元カレ、オーブンレンジ男
就職してしばらくして出会った彼はハイスペックなオーブンレンジ男だった。
取引先の人で週に何回か顔を合わせ、話が面白くて一緒にいる時間は楽しかった。両親は共働きで姉と妹に挟まれ、女性の多い家庭だったからか家族間で男女の役割なんてものはなかったと言う。家父長制根づく男尊女卑思考は見えなかった。
しかし「女性らしさ」とか「女性ならでは」とか対男性的考え方で会話を進めることが多々あった。女性がいる職場は掃除がされていてキレイとか、女性は食事の健康管理ができるとか、男性のテキトーさを自虐的に言っているつもりだが女性はそうあるべきと暗に押しつけている。
本人は女性を褒めている、尊敬対象であり上に見ているつもりで言っているが、ありもしない特性に当てはめて自分の都合のいい異性を「女性」としているだけなんだと気付いた。
そして彼は自立した仕事ができる女性を好んだ。
そうじゃない女は「女を武器にする面倒くさい種類の女」と分類していた。彼の理想を集約した言葉は「男は女の掌の上で転がされている関係が一番幸せ」だ。
結局は甘やかしてくれる女性が欲しいんだと分かった。母親だ。なんでもこなして生き生きしている母親が理想の女。子供と一緒に自分も面倒見てくれる母親を求めている。
人当たりのいいレンジ男はモテた。女友達も沢山いるけど、恋愛対象になるかならないかで区別して純粋な男女の友情は成立しないと言っていた。
何が男女の役割はないだ。結局男女を明確に分けて、自分の理性を保てないと「男はダメだから」と男を下げることで許しを乞うのだ。洗濯機男と男女の立場が逆転してるけど平等じゃないところは同じ。都合がいいから下に行く。
女性として選ばれたわたしは彼の母親になることを望まれた。洗濯機男と違ってレンジ男は変わっていく可能性を感じたが、その変化は子供が成長するようなものだった。結局母親的女性を求め対等に向き合わない。みんなの人気者は常に支えられる側で、支え合う関係を望まないのかもしれない。
三年もたたずに別れた。
その後いろんな噂で聞いたが、わたしと別れた後、彼は沢山の友達に慰められたらしい。わたしが最低最悪の悪女にされ、女を武器にしてる面倒臭い種類の女と結婚して、女性らしいところが好きとか訳わかんないこと言ってたらしい。その話をしてくれた同僚もわたしをディスっていたと他の人から聞いた。
男女の別れというより同性の友達が違うグループに行ってしまい、ぼっちになった感覚の方が似ている。ある意味性別が関係ない、人間同士の別れ方ができたのかもしれないけど、わたしの話を聞いてくれる人は誰もいなかった。友達の数で負けたみたい。
どうやらわたしは似非さわやかイケメンに弱いらしい。中身はジェンダーバイアスおじさんと変わらないということを学習しない。これが「あのメーカー」と同じで、きっとまた、と思いながらも引き寄せられてしまう。
結局、相性なんだ。その人間の考え方が悪いわけじゃなくて相性。わたしにとってのクソ男が誰かにとっての素敵なパートナーになる場合もある。育った環境や見つめているものが、わたしの生活に合わなかっただけだ。理解者を求め愚痴ったところで自分の運の悪さを晒すだけだ。
洗濯機男の時に学習したのでネットに書き込むのは止めたけど、同士探しをして検索してしまう。
似たような人はいっぱいいるし、そういう人を応援する人もいる。勝手に共感して味方ぶってる見守り系ポエマーに辟易する。傷ついた人に直接手を差し伸べているわけでもないのに「そんな人を愛しく思います。あなたは大丈夫。頑張って」みたいなことをつぶやいてる。そしてポエマーがお友達に優しい人認定され、褒め称える正義の世界ができ、もはや傷ついた人はどこかへ消える。そんな気持ちを偽善だと揶揄して書き込む勇者もいるが「どうしてそういう受け取り方しかできないの」と攻撃されていた。わたしの代わりにボロボロにされていく。
平和に済ませるには最初に傷ついた人が気を使いまくって、お門違いの励ましの言葉をありがたく受け取って感謝を述べて救われたことにしないといけないのだ。
意味ない。