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ティンダロスの猟犬

羞恥に震える幼女が紐ビキニに縛られていく様子を想像し第二形態へ変貌を遂げたスモモの手によって、マオの身体には忘れがたい思い出が刻まれた。


スモモの持ち寄った水着は、思った以上にマオの想像を超えていたのだ。対象年齢を確認できそうな文言は確認できなかったが。幼女さえも持て余してしまう、服と呼ぶにも頭痛を伴うアレを、誰に着せるつもりで作ったのか。深く考えたくないマオは、今晩の料理を予想した。


魔王(マオ)さまも夏の楽しみがだいぶ判ってきたようじゃん!」

「貴様がなにを言おうと夏に失礼と感じるので、これが余の求めた『夏』ではないというのは判る」


服と肌の間に汗が伝えばヒリヒリする辺り、(うっ)血痕はまだ消えていない。


「精神もそうだが、身体の方の傷はいつ癒えるのだろうか……」


紫陽花(アジサイ)を知らないマオは、陽が昇りすっかり白いだ花の香り漂う空を眺め不安を吐露。


眩しい顔で暗い表情を描く幼女の両肩からは、二本の白い腕が生えて垂れていた。


傷を治してくれそうな‶当て〟も、マオの隣を歩くサクラに背負われたスモモと同じでまだ意識が戻らない。


「ほら、見てごらん。二人とも……こんなにも安らかに」

「死んどんの!?」


サクラは背中におぶったスモモとマオの背後に取り憑いたアガレスを向き合わせた。蒼から完全な白となった寝顔にあった色は、二人の鼻から噴き出す(あか)のみ。幼女のビキニ姿に燃え尽きた身体は、どちらも羽根のように軽く、アガレスに至ってはマオでも余裕で運べた。


「死んだとしたら、余が、やったことになるのか……」

「マオの水着姿を肉眼で視て、こうなったから、釈明はむずかしくなるかもだね?」


かくいうサクラも、現場から立ち去った今でこそ偉そうに大口を叩けるが、あと三秒、水着姿のマオの側にいれば人格がまともではいられなかった。


謝りながらも、欲望に支配されマオに手を出したスモモでさえ昇天した。(めまじ)で。


「まだ下に着てるし、履いてんだから。魔王(マオ)さまがそこで脱げば、みんな蘇生するでショ?」

「めくるなー!!」


メテボンニクニが袖の中をまさぐろうとしたので、両手が使えないマオは牙を剥いて不埒な腕に噛みつこうとした。


魔王(マオ)さまにイジワルされたぁあー! 少女よ、慰めてー!」

「アタシはまだお二人の関係を詳しく説明されてませんけど、とりあえず、よしよし」


撫でてもらおうとサクラに頭を突き出すギャルは、良案を進言したつもりでいた。だがそ

の提案は、ショッピングモールに引き返して大衆の前で服を捨てろという、マオに言わせれば脅迫以外のなんでもない。


「だいたいだな、余が戻ったとしても奴らは目覚めんだろう? 罪を認めるようで口にするのは些かこそばゆいけど。ああなったのは紛れもなく」

魔王(マオ)さま、だよ。ウチらが逃げられたのは魔王(マオ)さまのおかげ、魔王(マオ)さまが()()()()()()()()


自身の発言に歯を見せるメテボンニクニに感謝する気はないと、触れてほしくない箇所を意図的に強調され赤面するマオでも本心を読み取れた。


とはいえ件のショッピングモールの事後処理については、真昼の手腕に期待するしかないのが痛烈な想いである。店内に不法侵入した幼女と、三人を手引きしたギャルを捕獲しようとし昏倒した警備員と従業員、その数は二十人近くにまで及んだ。


手を叩けば魂を抜かれたように誰も彼もが卒倒し、開店前で慌ただしかったというタイミングも重なりショッピングモールは混乱を極めた。パニックを隙に追手を撒いてきたマオ達は、その末路がどうなったか見届けられなかった。


「お姉さんって、マオの友達? それとも親戚?」


マオが陰鬱な気を育てている横で、サクラとメテボンニクニは交流を深めていた。


「その人の願いの数だけ、ギャルは何者にでもなれるのさ」


声質を低く演出しているが、膝立ちで幼女に縋るギャルの本性は、逃走で体力を消耗し自己紹介が面倒になっただけだった。


「まあ誰もいいや! 水着買ってくれたんだから、悪い人じゃないでしょ!」


とサクラがスキップすれば、腕に()げた紙袋が景気のいい音で鳴った。


親友を背に負い、正体不明のギャルに抱きつかれようと、ショッピングモールの袋がほんの少し重い理由を知ってさえいれば幸せになってしまえる。


楽天家が一人混じっていれば、集団全体で話がかなりスムーズに運ぶものだった。


ちなみにだが、マオとスモモの分も含め水着の代金はメテボンニクニが逃亡の最中にレジに投げたのをマオは目撃した。


「自分を拉致した輩に懐くとは、サクラは全く。見ての通りこ奴は、淫魔が友に交じってもなかよくする豪胆な性格故、くれぐれもつけ入るなよ」


彼女の長所を尊敬しているマオは、メテボンニクニに釘を刺した。


「これは『投資』だよ、こういうニンゲンの感覚は魔王(マオ)さまはまだ疎いんだろうけど。しっかしそうこられると、俄然妬いちゃうし。とりまー、衣裳は揃えた。第二段階は」

「‶どこで着るか〟?」

「通じますナァ」


思考を読んできたサクラにメテボンニクニが親指を下に向けた。差し出されたサインはブーイングを示していると見せ掛け、同じサインでサクラが応えた意思とメテボンニクニのそれとはぴったりと重なり、二人の心が完全に通じ合う象徴が出来上がった。


二人頬を合わせ覗いたハートマーク。左右から包まれたマオに紅桃色の欲望から逃げる道は断たれた。


夏に対し定着しつつあるマオのイメージを投影するように、初夏の空にどっしりと浮かぶ入道雲は横に厚さを増していった。


「余で遊ぶのはこの辺で勘弁して、ひとまず帰らないか?」

「だね、なんか雲行きも怪しくなってきたし。スモモもあたしも今日は一日空いてるよ……マオんちは?」


そんな回りくどい探りを入れなくても。


五河(いつか)はともかく、勇者が在宅ならアガレスは拉致の決行日に今日をメテボンニクニに提案しなかった。


魔王(マオ)さまんちなら今日は誰もいないよ」

「言っておこう。余とこの魔女は同棲していない、拉致者を手引きした同居人はアスナだ」

「マオの家族事情を理解するには、あと頭が一つ、書き取る腕が一本ずついるな。でも、行っていいの?」

「浸るくらいなら、余の退屈に、同じく暇を持て余している連中を引きずり込んでやろうと企んだだけの事よ。しかし」


サクラもマオの横に並んで目を細めてみたものの、雨雲に冷め始めた住宅街を二分する一本道から向かってくる人影は見えなかった。


「なんか世界に、アタシ達だけになったみたいじゃない?」


滅多に遭遇できない場面に興奮するようにサクラの声は弾んでいた。しかし喜々としてふり返った先にあったのはマオだった。


「ゴメン。これウチ案件みたい。あんだけ騒いだんだからそりゃ全く無反応ってわけにはいかないとは思ってた。けどこんな白昼堂々……しかも魔王(マオ)さまたちまで巻き込もうとするなんて」


動揺からわざと明るいセリフを口走ったサクラと距離を詰めるマオにメテボンニクニは謝った。


「結界、効果は、人払いといった感じか?」

「前に話した、ウチの熱烈なファンの仕業だよ」


マオに首肯したメテボンニクニは流れるように視線をサクラに向けた。肉体を失い魔法を看破できないとはいえ、状況から推察することは今のマオでもむずかしくない芸当だ。


言葉を尽くそうしたそのマオより先んじて、態度に現れた。魔力を知覚できる本能を獲得できる環境の出ならその説明がつく。


雷鳴の唸る積乱雲から竜巻が発生。二本、三本、四本と伸びる風柱は二列の隊列を組んで行く手を阻んだ。雲海から地面に斜めに伸びる竜巻など自然界には存在しない。


岩礁に取り憑くタコの触手のような渦は、地面を一巻きするとすぐに掻き消えた。


「マオ、消えた……?」

「連中の意図がまるで判らない。動揺を誘い、貴様に力を示したいのか」

「だったら、ギャラリーは多いに越したことないでしょーよ」


アスファルトを擦る爪の音は、舞い上がる砂埃の中から聞こえた。あとは、獣の呻くような声。


「!? なんだ、あれは」

「ワンちゃんじゃないことだけは確かね」


最初はメテボンニクニもマオ同様に四足歩行のシルエットで見間違えたが、獲物の気配を嗅ぎ取るのが鼻ではなく、蔓のような形に青ざめた光を放つ細長い舌で、途端に正体が判らなくなってしまった。


舌と断言しても、根拠は二本のそれが口と思われる器官から伸びていたからで。胴は犬を模しているとはいえ、頭部全体はヒトデか、あるいは捕食寸前に触腕を広げるイカのように裂けていた。


爪の形はオオトカゲ。とぐろを巻く尾の先端は尖り、蜂のように毒液を滴らせていた。禿()げ上がった皮膚は粘液に濡れ、軟体動物のように透け中では内蔵が蠢いていた。


「二人ともアレ! 来てる! 来てるって!」


竜巻と同数に出現した怪物が十体、キーキーと不気味に吼えながら突撃しサクラはマオにしがみついた。骨格があるかも怪しいのに、しなる走り姿は飢えた肉食獣だった。


「さあ、突如現れた未知の生物にどう立ち向かおうか、魔王(マオ)さま?」

「そうだな…………え、余!? 余に振るの!? あの生き物を寄越した連中が用があるのは貴様では!?」

「あれが、ウチを好きで向かってくるように見える? ――しょうがない。こうなりゃ」


絶体絶命の運命を奇跡で振り切れるものと期待するマオを、大賢者はしなやかな手癖で脱衣させ先頭を走る怪物の盾にした。


「へぶっしゅ!!」

「陰ったからちょっと冷えるもしかして?」

「余を脱がしてどーする! 気でも触れたか!」

「ニンゲンも魅了できたんなら、水着で怪物も悩殺できるんじゃないかって……おや?」


返答によってはその金髪にマオはガツンと一発見舞うつもりだったが、皮越しにでも触れてしまえば拳から思考回路が伝染しそうで恐ろしくなり力を抜いた。


紐ビキニで棒立ちになるマオに平謝りしつつメテボンニクニが尻目に見たのは、服を剥がれたマオに対する怪物の反応だった。


少なくとも、生肌を晒す銀髪碧眼の幼女に悩殺されている様子はない。()く筋肉はしなやかに、触覚から垂れる唾液の量も増えたように窺えた。


「なんか元気になっているように見えるんだが」

「こりゃ、アレだ。馬の前に人参をぶら下げると元気になる例のヤツ。今の魔王(マオウ)さま見ようによっては美味しそうだし。見た目もなんかボンレスハム?」

「餌をちらつかせ挑発しただけではないか! あと誰が太っているって!?」


『ボンレスハム』がなにか存じてはいない。響きからして太った肉のイメージが浮かんだマオはメテボンニクニに抗議した。


いよいよ群れが迫りマオたちは本能的に背を向けた。吐息が間近で聞こえるほど近づけば、遠目で感じた時よりも怪物の醜悪さがありありとしていた。


「喧嘩よりも、二人とももうちょっとアレに興味を持ったげて!」


マオに手を引かれたサクラのもう一方の腕は、地面にうつ伏せに倒れるアガレスを指した。


メテボンニクニがマオに手を出した際、服と一緒に落ちた。


「誰も回収しなかったのか!?」

「アガレスたんの保護者は魔王(マオ)さまでしょ」

「アタシは、気絶したスモモの面倒があるし」

「そんなところで同意見なら、心なんて通じ合わん方がいいわ!」


道端に放置されたのに一人も気に掛けてくれないアガレスに嘆きを絶叫するマオ。そのマオも、恐怖に屈し逃げた。一糸乱れず逃げ出す三人が三人とも、心を通わせていた。


全身を毒牙に掛けられたアガレスに、怪物の鳴き声がつんざく。鞭のような音は肉を舐める舌か。


「余は、なんと無力か……!」

「マオ」


一言詫びを吐けば、これまで過ごした思い出が十、マオの脳裏に浮かんだ。


魔王(マオ)さま、魔王(マオ)さまの声はきっと、アガレスたんに届いているよ。魔王(マオ)さまの水着姿を、アガレスたんも草場の蔭から見守って――」


マオを慰めようとしたメテボンニクニを、踊り出た一体の怪物が止めた。


「もう追いついた!?」

「待てサクラ! …………こやつ、すでに?」


もがれた四肢、(アギト)から青い血を流す怪物は、マオの頭上を掠め身を呈して逃げ道を塞ぐ前に、死んでいたのだった。


「マオ様、(わたくし)が不在の間、なにがあったのでしょう」

「……アガレスたん、君を見て全員が思った感想を、その見た目で強奪するのは、やめてくんない?」


草葉の蔭で見守るどころか。死体の山から掴んだ怪物を、屋台で買ったフランクフルト感覚で貪りながらアガレスは出てきた。


「これは……朝食がまだでお腹が空いていたのですから、仕方なかったのです。マオ様まで、そのような御目で見つめられると、心が痛みます。私も、一応は乙女なのですよ……?」


無造作に捨てた怪物の返り血でアガレスはマオから顔を隠した。


幼女の水着姿に当てられたアガレスは、本当に死にかけていた。回復するにも魔力が足りなかったが、この世界には稀有な魔力量を感じ取り再び目覚められた。


危うく、また死ぬところだった。


「これ、なんという食べ物ですか? なんだが焦がした金属みたいな味がします」


塩を噛むような咀嚼音に舌を伸ばすアガレスで、メテボンニクニは思い出す。この世界の海星綱(ヒトデ)という海生生物は、近縁種で高価に取引されるウニや、珍味に数えられるナマコとちがい食材として名を広めていない。


原因は、体内には毒があるからだ。一部の地域では含有量の少ない種類を毒抜きし食べるらしいが。


「家族で水族館に行った時にパパが教えてくれたけど、ヒトデって毒持ってるんだって」

「私も、その程度知ってます。もぐもぐ……」

「ではなぜまだ食べる」

「まあ、毒程度ならアガレスたんは殺されないでしょ」


ヒトデだからこそと、メテボンニクニはアガレスを見た。


「アガレスたん以外なら、耐性なくて死んじゃうかもだけど」

「「「?」」」


食用にされ毒を含んでいるのは。


ウニもヒトデも――()()()だった。

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