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ビキニと真のバケモン

それは、決して大層な願いではなかった。願望は切願ではないし、悲願なんてとても。


ただ、前もって説明があってもいいじゃないか。


厚紙の匂いが圧迫する薄暗い空間を仰向けに眺めるマオは、手足こそ自由だが、縛られていると言っても過言ではない自身の状況に、呻くように舌先を口腔内で転がした。


唇とうなじの後ろをどうやって、もちろん誰にガムテープで塞がれたのか。寝返りを打とうとし覚えた息苦しさに目を開けると布団ではなく、驚きを叫ぼうとした声にマオの喉は焼かれた。


起きたら、マオは箱詰めにされていた。


誰が?

なんのため?


……ここはどこだ?


副次的な疑問は後回しにして、拉致した相手の目的はマオの死ではないという結論に荒立つ思考を一旦フラットにする。箱の蓋の四方はあいにくとしっかり目張りされ、さらに上に重しまで載っているため幼女の筋力とごきではビクともしないが、足裏をくすぐるなんとも頼りない光、生温かい風こそその根拠だった。


中には緩衝材となる発泡スチロールもまるで映画館のポップコーンの特大バケツのように、ぱんぱんに敷き詰められていた。箱が揺れればマオの顎の外れる衝撃を抑えた。


車、箱越しに感じるスペースの余裕からどうやら走行中のトラックの荷台。


無傷で攫うなら、せめて助手席か、でないと運転手の膝元がマオとしては嬉しかった。


左折した所で、振動が()いだ。トラック以外にエンジン音はオートバイのものも聞こえた。


目的地を判明させるには情報不足だが、大通りを使うとは到着までまだかかりそうだと。


思い出せる範囲まで、マオは記憶を遡った。


五河たちと夕食を食べ、風呂に浸かった、後。


湯舟の底から、水中マスクとインスタントカメラを装備したアガレスが飛び出してきた辺りからどうしても思い出せなかった。雷雲の中で超電流を後頭部に喰らったようだった。


「…………ふ」


拘束を免れたマオの鼻をくすぐる笑みは自嘲。ふざけていると後悔するくせし、それを正しいと認めたがろうとする自分が情けなかった。部下を疑うなんて冷静じゃない。


――〝アガレスは()()潔白じゃないか〟。


と、トラックは急勾配を下ったようで停車し、マオは箱に納められたまま搬出された。拉致者の拠点(アジト)は相当規模のある建物のようで、揺れが沈静する数分間、斜めで浮遊感に空気抵抗にと、総毛立ちながら恐怖のあまり無意識に数を数えて耐えた。


頭からつま先の重力が垂直になった実感に安堵し鼻息で空間を一杯に満たした直後、刃物もないのにテープは一斉に切れ蓋が外れた。


ここまで運び出されたマオの怯えた様子に、ぱちんと指を鳴らしマオの口を塞ぐガムテープを一瞬で焼き消した拉致者は言った。


「お疲れ様でした、マオ様」

「――アガレス?」

「はい、アガレスです、マオ様の一番大切な従者の」


暗闇から眩い光に晒され目が射すように痛いというのに、名前を囁かれぱっと明るくなる、そんな危険極まりない『拉致者』にマオは唾を吐くように言い捨てた。


「自首しろ」

「マオ様のためを想って小生は――なのにそんな軽犯罪者のような扱い!?」

「重犯罪で厳罰に処してくれるわ、たわけ! 信頼という言葉を今日ほど愚かに感じた日はないぞ……」


魔王を名乗るなら、マオの嫌味はむしろ常套句ではある。


緩衝材に埋もれ箱の中では確認できなかったが、風呂からかどわかしたアガレスはマオを寝間着に着替えさせていた。


「いかがわしい真似など、してはおりませんわ」

「こちらが質問する前に即答するあたりがよほど怪しいぞ。本当か……?」


外傷や接触痕のようなものは確かに微塵も感じないマオだったが、アガレスにかかれば魔法で、世界の因果を捻じ曲げ〝痕はつかないが触った〟なんて矛盾を引き起こすことなど造作もない。


「ええ。ただ、ちらりと見えたマオの、おへそ様がかわいらしかったので……()()

「冗談じゃない!!」


反らした横顔は照れているようでも、その時味わった感触はまだ指に残っているアガレスの眼光はまるで舐るように妖しく煌めき、マオは腹を両手で隠した。


雷雨を司るこの世界の神の権能の一つに、簒奪したヒトの臍を蒐集するとあるらしいが、うっかり喋っていれば、あるいは幸い今回は無事だった臍も奪われていたかもしれないと思うとマオは恐ろしかった。


生物として誕生した経験のないマオに、どうして母胎との繋がりを証明する名残などがあるのか。そこは趣味の領域だろうが、マオの魂を現在の肉体に封じた張本人は、まともな会話を成立させようとする知能も失ってしまったので、もどかしい限りである。


「なんなのだ、一体」


それほどとはマオ自身実感はない。だが箱には長時間押し込まれていたようで、身体の節々はまるで油を張ったようで自然と解す動作を取った。


凝り固まった首を回しながら目に入ったのは、マオには初めての光景だった。


実際の規模は広いようだが、物が溢れ返っていて窮屈な感覚が拭えない。靴(※箱から出た位置にアガレスが揃えて用意した)底の感触は学校の廊下にどことなく似てはいるものの。


石を削り出した校舎のそれとは、こちらは板を張り合わせているらしく、陽光の照るような床面は、宮殿か――御所で多用される美意識が設計者の意図により活かされていた。


身内との対面でおどろおどろしい不安は消えた空白部分に柔い疑問はひたひたと注がれる。


重みに傾ぐマオの頭の霧を晴らすのは、太陽のような眩しい声だった。


「ショッピングモールじゃん! えー! なんで起きたらアタシこんなトコにいるの!?」

「サクラちゃ、大声……あぶないよぅ」


弾けんばかりの黄色い歓喜に片足を持って行かれそうになったマオは叫んだ(はず)みで踏ん張ったバランスが崩れた。


「サクラ、スモモも!?」

「マオ! それに明久瑠(あくる)さんまで――」


知った顔と対面し、一瞬、サクラは上機嫌になったが。


転んだマオを引き上げようとした手がそのままぴたりと止まる。


「まさか、マオがアタシらの寝込みを襲って」

「ばっ!? ――余とこの犯罪者と一緒に」


弁明を訴えようと開いたマオの口から、んん~……と、重苦しい空気が漏れた。


箱は横並びに三つあった。サクラとスモモが来た経緯はこれで同じだとマオは証明した。もちろんアガレスに拉致されたマオは無実である。


だが、サクラの交友関係でそういった、ことをしでかしそうな、最有力候補の容疑者と傍からではじゃれ合いとしか思えない会話をしている現場に出くわせば組織的な犯罪と捉えても文句の言いようがなかった。


「サクラちゃん、え、え……と。朝日さん、無罪……!?」


腰の抜けた姿勢で目尻を下げるマオと疑念を濃くさせるサクラの間に割って入ったスモモは仲裁のつもりだった。


「朝日さん、も、箱から出てきた! す、すすすスモモ……見た……!」


一番最初に箱から出たのに声を荒げなかったのは、スモモはサクラほど、自分たちの置かれた奇妙な状況を(たの)しむ余裕はなかったから。


サクラも心底ではマオを疑っていなかったようだ。一息つけば疑う気も失せたと態度で示し、マオを掴んで引き上げた。


「念押しするが、余も説明なくいきなり連れてこられたんだからな……」

「わかってるって! マオが攫う側じゃなくて、攫われる側だってことくらい」


それはそれで、面と向かい言い切られると複雑な心境だった。


「よく来た、迷子のかわいい子羊ちゃんらや」


などと、軽快な声が聞こえてくる前に、アガレスは、入口に吊ったネットの編目の隙から薄暗いテナントの奥を待ち構えるように見据えていた。


「メテボンニクニ? つまり貴様が、余らをここへ――というか、なんだその恰好」

「バイトだよ。この店で雇ってもらってんだー」


どうよ、と、マオの前でくるりと回るメテボンニクニはブラウンのプリーツスカートにジャケットで合わせたコーディネート。靴は白のスニーカー、金髪も結んでやはり前と比べればずいぶん印象がちがった。


「〝素晴らしいものが見られる〟と口車に乗せられましたが。これでよかったのですか」


返答次第によっては――そうアガレスは眼光を絞るが。


自分の胸に抱き寄せたスモモ以外、メテボンニクニにはなにも見えていないようだった。


「おかわー! 魔王(マオ)様の友だちマヂおかわー! てかなにこの生き物!? 一家に一台欲しい感触なんですけど!」


頬に吸いついてくるギャルの顔。暑苦しそうな表情を堪能していたメテボンニクニであったが、触れるその不埒な手を弾き墜としたスモモは、氷を割るように言った。


「朝日さんが喋っているのに、なんですか、あなた。そのけばけばしい不潔な手を見るに銀バエの一種のようですが。環境汚染防止に、ひとつ、お死にになられては」


腕をもがれのたうち回る蚊を眺めるようだった。


「ちっこいアガレスみたい……なんか一部、悪魔っぽい匂いもするし」

「当たらずも遠からず、と言えばいいのか悪いのか」


メテボンニクニが怯えてマオの背後に隠れたことで怒りを鎮めたスモモは、例によって猛省の態度を示し尽くした。


「気を取り直して、マオ様の水着を選びましょう?」

「水着?」


訝しむマオにアガレスから引き継いだメテボンニクニは言った。


「約束したじゃん。魔王(マオ)さまに、夏を教えるって」

「この世界の『夏』は、〝水着〟という、専用の装束を身に纏う習わしなのだそうです。本日は、御身に相応しい〝水着〟を選定していただきたく、マオ様にはこうしてご足労をおかけした次第です」

「だからアタシたちショッピングモールにいるんだ」


耳で初めて聞く単語にとりあえず相槌を打っていたマオをふり向かせたのはサクラだった。


「その、其処許(そこもと)の言う『ショッピングモール』というものも、なんだ?」


指を立てたサクラは説明を終え、なるほどと納得するマオ。


様々な品が売られ買える巨大な市場。巨大な建築物に扱う品ごとにちがう店を纏めたそんな市場を、この世界では『ショッピングモール』と言う。


「建物の中にいて、なんでも買えるということか!?」

「パパとよく買い物に行くから、その時教えてもらったんだー!」

「避難所で会った、あの男か」


サクラとスモモ、二人のいる孤児院の他の子どもたちの服や日用品もショッピングモールで買い貯めするとマオは打ち明けられた。


「私は、こういった、ニンゲンのたかる場所を見ると殴殺したくなりますので、マオ様がどんな水着――が似合うか判らず。不本意ですが……この者らに同行をお願いしました」

「これも、夏の鉄則。〝水着はみんなで選び、楽しむべし〟!」

「拉致は同行とは言わない、それも今日勉強しろ。あと殴殺はなし、控えろじゃなくて、一切合切厳禁だ!」


遊園地に行った際も、五河を救出するとはいえ、気が立ちすぎるあまり最後は世界を滅ぼそうとした。この世界の社会下で生きると誓約を立てた以上、マオはアガレスに自重を覚えさせる義務があった。


「マオ、水着買うの?」

「なんかそういう話になった。こちらの成り行きに付き合わせしまい、スモモも申し訳ない」

「……ん、んん……! こ、こういうの、初めてで。うれしい……ともだち、と」

「スモモ……勝てないな」


砂糖菓子を口で融かしたみたいに。


そんな顔をスモモにされてしまったら、自分を責めようした調子もマオは失せてしまった。


「えー……と。マオの似合いそうな水着は、と」

「お、おいサクラよ、もう選ぶのか!?」

「これなんか似合うんじゃない?」


近頃は袖を頻繁に掴む気温となり、ショップの入口には各ショップが今年の流行を狙うイチオシの水着を着たマネキン人形が揃い踏みしていた。


「こ、これが、水着……?」


マオへサクラが持ってきたハンガーにはそのうちの一着。白の生地にブルーのハイビスカスの柄で南国を謳うオフショルダーの水着だった。


「着てみなよ!」

「試着室はあっち。お客さんいないから独占して使っていいよ?」


サクラに水着を受け取りメテボンニクニは店の奥を指差す。けれど両手を塞ぎ渋面のままマオは固まった。


「「どした?」」

「ぃゃ……んぇえ~……? これを、どう着れば……」


実際の知識として初めて触れたマオだったが、言葉の意味から、水着とはこの世界での服の類だと、なんとなく。


力を失ってからは、それまで必要としてなかった文化に関わり服を着ることも半ば強制的でも習得した。


服など、肌を隠す役目しかないのだからどれも一緒。その驕りがマオを窮地に立たせた。あるいはこの、着るというか身体に〝押し当てる〟面積しかない布生地は、体表に反応して生地が端から伸びるのだろうか、などと。


魔王は、服を理解していなかった。


そこに付け入れようと恐ろしい速さで演算を果たした悪魔の目が歪に煌めく。


「私がお手伝いしましょう!?」

「アガレスも着方わかんないじゃん! こうなりゃ致し方ない、少女よ! 魔王(マオ)さまを大人にしてやれ!」


〈司欲淫王〉の乱入で埒が明かなくなったメテボンニクニに、マオはサクラと試着室に放り込まれた。


「くらい! せまい! こわい! 出せメテボンニクニ!?」


外からギャルに押さえられたカーテンを開放しようとしたマオの手をサクラが横取り。


「出るのは、着替えてから――だ!!」


まるで地を抉るドリルのような勢い。瞬きする間にボタンは外され服は取り換えられていった。


「孤児院のチビらを風呂にぶち込んでるアタシにかかりゃ、マオなんて木みたいなもんさ」


回転する両腕にマオはくずおれることもできない。憾みにまみれた悪魔の金切り声がどこかでしたような気がしたがドリルに巻き込まれはっきりしない。


「それじゃあ……。じゃーん!! いい線攻めてるでしょ!?」


披露目されたカーテンの中に、おお~! と歓声と拍手が上がる。


「全く伸びないゾ、欠陥品ではないのかこの水着!?」


初めての試着がよほど恥ずかしいのだろう、サクラに後押しされたマオは解読不能なことを口走っていた。噛み過ぎて、舌はもう千切れそうだった。


前歯を血だらけに髪を振り乱す様さえ、着替えたマオが魅せる一部と化した。露出は、纏うという、本来の特性を廃したその装束はおよそ服とは呼べない効果だが、着用者がいたなら映える。些末なものなど実在しない肌をより白く、淡く、輝かせる。


で、あれば。


周囲の羨望を欲しいまま現れたマオは、確かに()()()()()()


「え……死にます」


水着姿の幼女に死を受け入れたギャルは胸に手を当て転倒。

天使の微笑を湛えた悪魔はとっくに昇天、なんとも安らかな最期だった。


「こらー! 君たちまだ開店前だぞ! そこでなにして」


開店時間を控えた店内の監視カメラに、一目でスタッフではない幼女と少女が三人、ギャルが映っていたのを発見した警備員は警棒を振り上げた姿勢を保ったままばたりと失神した。


「おいなんか余を前に人がバッタバタ死んでいくんだが!?」

「今年はビーチに死体が溢れるな」


サクラとスモモは普段から耐性をつけている。マオの水着にキュンとはきてもショック死までには至らない。


三人がかりでもアガレスとメテボンニクニは運べないので、店員につまみ出されるまでの猶予、もうしばし『着せ替え人形』で遊ぶことにしたサクラは、背後からにじり寄る気配に見返った。


「あ、朝日さっ……つぎ、は……これ……! きっとに、似合う!!」


水着に疎いマオもそれにはさすがに、ひっ! と喉が引きつりサクラもどうしていいか頭を抱えたが、スモモは完全に気づいていなかった。


たとえ勢いに試着を迫られようと、白の紐ビキニをつける覚悟は魔王であってもなかった。


「スモモが、着せてあげる……っ」


熟れた桃のような、たっぷりの恥じらいと欲望を込めて。


耐性と淫王の因子を獲得した化物(モンスター)は、劇烈に咆哮した。

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