一寸先は
「お母さん、おはよう!」
「おはよう、レイラ。誕生日おめでとう」
「ありがとう!16歳になりました!」
「そうね。もう16歳になったのね。あっという間だったわ」
お母さんはとても嬉しそうな表情を浮かべていたが、ふとどこか申し訳なさそうな顔もしていた。幸せなことがある度にお母さんが浮かべる表情だ。
私が静かに見つめていることに気がついたお母さんは、誤魔化すように笑ってから椅子をひいた。
「それでは16歳になったレイラさん、朝食を食べましょうか?」
「そうしましょうか、お母さま」
わざとらしく大人ぶった私の様子に、お母さんは吹き出しながら言う。
「まあ、一夜で随分大人になったわね」
「ええ。私ももう16歳ですからね、お母さま」
お互いの顔を見てまた吹き出した。
にぎやかに朝食を食べ終えた私は、お母さんと一緒に畑へ収穫に向かう。今日の夜、楽しみにしている誕生日祝いの食卓で使う野菜の収穫だ。
トマトにナス、ズッキーニ。今年もたくさん実ってくれて嬉しい。
それから飼っている鶏の世話や家の掃除、洗濯などをしていると、あっという間に昼食の時間になった。豪華な夜ご飯に備えて少なめに食事を終えると、お母さんがケーキを焼いている間に町に売りに行けそうなものを探しに森へ行くことにした。
「今日は少し雲も多いし、暗くなる前に帰ってくるのよ」
「もちろん!逢魔時までには帰るからね」
「約束よ。あなたの目なら大丈夫でしょうけどね」
「まあね!」
自慢げに胸を張る私に嬉しそうに、そしてどこか悲しそうに笑いかけたお母さんは、ふと何かを言いかけて躊躇うように辞め、また意を決したように口を開きかけては閉じる。
「お母さん、どうしたの?ちゃんと帰ってくるよ?あっ、もしかして隠し味のこと?せっかくだから夜、最後にケーキの隠し味を当てられるか挑戦してから教えて」
「え?ええ、そうね。それはわかったわ。でもそうじゃなくてね、夜、お祝いをした後に話したいことがあるの」
お母さんは何かに怯えたような、しかし何か重要なことを決意したかのような真剣な眼差しを私に向けながら、そう言った。
「何の話なのか今聞かない方がいい?」
「ええ。お祝いをしてから話したいわ」
「わかった」
何の話なのかはわからない。でも、お母さんの表情から何となくお母さんの事情や私のお父さんについての話のような気がする。
今までのお母さんの態度から、話を聞くのが怖い気もする。何か、私の中の大事な部分が変わってしまうような、そんな予感に思わず鳥肌が立ちそうになるのを誤魔化すように、パパッと出かける準備を整えると明るい声を出した。
「お母さん、行ってきます!!」
「行ってらっしゃい。レイラ、逢魔時には…」
「よくないモノが出る、でしょ?わかってるから大丈夫だよ!」
※※※
「……よし。こんなものかな?」
手元を見ると、プラムとグーズベリーが籠の中いっぱいに入っている。
空を見上げると日が陰り始めていた。随分と集中していたようだ。
ここから家までは小走りで30分はかかる。急いで帰らないとあっという間に逢魔時になってしまう。
お母さんを心配させないように、足元に気をつけながら小走りで来た道を急ぐ。だが思っていたよりも早く空にオレンジ色が混ざり始めた。森の影が深くなり、木々の間から見えていた日の光が弱くなってきている。
足元も暗くなってきたが、気にせず小走りで先を急ぐ。
足元を照らすような光は持ち合わせていないが、私にはよく見えているからだ。私の瞳は夜目が利く。
小さい頃はお母さんの新緑の瞳が羨ましくて仕方なかったが、今では自分のアンバーの瞳が大好きだ。
そんなことを考えているうちに家に近づいてきた。これなら完全に暗くなる前になんとか辿り着けそうだ。
誕生日の食卓や今夜お母さんからどんなことを言われるのかを想像しながら、あと一息だと急いでいた時だった。
「たすけて!!」
突如響いたその声に咄嗟に足を止めて振り返ると、木々の暗闇の中から黒髪を2つ縛りにした3、4才くらいの小さな女の子が現れた。
その瞬間、全身にブワーッと鳥肌が立った。
私の体が、この子を警戒しろと叫んでいる。
だがなぜだろう…この子を危険だと感じると同時に、親しみも感じる。それが妙に気味が悪く、背筋に冷たいものが走る。
そんな私の様子を知ってか知らずか、女の子は泣きながら自分の状況について私に訴え始めた。
「おねえちゃん、ミーちゃんお母さんとはぐれちゃったの。お母さんとベリーを摘みにきたのに、気づいたらお母さんどこにもいないの。おねがい、いっしょにお母さん探して?」
そう言って手を伸ばしながら近づいてくる女の子を見て、思わず距離をとる。
目の前にいるのはただの小さく幼い女の子のはずなのに……なんとも可愛らしい幼い声がこの状況下では恐ろしく感じて喉の奥から悲鳴が迫り上がってくる。
逃げろ!!と全身が警告しているのに、身体は完全に固まっていて指先一つ動かせないでいるのだ。
普通に考えたら全力で走って3歳の女の子に負けるはずがない。森はうっすらと夕陽が差し込んでいるが、影は濃くなり森全体が暗さを増していて、夜目が効く私に有利な状況だ。
それなのに、なぜ絶対に逃げられないと絶望的な感情が湧き上がってくるのだろうか?
『レイラ、逢魔時に外に出てはだめよ。よくないモノが出るからね』
お母さん、どうしよう……出会ってしまったのかもしれない。
この状況をなんとかしないと……。彼女を撒けるのだろうか?それともいっそのこと彼女を?だが明らかに気配がおかしいからと言って、本当に彼女はよくないモノなのか?というと確証はない。自分の直感がもし間違っていたら取り返しがつかない。
次の行動を決めるためにも、もう少し情報が欲しい。
何も気が付いていないふりをしながら、何か彼女の正体を見極められるような情報を聞き出すしかないだろう。
現状をどうにかするためにも腹を決めた私は、彼女はかわいそうな女の子、彼女はかわいそうな女の子……と何度も自分に言い聞かせて、努めて優しい声を出した。
「…ミーちゃんって言うんだね。お母さんとはぐれて心細かったよね?ミーちゃんはいくつなの?」
「3さいだよ」
「そう、3才なんだ。ミーちゃんはお母さんと何のベリーを摘んでいたの?」
「ブラックベリーだよ」
「ミーちゃんもたくさんとれたのかな?」
「うん!」
ミーちゃんの言葉を聞いて、想像していた嫌な予感が当たってしまったことを悟り、グッと心臓を掴まれたような感覚に陥る。
どう考えてもおかしいではないか?
3才の女の子を連れてこんな所に来る親がいるはずがない。町からここまでは、どんなに早く歩いても1時間はかかるというのに。
そして何より、ブラックベリーは町の近くにしか生えていない。それは町の人間なら誰でも知っていることだ。
それに、彼女の装いはあまりに綺麗すぎる。お母さんを探し回っていたにしては服に汚れもなければ髪に乱れもなく、靴もあまり汚れていない。それに……と改めて彼女の手を確認する。
やはり……。
指がブラックベリーの赤紫色の汁で染まっていない。
「おねえちゃん?どうしたの?さむいの?」
「!!……」
ドン!!と心臓が跳ねる。
そう言われて初めて、自分が震えていることに気がついた。恐怖から来る震えだと自覚すると一層恐ろしくなり、奥歯が音を鳴らし出す始末だ。
なんとか、なんとか誤魔化してこの場を切り抜けないと!落ち着いて、お願い、落ち着いて……、冷静に考えないと……。
だが頭が真っ白になって何も出てこない。
そんな私を観察するようにじーっと無表情で見つめていた彼女は、突如この状況に似つかわしくない楽しげな笑い声を上げたかと思うと、首を傾けて嬉しそうに私を見上げながら口を開いた。
「やっぱり、自然児はいいなア」
その瞬間、考えるより先に籠を放り投げ、後退しながら背負っていた弓を構え矢を放った。




