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翼を広げた夜

レイは、闇に生きることに疲れていた。

悪魔として生まれ、血のように染み込んだ暗い本能に従い、人間の精気を吸って命を繋ぐ――どれだけその行為を繰り返しても、彼の内心には殺伐とした空虚さが広がるばかりだった。


そこにはただの虚無しか残らない。彼は悪魔の中では異端な感情をもっていた。悪魔としての存在を疑問視することなく受け入れる者が多い中、レイだけはそのことに苦しみ続けていた。

彼の闇に染まった魂は、決して安らぐことなく、人間の女を貪り、快楽に喘ぐ女を無表情で見下ろしながら日々を惰性に過ごすばかりだった。


だが、ある時、セリアと出会った。

セリアに対して興味を抱いたのは単なる好奇心からだった。地上で精気を吸う人間を探していた彼が、ある晩、ふと夜空に輝く星々の中にひときわ美しく、強く輝く光を見つけた。それはまるで彼が歩むべき道しるべのように、レイの心を引き寄せた。


「あの光のもとに行ってみたい。」胸の奥に湧き上がる衝動に従い、彼は黒い翼を大きく広げて飛び立った。


そして辿り着いたのは、天上の片隅にひっそりと佇む聖堂だった。

時を止めたかのような静けさを帯びている。レイが近づくと、そこには強固な結界が張られていることに気づいた。

だが、上位の悪魔のレイにとって、天使族の結界はまるで無意味だった。彼はその結界を軽々と突破し、闇と一体化し聖堂の中へと足を踏み入れた。


聖堂の外には、幾重にも守りが敷かれていた。天使族の騎士たちが厳重に警戒している様子は、まるで王宮の衛兵のようだった。レイは一度、他の天使族の王宮を訪れたことがあったが、その時と同じくらいの数の騎士たちが配置されていることに驚いた。


(なぜ、こんな辺境の地に、これほどまでの警戒を――)


そして、レイはセリアを見つけた。

その姿は、まるで銀の月光が差し込んだように清らかで、あらゆるものを浄化するような存在感を放っていた。彼女の銀髪はまるで霜が降りたように輝き、黄金の瞳はまるで太陽のように温かさと輝きを宿している。その美しさにはどこか儚さがあり、まるで触れることさえ許されない神聖な存在のようだった。


レイは思わず立ち止まり、しばらくの間その美しさに見惚れてしまった。彼女の姿が聖堂の荘厳な雰囲気と溶け合い、まるで天上の一部として彼の目に映っていた。


彼はまるで影そのものが動くかのように無音で近づいていく。


ふと彼女に違和感を感じ、彼は微かに眉を寄せた。

視線を細めて彼女の姿を観察すると、首元に淡い光の層がかかっているのを見つけた。


(隠蔽の魔法……)


それは彼のような高位の悪魔だからこそ見破ることができるものだったが、天使や悪魔の多くには容易に気づけないように精巧に隠された魔法だった。

その魔法の正体を探ろうと、さらに注意深く目を凝らすと、それが首輪のようにセリアの首に巻き付いているのがわかる。

透明な首輪の表面には複雑な魔法陣が刻まれ、そこからは途切れることなく細い魔力の帯が放射されていた。

帯は静かに宙を漂いながら、まるで目に見えない手に導かれるかのようにどこかへ向かっていた。

レイは目を細め、その帯が向かう先を魔力の流れでたどっていく。その軌跡を追うと、やがてはるか彼方にそびえる天使族の王宮に繋がっていることがわかった。


(……そういうことか)



王宮とこの聖堂を繋ぐこの魔力の帯は、彼女の魔力を容赦なく吸い上げ、流出させているように見えた。

その光景はまるで、見えない手が彼女を搾取し続けているかのようだった。

彼女は知らず知らずのうちに、その首輪によって自らの力を奪われ続けている。その魔力量は尋常ではなかった。

放射される魔力の帯は息を呑むほど濃密で、ただ漂うだけで周囲の空気がわずかに揺らめくのがわかる。これほどの魔力量を持つ者は、レイですら滅多に見たことがない。



彼女は気づいていないのだろう。首輪自体は完全に隠蔽されている。無垢な祈りがどれほど天使族に吸い上げられているのか、レイはそう考え眉間にしわを寄せた。


天使族がセリアに施していること。

セリアがその首にかけられている目に見えない鎖――それが、彼女の力を王宮に吸い上げさせるための道具であることを。

彼女はそれを知らず、ただ祈り続ける。

セリアは鳥籠に囚われている。


(……本質は奈落の悪魔と同じではないか)

王宮の者たちの冷酷な所業に嫌悪した。


ーーー



レイはその後、時折聖堂を訪れるようになった。

石造りの聖堂は、いつも変わらず冷たい静寂に包まれていた。月明かりがステンドグラスを通り抜け、柔らかな色彩を壁に落とす中、レイは姿を隠したままその場に立っていた。

そして、いつものように、彼女はそこにいた。

銀色の髪は淡い月光を受けて輝き、聖堂の荘厳な空気を一層引き立てているようだった。その姿は儚げでありながらも、何か抗えない力強さを秘めている。黄金の瞳は閉じられ、彼女はただ祈りに没頭している。


(どうして、こんなにも目が離せない?)


最初はただの興味だった。

孤独な聖堂で祈り続ける天使。彼女の存在は、レイにとって特異なものだった。

だが、観察を続けるうちに、彼はその興味が徐々に変化していくのを感じていた。


白銀の髪がステンドグラス越しの光を受けて淡く輝き、彼女の細やかな息遣い、柔らかな肩の動きさえも、レイの胸に焼き付いていく。まるでその一挙手一投足が、彼の中の何かを呼び覚ましていくようだった。


「セリア……」


名前を呼びたくなる衝動を抑えきれず、彼はそっとその名を口にした。しかし、彼女には届くことはない。

姿を隠しながら見守る彼は、彼女にとって存在しないも同然の存在だった。

それでも、彼女のそばにいることで、彼は奇妙な安らぎを覚えていた。自分がこの聖堂に現れるのは、彼女の祈りを見るためだけではなかったのかもしれない。


(これは、恋というものなのか?)


レイはその問いに答えを見つけられなかった。彼にとって、そんな感情は無縁だったはずだ。

しかし、セリアの存在が彼に生じさせる新たな感情を無視することはできなかった。

祈りを終えたセリアが静かに立ち上がり、聖堂を後にするのを見届けた後も、彼はしばらくその場に立ち尽くしていた。



ーーー


レイはここ数日頻繁に聖堂に訪れていた。

そして、いつも変わらず闇に紛れて彼女が祈る姿を観察していた。


祈りが終わると、セリアは静かに目を閉じた。その姿は儚げで、どこか物悲しげに、ただ石像のように佇むだけだった。

何も知らずに、無意識のまま、ただ祈り続ける。

(こんなにも無防備で、こんなにも孤独だ)


レイは暗闇に紛れながら、彼女へと忍び寄った。その足音すら静寂に消え、影そのもののように。

セリアが微かに振り返り、黄金の瞳が闇に潜む気配を捉えた瞬間、レイの胸が高鳴る。彼女の眼差しが一瞬でも自分に向けられたことに、抗えない熱が体を駆け巡った。

しかし、すぐに再び祈りに戻り、その小さな唇から紡がれる声が聖堂に響く。それでも時間はただ静かに流れていく。

(この場所にいる限り、彼女は救われない。ならば――)



レイの視線が鋭く光り、手が思わず伸びかける。彼女の華奢な背中、揺れる銀髪、静かに上下する肩。全てが彼を誘い込む罠のようだった。

そんな危うい衝動が胸の内に芽生える。目の前の少女が纏う孤独に満ちた空気と無垢な祈りが、蠱惑的に彼を縛り付けていく。

足音もなく、彼はセリアのすぐ背後に立つ。彼女の祈りに紛れるように息を潜め、その手が触れんばかりの距離まで近づく。そのとき、彼女の淡い香りが鼻をかすめ、彼の中の獣が目を覚ます。

一瞬、彼女を抱き上げてこの場から連れ去る光景が頭を過ぎった。セリアの柔らかな体が腕の中に収まり、驚きと戸惑いに揺れる瞳を想像する。それを現実にしたいという欲望が、彼の理性を侵食していく。


(君を、ここから連れ出す。どこまでも遠くへ)

彼は心の中で呟き、覚悟を決める。だがその瞬間、彼女の無垢な横顔が再び目に入り、その衝動が一瞬留まる。

「まずは家が必要か……」

低く自分に言い聞かせるように呟きながら、レイは影の中へと戻っていった。けれどその目は、次に彼女を連れ去る時のことを描いている。

――攫うのは、もうすぐだ。

それまで彼女を見守り続けながら、確実にその瞬間を迎えるために準備を整える。セリアの運命は、もう彼の手の中にあった。



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