夏が来る
「猟犬の反応が、消えたな」
「消えた……全てですか」
外套の奥で気怠く首肯の意を嘆息で示した二つの目に、机を殴り付け立ち上がったのは拳に傷を湛えた男だった。
「莫迦な! 召喚した〈ティンダロスの猟犬〉が全滅しただと!?」
冗談に対しての叱責、不快を一撃に受けた円卓を中空から照らす純粋な魔力の燃焼は、美しいが頼りなかった。とはいえ、ここに集うのを許された面々は一様に信心深い者ばかりで、燃え尽きる前に、魔力を光に送り続けた。
この宇宙の技術がもたらした人口の標は、幼稚で醜い。
同じ思想を最優性と、ここで一つの卓を囲ったそんな中、笑えない冗談に時間を奪う輩はいないだろう。なら、先ほどあれは一体。
「まあまあ。まずは事と次第を伺おうではありませんか」
横から宥める壮年特有の細腕に、苦々しい態度を取りつつ男は自らの序列に用意された席に座った。駄々を諫めるような声音に不義の言葉は耐えなかったが、物腰の柔らかい声が上がった方角ときたら、自分より高位の席がある方だったため、相応しい行動を取らざるを得ない。
「しかし。確かに肝を冷やす話題ではありますな。人造魔獣でも、猟犬は、組織的戦法に特化された特別製。それが個々ではなく、召喚から短期で全滅とは……」
目配せで促してみれば、やはり同意は他の席からも上がった。口に出すのは憚っていても、本心では円卓を叩きたい衝動にうずうずしている。末席の男のように、軍閥の出身ならできたかもしれないが。
歳を取り、我慢が自然と身についてしまった上位の老人は、件の発言を零した張本人の隠れた顔を、陰湿な眼差しで覗き込んだ。
「皆の言いたい事は判る。我は今回も、あの大賢者に及ばなかったのだ」
末席まで至った囁き。脈動を感じる意思も聞いた者から萎えさせるは、毒々しいまでの魔力の膨張。魔力値の変化だけを考えれば室内が明るくなるのは自然だが。
たった一瞬。だが元に戻れば、老獪共は全員、目を、最高位の席に座し祭服を影に染めた彼から反らしていた。
「それは事実、紛うたりなど。なれば……これは。我を搔き乱す、不確定要素?」
席を立つとグルグルと周り出した足音に、円卓の面々は無言に顔を突き合わせた。ここで大賢者に欺かれるなど浅い経験などなかろうに。
円卓を支配する座に着いた卿は、この賢人でも随一の力と権力を、自らを以てして確立している。人の時間軸で長命と呼ばれる時を生きた彼の前では、知識も魔力も会議の総力は芥に過ぎなかった。
〈ティンダロスの猟犬〉も、これまで襲撃に差し向けた彼の作品だった。制作に携われなかった凡人にしてみれば、合成魔獣なる生物の生死を遠隔から感知することはおろか、どうやって生きているかの仕組みも到底、理解の外である。
人の域ではまさに怪物として在る賢者のおぞましい産物を、百と数度、退く間も与えず滅殺せしめてきたのだから、魔王を惹かせた異世界の大賢者はやはり人智の通じない――神に等しいのだと。
そう日頃から賞賛している卿などとうに見飽き聞き飽きた自称賢者の集団は、本能的に当惑し続ける彼に、表情に出ない微塵程度ではあるものの、衝撃を覚えた。
「……同時に? ……一対多数? 仮想の固定化には――――ああ、なんたる」
『プレェクラフト、卿?』
床に手を突いた様を案じ介抱に臨もうとした連中に、フードに隠れたプレェクラフトの悔恨を測れようものか。
干乾び萎んだ老人の眼球は年甲斐もなく涙を湛え、その不愉快ときたら指で瞼を掻き出してやりたかった。
「悪魔を差し向けてまで、我が悲願を阻もうと、仰るですか? ならば、なぜ」
理に従う見返りに生を得られる。有限だろうと時間が全能と等価交換だと課したのなら。
不平等の壁の高低が判らない。泣くのがこんなにも苦しく痛い感情。刺激が、自分が子どもだというのを思い知らせる。
「プレェクラフト卿、お身体の具合が、優れないのですか?」
魔王に組したニンゲンに今日までコケにされてきた。実力の差に気が触れてしまうのも。
「我、がか? ……とんでもない! 嬉しいのだよ。今日という日ほど、生きていることにたまらなく感謝したことはない!!」
跪いた老人が全身を剥く。窒息する魔力量に、最も側にいた賢者は全身の血管が内側で爆ぜ散り倒れる。
運命を動かした。神が、理に背こうとする、取るに足らない一匹の命を認識した。
「我は、失敗などしていなかった。尊きは、我が光。我は、貴女と同じだと神もお認めになった!」
目的が遂げられようとしている。
セカイを股にかけた旅の終着こそ、この宇宙だったのだ。
「阻む障害、なにするものぞ。貴女を理解できるのは、この賢者プレェクラフトのみ。皆も喜べ! 悲願は目前ですぞ!」
跳んだり跳ねたり、せり出した目玉を爛々と輝かせはしゃぐ老人は宝物を目にした童のような黄色い声で言った。
「さあ、今度こそメテボンニクニを殺し、共に不老不死になろう」
歯が抜け落ちた顎で満面の笑み。魔に落ちた輩に関わらず、世には可笑しな存在が蔓延るもの。
絶句の間、立ち込めた苦笑いは割れるように響いた。
***
人払いの結界は存外にも解除に時間を要さなかった。術そのものの構成と術者の魔力の質も際立った部分はない。到着するだろう位置にこそこそと仕組んだ姑息さは、自らの実力を心根で疎んじている表れというのは、解除したアガレスの談である。
「賢者と呼べと言いふらそうと、所詮、ニンゲンの尺度でらしいな」
組んでいた腕を解くマオは掌底でこめかみを押さえた。メテボンニクニから存在を初めて知ってからは笑い話として受け止めていたが、往来で予告もなく襲われた後ともなれば、根幹であろう至高と謳う奴らの信条について、今は憤りしか覚えない。
「まーそーカリカリしなさんな。パンにジャムは塗るっと?」
「おお、気が利くではないか!」
トースターから引き抜いた金色に焼けたパンにストロベリージャムをスプーンで引くと、メテボンニクニはテーブルのマオに盛り付けた皿を寄越した。
「あのニンゲンの姿が見えませんね」
「この時間はガッコ―じゃん」
「メテボンニクニよ……余らが案じることではないやもしれぬが」
「連中の頭ん中とかマヂイミフだし。けど、ウチに執着してるって点、それだけは評価してる。関わろうとしてこない以上、ゴーっちを巻き込む理由もウチにはないしさ」
匙が食べ物を盛った食器を打つ音。弾むでも沈むでもなく、平行線をなぞるような会話にこの家の家主は不在。
会話の内容でメテボンニクニが意図的に彼の名前を持ち出したと悟ったマオは、この団欒という響きが似つかわしい状況もまた、自分達に朝食を振る舞いたい――それだけではないのも感じ取れたが。
「どう、おいしいでしょ? ウチの手料理」
「……うん」
マオの今の舌だと、笑ってしまうくらい美味しいと感じられるメテボンニクニの朝食は、魔法などなんの細工も、施されてはいなかった。
「アガレスたんも、せめて一口くらい。このスクランブルエッグなんか、ゴーっちに何度もレクチャーしてもらって、やっと辿り着いた焼き加減なのに」
「結実した努力を推し量れないとマオ様の前で思われたくないので、先に訂正させて頂きます、ですが。ダイエットも時には、乙女の嗜みですので」
体格を魔力の加減で変幻させるアガレスは、消費しようと考えれば体内のエネルギーを消費することなど容易かった。空腹、満腹と全く無縁と言い張れるように感覚が疎いわけではない。周囲から受ける衝撃よりずっと、血の通った、生き物らしい内面をマオも知っていた。
「たくさん食べないと、強くなれないぞ? 腹が減っていたのでは。……よもや、あの生き物にお前に効く劇毒の類でも!?」
「いえ、そうでは、ないと言いますか……」
幼少から側に仕えさせているアガレスを近くで見ようとしたマオがするのは、いつだって心配だった。親心に最も近い。
マオから顔を反らそうとするアガレスが、大食らいの失態を恥じている。その顔が乙女になっていたとマオが察してくれるのはいつになるやらと、メテボンニクニは頬杖を突いた。
「そも、あの生物は、我らのような存在からはほど遠いかと。誇れるような取り柄が魔力しかない、その魔力を失った賢者を数でしか圧せないようでは」
「とりま……診てからだね」
空に均した食器と入れ違いに卓上へアガレスは顕現の光を降ろした。
「こっちがウチに今までけしかけられた怪物」
アガレスを食い殺そうとした獣の一部とはかなり異系の形をメテボンニクニは提示した。毒々しい体液が同種、同じ製作者の意志が反映されている証拠だとするなら、この違いが果たして。
「魚みたいではあるな」
蛇という感想もマオは過ぎった。にしては胴が短く太い。頑丈そうな頭部から尾に掛けて細くなってゆく。滑らかな緑濃の肌に覆われた50センチ程度の胴には節がなく、広い腹底は這うにしても速度をそれほど生めそうになかった。
「醜いと断ずることすら大仰な、不出来な生物ですね」
唯一器官と呼べそうな、頭を左右から大きく裂いた裂け目にアガレスは言った。口を具えていれば、生物という想定はあながち的を外してはいない。
「アガレスが始める前に。どこまで解析した?」
「マオ様と親密になりたいがために、小生をきっかけにしようとは。憐れなので付き合ってあげましょう」
「調べが済んでる部分は全部話すからさ! ――最初に、アガレスはとっくに判り切ってると思うけど。これは、コッチで造られた」
異世界由来の生物ではない。
「アガレス」
「合成に魔力を使用されているこそすれ、この二種類の生物を構成している組成に、異世界に存在する物質は一つも感知できませんでした」
アガレスとメテボンニクニ。種族が違う両者の極端な思想は、魔力が由来する法則の違いから真っ二つに分かれる。
完全に合致した二人の解析によれば、極めて単純な素材の混合物。塵と水に有機物、無機物が混ざり、融け合い、固まった物質が魔力で怪物の形になっている。マオ達の前に怪物を召喚した、あの竜巻。魔力で起きたあれが素材となる粒子を巻き上げた。
「形の違いは、関係ないのだな」
「寸分も違わず」
「そここそ、ぼんちゃんには厄介だし」
見比べて表れてくるのは、制作側がどれだけ自分の作品に懸けているか。
進化。それ即ち環境とどのように向き合ってきたかの軌跡。単純だろうが複雑だろうが、外的要因は生物に様々な能力を授ける。九割、それは視覚で明確可能な部分に表れる。超自然現象が変えた個性を、限定された思想で再現するのは辛酸を飲み干すような努力を伴う。
線形だった怪物は今回初めて、四足だった。数万年という歳月の経過を臭わせる怪物の特徴に、海洋生物のパターンをわざと取り入れたようなマニアックさが、標的になった大賢者に怖気を催すよう誘導する。
「やはり、なにか恨みを買うような、余計な真似をしたのではありませんか?」
「こんなのギャルに寄越すような奴と関係なんてないない! そっちこそ、こっちはとばっちりだったりして!?」
言われてみればと、マオは差されたメテボンニクニの悪態を重く受け止めた。『賢人』が異世界の住人を率先して救済し、大戦中はこの世界に魔王や魔獣との戦い方を吹き込んでいた過去も踏まえ、かつて生き残った者が結束し『異世界殺しの魔王』に反旗を翻そうとしていると想像しても。
「サクラもスモモも襲われた。余のせいで……?」
「マオ様はなにも」
「そーだし。二人のおかげですっきりした。うん、やっぱり、考えるのやめた! こんなくだらいことで時間ムダにしちゃあとで泣くって!」
メテボンニクニは魔獣の残骸をゴミ袋に詰めると外に放り出した。生物の形を模っていようが魂のない泥人形。潔く燃えるゴミに出すのが本来正しかった。
代わりに、テーブルには新品の水着を揃えた。
「途中で放棄するのですか? 探求好きな貴様らしくもない」
「連中の目的がなんなのか、ウチがどう関係しているか気になるけど。ウチだって、これがゴーっちと過ごす初めての夏だし」
マオにはこれだけの高説に付き合わせておきながら、未知の体験が待っているのはお互い様。
「そう急いて判断せず、まずはその『賢人』の狙いがなんなのか明確にするのが」
「もしもしゴーっち!? 今度の休み、みんなで海行くよ!」
「判断がはやい!!」
マオが止めるよりメテボンニクニは携帯を切り終えると、ポケットから抜いた拳を突き上げた。




