指示通りに動く機械は愛おしい
平日の昼休み、修理が完了したと老眼オヤジから電話がかかってきた。
「あの、今日の夕方行ってもいいですか」
「え、夕方ですか。あー、六時半くらいなら」
「分かりました。それぐらいに伺いまーす」
だから、お前の友達じゃないから。こんないきなりの訪問、迷わずお断りして日を改めてもいいのに勢いに押されて承諾してしまった。実に微妙だ。部屋を片付けるか、片づけないか。汚い部屋と思われるのがムカつくような、どう思われたっていいような、二度と会わないからいいやと思っていたのに三度目だし。とりあえず、使い方が悪いと指摘されないように代替レンジは拭いておいた。ほとんど使っていないので汚れていないけど。
約束の時間にインターフォンが鳴り応答すると女性の声だった。
メーカーを名乗っているので、営業が同行してお詫びにでも来たかと期待してドアを開けた。ギャルっぽい女性が一人立っていた。傍らに台車に乗せたレンジがある。
「すみません、足立が来られなくなりまして私が届けに来ました」
見た目通りの軽い喋り方で警戒してしまったが、レンジは確かにうちのレンジのようだ。
あの老眼オヤジは足立か。修理完了書にそんな名前は書いてあったような気がしたが、名指しでクレームを入れたりしてないから記憶がおぼろげだ。昼に電話をよこしておいて来れなくなるって、どういうこと? と思いながらも部屋を片づけていないので妙にホッとしてしまった。
「失礼します」
ギャルは細腕でひょいと台車からレンジを持ち上げ、ブレのない体幹で部屋に入ってきた。思わず見とれてしまった。二十代前半ぐらいか。化粧は濃いめで髪も明るくて若い。背丈はわたしと変わらないのに、全体が引き締まってて細い。
「ああ、女性なのに珍しいって感じですか」
「いやいや、別に」
「わたし、高専卒でこの仕事八年目で、転職組の足立さんより先輩だから実績あるし、若いから体力もあるんでご安心ください」
無駄なプロファイリングしようとするわたしの思考を見透かし、先回りされたようで焦った。
しかし予想外に情報が多い。高専って確か五年制の学校だよね。ロボコンとかで有名な工業系理数系な技術者育成する学校。この仕事八年目ってことは二十八歳? 見た目はもっと若く見える。足立さん、老眼オヤジはベテランだと思いきや後輩なの? 小さな衝撃に、元カレをディスっておきながら、こういう仕事は男性がやると思い込んでいたんだジェンダーバイアスに縛られた自分を自覚する。
「修理の修理になっちゃって申し訳ありませんでした」
レンジをテーブルに仮置きしてギャルは頭を下げた。
「いやいや、また来てもらってすみません」
これだよ。これ。形だけでもこういうのあると違う。おばさん同士がやる嘘くさい無駄なやり取りって思ってたけど、全くないと不愉快なもんで無意識に求めてしまう。
「足立さん、最近色々あって、やり直し案件結構あるんですよ。今回みたいに電話しといて自分で届けられないとかも何件かあって」
なんだと。やっぱり、あいつの過失かよ。悪いのは足立だとやんわりちゃんと言ってる先輩だけど、若い女の子に尻ぬぐいさせるとは、相当な理由がないと納得できない。
「病気か何かですか?」
「足立さん、夜は女装して水商売で働いてるんです。最近カミングアウトしてくれて」
「はあ???」
全くもってあの老眼オヤジから想像できない方向の色々が出てきた。
「女性のオシャレに憧れるというか、変身願望というか、本人も一言では言えないような感じで。前の会社辞めて、若い時に取った資格を頼りにうちに転職してきたらしいですよ」
「そうなんですか」
またこの言葉にいろんな気持ちを凝縮する。
「まあ変身願望ってのは私も分かります。昔友達何人かとアニメのコスプレしたことあるけど、あれって男女関係ないですよね。服やメイクで違う自分になれる、年齢や性別も変えられちゃうのって楽しいんです。その非日常があるから日常を生きていける」
「はあ」
「家族には隠してたけど浮気を疑われてカミングアウトしたそうですよ。でも奥さんとその両親には受け入れてもらえず離婚。娘には外国で事故死したことになってるみたい」
足立さんのあまりにも雑な扱いに笑いそうになるのをこらえた。
しばらく遠くに行っていて、お墓もないって設定にしたいんだね。きっと娘、あの待ち受けの子だ。死ぬなら女装父でもいいじゃんと思うが、冷静に考えるとどうなんだ。社会的に男性の方が就ける職業が女性より多くて自由な感じするけど、父親のバリエーションはそんなになさそう。他人がどうこう言う問題じゃないのに、家族は可哀想と思ってしまうこの気持ちはなんだ。
「足立さん、小さい頃の娘の写真ずっと待ち受けにしてるんですよ」
「小さい頃って? 今はいくつなんですか」
「もう成人してるらしいです。お酒飲めるようになって、最近会いに来てくれたって。それはそれでまた色々あるみたいで、死んだはずの父が生きてたんですからね」
「成人、お酒ってことは二十歳以上」
「ですね。足立さん、結構若い時結婚したらしいですよ」
この人、絶対、足立さんネタにして楽しんでるんだろうな。
ネジ穴壊した老眼オヤジもう許してやるという気持ちになってくる。
全然興味ないのに知れてよかった。急展開過ぎて時系列がよく分からないけど、わたしのプロファイリングはひとつも合っていない。娘の写真は古いし、結婚遅いどころか離婚してるし、仕事に堅実かはさておきベテランでもない女装趣味おじさん。老眼は始まってるのは間違いなさそうだけど。
「温めチェックするんで、コップに水汲んでもらっていいですか」
無駄話をしながらも作業が早いギャルは設置を完了していた。
「はい」
マグカップに水を入れて渡した。以前と変わりなく仕事をするオーブンレンジを見つめる。
指示通り動く機械がなんとも愛おしく見える。
人間はこんなに単純ではないね。
「大丈夫そうですね」
「はい。ありがとうございました」
細腕で軽々と貸出用レンジを抱えてドアを出る彼女に、ちゃんとお礼を言った。