出会い 6
先に動き出したのは、熊型の魔獣であった。
「グルァ!!!!」
それは、人間のように何かを伝えるような声ではなく、また気迫もない音。しかし、弱者からすれば相手を恐怖のどん底に突き落とすような低く、大きな唸りである。
だが、トーゼツはこの程度で怯むことはない。
冷静に魔獣の動きを見ている。焦ることなく、一歩も動かずに、こちらに接近してくるのを待っている。
「ッガァ!!」
大きく両腕を持ち上げ、覆いかぶさるように一気にその爪を降り下ろす。それをトーゼツは完璧に見切っていた。ゆえに、あえてギリギリの所でかわし、爪が体の横を通り過ぎた瞬間、体を翻しながら、回転するかのように二本の剣で軽く切り刻んでいく。
「ッッッ!!!!!!!!」
明らかに、音すらにもなっていない叫び。だが、悲痛と怒りの混じったものであるというのは誰でも理解できるものであった。
そして、赤い短剣で斬り刻まれた箇所の傷口は黒くなっており、焦げているようだ。沸騰した血液が傷口から絶えず流れている。そして、青い短剣によって作られた傷口からは、血が出ることはない。だが、傷口の奥底で何かが固まっているのが見える。
それは、冷たく凝固された血液であった。
(この二つのただの剣じゃない。赤い方には熱系の、青い方には冷系の中級魔術が事前にかけられている。それに使用者の魔力消費がないうえに威力、効力もそれなりだ。だけど深い一撃は入らないし、使用すらタイミングが限られてくるな……)
使用タイミングに関しては仕方のないことでもある。
どんな武器も万能ではない。
剣や槍は接近しないと攻撃が入らないし、逆に弓は接近されると危険だ。ゆえに武器というのは長所、短所をどれだけ理解しているかで使用者の戦士としての優秀さが分かるというものだ。
そしてトーゼツはさらに、二撃、三撃とダメージを与えていく。
(よし、上手くダメージを与えられているみたいだが……)
このまま素早く攻撃を続けても良いのだが、さすがに一発でも相手からの攻撃を貰えばアウトの戦いでそれは危険すぎる。一旦、様子見もかねて距離を取るのが良いだろう。
そうして、トーゼツは上手くバックステップで下がり、相手の行動を全体的に確認する。
魔獣は再び傷口を癒そうとしているがどうやら手こずっているようだ。
(熱と冷、二つ真逆の攻撃を喰らってるんだ。簡単に治癒はできんだろうよ。さらに斬られた箇所は焼いて治癒を困難にさせている。冷の方は傷口に凍った血がめり込んでるんだ。上手く治癒魔術が作用するはずがない。ここから一気に叩く!!)
トーゼツは魔力で肉体能力を向上させ、一気に魔物との距離を再び詰める。
魔獣は治癒を後回しにするように考えたようで、爪での攻撃を行ってくる。だが、先ほどのような大振りの一撃ではなく、ちょこまかと動くトーゼツに合わせるように、軽い攻撃を繰り出していく。だが、その巨体ゆえに、後ろに回り込めばその攻撃は当たらないうえ、治癒困難な傷によって動きも鈍っている。
そして、避けながらもトーゼツは適格に攻撃も当てていく。
「グルァァァァァl!!!」
攻撃も当たらない、動きも捕捉できない。のに、相手の攻撃は確実に当たる。そんな最悪な状況を打開しようにも獣として本能だけでは解決できない。頭脳を駆使しようにも、狂気状態ということもあって、決して賢い動きにはならない。
(さて、良い具合にダメージが入って来たな。そろそろ、次の段階へと行くか!)
このまま行っても、ダメージを与えられても致命傷にはならない。倒すまでにはいかないだろう。だからこそ、ちょこちょこダメージを与える作戦から、百八十度、路線を変更して深い一撃を与える方針へとする必要がある。
トーゼツは二本の刀を捨てると、右手に全魔力を集中させ、素早い正拳突きを魔獣の腹部目掛けて放つ。一体、どれほどの威力だったのだろうか。トーゼツの数倍の巨体を持つその魔獣を、なんと数十メートル後方へと吹き飛ばし、地面に倒れさせる。
「グゥッ!!」
一撃が放たれた箇所には、はっきりとトーゼツの拳の跡が残っている。魔獣は医療知識なんて持ってはいないが、本能で理解していた。身体の重要なものが破壊されている、と。
実際、魔獣の骨はいくつも折れ、砕けている。内臓も一部が破裂しており、致命的な状態へとなっている。きっとここで勝って生き延びても一週間も命は持たないだろう。
だからこそ、せめてこの破壊の衝動を最後まで解き放とうと、立ち上がる。それは本能ではない。災厄の狂気に充てられたからこその、行動であった。
しかし、その間に再びトーゼツは武器を持ち換えていた。
それは、スライムと戦った時に持っていた一本の槍。持ち手の柄頭には雄牛のデザインが施されているものであった。
「中級魔術〈炎纏〉!」
魔法陣が槍を中心に出現し熱が発生、それは空気中の酸素で燃焼を始め、そこから炎が飛び出す。そして、飛び出た炎が槍に纏わりつく。
「中級槍術!」
今度は槍自体に魔力が集まっていく。そこからくるり、と炎を散らしながら槍を一回転させる。その動きはまさに、炎舞と呼ぶのにふさわしいほどの美しさと迫力であった。
足に力を入れ、一気に踏み込み、槍で強い突きを見せる。
「〈一点集中〉!」
魔獣はその槍を右手で薙ぎ払おうとする。爪には魔力が纏われており強化されていた。それは爪の硬さ、鋭さが跳ね上がっており、威力自体もかなり上がっているようであった。
しかしトーゼツの一撃の方が一枚、上手だった。
その爪を突きで破壊、さらに槍は止まることはない。速度も、威力も、全く落ちていない。そして、ドッ!と皮膚を突き破り、肉を斬り裂き、槍は炎と共にその巨体を貫通する。
本来であれば、死んでいてもおかしくは無い。だが魔獣のその目はまだこちらを睨んでいる。
「まだ、まだァ!」
トーゼツはすぐには槍を抜かず、魔術の〈炎纏〉も解かない。歯を食いしばり、自分の何十倍もの体重である獣を持ち上げる。
「中級槍術〈薙ぎ払い〉!」
そして、背負い投げするかのように、持ち上がっているその巨体を思いっきり地面へと向けて投げる。魔獣は頭から真っ逆さまに地面へと強く叩きつけられ、周囲の地面は隕石でも落ちた痕跡であるクレーターのようなくぼみが出来る。
「はぁ、はぁ!」
さすがのトーゼツも、額から汗が滝のように流れ出している。また、持ち上げていた両腕の筋肉は疲労の限界を迎え、ぴくぴくしていた。腰も震え、まさに一歩も動けない、と言う表現が適切だろう。
魔獣も頭から血を流し、肉体が回復していく様子もない。
「っしゃ!勝って見せたぞ!」
そう喜んでいるのも束の間
「……!!!!」
それは、無意識の抵抗。
狂気にまみれた獣の最後の維持。
大きな口を開け、トーゼツを噛み砕こうとする。
「ッ!?」
もう来ない、そのように判断してしまったと同時に、疲労の限界を迎えている。そんな状況でとっさに避けれるはずがない。
(ここで…死―)
覚悟を決めようとしていたその時、トーゼツの背後から何かが飛び出す。
「上級剣術」
現れたのは一人の女。右手に剣、左手には鞘を持ち、今にも抜剣しようとしている。
「〈瞬時断絶〉」
それは、トーゼツでも視認できないほどの高速な動き。唯一、刃を纏っていた魔力の光が線として見えた。だが、確認できたのはそれだけ。
いつ、斬り入り、斬り終わり、鞘へと戻したのだろうか。
気づけば、魔獣は頭から、まるで魚の干物のように真っ二つになって切り裂かれていた。
「大丈夫か、少年よ」
彼女はトーゼツの方へと見る。
それは運命なのか。それとも偶然なのか。もしくは神のいたずらか。
二人はまだ知らないことだ。しかし、これだけは言える。
彼女とトーゼツ、それはお互いにとって、かつてないほどに影響を及ぼし、無視できないほどの存在になる。その初めての出会いになるということを。