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ギャルピ

尿意を覚えトイレに立った古平剛(こだらごう)は、自室のドアノブを握り締めた状態で固まっていた。


へばりつくようにし、床に跪いたその外套(ローブ)は、少年がこれまで嗅いだ経験のない独特の匂いを放っていた。硫黄のようで、また枯れた花が焦げたみたいだった。


外套の膨らみ具合を見るに、中身がいると剛はすぐに判った。生きているかどうか、気配に変化が見られないから想像するのも恐ろしかった。触って確かめれば、掌に移った毒に全身を蝕まれるのではないかと、迂闊な真似はできなかった。


「――ッ!? ……生きて、いるのか」


なんてことだ。剛は心の奥底で嘆息した。

外套を左右で分けた袖口から生えたそれらは、見たところ確かに指だった。白と言うには色は朽ち、乾き切ってしまっていた。


それが左右ともに、爪で床を掻く音をさせた。


「だれ……どうやって、ここに……?」


質問に答えて然るべき闖入者より、剛は夕陽の傾く住宅街の景色を湛えた窓を見た。窓は数日前、母親が掃除に入ったきり鍵が掛けられていた。こうして、剛と遭遇していながら立つこともままならないような奴が、忍び込んだ後で鍵を閉める律儀さがあるとは思えない。


力ずくで割られた痕跡もなかった外界の唯一の出入り口。枠だけ測れば、人一人分の質量が透き通るには十分な面積であった。


まさか。そんな、魔法みたいな。そんなもの、部屋の本棚に仕舞っている漫画とかライトノベルの中にしかなかった。


だが剛は薄気味悪い外套を被るそれが、自分と同じように命を持ったなにかであると知るや否や息を殺し、扉を閉めた。


夕食の支度をしている親に、こいつの存在を知られるわけにはいかないが、ドアの止め金が外枠にはまった音を聞かれ、階段を上ってくるのではないかと不安だった。避難者用に政府が急ごしらえした住居は、我が家ほど安心できなかった。


得体の知れない存在と、部屋で二人っきり。親を想う気持ちが自分の中にあったのがそもそも剛は驚きだった。


魔法が実在し、異世界からの侵略者によって世界が一変する前から、だったのか。


「だ。だれだか知らないが……人んちだ、出て行ってくれ。入ったのは、黙っていてあげるから」


穏便な言葉で注意を引きつつ、机に手を伸ばすと指先にシャーペンが当たりこれを掴み、腰の後ろに隠した。


度々テレビで注意を呼び掛けている――政府から逃亡中の魔王軍の残党だったら、百円で買える文房具で武装しても役に立たない。連中、弾丸すら弾く毛皮に爪のひと振るいで人の身体を両断するらしいではないか。


貧弱そうな見た目に惑わされ、勝てると、心とは別の部分で剛は思っていた。


侵入者は。

メテボンニクニは、見透かしてみた剛が、みすぼらしい見た目で勝てると油断したことについて、後に文句を言っていた。


「……あkw;んげあspくぇ;置いたqaおえ……」

「そ、それは」


まるで嘯くように()かれたのは、言葉ではない。異なる文化を基盤にした概念の集合であり、あらゆる次元の知識が内包されていた。この一言で十も百も宇宙の計り知れない価値がある。


魔女の操る独自言語は、知的生命体であれば、解読できずとも脳は理解できてしまった。


剛の記憶を今覗いているプレェクラフトは、大雑把に言語を聞き取り、原文を解釈できた。


「俺は、人殺しはしない。お前らのような怪物と一緒にするみたいな物言いはやめろ」


〝そこに隠したもので私を殺すのか〟という言語ならざる『質問』に、剛は日本語で反論した。魔力を変換し思考を言語化できるということは当然、その逆も容易である。


口と喉は数百年前の老化で死んで、彼のように感情のまま話すことはできなかった。この時、剛は、対等な会話を拒絶されたと思い込んでいた。


下等な生物と見下す、人外だと目の前の怪物を睨みつけていた。


『君は、我々のようなモノによほど恨みがあるみたいだ。恨みを持っていない生命など、この星にはいないか。安心していい、私は、人のカタチをしてはいるが、人を止めて、もうずいぶんと経ってしまっている。懸念などしなくても、いい……』


跪くようだった姿勢、それが。

回顧するように呟いた途端、剛には、首を自ら差し出すように見えた。


『私はもうね、()るのに、ひどく疲れてしまった。自分では終わらせられないから、今日までずるずると。観測できる知識を余すことなく貪り続けてきた。そのはずが、自分の消し方すら、見つけられなかった』


剛の脳に直接訴えてかけられると、未知の概念が既知の言葉へ勝手に置き換わったが。


なにが言いたいのか、慣れた言葉に代わろうと結局、理解はできなかった。


〝恨みがあるようだから、どうしてもいい〟

そう言われた気がした剛の脳髄はペンを放り捨てさせると、メテボンニクニの胸倉と思しき箇所を全身の力で絞め上げていた。


「――。おまえッ!?」


剛の記憶世界に取り憑いていたプレェクラフトの精神体も、外套の中にあったモノに剛と同じくみじろきを覚えた。


これで――生きていると断言して、天罰が下るのではなかろうか。固まった砂の塊が、辛うじて人の姿を保っている。数百年、数千年と死が巡ってこないとこんなことになるのか。


伝説や神話、賢者の間で語られる空想。

本物の不死を目の当たりにした魂に焼き付けてなお、プレェクラフトは羨望が勝っていた。


秘法を極めたこんな身体に、自分もなってみたかった。


記憶の剛はそんなプレェクラフとは反した行動を取っていた。


「馬鹿にするなよ……。そりゃあ、お前ら魔王軍はみんな見た感じ、長生きして、そんな風になったんだろうけど。俺達、ニンゲンなんて……お前らのような連中から見れば下等生物だよ……」


プレェクラフにとっては知らない光景が火花のようにフラッシュバックした。


魔法の戦火に、彼の知る世界のなにもかもが焼かれて消えた。生まれ育った我が家の懐かしい匂いに、楽しい時、嬉しい時の笑い方。


共通の趣味で互いを知り、学校が休みの日に並走した自転車を本屋やレンタルショップに向かわせ、仲を深めた友達の名前と顔。


思い出そうとしても、鉄と木材が燃える明かり、叫び声と避難所で過ごした沈黙の空気だけしか頭には残っていなかった。


どこまでも苦しくて、熱い記憶が頭痛となって響くなか、剛は思っていた。


剛の体感でも、世界は一瞬で灰になった。破壊と流血に費やされた時間は、奴らにはもっと短いに違いなかった。生きているか、その実感すら湧かなくなった無限の中では。


死すら克服した超常の存在になれば、誰に命を差し出すのかまで自由に決められる。見ず知らずは敵に殺されてもいいと思えるくらい、十分に生き果てたなら。


これだけの力を示したのだ、魔王軍の生き残りでも相当の人物なのは確かだ。追手に引き渡せば報奨金を弾んでくれる。匿えば重罪は免れないが、そうなっても構わないくらい、こいつには利用価値があって、欲しがる組織は多い。


剛はその中で、メテボンニクニに最初に選ばれたニンゲンだった。幸運、不運、どちらの意味でも。


誰であっても、こいつがこの世界にいるのを肯定する。復讐にすぐ殺されても、メテボンニクニ自身はそれを望んでいるのだった。


『十分過ぎるほどの知識を、永遠に等しい時間で集まった。不老こそ成就できなかったが、いい。ひとおもいでも嬲ってもいい、好きに復讐したまえ』

「――いやだね、どうせほっといても死んじゃいそうだし。最期の瞬間くらい、思い通りにならないのを味わえ」


剛はメテボンニクニに、本棚から一冊の本を寄越した。


こんな薄く、絵だけの本を読んだのはなかったと、後に語ることになる。


「それまで、これでも読んでろ」


***


「やっぱりこんなの、絶対におかしい!」


一ヶ月ばかりが経ち、家族はようやく自分たちの周囲は不気味な状況にあると思うようになった。


「剛、あんたまさか、猫でも拾ってきたんじゃないでしょうね」

「まさか」


食卓で剛の母親は眉間に皺を寄せ問い質した。あらかじめ言い訳の一つでも考えておけばよかったと後悔する剛に、意外にも味方になったのは今にもカレーライスを食べるべく、スプーンを口に運ぼうとした父親だった。


母親は怒り顔のまま隣へ向いた。咥えていた匙を父は驚いて飲み込みかけた。矛先が剛から向いたというより、母も予想外の介入に意表を突かれ表情を変える余裕がなかったというだけの話であったが。


カレーライスを一口分。

スプーンから吸った味は引っ越しても、戦争が終わった後であっても相変わらずで。


でもどこか、舌は物足りなさを感じていた。


「剛が? 家に猫なんていたら、僕らは夜中にぐっすり眠れないよ」


子どもの頃、公園で捨てられていた子猫を親に隠れて飼おうとし、一日目の夜に速攻バレて叱られたと、母も剛も聞いたことがあった。昼間ぐっすり眠った猫は、人間が寝静まった時間に運動会を始める。


付き合いたての頃に、学生だった母はその猫を父の実家で膝に乗せたことがあった。剛も、あの猫の重さと温もりが微かに記憶にあった。


「そうだけど、あなた」

「母さんにだって話したことがあったじゃないか。冷蔵庫からなくなった食べ物は、買ったはずの玉葱とか台所の塩の小瓶と、あとは……」

「法事に持っていくために買った、花束」


食材はどれも猫の口にはそぐわなかった。小瓶も、好奇心で床に落としはしようが、どこかに隠すとは思いずらい。


「お花は、どう説明するの?」

「法事には僕らだっていたし、親戚ともこの家で合流して行っただろ? だれかが気を利かせて花束を持って行って、お供えの席でばらしてほかの花束と混ざってしまったんだよ」


それにあそこにあった花束の花は、全て百合だった。百合は猫にとって猛毒である。


「私がうっかりしてただけかしら……?」

「間違っても剛は、猫に害になるものをあげたりなんかしないさ」


剛はマメな性格だと両親から思われていた。仮に猫を飼うなら、あらかじめ調べておくはずだ。


「まあもし、本当に拾ったら僕らだって……あれ、剛?」

「あら、食べたら食器はキッチンに……ちゃんと下げてる」


いつの間に。


顔を見合わせ首を傾げる両親の声が、二階に聞こえてきた。


『でも、あの子に隠し事がなくてよかったね』


罪悪感に気が変になりそうだった。


「うるさくて、食べ物をくすねるだけの猫だったらよかった」


今夜も。というかここ数ヶ月、獣が如く体勢から微塵の変化も見られないメテボンニクニ。


「さすがに誤魔化し切れない。おい、法事に買った花まで、一体なんに使ったんだよ」

『食い物と同じく触媒にした。供物(くもつ)から魔力を成さねば、肉体を保てない。話したはずだが』

「聞いたイコール同意じゃない! 俺たちの夕飯の食材まで、怪しい儀式に使うな」


母がレシートを取っておくようなマメな人じゃないのが幸いだった。危ない場面だったのに、こいつの興味といえば。


外套から怪しく放つ目の輝きは、床で見開いた漫画本から情報を吸う吸血鬼のようだった。


「暇潰しに俺が渡してから、何度も読み返しているよな。そんなに、面白い?」

「dそおpcmうぇお!あぉp。wいwふぇくぉおf?えwm!」

「いや、そのヒロインは、主人公の読んでいたラノベに興味を持って話しかけたんであって。まあ主人公も、クラスのギャルに話しかけられて内心まんざらでもないんだが、一巻目の序盤だとまだ、そんな目で見られないっていうか……」

『この場面はそういう意味だったか。てっきりヒロインがヲタク君の顔がイケツラで、きゅんですになったんだと。まだアウトオブ眼中とは』


剛の記憶、この時の感情を基に、プレェクラフトにはある程度の知識を得られた。


「なぜ、なんでなんだ……!」


プレェクラフトも剛のように頭を抱える腕が欲しかった。


叡智を結集し、言語文明の枠に収まらないはずの情報がなぜ、漫画上に出できたギャル用語に、完璧に変換できるんだ――!!


「……って、読まないの? 次巻もあるから、せっかくだし」

「私には、ここで限界と見た。深い真理を得るに、高みだけでは、駄目だったのだな。どこまで近づけるか、それは私にも判らない」


失敗するかもしれない。

だから、先に、礼は済ませておく。


「この本を私に貸してくれて。あざまし」


言葉が(つい)に切れ。


そしてしばらく部屋を舞った外套は散り落ちた。


一瞬に感じた光熱。全身の毛穴が泡のように浮き固まっていた剛には理解していないのだ。


美しい花。健気に咲く一輪を養分に雑草が生い茂ったとプレェクラフトは失意に耽った。


「いまのなんなの!? 剛あんたやっぱり猫を!」

「光る猫なんかいるか――って剛、その人は」


大賢者が最後に起こした奇跡によって、部屋に施されていた隠匿魔法が消失した。


「あら。『お友達』を呼んでいたの? 気が付かなかった」


息子と同じ学校の制服が、息子以上に似合っているものだから母親は息を呑み言った。


「いや……この人は」

「パパさん、ママさん、はじめまして! ゴーっちの超MB(マブ)のメテボンニクニです!」


不老不死のギャルはピースを二つに挨拶した。

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