否定せし者
※次回、章最終話です!
「さっさと目覚めよと言っておろうに!! この! この莫迦もの!!」
「あびゃッ!? おび、おきた……もー起きたからぁあ!」
爆ぜるように起きたメテボンニクニに、渾身の頭突きを喰らったマオの額には驚いた幼女の手が押し当てられた。
針で開けた穴を風が通り抜けるみたいな細い悲鳴で悶絶しているとアガレスは混乱するマオに事を話して聞かせた。
「マオ様。メテボンニクニが目を覚ましましたよ」
「醒めるわ。だってこんなになるまで殴られたんだからね!」
真珠をつるりと磨いたような。過分な肉、そして小皺の陰すらない顔についてメテボンニクニは誇りがあった。
不死を持て余し朽ちるだけだった魔女は、自分の姿に自覚などという無駄な行為は切り捨てた性格だったはずだと記憶していたマオは、赤に青、それが混ざった紫色と形もバラバラで岩のように成り果ててしまったメテボンニクニの形相に怒鳴られ面食らった。
「まあまあ、マオだってメテボンニクニさんが目覚めなくて心配だったんです」
「たかが数発の蘇生法を試しただけで腫れる。そんな貧弱な顔面、削いでしまえば?」
「少女ズの辛辣さが傷に沁みるゼ……顔は女の命、年寄りは傷の治りが遅いんだぞ!」
海面に映った自分の泣き顔はそれはもう、叫びたくなる有り様だった。
「待って。そんなに、そこまでして起きなかったの?」
「ええ。お互いとてもぐっすりと」
思わず不安に落ち込み出したメテボンニクニに一同は視線をふり、アガレスだけが嘆息を素直に吐き下した。
「マオ様が彼に再三問い質しても、強情でした」
「ゴーっち……」
メテボンニクニより五分も早く砂浜で目覚めてから、剛は膝に顔を埋め誰とも目を合わせるのを拒んだ。
メテボンニクニが目覚めたからといって、喜びに顔を上げたりなどしない。
「幼女にボコられて、落ち込んで泣くってのが理由ってどうなのさ?」
「そんな理由で丸くなってるんじゃないやい……!」
ぷっ。噴き出したのはサクラだった。
「ゴーっち。もうちょっと鍛えたらどう? 顔筋とか」
言われた剛は、笑いを堪えたメテボンニクニより数えられる痣の量が多かった。
「ともあれ……二人とも大事がなくほっとした。奴に海の彼方へ連れて行かれた時は、どうなったかと焦ったぞ」
「マオ様、膝を突くのは……まだ早いです」
最後に拉致されたメテボンニクニと剛は、突然砂浜に放り捨てられた。落ちた衝撃よりずっと前に気絶していた二人からは精神の干渉を受けた痕跡があった。
酷いほど粗末。杜撰で、口に一言でも、同業とアガレスは口に含みたくもなかった。
代わりに、水平より迫る現状を二人に指し示した。
「あれが現れた原因は、貴方がたなんでしょう。ああ、耳を塞ぐことをおすすめします。〝そろそろ〟くると思いますから」
「そろそろ、そろそろって――」
アガレスが黒翼でマオ、ついでにクラスメイトと首を傾がせた目覚めたばかりの二人を覆った直後、予言は的中した。
轟音。颶風。荒ぶる海そのものが怒りの処遇を如何にすべきか問うたよう。
――それは名指しだった。
『……メテボンニクニメテボンニクニメテボンニクニにぃいいいいい!!!』
「ウチ!?」
「突然、アレが海から姿を現したと思ったら、貴方の名を叫びながら陸に向かって近づき出して。あのニンゲンに、一体なにをしたんですか、貴方たち」
アガレスは呆れ果て、剛も驚く。だがそんな剛が瞼を見開かせてもなお、その全体像は収まらなかった。
一言で表せば、烏賊。見る者に弾力感を覚えさせる表皮に瓢箪型の身体は鰭を生やす。
だが剛の知る烏賊と、実際に今目の前にいたその軟体動物は形状こそ似通った点を具えようと、完璧に別種……別物ではないかと怖気に震え上がった。
「バカ……デカい」
超高層ビルを見上げ驚嘆した時のように、剛は呟いた。
そうである。水平から出現した超大型生物は、直立形態で移動を続け陸に向かってきた。数百とも数千とも、海面に対し自重を支える触腕の総数ときたら、大まかな桁の数も数えられない。
歩を進めるごとに津波が発生、それは進行する生物自身を激しく煽った。巨体が傾くほどの水撃に、反射によるものか皮膚の色が変わる。視覚を持つ生物はその色を全て毒々しいと認識し、マオも目を塞いだ。
『メテボンニクニにぃいいいいいいいいいいい!!!』
花弁状に裂けた軟体度物の端。見える全長は小さくも、一本あればマオの身体であれば擦り潰すのに十分な牙を生やしていた。頭足網と呼ばれる烏賊は、その通り頭の下に吸盤を揃えた触手があって、口となる嘴は触手に包まれている。
となると、実際の口は別で、あの巨大な発声器官は、メテボンニクニへ呪詛を叫ぶためだけにあるのか。
巻き添えを喰らっているマオたちは手で鼓膜を守りながら、なんとかしてくれと頼りの視線を浮かべた。相手はもちろん。
「え、ええ! なんでウチが……!?」
「元はと言えば、私たちを海に連れてきた件も含め貴方が撒いた種では。あのニンゲンだって、貴方に思う感情があって、あんな姿に果てたと、私の目には見えます」
語弊を招くようなことを皆の前で言わないでほしいと、メテボンニクニは猛反論した。
「だから前にも話したけど、あいつらは勝手に憧れて、ウチをつけ回した『キワメン』で」
「せっかく肉体を若返らせたのですから、いい加減……『成長』というものも覚えたらいかがです? ――さあマオ様、びしっと!」
「うぉわビックリ……したぁ。余になにをせよと!?」
ここで自分にお鉢が回ってくるとは露と考えなかったマオにアガレスは言った。
「言うべきことを、言うべき相手に」
「こういう局面は……魔王さまより、アガレスの方が適役と思うウチって、間違ってる?」
マオと向かい合ったメテボンニクニは不服を漏らした。まあこれに関してはマオも同情だった。〈十八冥光〉つまり、メテボンニクニの直属の上司はアガレスだったが。
「メテボンニクニよ。我が貴様を仲間に誘った時、なんといったか、貴様であれば憶えているな?」
「え。まあ……うん。でもそれが?」
しれっと答えたメテボンニクニ。マオは心臓を抜かれたような顔に一瞬だけなった後、確信の笑みに変えた。
「魔王に遭おうと、貴様は変わらなかったな」
「……ううん。変わったの、変えてくれた人がいたの」
変わらないといえば、それはマオの方だ。魔王の目は、人になっても欺けない。
「アガレス、ウチの周りだけでいいから。〈神域固定〉――解除して」
「言われなくても。しかし全く迷惑ですね。自分を見失って、怪物になって八つ当たりする性根とは――マオ様? 私の顔になにかついてます?」
「いえぜんぜん」
マオが政府機関に撃たれた時、巨大化して世界を滅ぼそうとしたアガレスは首を傾げた。
両足を波がさらい、メテボンニクニは潮が引くのを待った。怪物は進行を遅め、周辺は静かと化す。
相対するメテボンニクニを認識できる人としての知性は、変わり果てた巨躯にまだ残滓として残っていると。
「でも、もう覚悟は決めてきたから」
流木と小石、藻草。流れ着いた有機物を砂浜に集め、描いた魔法陣に配置した。
「置換工程実行――〈元典〉12番を〈要素〉118番へ。確立の成功を確認。次に当該機構の生成を検索――現像可能な神話大系……NoS.7231・7232。計算式アテナに基づく最適プロセスを即時――実行する」
ばかな。
これは怪物と化したはずのプレェクラフトから湧く感情だった。人からかけ離れた巨躯へと変貌し、速度、体積と自重に霧散したと本人ですら自覚もまともにできなかった。神の成れ果てに微かにあった、進化前の残り粕。
それを生むのにだって、大海のあらゆる生命力吸い上げ変換した魔力を使い切った。なのに、メテボンニクニが払った犠牲といえば。
魔法陣を描いたぬかるんだ砂と塵がたちまち融合。融け合い。混ざり。
「置換工程終了――射出砲台NoS7232〈ドゥンケルヒューゲル〉顕現」
ただの土くれ、それが黒鉄の砲門へ。
背部のタンクは蓄積された魔力炉で、燃料液へと変換される過程に燃えるような光を放つ。
「なんとかギリできたよー。この世界魔力少なすぎますって!」
銃座に座るメテボンニクニの顔色は、剛の目に映る限り悪かった。精力を吸われたとは違う、極度の集中から解放された脱力感というか。
「ウチの仕事はここまで。ゴーっち……カモーン」
超巨大装置に圧巻された剛は、そこからあれよあれよとメテボンニクニの手で銃座に座らされたのだった。砲台の上は若干の振動で、待機状態にあることを伝えた。
「なんで俺を、ここに?」
「波に流されそうだったから。アガレスもマヂ薄情だよねー」
〈神域固定〉の範囲外にいた剛の身体は、怪物が現れた分、水深が増した海に下半身を沈めていた。
剛を案じているのは、結局は一人だけだった。
「――魔法、使えなくなったはずじゃ」
「使えないよ。魔王さまもアガレスも知っている。ウチには魔力がもうないから」
剛、そしてプレェクラフトも勘違いをしていた。
魔法を起こすに魔力は必要不可欠。しかし、体内に魔力が具わっていないと魔法を起こせないなんてことは、ないのだ。たとえばこの世界の文明だって、エネルギーに必要な作用、その源となる現象を、体内では起こせない。
適切な材料を揃えれば。適切な文言を憶えれば。適切な知識を知っていれば。奇跡を起こせる。
人類は、その域に文明単位でまだ追いついていないだけ。
「これがウチの――〈死定洞子〉メテボンニクニの『権能』。〈リプレイス〉」
奇跡など、ただの過程だった。
「これで、俺にどうしろって……?」
「まずは……ちゃんと使い方をウチに教えさせて」
メテボンニクニにため息をつかれた剛は。
砲門の引き金に、いつの間にかかっていた指を離した。
「見てのとおり、引き金に指をかけると照準が自動で表れる。魔力で合わせるから、素人でも命中させられる。〝狙う〟。゛撃つ〟……そんだけ」
「……俺には、やっぱりむりだ。卑怯だよ」
腰が引ける言い回しを、剛は敢えて重く吐き捨てたが。
「『覚悟は決まっている』。ゴーっちは、ずっとこうなるのを、どこかで待ってたんだよね。ウチと過ごす時間の中で少しずつ」
銃座から立とうとしない剛にメテボンニクニは今もって自覚させた。出逢ったばかりの頃であれば、倫理観を欠いて、もっとよりとぼけたように訊いて怒らせただろう。
「それとも、今度も後悔するつもり? また君がなにもできないせいで、世界が滅んでもいいの」
喪ったが再び取り戻した人の心で、彼を近くで理解したからこそ、より辛辣で感情の乗った質問をメテボンニクニはぶつけた。
過去をふり返った今、いつまでも行動に移そうとしない背中を押したかった。
「俺に人殺しをさせて、なんの魂胆がある……!? こんな力があるって、今まで隠してきたお前が。結局お前は、また世界を滅ぼすんじゃないのか!」
‶人殺し〟という言葉を自分に突きつけ、剛は自らの臆病さを恥じ、罰した。
古平剛――世間一般で『ヲタク』と呼ばれる人種だった少年の、後悔。恐らく、それはこの世界で産まれ生きた以上、誰もが願い呪ったことだろうとメテボンニクニは思った。
「俺だってお前を、ぼんちゃんを……。でも、異世界を信じられないんだ」
剣と魔法のファンタジー世界の実在。特別な力を持った勇者に少年は憧れ、魔王の圧政から救われるヒロインと出逢う、そんな夢に炎を燃やした。しかし。
ヒロインは魔王の将だった。破壊される自分たちの世界を目の前に、異世界に抱いた憧れは復讐と無力感への苛みに変わり、自分が特別だったらと、願望だけが歪に肥大化した。
記憶の鍵を怪物の中で開けられ、剛は思い出した。
「誰も俺なんかに、世界を救うことを、期待していない」
「ウチは期待しているよ。ゴーっち……古平剛は、世界を救える。君がしたいのは臆病な人殺しなんかじゃない。勇敢な行いだ」
「口だけじゃなく、もっと行動で示してくれよ……お前は俺になにをしてくれるんだ!?」
「君に全てをあげる。君のためにウチは『全て』を捨てる」
メテボンニクニは、全員の前で宣言した。
〈十八冥光〉からの脱会。剛にマオが敵対するなら、メテボンニクニが大賢者の力を以て全力で、撃滅に臨む。
「もうウチは、ゴーっちの所有物になった。だから引き金を指に。この銃も、ゴーっちのもの。だれに向けて撃ってもいい。怪物、魔王、世界にだって」
世界を敵に回しても。とは少し異なる。
剛のため、世界を救いたかったと嘆くヲタクのため、元大賢者のギャルは、世界の敵に望んでなった。
光が照準を示す。的の中に侵攻する、剛とメテボンニクニにとっては新しい魔王だった。
二つの指が絞る引き金に、放たれた超濃度の魔力の一閃は、神に成り損ねた男の夢諸共、無へと帰した――。
「ぼんちゃんは、なんで、俺なんかのために」
「ウチが引きこもりだったって話、前にしたよね。そんなウチを唆して、外に連れ出した人が殺し文句で言ったの」
お前の全てを肯定する。人の身で不老不死を得ようとする愚かさ、卓越しても続ける研鑽の功績。
余が、お前を肯定する。
全てを否定から初め他人に強制させてしまう剛にも、圧倒的な、異論を寄せつけないような『肯定』が必要だったのだ。
「ウチを認めてくれるヒトって、どーも癖がつよいんだよなぁ」
「そういうぼんちゃんだって、彼らの真似して、俺を説得したくせに」
「まぁね。でも、ゴーっちはすごいって。ギャルは三千回だって優しくするよ。ウチが出逢ったヲタク君は、不老不死になった大賢者の人生で、たった一度だけ、否定を言った人だから」
『異世界殺しの魔王』にさえ成し得なかった、偉業であった。
メテボンニクニの敬称〈死定洞子〉
=゛死すべき定めの洞にて、『一から了(はじまりから終わりまで)』知る〟子という意味があります。




