狂気 32
イルゼはアナーヒターを警戒しながらも、ぬらりと気持ち悪いほどに赤いその手の力を抜き、付着してい血を払い取ろうとする。もちろん、完璧には払い取れることはない。傷口からは止めどなく血があふれているし、もし紙や布でキレイに拭き取っても一分後にはまた真っ赤に染まっていることだろう。
だが、イルゼもそんなのは分かっている。しかし、拳で殴ろうとしたときに血で滑ることがあれば威力は半減してしまう。その可能性を少しでも落とすためには必要で、無駄な行為ではない。
(さて……解き放った魔獣もやられて、私は限界近い。そろそろ撤収の時間だよな。ちッ、私もトーゼツと戦いたかったけど、仕方ない。まっ、結果的に面白かったし良かったかな。でも、もう少しばかり―)
イルゼはダンッ!と強く踏み込み、その脚力で一気にアナーヒターとの距離を縮める。
「楽しませてよ!!!」
彼女は嗤う。
まさに、戦いの中で生きる者。
いいや、戦いの中でしか生きられない者。
それはもはや戦士というもので括っていいものではない。呼ぶのならば戦闘狂である。
だが、狂っていても戦いに関しては一流の者。考えなしに真っすぐ突っ込んでも攻撃は防がれるか、カウンターを喰らってしまうのは目に見えている。
そのため、彼女が最初、アナーヒターに行かず、その足は建物の壁へと向かっていた。
今度は壁を蹴り上げ、高く空中を舞い、道路を挟んで反対側にある建物へと移動。またもや壁を蹴るが今度は強い地面へと滑り込む。
そして、また地面から建物へと……そのように素早い動きで、翻弄するように動く。
しかし、アナーヒターの眼はそのイルゼの動きを完璧に捉え切れている。だがそんなこと、戦いの中でアナーヒターの強さを理解していたイルゼはとっくの前に分かっていた。
だからこそ、思考を変えた。
捉えきれないほどの速度で動くのではない。眼で捉えられたうえで、次の一手が読まれないような動きをすることに思考を変更したのだ。
「……そう来るのね」
アナーヒターは四方八方を警戒し続ける。防御系統の魔術を発動させたい所だが、もう魔力量は三分の一ほど減ってしまっている。イルゼの攻撃を完全に防ぐのであれば絶大レベルの術になってくる。そのため、ここは避けるか。杖でカウンターを取るしかない。
……一体どのタイミングで、どの方向から、どういう形で攻撃してくるのか。
まだ。
……まだまだ。
…………まだ来ない。
警戒するのにも神経が削られる。先ほどまではかなりイルゼを追い詰めていたが、こちらも全く負傷が無いわけじゃない。肉体的にも限界が来ている。
(次のカウンターを当てて、確実に倒す!)
そのように覚悟を決め、ひたすらに待ち続ける。
イルゼはアナーヒターに何度も接近し、何度も距離を取る。攻撃するようなモーションと行ったかと思うと、すぐさまその構えを解いてまたもや距離を取る。
ブラフの動きをされてもアナーヒターは動じない。
そして、その時は突然とやってくる。




