109、アラン地方
あの『神のサクヤ』の出来事から幾月かが過ぎた頃――
本格的に図書館の調査と、楽団による楽曲の増強に着手していた。
図書館では魔導士たちが先導して調査と捜索を進めており、発見された楽譜はさまざまな楽団編成で演奏され、その効果が検証されていた。
小編成の室内楽、吹奏楽、歌劇など多彩な楽曲が存在し、それぞれがサクヤや戦闘兵に対して魔導効果をもたらした。
中でも、絶大な効果を発揮するのは交響楽であり、フルオーケストラともなると、ミトですら制御が難しい場面もあるという。これは特殊な訓練の存在が取り沙汰されていた。
そんな折、ひとつの報せが届いた。
アラン地方を調査していた調査隊から、救援を求める“ハト”が飛んできたというのだ。
アラン地方への調査が決まったのは、碑文や神託の中に、それを示唆する言葉があったからだ。
それは「アラニア国」、あるいは「アラニアン」という語。
アラニア国とは、文字通り国名であり、アラニアンとはその国に住む人々を指すのだろう。その名からして『アラン地方』という地名が単なる偶然とは思えず、そこから調査が始まることとなった。
アラン地方といえば、言わずと知れた未開拓地であり、現代人類にとっては前人未到の地である。しかし、それはあくまで“今”の話であり、旧世代——すなわち先史時代の人類がどうであったかは不明であった。
その何があるかもわからない土地に手を出すことは、禁忌ではないのか? という議論も起きたが、「神々の争い」という言葉に強く反応する組織も存在し、調査しなければ何も始まらない——そうして半ば押し切るような形で、調査隊は出発していた。
そしてその押し切った者たちから、ハトが飛んできた。
つまり、やむを得ぬ事態が起きたということだ。
サクヤをはじめとする精鋭たちは、彼らの救出へ向かうことを決断したのだった。
ーーーーー
「実戦がなくて、なまっていたところだぞ」
サクヤが勇ましく腕を鳴らす。
「今回は捜索が目的です。ただし、対峙があれば打って出ます。そのために、戦闘態勢は整えておく必要があります」
サクヤは自分が『神』であるという意識をあまり持っておらず、今のところは本人も周囲も、これまで通りの関係性を保っていた。
「まずはイッカ村を目指します。そこで一度、拠点を築く予定です」
かつて訪れたことのある村だったが、現在はすでに廃村となっており、ほとんど人の気配はなかった。
「では、行くぞ!」
サクヤの号令とともに、一行はイッカ村へと出発した。
ーーーーー
数時間後、何事もなくイッカ村に到着した。
「この辺でいいだろう。各自テントを立て、炊具の設営を」
ここから先、先遣隊がアラン地方の内部へと踏み込むことになった。
サクヤ部隊の精鋭たちがまず数名、先遣として侵入。開けた場所に仮拠点を設け、さらに前進、また設置——という具合に、テリトリーを段階的に拡大していった。
「それにしても、最初の調査隊はどこまで行ったんですかね?」
「うむ、侵入の痕跡はあるから、方角は間違っていないと思うのだが……」
王都から南下しイッカ村へ、そこからさらに南へ降りながら、東へと進むルートを選んでいた。
「野営の跡がある。焚き木もまだ新しい。近いぞ」
緊張が走る。
救難を出した調査隊は、今どんな状況なのか。背中を冷や汗がつたう感覚が、事態の深刻さを物語っていた。
最後の野営地を過ぎてから、数時間が経過していた。仮拠点もいくつか築いた。当初は南に進んでいたが、いまは踏み跡を辿るうちに、やや東から北へと旋回するような形になっていた。
そしてついに——
目の前が、ふいに開ける感覚が走る。
「総員、即応態勢!前方注意!」
サクヤの声にさらなる緊張が走る。
じりじりと、目の前の光景に近づいていく。
そして——
そこに広がっていたのは、白い石の真っ平らな大地。
その中心に、東京タワーにも匹敵しそうな高さを持ち、天へとまっすぐ伸びる、先細りの円錐状の巨大な構造物。
「石柱」というにはあまりに巨大で、自然の形成物とは思えない存在感を放っていた。
その構造物には螺旋状の足場があり、雲の上まで続くその『塔』の頂上までつながっているようだった。
表面には古代文字が刻まれているが、今はまだ判読できない。
塔の随所に開いた穴——
そこから、やつらが出入りしているのだ。
その“やつら”とは——
塔の周囲に無数に蠢く『人型の魔物』。
槍や剣を手にし、動物の鱗や尾を持つ異形の者たちが、右往左往しながら周囲を警戒していた。
明らかに、これまでの『魔物』とは異質な存在。
俺たちの想像を、遥かに超えていた。
「……なんなのだ、これは……」
サクヤがぽかんと口を開け、冷や汗を流す。
「ここに……先発した調査隊がいるんでしょうか……」
こんな場所に取り残されていたとしたら、もはや為す術はないのではないか。
すでに彼らは、魔物の餌食になってしまっているのかもしれない。
だが、俺たちももう引き返すには遅い。この山を越えてきた以上、いまさら撤退の態勢は取れない。自然と、隊の先頭にいた俺たちが「しんがり」にならざるを得ないのだ。
「(おにいちゃん、サクヤちゃん、あそこ見て)」
ミトが小声で俺に呼びかける。
彼女の指差す上空を、俺とサクヤは兵士から一眼鏡を受け取って見上げた。
「あっ!」
——いた。
俺たちが捜していた先発隊の姿。
はるか上空、螺旋状の足場の踊り場に、彼らが集まっているのを確認した。
「(カナデくん、無事なようだが……)」
「(はい、『眠りの歌』を演奏しているんでしょうか。周囲の魔物の動きが止まってます)」
上からも下からも魔物に囲まれているが、何とかその場で踏みとどまっているようだった。
だがそのまた上方からは、機械音のような耳障りなノイズがかすかに聞こえてくる。
「(しかし、あのままでは時間の問題だな)」
「(どうやってあそこまで……いや、いまは助けに行きましょう)」
皆が無言でうなずき、俺たちは一斉に行動を開始した。
まずは、魔物の性質を見極めるため、少数をこちらに引き寄せた。
見つけるや否や襲いかかってきたため、即座に撃退。
「サクヤさん、行きますよ。ミト」
「わかった【神剣共歌】『天命≪≫桜花』」
ミトの詠唱に合わせて、俺たち演奏隊が呼応する。
それに『共鳴』し、先頭の精鋭部隊が一気に攻勢を仕掛けた。
そして、サクヤが“変化”する。
「オオオオオオオオ」
サクヤが大太刀を高く天に振りかぶり、そのまま大きく跳躍。
そして、大地に向かってその大太刀を突き立てた。
大地はひび割れ、無数の閃光が四方八方に拡がる。
閃光は上昇し、上空で花開いた光が、地にいる魔物たちへと雨のように降り注いでいく。
その無作為に広がる攻撃は、まるで落下速度の速い桜の花びらのよう——
一掃される魔物。
動揺した残党に、精鋭部隊が次々と斬りかかる。
まさに瞬く間の出来事だった。
その戦いぶりは、あまりにも頼もしく、そして“人間離れ”していた。
地上の魔物の群れを一掃した俺たちは、改めて上空を見上げ——
そのままの勢いで、塔を駆け上がっていった。