突入、からのざれ言
「――ところで、だな?」
咳払いし、目的地に辿り着いた勇者に問う。
人気のない団地の屋上は見晴らしよく、街が一望出来た。校舎は依然緊迫としていた。
緊張を含んだ風が銀色に染まった前髪を撫で、額がぴりりと痛む。
学校では、装備を整えた『魔物生活安全課』の特殊部隊が、突入の合図を待っていた。
「なぜ、ここなのだ。余は、離れた位置からあの中に侵入したい――そう貴様に言ったぞ?」
鬱陶しくなびく髪を押さえながら眼科の校舎を指さし、背後を振り返る。
「――周辺を囲まれてる。突入まで秒読み開始と言った所だ。お前もそれくらいは判るだろ。――あれは、ただの警官じゃあない。〝賢者の贈り物〟で対・俺たち用に特化したこの世界の精鋭だ。さすがの俺でも、無傷で人目につかずあれを突破出来る自信がない。煮え湯を飲まされた立場としては、やり合うのも二度と御免でね…………」
夕暮れに明滅するサイレンを眺め、懐かしむように目を細める。
マオに、政府の庇護下にあった魔王に、大戦を生き残り、賢者の知恵を受け、異世界に〝対抗〟出来るようになった人類の足掻きはわからない。魔物から人々を救おうと往来で剣を振るい、結果、七十三回牢獄で過ごす羽目になった勇者の惨めさはわからない。
敵意とやり場のない怨念、魔物に手こずりせいぜい苦労するがいいと呪いながら、手中に大剣を顕現させ、なら、と呟き勇者が。
「高さと角度から――発射地点には、『ここ』が最適な位置だ」
〝高さ〟?
〝角度〟?
……そして〝発射地点〟?
こいつは、一体なにを……?
と、硝子細工のより軽く脆いマオを担ぎ、瞬間、二人の周囲が沸き上がる。
瞬間詠唱で発生した膨大な魔力に急速に沸点に達する空気。だが反面、二人を包むのはとても冷ややかで、静寂に満ちた優しい光を帯びた、藍のかがり火だった。
ここに行き着くまで、常に観察していた。
――密集する住宅の規模と、そこから概算可能な住民人数、外を歩く通行人。
――学校との直線距離、そこに群がる野次馬、あとはそれら全てと、空との高さだ。
以上を参考に、一般人に被害が生じず、且つ認識が困難な移動手段を組み立て、それを――移動の片手間にやってのけた。
時空の変化に、勇者の腕に抱かれながら動転するマオに、静かに念を押す。
「じっとしてろ? ――誤って振り落とされたら、燃えて消し飛ぶぞ」
瞬きより速く跳躍し、空気を蹴り、疾駆する。
しかし、それだと当然、肉体の負荷は、先程、釘を刺した通り。使い慣れた移動手段なので、無論、無傷で済む。が、自分が剣と抱えているのは生身の人間……〝今〟は。
防御魔法と重ねがけての展開は初で、正直不安はあった。が、抱いた幼女の体重を実感し、上手く発動してなによりだった。
紅と藍の焔に縁取られた光を放ち、空間を溶解し衝撃波を殺しながら、街をひと越え。
狙い通り。行き交う人々はその正体に気が付かず、空を見上げた者がもしいれば、眼の錯覚かと思い首を捻っただろう。
――夕暮れに〝彗星〟を見た。なんて、とても信じられなかった。
瞼を閉じ再び開けてマオに飛び込んできた景色は、団地の屋上と茜色に染まる街並みではなく、うんざりする程まで見慣れた教室だった。見渡して現実かどうか確かめ振り返ると、壁が円形にドロドロに熔けて垂れ落ちていた。
「きっ貴様! 一体なにをした!?」
「『なに』って。〝学校に来た〟だけでは?」
瞬間、あっけらかんと首を捻って答える勇者を前に、受け入れ難い光景に視界が軋んで歪む思いがした。
それは、魔法に見慣れたマオの新しい眼をもってしても、初めて目にする技だった。
こんな無茶苦茶な男と戦うことになっていたと思うと、脚先から血の気が引き立つのもやっとの状態だった。
「みな、大事ないか――ッ!?」
勇者から降り重力を感じたことで意識が現実に引き戻される。
「――朝日、さん?」
「マオちゃん……」
涙を浮かべ抱き合いながら床にへたれ込む女子生徒二人。
すぐ戻ると約束したのに、置き去りにし怖がらせるなど、これでは主も友も名乗る資格がないな、と不義をいましめる。
「昼餉は……残念ながらあきらめるしかないな」
頬を腫らした二人が見合って、訝しげに首を傾げる。
「ああ、なんだテメェら?」
マオと勇者を交互に見比べるのは、兎のような白い体毛に覆われた獣だった。といっても、人の身の丈はある大きさで、兎独特の折れた脚、長い手脚には黒光りする鉤爪が生えていた。
長い耳を震わせ裂けた口から唾液を滴らせた魔物に足蹴にされていたのは、スーツに身を包み、血の滲んだ顔で呻く一人の男――この学校の新任教師であり、この教室の担任である早乙女五河その人だった。
「貴様! 即刻その男からはなれろ!」
舌つづみを打つように喉を鳴らし血の付いた爪を舐める魔物。
「活きがイイねぇ。――ほら、退いたぞ。だがその前に名乗れや、ええオイチビ助。一体なんの用……ん、ゥんん~?」
足を退かすと、ゴホッと乾いた声で咳き込む五河。
と、魔物がマオに近づき、ふがふがと彼女の匂いを嗅ぎ取り、その懐かしさに満ちた香りに額を押さえ歓喜に打ち震えるように天を仰ぐ。
「コイツぁおどろきだ! 懐かしい匂いがするからだれかと思えば――お久しぶりだぜ! 『お母様』!」
「あさ、ひ……さん……っ」
混濁する意識で教え子の名を呼ぶ。
一瞬、魔物と視線を交わす彼女が、こっちを見た気がした。
――〝今すぐ、ここから逃げろ!〟
そう伝えようと息を吸った。途端、言葉が喀血で掻き消されてしまう。
舌打ちし魔物が顔を蹴り飛ばすと、児童の恐怖に満ちた静寂が教室に訪れる。
「おっと、危うく殺すとこだった! ……まだ楽しみが残っているのに」
ゲタゲタ高嗤いしながら五河をぐりぐりと踏みつける魔物を、復讐鬼のような鋭い眼光で睨みつけマオ。
「なぜ、こんなことを……」
だが、それに反し。
「〝なぜ〟――〝なぜ〟だって? 〝遊ぶため〟に決まってるだろぉ?」
「遊ぶため、だとっ……!?」
血を湛えたような紅い眼を快楽に輝かせ。
「幸せそ~うに見える人間を片っ端から攫って、悲鳴と血で、そいつらの居場所を真っ赤に〝飾る〟――いい世界だよなぁ、ここは。誰も彼も平和ボケして、みぃ~んな、いい声で鳴くんだからよォ……」
「き、さまァッ!!」
「なんだ? 妬いてるのかぁ? 『お母様』も、〝コレ〟で遊びたい――心配すんなって!べつに一人占めなんかしねえからよ。〝おもちゃ〟はたくさんあって、どれも、遊び甲斐ありそうだし」
悦に身震いする魔物に値踏みするように射竦められ、ひっ……! と、生徒たちの悲鳴が上がる。
「――ほら、こっちに来て一緒に仲良く遊ぼうぜ? 下位の魔物に、『お母様』と戯れる機会なんてなかったんだから」
手招きをする魔物から鉤爪が伸び、舌なめずりする。
沸騰した怒りに、腸に虫唾が走る度し難いまでの嫌悪感に、吐き気を覚え、波紋のように意識が波打つ。
「このケダモノがァア!! 貴様には、魔物としての誇りはないのか。この世界に受け入れられたいとそう心から願う同胞への想いはないのか!?」
「…………なーんだ。なにしに来たと思えば、せっかくの感動の再会。その目的は、説教か……」
呆れ、冷たい、道端に転がる石ころを眺めるようにマオを見下ろしため息を吐く。
「〝魔物としての誇り〟? そんなの、あるわけないに決まってるだろ。誇りだ矜持だに固執して、俺はずっと待ってた〝おたのしみ〟を奪われて……その原因は、『お母様』がこんな脆弱な奴らに油断して負けたからだろ。それを。どうやったかはわからんが、見た目だけじゃなく、心までお子様になっちまった?」
もう聴き飽きた罵り言に、心底嫌気がさす。爪に血がにじむまで拳を握りしめる。
「余は、情けない。貴様を創造したことでは、幼女だと罵られたことではない……事実になにも言い返すことが出来ず、憤りに悶えるしか出来ない己が、余は情けないッ!! 貴様らの品位を地に堕としたのは、他でもない。余だ。――余は、『異世界殺し』の魔王などではない。ただの、非力な、小娘だ。なにもかも、全て余の招いたことだ……」
だが。歯噛みし。
だが。ぷるぷると、涙腺の備わっていない瞳から涙を流すように打ち震え、滔々と独白する。
だが、だが、だが――現実から目を背けるように心中で繰り返し、認めたくないと耳を塞ぎ、それでも前を向く。彼らに強いてしまった所業を直視し。
「だが! これだけは言いたい。これだけは言わせてくれ! ――我らは、『負けた』! 余のせいでこの世界に『敗れた』。それだけは、どうあっても揺るがない事実だ――血が足りず殺したいなら、余を殺せ。辱めたいなら余を辱めろ。――だが! 〝それ〟だけは魔王として、其処許らの主として容認出来ぬ!!」
頭を垂れ、乞う。〝かつての自分〟よりずっと格下だった知能の魔力もどこまでも劣る消耗品に懇願した。
――この世界で生きたいと足搔く余の――同胞の邪魔はしないでくれ! と。