戦争開始 7
アナトは言葉が出なかった。
冒険者のほとんどは戦争なんて経験はない。内戦が発生した国の出身や、それこそスヴァルト出身の冒険者であれば、戦争経験をした事はあるだろう。それでも、本当にそれは一部だけだ。
そして、冒険者は正義の組織であり、冒険者ギルドに在籍している者たちはそれを信じている。もちろん、正義というのは簡単じゃない。立場によって意味は変わるし、在り方も人それぞれだ。しかし、魔物を狩り、犯罪者を捕縛し、治安を維持する冒険者は決して悪と呼ばれる事はない。
しかし、今回は違う。
明確にメイガス・ユニオンという組織を崩壊させるために戦争を行う。
冒険者ギルド連合に加盟している国であれば我々は正義かもしれない。しかし、セレシアからすれば明らかに冒険者ギルド側が悪だろう。
そして、相手は魔物でも、犯罪者でもない。
魔術師であり、エルフであり……彼らもまた祖国や家族のために戦う人間だ。
アナトも頭の中では理解しているつもりだった。彼女だって、任務によっては紛争地域に出向く事だって多くあった。その悲惨さを彼女自身、見てきたつもりだった。だが、それでも心の中ではまだ第三者としての気持ちがあったのだろう。自分とは関係のない争いだ、同情する必要もなければ、踏み込む事もしない。ただ、与えられた任務をこなすだけだ、と。
だからこそ、レギンの言葉ひとつひとつが、アナトの心に押しかかる。
これで良いのか。
自分は大きな過ちを犯したのではないか。
メイガス・ユニオンに戦いを挑むのは正しいことなのか。
彼女は頭の中で一気に、たくさんの不安が流れ込む。
「……」
そのアナトの様子を見て、レギンはしばらく考えたのちに、その口を開く。
「まぁ、なんだ。今でこそ俺は国では英雄扱いを受けているが、実際は自分が生き残るために多くの同胞を見捨てた上に、セレシア兵を敵だからと言い聞かせて殺し続けた大量殺人犯だ」
「今も生ぬるい血の感覚が離れん。それは生き残った同胞たちと居ても……守り抜いたかつて愛した人に触れても……もう彼ら彼女らの体温が分からないほど……俺の手は汚れてしまったんだよ」
レギンは自分の手を眺める。そうだ、俺はこの手でいくつもの命を奪ってきた。自分は勲章を授かり、栄光を手にした。しかし、その手は同時に真っ赤に染まっている。
「だが、アンタは──アナト・サンキライは違うだろ?これまでアンタは人世界を守るために戦ってきた。ドラゴンやグリフォンといった魔物から、神代から恐れられてきた厄災まで、多くの化け物を討伐し、人々を救ってきた。俺とは違い、アンタが栄光を手にしたその時の手は綺麗なモノだったんだ。そんなアンタが今回、戦争をするしかないと考えた。だったら、もうそれしか手段はなかったんだよ」
「……レギン殿がそう言ってくるのなら、私も自信が持てるよ」
「そりゃあ、良かった」
お互い、英雄と呼ばれ、しかしながら人並に心の中に不安やストレスを抱えている者同士。だからこそ、ここで自分の気持ちを少し晴らすことが出来たことで、その表情はとても柔らかいモノになっていた。




