ヌルヌルぬめぬめの少女
「採れたての野菜のサラダ、おいしいね」
何てことない朝食のある一言。眼の前の褐色肌の少女が野菜を前にした一場面。
「よく農薬?を使う場所が多くて危ないらしいけどここら辺のお野菜は健康的。味もいい」
彼女はドレッシングもなしにオーガニックのキャベツを食べている。眼の前に配膳された魚や米に目もくれず淡々と野菜、特に山盛りの生野菜を食していた。
パリパリと心地のいい音と共に次々と吸い込まれていく野菜は遂に全て彼女の腹へと入る。
「ごちそうさまでした」
食事の終わりに彼女は席を立つと粘液を歩いた後に残しながら朝のシャワーを浴びに風呂場へと向かった。寝起きで整えられていない髪から滴る粘液が床を汚していく。
食後の皿に残った物は何もない。僕は皿を片付けながら水に濡れた雑巾で彼女の粘液を拭きとるのだ。
ここまで記せば分かるだろう。彼女は人間ではない。人型と化した動物、「アニマ」だ。
ーーー
「2XXX年、地球では動物が人の姿となる原因不明の病が世界中で発生した。未だに調査は続くものの多くは解明されていない。
だが一応は人の姿を成している彼らだからか日本では初の国内での発生例からわずか数年で法律が制定され現在では人と動物の奇妙な共存が日常的となった。
彼らの通称はアニマ、人に元の動物の特徴を残した新たな生物だ。猫なら猫耳と尻尾、蛇やトカゲなら鱗がと種類は多岐にわたる……」
……本当にどうしてこうなった。アニマの発生を堺に随分と内容が様変わりした。非現実としか思えない参考書を閉じてベッドに身を投げる。
大学の課題として出された要約のレポートをついさっきまで書いていた。しかしどんな話題でも最近の社会についての話となると気が滅入る。現実離れ、というか大の大人の議題として余りにも受け入れ難く、いつも馬鹿らしい事この上ない。しかもこんな馬鹿馬鹿しい光景が僕が産まれる前から日常だったのだ。
人は人、動物は動物、それでいいではないか。何が好き好んでアニメや漫画のような獣耳について論じなければならないのか。如何せん世間とは不思議である。
課題を止め動画サイトを適当に開いた。ランキングに流れる動画では人の姿のネコが動物の猫を可愛がり、SNSでも獣耳や尻尾が生える人を見かけない日はない。むしろSNSという媒体の性質か個性の出やすいアニマというものは人間よりもよく見かける。僕は流れてきた投稿を数回更新した後スマホを閉じため息をつく。
「……お腹空いた」
しかしいつまでもこうして不貞腐れている暇はない。思えばもう午後5時だ。気分転換も兼ねてそろそろ夕食の買い出しにでも向おう。
ー--
財布を持ちアパートを出る。スーパーまでの道中でもかつて犬や猫だったアニマが平然と人に溶けるように闊歩している。漫画のような光景が広がるも目を逸らし速歩きで目的のスーパーへと入る。
今日の夕食はどうしようか。恥ずかしながら僕は料理は苦手だ。しかし息抜きのためにいつもは炒めるだけの料理よりも多少手の込んだ物が好ましい。適当に料理サイトを漁ってみるとロールキャベツのレシピが目に入った。よし、数年食べてもないし今日はこれにしよう。
ひき肉とキャベツ含め野菜類、コンソメを買い家に帰る。キッチンに袋を置いて調理を始めよう。
そう思った瞬間に友人からの電話がかかってきた。週末の遊びのお誘いらしい。一度メモを取る為に食材を放置したままキッチンを去った。
だが、これが後に大きな後悔を生むこととなった。
ーーー
20分して友人とのお誘いの話に整理がついた。最近遊びにも行っていないせいで会話が思ったより弾んでしまった。気を取り直して夕食の調理をしよう、そう意気込んで扉に手をかけると
「…………」ゴソゴソ
扉の先に誰かがいる。明らかに誰かの気配だ。強盗か、いやなら態々キッチンなんて来る前にもっと別の場所を当たる筈。僕は携帯で110番を入力だけして分厚い本を片手に持つ。
音に気をつけてそっと扉を開けた。相手はこちらに気づいていない。あとはせめて相手がどのような人物だか分かれば……
「誰……?」
「んぅ?」クルリ
見知らぬ少女が僕に気付いて振り返る。体格は小さく小学生程度、しかし出るところが出ている非常に発育がいい事から実際はある程度の年齢だとは予想できる。
髪は光沢を持ち全体的に水に濡れたように湿っている。目は黄色く顔立ちは幼く肌は褐色、そして全体的にどこか少し気怠そうな雰囲気を感じる。
服装はフード付きの薄橙パーカーのみ、その下に何も来ている様子はなく下半身も特に何も服は見られない。背中側には濃い茶色の筋が何本か入っている。
そしてなにより目を引くのは頭部、それと臀部から生える尻尾だ。頭部からは短い2本の触覚が生えていて伸び縮みし揺れ動く。臀部も軟体動物の体に似た見た目の湿った尻尾が生えていた。
もしかして都合のいいタイミングでアニマとなったのか?疑問に思いつつ下に視線を向けると足元には半分がキャベツが転がっている。
「あなたは、誰?」
「……草加 葵」
「くさか?ふーん、そっかー」
僕は何も反応を返すことができない。僕としては彼女の名前のほうが知りたいところなのだけど。
「君の名前は?」
「あれ、私ってなんだっけ?どこかおかしいような……ねえ、私って何?適当に決めてくれる?」
「え、ええ!?」
彼女はなんと自身の命名を任せてきた。彼女自身がどの動物かも知らないのに、しかも初対面でだ。困ることこの上ない。
「ち、ちょっと待ってもらえる?今僕も状況を飲み込めてなくて」
彼女にその場で留まってもらってスマホを取る。こういう場合はまずは有志が作ったアニマの元動物検索サイトが便利だとどこかで聞いた。サイトを開いて簡単な特徴、例えば獣耳やウロコの有無、性格面、見た目等々をサイトの説明通り設定し検索にかける。
「えーっと……粘液を分泌しかつ活動的な傾向が見られない。その上で水に関する外見的特徴が乏しい、軟体動物門、腹足網?」
様々な説明を読み込んで最終的に出てきた結果にたどり着く。彼女の正体は「なめくじ」のアニマであった。
「どうしたの?」
「ひっう!?」
後ろから彼女がスマホを覗く。僕は虫は得意ではない。頭ではアニマは人と同じだと分かっている。だけど元がキャベツに付着していた物だと知るとどうにも不快なのだ。
「どうしたの?鳥でもいたの?」
「い、いや、粘液まみれだから触って欲しくなくて」
「えー、これ気持ちいいよ?」
すると彼女は後ろから僕に抱きついた。アニマと化した動物には元生物そのものの危険以外の危険はない。しかしヌルヌルして、体温よりも少しだけ冷たい液体は背中に不快な感覚を与える。
「ひゃあっ!ちょ、離れて!」
「んー、やっぱ人間の方が温かいね」スリスリヌルヌル
「やめてくれ!!」
振りほどこうと力を入れると案外簡単に剥がれてくれた。だが、同時に粘液が滑り、彼女が僕にのしかかる形で床に倒れる。
「うわぁ!?あ、ごめん……」
僕は咄嵯に謝る。しかし、その言葉は途中で途切れた。
「あれ、すごい。ここバクバク鳴ってる。どうしたのかな?」
彼女は僕の胸の上に乗っかりながら言った。彼女の身震い一つ一つが豊満な胸を滑らせ、僕の鼓動をさらに加速させる。
「こ、これは、君が急に動くからだろ」
「ん~?私は別に動いてなんかいないよ?草加が勝手に動いたんじゃん」
「そ、それより早退いて!あと服も濡れてるから洗濯しようよ!」
僕がそう言うとゆっくりとパーカーを脱ぎ始める。薄橙の下から艶やかな肌が現れる。違う、そうじゃないから!今それを床に置くと駄目だからお風呂場で!
「ええー注文がおおいよー」
グチグチ文句を言う彼女を無理やり風呂場に押し込んだ。操作方法も簡単に教えたからきっと大丈夫だ。彼女の服を選択しようと手に取ると大変に何かで濡れている。しかし匂いはせず、何となくソレ用の潤滑液のような印象を受けた。
「はぁ……これは酷いことになるな」
シャワーの水音が聞こえる横手僕はこれからの事を考える。
「法律じゃ仕方ないとはいえ納得できないよ……」
ところで疑問に思ったことはないだろうか。アニマは全く予測できないタイミングで誕生する。なら個体の発見とその後の彼女らの社会権利をどうするのか。
僕のケースの場合、正解は「発見者が責任を持って支える」、一応一人に付きかなりの給付金を国から支給されるから近年の少子高齢化の影響もあって好評だ。多くは家庭内で飼っていたペットが多く問題にならないのだ。
だが極稀に僕のようになんの関係もない動物がアニマと化す瞬間と対面する場合もあるのだ。その場合も勿論ペットと同様に飼う責任が発生する。
手を洗いスマホで手続きを調べる。ネットで申請できるらしく記入事項を調べるのに少し手こずる以外は出来ないことはない。
「(せめてこれ以上悪化しないことを今は祈ろう)」
不快に滑りどこか掴みどころのない彼女はまさに蛞蝓、濡れた服を洗剤を混ぜたぬるま湯に漬けながら僕は一人この先を憂うのであった。