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59.黄昏に包まれし甘美なる暗黒

 マジックスクロールの著作権の件は一日経っただけでかなり進展した。

 まず、迷宮伯が著作権について新たに迷宮条約に組み込むと仰ったそうだ。

 他の公務で忙しいはずなのに合間を縫ってやってくれたらしい。

 商業ギルドのほうも事前にロウシェさんが話を通してくれたから、迷宮伯の許可が降りてからすぐに取りかかれたという。


 ただ著作権が制定されるまで、準備が掛かるので実際に執行されるのはまだ先になるそうだ。

 今はこの迷宮都市に出回っているスクロールの製作者登録が忙しいとのこと。


 この迷宮都市オルウェイにあるスクロールのほとんどはこの都市にいる職人たちの手によるものだけど、それ以外の職人の手による物もある。

 現状ではこの都市で登録されたスクロールのみを対象に使用料などを取るそうだ。それ以外については製作者が申告した場合に対応するという。


 ちなみに製作者登録に関しては虚偽申告防止のために実際にスクロールを目の前で作成してもらい、それを登録する。

 その登録の際の検査官として、エイブラハムさんが手伝うことになったそうだ。

 あの偉大なる魔法使いジョナスの弟子であり、魔導具士として優れた腕を持っているらしいから当然の配役と言えるだろうね。


「魔導具は好ましき物だ。然し、己が物ではなく、他者の物を調べるだけ……。太陽が落ちる頃には我が身は安らぎを求めだす……」


 スクロールの件についてコンビニまで報告に来てくれたエイブラハムさんは随分と疲れた様子だった。スクロールの検査が大変らしい。しきりに目元を揉んでいた。


「お疲れ様です。良かったらこれ使ってみます?」


「これは?」


「ホットアイマスクですよ。目を温めることで目の疲れを癒してくれるんです。リラックス効果もあっていいですよ」


 目元の疲れにはやっぱりこれだろう。トラヴィスさんにも勧めたことがあるけど好評だった。


「こんなものまであるのか……さすが異世界より来たりし万物の宝物庫だな」


「いや宝物庫って……言い過ぎですよ」


 ここにあるのは日用品ばかりだからね? ってこのくだりも何回やるんだって話か。


「そういえば、アレはあるだろうか?」


「アレ?」


「以前職人の一人にもらい、とても美味しかったのだ。それは表面が黄昏色に焼かれ、しかしその内側は白く柔らかなるもの。その中心に隠されし暗黒は、人を虜にさせるほどに甘美なる味であった」


 相変わらず分かりにくい言い回しをする人だなぁ……。えっと外側は焼かれていて、中に黒くて甘いものが入っているとなると……。


「もしかして、あんぱんのことですか?」


 僕はパンコーナーからこんがりと焼き色のついた丸いあんぱんを手に取って見せた。


「それだ。さすが、運命に選ばれし者。数多の旅人を導きし賢者だ」


「ただ商品のこと聞かれて渡しただけですよ」


 探索者からも賢者だなんだと言われているけど、小っ恥ずかしいからやめて欲しいよ、本当に……。


「でも、あんぱんは美味しいですよね。僕も好きですよ。……あっそれ、こしあんですけど大丈夫ですか? つぶあんもありますよ」


「……こしあん? つぶあん?」


「あんぱんの中に入っている餡子には、こしあんとつぶあんの二種類があるんですよ。それぞれ食感が違っていて、拘る人は拘るので」


 こしあん派とつぶあん派で分かれるよね。こしあんは滑らかな食感がいいし、つぶあんは小豆の食感が残っていていい。

 どちらも甲乙付け難いけど、どちらかというと僕はこしあん派だ。


「前回は豆の形が残っていた。あれはつぶあんなるものか……。見た目は同じだが、中身は少々異なるとは……面白い。ならばこちらも確かめねばなるまい」


 エイブラハムさんはこしあんのあんぱんにも興味があるみたいで、そのまま買っていくようだ。


「このままでも美味しいですけど、焼いて食べるのも美味しいですよ」


「……さらに焼くのか?」


「ええ、ギュッと潰して焼いて、そこにバターを塗るんですよ」


「ほう……」


 そのまま食べるのもいいけど、焼けばパンの香ばしさを楽しむことができる。

 サクサクになったパンに染み込んだバターと甘い餡子の味わいは最高だ。


「トースターがあれば簡単に出来るのですが……」


「温めのスクロールは?」


「それだとちょっと火力足りないですね」


「火力が強いものなら、試作した物が残っていたな」


 そう言ってエイブラハムさんは〈魔法鞄〉からコピー用紙に書かれたスクロールを取り出した。

 前回、試作用にと僕からコピー用紙を提供したんだよね。


「この丈夫で書きやすい紙が大量に使えてありがたかった。羊皮紙は丈夫だが高価だ。使うのに躊躇して試作もままならん」


 こっちの世界の製紙技術はそこまで発達してないらしい。あるにはあるけどすぐに破れたりするから、スクロールを描いたりするのには向かないという。

 その点、羊皮紙は向いているのだけど、エイブラハムさんの言う通りコストに合っていなかった。


「ふむ、だがこれはこれで火力が強すぎるか……一から描くとするか」


「今から? スクロールってすぐできるものではなかったですよね……?」


「そうだが、今回のは複雑なものではないし、既存の物から多少の調整を加えるだけで済む」


 そう言うなりエイブラハムさんはボールペンとルーズリーフを取り出すと、そこにさらさらと魔法陣を描き出した。


「このインクが常に出てくるペンも実に便利だ。こうしてすぐに描き込める」


「ボールペンで魔法陣を描いても発動するなんて、ちょっと思いませんでしたけどね」


 そう、なんとボールペンでもマジックスクロールはできるらしい。


 ……しかしながら、ルーズリーフにボールペンで描かれていく魔法陣を見ていると、何とも言えない気持ちが湧いてくる。

 実は僕も似たようなことを元の世界でやったことがありまして……。もちろん僕の描いた魔法陣は発動も何もしなかったけど。


 僕の黒歴史は置いといて、エイブラハムさんは本物の魔法使いだ。大事なのはインクに魔力を流し込みながら魔法陣を正確に描くことらしいよ。


 ……いや、というか。これは本当に複雑な魔法陣ではないんですかっ!? 僕から見たらめっちゃ緻密な模様を素早く描いているんですけど!?

 しかもボールペンだから、間違えたら修正は出来ないはずなのに……。改めてエイブラハムさんの凄さを知ったかもしれない。


「火の魔法で焼くほうが早いが……我はこちらのほうが好みだ」


 エイブラハムさんはイートインスペースに行くと、描き上げたスクロールを破るように切り離し、その上に購入したあんぱんを置いた。


 ……魔法陣の上にちょこんと乗るあんぱんはちょっとシュールだ。

 だけど、ちゃんと焼かれ始めているのか、段々と香ばしい匂いがただよってくる。


「そういえば、マルチコピー機の停止の件だが、撤回することに決まったぞ」


「えっ、いいんですか?」


「新たに定められた法律により、複製されても製作者に使用料が支払われるようになった。利益が正しく流れるならば、停止する必要はない。むしろ、製作者側が利益を失うことにもなるだろう」


 なるほど、確かにコピーされればされた分だけ入るようになったわけだから、停止している方が損をするね。


 こっちも元々相場の値段でやっていたのは店舗の魔力枯渇防止の為だし、本来のコピー料金さえ入るならスクロール代は使用料として製作者に入ってもいい。むしろ、そうするべきだ。


 ちなみに今までコピーしたものに関して総数は分からないので、とりあえずコピー代として売り上げていた利益をそのまま渡し、それを職人たちに分配することになった。分配の調整は商業ギルドとエイブラハムさんたちがやってくれるそうなので、大丈夫だと思う。


 ……この辺り、本社に断ることなく僕が勝手にやっている。本社に連絡する手段がないのだから仕方ないんだけど。

 移動販売車の私的な使用とかもしてるから今更な話だけどね。文句あるなら連絡をくれ本社……!


「探索者たちからもマルチコピー機の停止は反対の意見が上がっていたからな……」


「そうですね」


 特に最前線組からの反対の声が大きかった。

 デイヴィッドさんたちも今スクロールが大量に使えないのは困ると言っていたんだ。

 現在の最深層は第十一層……ではなくすでに第十二層だ。なんと第十一層に広がっていた海の下そのものが次の階層だったらしい。


 海の中を潜って攻略しなきゃいけないわけだ。そうなると詠唱出来ないので魔法が使えなくなる。その代用として、マジックスクロールが活躍しているわけだね。

 ……水中で紙とか出して濡れないのか? という疑問については保護の魔法も組み込んであるから大丈夫らしい。さすが魔導具だ。


「停止撤回はいいのですが、コピーされるスクロールを一つ一つ確認するのは面倒ですね……」


 どのマジックスクロールが何枚印刷されたかを記録しないといけないとなると……だいぶ手間だ。


「コピーしたその時に、図案を判別して記録できるようにすれば楽なのでしょうけど」


 AIに魔法陣の図案を学習させて、自動で判断して記録できるようにすれば楽だけど、マルチコピー機でもさすがにそんな機能はないしなぁ……。


「……ふむ。出来るかもしれないな」


「えっ、本当ですか!?」


「少しマルチコピー機を見させてもらうぞ」


 エイブラハムさんはマルチコピー機に近づくと、手をかざした。……すると魔法陣のようなものがディスプレイのように浮かび上がった!


「……む? これは基本部分は魔導具ではないのか……?」


「はい、元は機械なので魔導具ではないですね」


「なるほど……だから魔法がかけられているだけなのだな……」


 しばらく魔法陣を眺めていたエイブラハムさんは、一つ頷いてこちらを見た。


「やはり神の魔法か……。すでにかけられた魔法を弄ることは無理だが、さらに魔法をかけ、機能を追加することはできそうだ」


「それじゃあ……」


「ああ。ハジメが言ったことはできそうだ。商業ギルドには登録した図案を収めた情報結晶体(データベース)がある。その結晶と繋げば、図案の確認もすぐにできよう」


 ……この世界、色々な技術力は遅れているけど、その代わりに魔法がある。今回はその魔法で解決できそうだ。


「エイブラハムさん、凄いですね……」


「認めたくないけど、こいつの魔導具士としての腕は本物なのよね」


「あ、ココさん。いらっしゃいませ」


 いつの間にか、ココさんも来店していた。

 マルチコピー機の前にいる僕らの側にココさんも加わる。


「魔導具製作の技術力はお父様からも褒められていたものね」


「姉上には逆に呆れていたな。基礎術式の作画すら怪しいと」


「こういう細々とした物は苦手なのだから、仕方ないでしょ」


 ココさんは細かい作業が苦手らしい。確かにココさんが作った雷撃のスクロールの線は……お世辞にも綺麗ではなかった。


「その代わりに姉上の詠唱術式は優秀だが」


「ふん、まぁね」


 褒められたからか、ココさんは満更でもなさそうだ。


「ココさんって詠唱が得意なんですか?」


「ああ。姉上は詠唱速度が一般的な魔法使いに比べると非常に速い。特に短縮詠唱に長けている」


「でも、お父様には及ばないわ。お父様は詠唱なしで魔法の行使ができるもの」


「我も魔導具製作に関して、まだまだ父上に及ばんな」


 魔法使いにとって魔法の詠唱時間は明確な弱点だろう。それを短縮できるだけでも強いのに、詠唱なしならもう弱点なんてないようなものだ。

 ココさんもエイブラハムさんも優秀な魔法使いだけど……やっぱり彼らの師匠には敵わないらしい。


「そういえばあの件はどうなったのかしら?」


「あの件?」


「お湯の件よ」


「あ、そうだった! エイブラハムさんに頼みたいことがあったんでした!」


 スクロールの著作権のせいですっかり忘れていた。元々そのためにエイブラハムさんに会いたかったんだよね。

 僕はお湯を沸かすためのスクロールを作りたいことを彼に話した。


「なるほど、いいだろう。それくらい容易いことだ」


「ありがとうございます!」


 エイブラハムさんは快く引き受けてくれた。これでお湯の問題はなんとかなりそうだ。


「ところで……あのテーブルにある美味しそうなものは何?」


「あっ……」


 ……幸い、あんぱんは焦げていなかった。

 その後、ココさんも同じようにあんぱんを焼いて食べていた。僕も少しもらったけど、やっぱり美味しかったよ。


 ちなみにその日はあんぱんの売れ行きが良かった。


 どうやら居合わせた探索者たちは、黄昏に包まれし甘美なる暗黒の誘惑に耐えられなかったようだ。


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