ファーストキス?
「では、中にいるニンゲンとりあえず綺麗にしてきますね」
塵取り気分で更衣室に行こうとしたアガレスの一礼。襟首が無防備だと背の低いマオでも実に掴みやすい。
「余はこの阿呆と最後に着替える。皆は気にせず先に済ませてきてくれ」
身動きを封じられたアガレスの真後ろに、スモモがビーチサンダルを砂辺に滑らせてきた。アガレスと位置を入れ替わろうと。
「スモモはこっちね」
サクラの手に捕獲されたスモモの悲鳴が人のごった返すビーチで間延びし、一瞬の注目を集めた。
「わ、わたしもっ……朝日さん、の……はだか、みる……!」
「そっちは任せたぞサクラー……」
「あんな成長の兆しないドールボディなんか見ちゃったら、これからのお二人さんの将来も地獄だぞぅ。この!! ――ザ! おねーさんの身体を養分にし未来は咲き誇り給へ」
照りつける太陽にサングラス越しにメテボンニクニは合図を送る。軸足に砂を掻けば、自然と襟元に収まっていた谷間は盛り上がる。水気の正体。それは汗の擦れる音だった。
「暑! てか熱ッ! このセカイは雨降らなくなるとこれだもんな。もーここで着替えちゃダメ? ゴーっち許可してよ」
「駄目に決まっているだろ」
日除けのパラソルで場所取りに行きかけた剛はツッコんだ。
――それはギャルじゃなく最早、痴女の方向性じゃないか、と。
踊り出たはいいが剛に観念したメテボンニクニは、サクラとスモモに道を譲り自分も更衣室に退散した。その他、周囲に集まりつつあった視線も順調に散っていった。
剛は、本気で脱ごうとしたメテボンニクニをギリギリで止めた。この快晴だから騒ぐのは結構だが、公序良俗に反した一挙手一投足は、抵抗のない一般人を犯罪に走らせかねない。
「あの子たち、どこかで見た気がするんだよな……」
メテボンニクニの性格にあの二人の情操が歪められはしなかろうか。特に、あの内気そうな少女の方は早くも影響が出てないか剛は不安だった。
とはいえ、あの他人を置き去りにしがちな魔女に堕落趣味の気はない。二人の内で快活の方の少女もこの状況には慣れ親しんでいるようだったし。
不得意と勘ぐられ、言葉をかけられるべき者、それは。
「陣を取るのだろう、三人が来るのにまだ暇がある。ここでは、目が多ければ優位ではないのか?」
「……迷子になられても困るから、僕一人で探すよ」
「そう、であるか。メテボンニクニが戻ってきたらそう伝えておこう」
足を取られないよう浜に気を配る剛は人ごみから人数分の休憩所に丁度いいすき間を確保しに向かった。
「あからさまな態度、でございますね。こちらを欺くことさえ諦めているようでした」
落とした首を剛の方に反転させたアガレスの嘆息を、力を緩めたマオは苦笑でかき消した。
「あの魔女と一つ屋根の下で暮らして思い知っておるのだ。我らとしては素直に行かせてやろう。息苦しいのは、それだけではあるまい」
マオがいざ紛れてみると、遠巻きに見るより人口率は疎らだった。それでも拍子抜けと肩を竦めるには、場所が場所だった。
水のあるセカイに到来の履歴があるのを『異世界殺しの魔王』だったマオは記憶として閲覧できる。改造を施され、宇宙を食い荒らしてきた悪食の本能を抹消された今は、思い出せるはその心象のみだったが。
「しかし。本当に人が集まってくるのだな……」
汗を拭い、体温を吐く。身体を冷まそうとするマオの肩をアガレスの手が叩いた。
「連中に待たされ体力を消耗するのは癪です。あそこで休みましょう」
「家? いや……店か」
木造家屋に見えなくもない建物の屋根へアガレスに連れて行かれたマオ。潮風に吹かれた暖簾の文字はこちら側の言語ではあったが、学力を積んだマオでも読める程度だった。
「魔王さま? どしたし」
「貴様こそ、小生らを待たせてなにをしているのか」
己への殺意と鉢合わせたメテボンニクニは鉢巻を巻いた女店主に手を振ってカウンターを後ろの行列に譲った。
「長旅に付き合わせちゃったお詫びがまだだったじゃん。お二人さんにね、サイダー持っていこっかなって。呼びに行く手間が無駄になったな」
ウッドデッキのオープンスペースの角の席。満員ギリギリの中メテボンニクニが見つけた四人がけテーブルに余っていた椅子を店員から拝借、注文でしばらく無防備にならないようサクラとスモモに番を頼んだ。
「席番あんがと。これウチの驕り」
「「ありがとうございます」」
「魔王さま、ゴーっちは?」
「場所取りに行ったぞ、全く貴様という奴は」
あのニンゲンの性格を熟知しているとアピールするくらいなら、こちらに気を遣わずにさっさと戻って欲しいものだと、マオはアガレスと空いた席を埋めてひとりごちた。
「行ってやらんのか?」
「一人になりたい時は、そっとしておくのも優しささ」
「――まあその方が、あ奴の生命のためかもな」
口端を吊らせたマオに、横目にメテボンニクニを映したサクラが補足。
「アタシたちが来てから、なんか急に人増えてない? こんないた?」
「まだ年端もいかないってのに、水着で人を誘惑できちゃうなんて。罪深き乙女たちだすなぁ」
両脇に割って入ったメテボンニクニに頬ずりされたサクラとスモモは風船を搾ったような声に身を捩った。
「おい、なんだあの美少女の集団」
「右の娘なんか、めちゃくちゃかわいくないか……?」
焼きそばをすすっていた口を思わず止めた若い男は連れに言った。彼の席から見て右にいる少女。
少年のようなエッセンスを宿す目鼻立ち。ころころと力強く表情の変化する彼女の性格を測るには実に容易。
しかしだ、季節を一つ戻したかのような色彩の水着はフリルを基調としており、本来の性格と相反するそのギャップで際立った子どもらしさが逆に色っぽかった。
「いやいや、反対で嫌がっている娘でしょ」
すでに空になったビールジョッキを煽り、残っていた泡を飲み干した底で左側の少女を見た連れの彼女は彼氏に反論。
あの様子では、普段の少女は人前で水着を着れるような性格ではなかろう。布面積の多い水着で挑んだのも羞恥に耐えられなかったと断言すれば、それまで。
だが翠の選択が、結果として、スポーティーなコンセプトであるはずが発育の豊さが強調されている。
そして、時おり表情に反射する冷たい気配。正当な色気に攻撃的な魅力の二面性。けしからんと喝を入れたくなる。
「「でも……やっぱり!!」」
それまで意見が対立していたカップルは、息ぴったりに頷いた。
二人の美少女を手玉に取る、あの謎のギャル。この季節に合う肌の色に添えた水着は、黒。肩にかけるワンピースタイプで、立ち位置の中心で二つのデザインを両立させていた。
男だろうが女だろうが全てを受け入れる覚悟と、慈愛。
その融合はまさに。
「「あれが、小悪魔ってやつ!?」」
絶滅したか、あるいは空想上の生物にこんな場所でお目にかかれるとは。
「じゃあ、あの銀髪の娘はどう?」
「ニンゲン離れした顔だし、水着になったら――」
想像してしまったら涎が垂れてきた。
「なんだいきなり、カップルが倒れたぞ!」
「だれか担架、レスキューも呼んでこい!」
なにやら向こうの席が一瞬慌ただしくなり、人が二人、救護所まで運ばれていった。
「熱中症でしょう。マオ様も、水分補給には気をつけてください」
「そんな怖い顔で言わずとも……。というかさっき、なぜあっちを見ていた?」
もう静かになり確認のしようもなかった。
「朝日、さん。そわそわ、して……どうし、たん、ですか……?」
「逆に其処許らはよく平常でいられるな」
マオの反応にスモモはのけぞった。
「ここはなんだというのだ、見たところ酒場の類のようだが」
しっかり服を着ているのは接客に従事している数人のニンゲン。店のテーブルやデッキの段差で飲み食いする客。そのほぼ全員が濡れた半裸だった。
このような面妖な光景は、曲がりなりにもセカイを旅してきたマオの記憶でも二つとなく、どう振うのが正解かパニックに陥った。
「服を脱ぐ、で合っているか」
「アガレスみたいなこと言うようになっちゃったポヨ。海の家じゃ、水着のまま飯食ったり、酒飲んでもいいんだよ魔王さま」
「海の、家? 家とは、このセカイでニンゲンが居住するための場だろう。商店ではなく何者かの住処なのか、ここは」
あそこに見える大量の水を管理するニンゲン、ないしは団体が訪れる観光客から金を接収、利益を生む見返りに多少の風紀の乱れを許容している?
頭を抱えるマオ。
こうなると長くなりそう。言い換えれば、メテボンニクニはそろそろ説明が面倒になってきた。
「とりま、ソーダ飲め!」
駅にて待ち合わせ電車で街を出て、二時間。
梅雨明けを叫びたくなる快晴の朝、海用の遊具で両手を塞いだ家族連れに日傘を屋根の下で畳むカップルが駅に殺到した。
天気予報でピークを見越したサクラの機転が功を奏して集合時間を早めたことで、目的地まで奇跡的に車内で足を休めることはできたとはいえ、満員率八割でも車内のマオは首に提げた水筒の水に手もつけられなかった。
幼女の防御力では、人の熱気に簡単にやられるそうだ。そんな具合に喉の渇きが蓄積したマオに、氷水で冷やしたサイダーは不死の霊薬以上の効果があると。
「マオ、こう、こうやって開けるんだよ」
「ペットボトルと同じ要領か――なんか爆発したぞ!?」
パシュっと破裂した気泡にサクラの真似をしたマオは口をへの字に硬直。
「可笑しなにおいのする瓶のようですが。貴方たち、マオ様に毒を盛るつもりではないでしょうね」
三人を視線で殺さんとするアガレス、までいかないにしろ、その異常にくびれたガラス瓶の縁でぱちぱちと弾けるにおいを前にマオの鼻はくんかくんかと広がった。
その嗅ぎ姿に、アガレスでさえ想像してしまった動物の単語を、ごくりと全員呑み込んだ。
かわいい、だが言ってはならない、四人の意志は固い。
かわいいが。
「毒見の方は?」
アガレスの提案、それはさすがに杞憂というものだ。魔族でもない三人が半分まで飲んでも異常は見られない。
くいっと瓶から一口。上顎に舌の面を打ちつけ首を捻っては、二口三口と続けた。
「辛い? 甘い? なぜに舌がざらざらと。不思議な水だ、水では違うのか?」
「やばたん、魔王さますっかり癖になってんじゃん。水じゃなくてラムネソーダ」
「この、セカイの……夏の、飲み物です」
スモモとサクラも、興奮気味のマオに笑みを浮かべた。
「懐かしいね、パパが教えてくれた時、アタシたちもおんなじ顔してた」
「これが、夏の味……!」
ごくごく喉を鳴らすマオ。このセカイの季節には、味があったのか。それを瓶に溶かし売り買いするとは、なんとも小粋な芸当である。
「飲み干したら出てきたが、この玉のような物は――」
飲み口に詰まって取れなくなった玉を振って鳴らしてくるマオに、メテボンニクニは自分の空き瓶を見せた。
「夏の結晶体、このセカイで、これが取れたニンゲンはまだどこにもいないんだって……」
「ほほぅ、余剰物質の一種か」
「冗談でマオをからかうのはやめてくださいよー」
瓶を割って無理に取ろうとすると消えると、最後に付け加えるまでした辺りでサクラの忠告が入った。
振って取れないのはもちろん、上下逆さに底を叩いても落ちてくる様子はなく、かき出すのにマオの指でも太すぎた。
しかし。取れないと見限られては、取りたくなってしまうのが人の心の性。
「そんな玉一つ如き、私の魔法で献上いたしましょうぞ。瓶をこちらに――マオ様?」
「……やっちまったって、目が訴えかけているよ。――――あーもー! 魔王さまマヂ最高!」
飲み物という部分に着想を得たマオ自身は妙案だと。
メテボンニクニの爆発に残る三人も決壊。海の家に下品な笑いが起きた。
ビー玉を吸い出そう瓶に唇を奪われたマオは、助けを求めて半狂乱、砂浜を翔くように走り出したのだった。
最早、幼女の腕力では、引っ張り出すこともできない。




