クールで乙女な公爵令嬢は、婚約破棄してくる暴君に革命を
「クラリッサ、お前を逮捕する!」
聖女の息子、王太子ガリウス様は、私にそう言った。
王宮の舞踏会に集まった、大勢の人たちの面前で。
「逮捕……」
公爵令嬢として私は、眼鏡をかけ直して、冷静に応じる。
「大臣の娘、あなたの婚約者である私を?」
「そうだ。よってお前との婚約も破棄だ!」
王太子ガリウス。
聖女でいらっしゃる女王様から聖なる加護を受け継いで、百人斬り、ドラゴン殺しを成し遂げてきた英雄。
彼との婚約が決まって、まだ乙女だった私は大喜びしたものだ。
国の舵取りができるぐらい、彼にふさわしい女になろうと日頃から勉学に励み、無駄に伸びる身長を気にしてきた。
そんなもの、今となっては遠い昔。
「……もう一度、言ってくれませんか?」
「なんだ。寝たきりの老婆みたいに、よく聞こえなかったのか。それともやっぱりローラの言うとおり、その無駄にデカくなった身体を男どもに振りまいてきたせいで、随分と脳みそが鈍くなったみたいだな」
皆の前で、ガリウスは嬉しそうにあざ笑って、指先を私に突きつける。
婚約者である私を、辱めるために。
「いいか。聖女の息子である俺が、もう一度言ってやるからよく聞けよ。お前を逮捕するから、お前との婚約をゴミのように捨ててやると言ったんだよ!!」
そう、この通り。
ガリウス様は、暴力と弱い者いじめが大好きな、どうしようもない暴君だった。
皆が見ている前で、昔からいじめられ続けてきて、心の中にいる乙女の私は、「いや、こんなのいや。こんなことしないで……」と泣かずにはいられない。
乙女の私は、ガリウス様が怖くてたまらなかった。
「……わけがわかりません」
もちろん、そんな姿は晒さない。
「ガリウス様、いかなる理由があって、私を逮捕するというのですか」
ガリウスに対して、毅然と振る舞う。
そうだとも。あんな姿など、二度と見せてやるものか。
今の私には、守りたい人がいるのだから。
「皆にも納得できるように説明してください」
「とぼける気か。だったらお望み通り、皆の前で説明してやるよ。ローラ!」
「ええ」
男爵令嬢のローラが、私の前に出てくる。
露出の多い彼女のドレスは、舞踏会のこの場ではあまりにも異様だった。
「とぼけても無駄よ。調べはついてるのよ、クラリッサ。あんたが毎晩毎晩、貴族、商人、平民、身分問わず、男どもの家を遊び回って、汚い不倫を繰り返してきたことはね!」
ガリウスの昔からの愛人ローラ。
彼と一緒に、私を散々痛めつけ、辱め、泣かしてきた、いじめっ娘。
いつものように、くだらないことをでっち上げ、ガリウスと二人で笑っている。
「しかも女王様に浮気がバレそうになったから、彼らと共謀して、女王陛下毒殺までやってしまっただなんて、あきれて物も言えないわ!」
ガリウスと共謀して、私の父を毒殺し、同じように女王陛下に毒を飲ませて寝たきりにさせているのは、あなただろうに。
そう、ガリウスとローラは、女王陛下暗殺と母殺しも辞さない。
心の中の乙女の私は、余りの怒りで泣きながら身体を震わせている。
「証拠も上がってるわ。既に騎士団に提出済みよ。残念だったわね、クラリッサ」
私の背後から、騎士団長と衛兵たちが迷いながら近づいてくる。
「……クラリッサ様」
私に話しかけた、騎士団長の声は震えていた。
そう、暴君ガリウスには、誰も逆らえない。
「……なるほど。逮捕と婚約破棄について理由はわかりました」
私の方にも、決定的な証拠はある。
とはいえ、王太子でもあるガリウスを捕らえることは極めて難しい。
ガリウスは、聖女の加護を受け継いだ息子。
後ろにいる騎士団長と衛兵が束になっても勝てない、最強の剣士なのだから。
「ですが、ガリウス様……もう一つ、伺ってもよろしいですか?」
だから私は、貴族、商人、平民の元を回って、準備をしてきた。
「なんだ、言ってみろ!」
「私の代わりとなる婚約者は……もう決めてあるのですか?」
「そうだ。もう決めてある!!」
ガリウスは、そばにずっと立っていた黒髪の少女を乱暴に抱き寄せた。
「今から、お前の可愛い妹アンナが、俺の新しい婚約者だ!!」
私の年が離れた可愛い妹のアンナ。
私の可愛い第二王子が想いを寄せる人。
十年も知らず農村で育ち、母を失ったばかりの妹を、父が引き取った。
妾の娘だと知った時は、あきれたものだった。
しかも公爵令嬢である私を「お姉さま」ではなく「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と村娘丸出しで慕ってくるどころか、私の婚約者に想いを寄せるのですもの。
だけど彼女は、昔の私によく似ていた。
たとえ叶わぬ恋だろうと、彼のためにあんなに努力して。
だから私は、姉として教えてあげた。
がんばる妹を、美しい公爵令嬢にするために。
村にいた頃と変わらないあなたの笑顔に、婚約者に虐げられ続けてきた乙女の私の心は、どれだけ救われてきたことだろう。
それなのに……あなたが好きな人を”暴君”だなんて言って、ごめんね。
「どうだ、クラリッサ! 妹が幸せになれてお前も幸せだろう!?」
「……お姉さま」
王太子に抱かれている今のアンナは、恐怖と困惑で震えている。
私に、助けを求めている。
――安心して、アンナ。絶対にお姉ちゃんと彼が、助けてあげるから。
「アンナを新しい婚約者に……本気ですか?」
私は、王太子に言い返す。
「アンナは、あなたの弟君である……エドマンド様の婚約者になる予定だったはずですよ?」
「何を言うんだ、クラリッサ。エドマンドは、母上に追放されたはずだろ?」
「いいえ、エドマンド様は……いつか必ず帰ってきます」
私の可愛いエドマンド。
私が教育係を引き受けた教え子。
幼い頃から怖がりの泣き虫で、偉大なお母様やお兄様のように剣を振るうこともまともにできず、いつも私の手を焼かせたものだ。
エドマンドは、ガリウス様にひどいいじめを受けていた。
婚約者の本性を知ったのは、その時がきっかけ。
女王様とお父様にかけ合って引き離していなければ、どうなっていただろう。
その結果、ガリウス様のいじめの矛先は私に向けられて、彼の暴君としての本性を何度も味わわされ、泣き続ける日々を過ごすことになった。
けど、女王様とお父様に知られるわけにも、後悔するわけにもいかない。
エドマンドを守るためですもの。
成長したエドマンドは、同じ歳のアンナに一目惚れして、私に彼女を振り向かせるためにはどうすればいいのかと聞きに来る。
私の妹は、彼の兄の方が好きだったとしても。
私は、「お兄様に負けない男にならないといけません」と厳しく助言した。
エドマンドは一大決心すると、剣術、座学、帝王学と学ぶべきことは何でも学ぼうと、血の滲むような努力を続けた。
気が弱かった少年が、男らしくなったのだ。
彼が成長する度、彼の向けてくれる笑顔が、私を幸せにしてくれた。
――彼が婚約者だったら、どんなによかっただろう。
その頃だった。
暴君の本性に気づいたアンナが、エドマンドの方に惹かれ始めたのも。
彼は王子、妹は庶子。
私が、アンナを美しい公爵令嬢に育てたのは、そのためでもあった。
今ならば、二人の結婚は許される。
二人の幸せのために、私は奔走した。
エドマンドが妹の方を振り向く度、乙女の私はつらかったとしても――。
「エドマンド様の許しも得ず、アンナを婚約者にするなんて……内乱の火種にもなりかねませんよ?」
「そうさ、クラリッサ」
私の問いに、ガリウスは、ローラと一緒に今夜一番の嘲笑を見せる。
「俺が、お前との婚約を破棄し、アンナを新しい婚約者にするのも、エドマンドが一番の理由さ!」
「……えっ?」
私は、戸惑いを見せた。
「どういうことですか?」
「お前が男どもの家を回っていた一番の目的は、浮気と母上暗殺のためじゃない。俺に対する革命のためだろう!!?」
し、知られていた!? と、私は驚愕する表情を見せる。
「な、なんのことですか!?」
「今度こそ、とぼけても無駄さ。暴君である俺に耐えかねたお前は、想いを同じとする奴らと徒党を組んで、俺を倒すための革命を……未来の国王になる俺に対する反逆を企てていたんだろ。第二王子エドマンドを旗頭にすることでなあ!」
ガリウスの言うとおり、公爵令嬢である私は、革命を企てていた。
伯爵家、侯爵家、商人と平民たち、王太子ガリウスの横暴と彼が国王になった後にやって来る圧政を未然に防ぎ、王国を救うために。
次の王を、第二王子エドマンドにすることで。
――乙女の私にとっては、エドマンドとアンナを救うためだった。
「残念だったな。既にお前の同志には、俺の騎士団と衛兵たちを差し向けてある!
奴らを一斉に逮捕するために……。そしてクラリッサ、これが婚約破棄の一番の理由だよ。革命の首謀者であるお前を、国家反逆罪の容疑で逮捕するためさ!!」
ガリウスが叫んで、アンナと周りの人たちが衝撃と驚愕でどよめく。
「ああ、楽しみね。囚人になったあなたを、どんなふうにしてやろうかしら……」
ローラは楽しそうに笑い――乙女の私をブルブルと震わせる。
「……エドマンド様には?」
現実の私は、冷静に聞き返した。
「エドマンド様には、誰を差し向けたのですか?」
「……暗殺者十人」
ガリウスは、弟殺しについてさぞや楽しそうに語った。
「最高の腕を持つ暗殺者十人を、差し向けてやったぜ。お前の家から没収した金で雇ってな!」
それを聞いた私は、今にも腰が抜けて、泣き出しそうになる。
ちょうど、今アンナが浮かべている表情でだ。
エドマンドが殺されるだなんて、私たち姉妹には耐えられない。
「どうだ、悔しいだろう、クラリッサ!?」
「……いいえ。エドマンドは、帰ってきます」
けど、私は胸を張って、毅然と答える。
「そしてガリウス、女王暗殺を行ったあなたの企みも、今夜で終わりです!」
「……あっ?」
私の答えに、周りの者たちみんなが驚く。
「あなたが、私たち革命派の企みを知ることができたのは、私がわざと情報を漏らしたからです。あなたの手下たちを誘き寄せて、一斉に捕らえるためにね」
ガリウスとローラは目を丸くするばかりで、何も言い返せない。
「お気づきでないようですから教えてあげましょう。暴君であるあなたのせいで、王国の政治は大いに乱れ、何度も存亡の危機を迎えてきました。王国中の人たち皆が、あなたの横暴を嫌がっています」
「……なんだと」
「あなたの本来の務めである魔物対策、周辺諸国との関係修復……死んだお父様の代わりとして私が必死に尻拭いをしてこなければ、今頃どうなっていたことか」
「何をバカな……」
「だから王国中の人たちみんなが、あなたの敵であり、私の味方です。革命がほぼ確実に成功するぐらいに。ガリウス様、あなたのお味方は、あなたを利用して美味しい思いをする者だけなのです。そこにいるローラのようにね」
ローラが恐怖し、焦ったガリウスが、周りにいる者たちを見渡す。
アンナ、騎士団長、衛兵、舞踏会の出席者たち、多くの者達が、聖女の息子である彼の強さを恐れながらも、ガリウスに向かって拒絶の眼差しを向けた。
そうして、ガリウスはようやく悟る。
己の立場と、私の言うことが真実だと。
「調子に乗るなあああああーーー!!!」
激怒したガリウスが、抱いていたアンナを突き飛ばし、腰から剣を抜いて、騎士団長と衛兵たち、舞踏会の出席者たち、ローラまで恐怖で震わせる。
もちろん、乙女の私も。
「くだらない陰謀で、調子に乗るんじゃねえ。俺がここで剣を振るって、お前たちを皆殺しにすれば、俺の勝ちなんだよ! 聖女の息子である俺に勝てると思っているのか!?」
「……いいえ、ガリウス」
公爵令嬢である私だけが、落ち着いている。
「百人斬り、ドラゴン殺しを成し遂げたあなたに剣で勝てるだなんて、これっぽちも思っていませんよ」
乙女の私は、早く来て、早く来て、と願い続ける。
「あなたに勝てるのは、あの子だけです」
その時、舞踏会の奥の扉が、勢いよく開かれた。
アンナ、ここにいる皆が驚いて、扉の方を見つめる中、私だけは振り向かず、ガリウスの方を向いて待ち続ける。
堂々と足音を立てて近づいてくるのは、きっとまだ私より背の低い少年だろう。
短い金髪は乱れ、服も傷ついているかもしれないけど、童顔だった顔つきは勇気に溢れ、小柄な身体は力強く引き締まり、右手には剣が握られているはずだ。
近づいてきた少年は、私と肩を並べ、想像通りの素敵な姿を見せてくれる。
「遅くなってごめんなさい」
彼は久しぶりに、声を聞かせてくれた。
「ただいま帰りました。クラリッサ」
「……おかえりなさい、エドマンド」
――本当におかえりなさい。私の可愛いエドマンド。
「……エドマンド!!」
弟の帰還に、ガリウスが激憤する。
「俺が送った暗殺者はどうした!?」
「もちろん返り討ちにしてやりましたよ……。兄上、もはや言葉は不要。あなたに決闘を申し込む!」
実兄に、エドマンドは、悲壮と決死の覚悟で剣を振りかざす。
「いいだろう!」
弟の挑戦を、ガリウスは堂々と受けて立つ。
「クラリッサの前で、お前を八つ裂きにして、誰が未来の国王なのか証明してくれる!!」
舞踏会の真ん中で、王子同士の決闘が始まろうとしていた。
私が黙って、見届けようとしている前で。
時間は、あっという間に過ぎ去った。
次の瞬間、突撃した両者が稲妻のように交差して、
「くっ……」
エドマンドが肩を剣で裂かれて、剣を握りしめたまま膝をついた。
私の胸は張り裂けそうになって、今すぐ駆け寄りたい想いを必死にこらえる。
「エドマンド!」
代わりにアンナが駆け寄って、彼に手をかけて、私の胸はさらに抉られた。
「……大丈夫」
エドマンドの元気な声が聞けて、どれだけ安心したことか。
ああ、私、やっぱり、エドマンドのことが――。
私は、涙が出そうな目元をキッと鋭くし、倒れそうな身体を奮い起こして、エドマンドとアンナを見守り続ける。
そんな私たちに、立っているガリウスは勝利を確信した。
「どうだ、これが俺の…………がはっ!?」
しかしすぐに剣を落とし、脇腹を苦しそうに抑えて、片手と片ひざをついた。
「ガ、ガリウス!?」
ローラが驚愕し、その場に立ち尽くす。愛人の元に駆け寄ろうともしない。
物凄く速かったけど、私は見逃さなかった。
ガリウスの剣が弟の肩を裂くよりもずっと速く、エドマンドの剣が兄の脇腹に深く叩き込まれたのだ。
エドマンドはアンナの前でがんばって立ち上がって振り返ると、激痛で立つことができないガリウスの眼前に、剣の先を突きつける。
「兄上、僕の勝利です」
私は思わず、胸元で両手を組んでしまった。
ガリウスは、信じられない表情を浮かべる。
「バ、バカな……聖女の息子であるこの俺が……エドマンドごときに!?」
「そうです。エドマンド様には表向きは追放と偽って諸国を旅してもらい、優れた師に教えを乞い、危険な戦いに身を投じて、己の剣を磨いていただきました。あなたに勝つために」
冷静に戻った私は、ガリウスとエドマンドのそばに歩いて行って、こうなった理由を告げる。
「なんだとー!?」
「エドマンド様は、あなたと同じく聖女の息子。あなたに負けないぐらいの才能と、あなたを超えたいという非常に強い想いがありましたから。全ては、今日この時のためです」
彼が旅をしている間、どれだけ心配だったことか。
「クラリッサ……貴様の差し金かああーー!!」
「いいえ、ガリウス。彼の旅を計画し、師となる御人を紹介したのは、確かに私ですが、あなたに勝利したのは、私ではありません。エドマンド様です」
私は、今の想いを表に出さず告げる。
そう。私の愛するエドマンドが、勝ってくれたのだと。
ガリウスは、余りの悔しさで顔を歪ませるが、立てない。
愛人のローラは、どうするかもわからずオロオロするばかりだ。
舞踏会の出席者からは、歓声が上がる。
「……クラリッサ」
エドマンドは、私の方を向く。
「僕のこの勝利を、あなたに捧げます」
「……ありがたく、受け取りましょう」
私はとてもうれしかったけど、無表情で応じた。
「騎士団長、衛兵!」
「「はっ、なんでありましょうか。クラリッサ様!?」」
そして大声を出して、団長と衛兵たちに大声で呼びかけた。
「ガリウス王太子とエドマンド王子、一騎討ちで勝利したのはどちらですか?」
「「はっ! 勇敢なるエドマンド様であります!」」
「女王陛下の後継者、未来の国王にふさわしいのは、どちらですか?」
「「はっ! お優しいエドマンド様であります!」」
「ええ、そのとおりです」
答えてくれた騎士団長たちに、私は微笑んだ。
それから表情をクールに変えて、彼に呼びかける。
「エドマンド様、ご命令を」
エドマンドは、私にうなずいた。
「騎士団長! 衛兵!」
「「はっ!!」」
「女王暗殺を企てた王太子ガリウスと愛人ローラを、国家反逆罪で捕らえよ!!」
「「心得ました! 未来の国王陛下!!」」
衛兵たちが、ガリウスとローラを捕らえる。
「エドマンドーー!! クラリッサーー!!」
「何、何するの。離しなさい、離しなさいよ!」
「待て! 待て! 離せええー!」
ガリウスとローラは叫び続けるが、衛兵たちに為す術なく、城の地下にある牢屋に引きずられて行く。
「ガリウス! 何とかしなさいよー!!」
「俺は、王太子だぞー! この国の未来を築く国王だぞおおーー!!」
婚約者とその愛人は、ようやく姿を消した。
私は安心して、息を吐く。乙女の私を怯えさせることは、二度とないだろう。
そして私の前に立つエドマンドに、アンナが駆け寄った。
二人は、切なそうに見つめ合う。
未来の国王夫妻の誕生だ。
二人とも、うれしくてたまらないはず。
邪魔者はもういない。ずっと想いを寄せてきた人とやっと結ばれるのだから。
――よかったわね、二人とも。
――これからも、私がしっかりと支えてあげますからね。
私は、心からの祝福を送った。
たとえ、乙女の私が泣きそうになっていたとしても。
――さようなら。私の本当の初恋。
私は微笑みながら、二人を見ていた。
すると、心が落ち着いてきてから、気づいて、驚かされることになる。
アンナとエドマンド。恋人同士であるはずの二人の間にあったものが、ようやく結ばれるものではなくて、何か理由があって別れるものだったからだ。
「アンナ……」
「わかってる……。エドマンド、自分の気持ちに正直になって」
「……ごめん」
「だいじょぶ。私はだいじょぶだから。どうかお願いね」
二人は、何を言っているの?
私が理解できないでいると、アンナがエドマンドから私の方を振り向く。
「ほら、お姉さまも……。譲ってあげるんだから、自分の気持ちに素直になって」
「……えっ?」
譲ってあげる? 私は訳がわからなかった。
「ちょっと、アンナ。何を言って……?」
「本当に、悔しんだからね……。さあ、エドマンド」
「クラリッサ……」
戸惑う私の前に、エドマンドが進み出てくる。
私が呆然となると、彼は片膝をついて、私に右手を伸ばした。
まるで一人の騎士が、貴婦人に愛を告白するかのように。
「……エドマンド?」
「お願いします……。僕と、結婚してください!」
本当に私は、彼が何を言っているのかわからなかった。
「な……、なにを言ってるのですか、陛下?」
「確かに僕は、初めはアンナが好きでした。ですがいつの間にか僕の心は、支えてくれたあなたに……。そうです。僕は、あなたを愛しています!」
「……わ、わたくしを?」
「はい! あなたを、心の底から愛しています! いつまでも、僕のそばにいてください!」
わ、私は、頭がクラクラして、足元がふらつきそうになる。
「わ、私は……あなたよりずっと年上ですよ?」
「知っています」
「背丈も、ずっと高いですし……?」
「近いうちに追い抜きます。一生そのままでも構わない!」
私は、自分の欠点を言い続けた。
私なんて、彼にふわしくないと思っていたから。
「……しかも、小言の多い女です」
「諫言は、玉座につく者として、ありがたきもの」
「部屋の中でも、宮廷でも、くどくど言ってしまうのではないでしょうか?」
「あなたは、王妃として誰よりもふさわしい」
それなのにエドマンドは、ありのままの私を受け入れようとしてくれている。
「わ、私は、あなたを利用して、お兄様を陥れました!」
「僕たちのために、やってくれたことではありませんか!」
「……せっかく王様になれるのに、こんなふうに言われますよ。年増の性悪女の尻に敷かれる若輩者だって」
「望むところ。僕はまだまだ未熟。もっと男を磨いて、世界一賢くて、美して、優しいあなたを幸せにしてみせます。だからクラリッサ、もう自分をそんなふうに言わないで!」
私はもうたまらなくなって、真っ赤な顔を、妹の方に振り向かせた。
胸が破裂しそうで、身体中が熱くてたまらず、瞳から涙が溢れ出しそう。
アンナに申し訳なくて、いいえ、今起きていることが信じられなくて、ここから逃げ出したくて、どうすればいいのかわからない。
暴君に傷つけられたばかりの乙女の私は、怖くて、怖くて、震えていた。
――本当に、受け入れていいの?
情けない私に、アンナは一筋の涙を流しながら、笑顔でうなずいてくれる。
私は、恐る恐る、またエドマンドの方へ向き直った。
「…………本当に?」
「神に誓って」
「…………婚約破棄なんて、しませんよね?」
「しません。決して。あなたは永遠に、僕の妻です」
乙女の私は、もうどうなってしまったんだろう。
現実の私は、ぼうっとなって、愛するエドマンドの手を取ってしまった。
何だか周りが騒いでいる気がするけれど、今の私には何も聞こえない。
「おめでとう……。お姉ちゃん」
はっきりとわかったのは、祝福してくれるアンナの声と、
「かならず、かならず、幸せにします」
私の胸をどこまでもときめかせる、エドマンドの笑顔だけだった。
ああ、もう。私は、乙女ではないのに――。
こんなにつらくて、幸せなのは、初めて――。
――今だけは、乙女のままでもいいわよね。
その後、私は、徐々に受け入れていった。
エドマンドとの愛を。
私のそばで、エドマンドはどんどん大きく、たくましくなっていって、乙女
の私を――ごめんなさい、これ以上は、もう言葉にできないわ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感想、評価をいただけましたら幸いです。