8.こだわりのコーヒー
調査は一通り終わったので、迷宮で店を営業した時の説明をトラヴィスさんがしてくれた。
許可が出た場合、売り上げの一部をロンダール迷宮領に納めないといけないという。この迷宮を管理して統治しているんだから当然か。他にも細々とした説明をしてくれたけど、この店にとって重要なのはそれくらいかな。
「せっかく来て頂いたので、よかったらコーヒーでもどうぞ」
説明を聞き終えてから、僕はお客様におもてなしをしていなかったことを思い出した。……アイリスさんは特に関係なくおにぎりを食べていたけども。
僕は席を立ってカウンター裏から紙コップを取り出し、カウンター横に併設されたドリップマシンに向かう。紙コップを指定の位置に置き、ブレンドコーヒーのボタンを押した。
マシンは問題なく動き、コーヒーのいい香りと共に黒くて艶やかな液体を紙コップに満たしていく。
「その魔導具は一体……どういう仕組みですか?」
「ただのコーヒーを入れるための機械です。仕組みはよく分からないんですが……あと電気で動いているはずなので、魔導具ではないと思います……」
……正直この店舗の電力が今はどこから来ているのか分からない。店舗の照明や空調などは今まで通り問題なく使えている。もしかしたら実は魔法由来のモノに置き換わっているのかもしれない。
マシンを三回繰り返し動かして、三杯用意し席に戻った。
「当店からのサービスということで、お代は結構です」
まだ営業許可は取っていないからね。商品ではないと念押ししながら、僕はコーヒーを三人の前に置いた。
「……おい、これって」
「眠気覚ましの苦薬ですね……」
あれ……なんだか、思っていた反応じゃない。三人とも不思議そうにコーヒーを眺めていた。
「え、あの……もしかして、コーヒーは一般的ではないのですか?」
「私たちの世界ではこれは薬なので……そちらの世界では薬を客人に振る舞う文化があるのでしょうか?」
……なんてこった。コーヒーの認識が違い過ぎた!
いやでも、こっちの世界でもコーヒーは最初は薬とされていたっけ……?
よく覚えてないけど、現代では一般的に飲まれる飲み物の一つとして認識していたから、そういう考えがなかった。確かに眠気覚ましとしてもよく飲まれているものだけど。
「すみません! けしてそのような文化ではなく……普通に飲み物の感覚として出してしまっただけです。あの、良ければお茶とか別の飲み物に取り替えますが」
「いえ、せっかくなので頂きますよ。異世界の薬にも興味がありますから」
「物は試しだな。これも調査の一環だ」
「……うむ」
薬ではないのだけど……トラヴィスさんとヨスさんは興味深そうにしていた。
ちなみにアイリスさんは……なんかすごい顔してる。まだコーヒーを飲んでないのに、苦い表情をしていた。
「この容器はあのプラスチックではなく紙なのですね……液体を入れても大丈夫だとは……」
三人は揃って紙コップに手を伸ばした。
そしてそれぞれ一口飲んでいく。ヨスさんは少し豪快に、トラヴィスさんは恐る恐る、アイリスさんは舐めるような小さな一口で。
「――うまい!!」
真っ先に大声で感想を出したのは、ヨスさんだった。
「な、なんですかこれは!? 確かに苦いのに、そこに深みのある味があります。豆の香りも素晴らしく、一口飲んだ瞬間にほっとする安心感さえある……こ、これが眠気覚ましの苦薬だというのですか!?」
信じられないものを見るように、トラヴィスさんは手元のコーヒーを見ていた。その手元が震えていた。
「当店のコーヒーはバリスタと共同開発し、豆から厳選したコーヒーですからね! おいしくて当然ですよ!」
コンビニコーヒーを舐めてもらっては困る。そこらのコーヒー専門店にも負けないくらいに、力を入れているのだ!
使っている豆は最高等級! さらにマシンでその場で挽きたてている。そのドリップマシンも、バリスタと共同開発し、抽出機能にこだわっている。
それによりワンボタンで誰にでも本格的なコーヒーを飲むことができるのだ。
これをコンビニで、しかもお手軽に楽しめるのだから素晴らしいと思わない? まぁ、コーヒーは基本的に弁当とかのついで買いが多いんだけどね。
ついでに買うにはだいぶ豪華な飲み物だと、改めて思うよ。
「アキナイ様の説明は異世界の専門用語が多いのでよくわかりませんが……このコーヒーというのが、凄いものだと言うのはよくわかりました……」
「ああ……こんな良いもんタダで飲んじまった……本当にいいのか? これ高級品だろ?」
「いえ……税抜で120円ですけど?」
「120ギール!? こんなにおいしいのにその値段!?」
こっちの世界の通貨レートは日本円とそこまで変わらないみたいで分かりやすくて助かる。あと単価とかも勝手に翻訳してくれるみたいで凄い。
ちなみに店内飲食になるから、イートイン税率になるけど……ここ異世界だからそういうのはなしでいいんじゃないかなぁ。
「むぅ……確かに苦薬よりは飲みやすいが……私には合わない……」
どうやらアイリスさんは苦いものはあまり好きじゃなかったみたいで、残りのコーヒーをヨスさんに押し付けていた。
「じゃあこっちはどうですか?」
僕はカフェオレを新しく注いで出してみた。コーヒーの苦味が嫌いでも、カフェオレなら飲める人はいる。さらにそこに砂糖を混ぜて甘みも足したからいけるはずだ。
「……! おいしい!」
懐疑的だったアイリスさんの表情は、花が咲いたような笑顔になった。どうやら口に合ったようでよかった。
「眠気覚ましの苦薬をこんなふうに飲んだのは初めてだ……」
「へぇ……こんな風にも飲めるのか。よかったなアイリス」
「確かにここまでおいしくて手軽に飲めるなら、一般的な飲み物になってもおかしくないですね……」
三人はそれぞれ感心しながら、コーヒーを飲み干してくれた。
「……アキナイ様」
「は、はい」
トラヴィスさんが眼鏡に手を掛けながら、真剣な表情をしたので、思わず僕の背筋も伸びた。
「営業許可の件は任せてください。必ずや迷宮伯を説き伏せてきます。この至高の一杯に誓って……!」
たかがコーヒーの一杯に全力かけ過ぎですよ、トラヴィスさん!?
どうやら、トラヴィスさんはこのコーヒーがずいぶんと気に入ったらしい……。
「うむ、私もこのおにぎりに誓って、この店を護るぞ!」
おにぎりに誓う騎士ってなんか違くないっ!?
あなたの騎士道は本当にそれでいいんですか、アイリスさん……!!
「まぁ、やる気ある時の二人は頼りになるから、きっと大丈夫だ」
そんな二人をヨスさんが苦笑しながら見守っていた。いや、ヨスさんが団長なんですよね……? いいんですか、副団長とあなたの娘がこんな感じで……。
まぁ、でも営業許可の件はなんとかなりそうだし、いっか!
コンビニ豆知識:コンビニコーヒーが普及し定着しだしたのは2013年代のようです。それまでにも何度か試みがあったようですが度々失敗していたみたいです。