っていた。でも、慢心はなかった。それこそ、調子は良かった。だけど、負けた。それも一瞬の、無様な敗北。
理由はいつだって単純。
彼の方が、ただ、強かった。
俺は、天才などではなかった。
俺は、普通の人間、だった。
翌日、俺は部を辞めた。集めた期待が重圧に変わったとか、学校中の除け者になったとか、そういうのはなかった。むしろ、逆。誰もが俺に優しかった。俺はそれを全て、拒絶した。心は、あっという間に、閉じていった。唯一、父さんは優しくなかった。厳しくもなかった。ただ普通に、接してくれていた。「まあ、そういうこともあるだろ」と言ってくれた。救いだった。それがなければ、家出くらいは平気でしていた。
中学校卒業の少し前、父さんの転勤が決まった。引っ越し先もすぐに決まった。そのときには俺は、友達は一人もいなかった。ちょうど良かった。家鴨ヶ丘町、が新しい住所。独楽原高校、が新しい学校。全国模試では常に上位を独占、各種スポーツでも華々しい成績――なんてことはない、普通の高校。俺の過去の栄光を知っている可能性は、ないだろう。それは、ちょうど良い。人気者キャラではなく、無愛想キャラから始められる。コンティニューできる。
新しい住所、新しい学校で俺は目的を果たしていた。誰も俺に近づいてはこなかった。とても素晴らしい環境だった。そして何事もなく毎日を過ごし、一学期を終えた。
「酷いなあ。誰だ、なんて。クラスメイトの名前、忘れちゃったの? 僕だよ。明日木だよ」
一年の夏休み、出会いはその言葉だった。
変態であり、友人であり、変態である、明日木翔太との出会いだった。
こいつが俺をかき乱し、ぶち壊し、作り変えた。
その際、一つの事件が起きた。
不用心な俺は、ある少女を傷つけた。身体にも、心にも、傷をつけた。一生消えないであろう傷を。
彼女は、これは私のせいだから、と言ってくれた。
明日木は、悔いる気持ちがあるなら君は変わるべきだ、と言ってくれた。
これ以上ないくらいの、救いだった。
突然は無理だけど、少しずつ変わろうとした。三年生になって、クラスの人気者の主催企画に参加できるくらいまでにはなった。友人は、まだ、明日木だけだったけど。
これが、俺の歴史。
十七年と三百六十四日の歴史。
お付き合い頂いたあなたに、最大限の感謝を。
これにて、このお話は、お終い。