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スメリング

「〝魔力を失った〟……だと?」


生唾を呑み下したマオは声を詰まらせるように呟いた。


「なにを言い出すかと思えば」

「あ、そのため息。アガレス信じてないでしょ」

「魔力を? 失う? ――あの賢者メテボンニクニが?」


それは〈十八冥光〉の筆頭を魔王より賜ったアガレスにはあまりにも荒唐無稽な発言で呆れるしかなかった。


「魔力探知してみなよ!? ただのニンゲンと区別つく?」

「それくらい改竄するのなんて、お前が本物の賢者を名乗るなら造作もない。そのニンゲンは魔法で操っている傀儡で、本物は別場所にいるとか?」


素の能力値は低くとも、知識だけでいうなら大賢者の右に出る者はいない。魔王軍の精鋭にも。序列十位の数字は伊達ではない。


まして彼女は、十八の中でただ一人、人の身で魔王にその才覚を見出された。蓄えた知識、魔族にとって人の扱う魔術など稚拙なれど、組み合わせれば一万の軍も根絶やしにすると証明してみせた。


魔術の応用力だけで死合えば、傷を負わせられるかもしれないと――神の肉を分け生まれた悪魔さえ唸らせた。


「そもそも、貴様の悲願には、その魔力が必要不可欠ではなかったのか?」


注釈を入れるように言うマオに賛同したアガレスも頷いた。


魔力によって死を克服した洞窟の大賢者。しかし悲願の達成にはほど遠い結果だった。


不死であっても、不老ではない。魂の老化は制御しても肉体は脆く、その(カタチ)は明確に定められている。生きている限り肉体は老い、果てて、いつか崩壊する。


最初、姿を見たマオたちは彼女をメテボンニクニと信じられなかった。千に至ろうとした年月を治癒魔法で生き続けた肉体は洞穴の割れ目から射す光にも焼け、厚い外套の下には炭のような肌色、立つのもままならない手足は冬の枯れ枝と同じ細さ。


二つとも眼球の落ちた目は常に闇を見据え、舌も歯も失くした口は無詠唱で奇跡を起こした。


「あーね。たっしかに、あん時のぼんちゃんオニ―でした。BBAっつーか死体に魂が憑依してるような状態だったし……」


手を下げ、ばぁあ……と、当時の様相をできるだけ思い出してメテボンニクニは再現しようとした。脳みそにも毎度魔法をかけ治さないほど頭蓋骨の中で腐敗していたから思い出すのも一苦労だった。


「オバケじゃん、ゾンビじゃん! うげー……キモい! 我ながらキモい! こうなるから、むかしのことはあんま思い出して欲しくないんだけどなぁ」

「しかし、そんな身体になってまで不老不死を目指したのが貴様だったろう。それが、なぜ力を放棄したと、我らにそこまで、豪語したがる?」


理不尽にこちら側での生活を強制されたのではなく、その姿であることを――誇りたいようにも見える。


「なんかなー、その姿になった魔王さまには面白くない話になっちゃうと思うんだけど…………そんな()きたい?」

「うんうん!」


両手を突いて食い下がり首肯するマオは銀鈴の鳴るような声音だった。そこへすかさずアガレスが便乗した。


「マオ様の欲望に応えてあげなさいな、大賢者。臣下がなにを言っても怒らない魔王様などそうそうお見かけしませんよ」

「……なんでゴーっちまで、嬉しそうなのさ」


若返った賢者の耳は、くすりと笑う声も聞き()らさなかった。


「ごめん、笑って。でも、上司の前だと……あのぼんちゃんもさすがにテンパるんだなって」


崖に追いつめられた小鹿のような目を潤ませたメテボンニクニを想像すると剛はまた吹き出し、そんな剛の揺れた肩をメテボンニクニはぽかぽかと叩いた。


「ヲタク陰キャがイキってんじゃーぞオイ! ――わーったわーった、ここで渋ってこれ以上株さげんのもヤだからしゃべります!」

「いよいよか」

「さっさと白状すればよいものを。で、どのような心境の変化なんです?」

「たぶん、あいや相当実りのない話なんだけさ……。こう――」


折り曲げた足裏を合わせたメテボンニクニの目線は中空で八の字を描いた。


「逃げ遅れた、っつーの?」

()()()()()?」

「さっきの魔王さまの続きってことになるか。〈十八冥光〉が解散してから、オーバーズがしつこく追ってきてたのなんのって!」

「待て待て!」


悪いとは思いつつもマオはまくしたてようとしたメテボンニクニの話を土壇場で遮った。


「その〝オーバーズ〟とは一体なんだ?」

「この世界にて我ら魔王軍と戦った異世界の賢人の総称、だったような」


『こちら側』で得たうろ覚えの知識を反芻したアガレスにメテボンニクニは頷く。


賢人――賢者。魔法のないこの宇宙に未知の知識を伝来した知恵者の集団。(さか)しくも『異世界殺しの魔王』の風来後も、生き残った微かな生命体を連れ生き残り、最終目的地となった最後の訪問先に、世界の崩壊を警告した。


首肯したメテボンニクニに、横に座すマオを()めつ(すが)めつ窺ったアガレスの表情は優れない。


魔王軍に属した全ての種族にとって運命の日ともいえるあの『作戦』は、賢人がこの世界に来て生まれた。未来を見通す蜘蛛に唆されたとしても、魔法と――意志を持った概念(モノ)について語らなければ、世界が滅びた後も宇宙で食物連鎖は続いていただろう。


宇宙からその食物連鎖の頂点に君臨していた魔王が追放する遠因をつくったモノの話は、自分以上に面白くないという――だがそんなアガレスの不安の果てに。


腕を組み、幼女は得意げに笑っていた。


「初耳な名であるな。こちら側の(まつりごと)がつけたのか?」

「逆逆! そう呼べって強要してまわってる」


オーバーズ――〝限界を超えし者たち〟。自ら名乗っておきながら、異界のではなくこちらの世界の言語をわざわざ習得してまで訳した自称。言葉が通じない人々にも、伝わるように。


「〝我らは至高!〟とか、頭がかなりめでたい奴らだな!」

「だよね! ガチで『キワメン』なんだわこれが! じゃあその白ヒゲもカッコいいと思って生やしてんですかーって」

『あっはっはっはっはっはっはっ!!』


胸を反らせると爆笑しているようだったが、魔王も大賢者も失笑していた。


「……して、メテボンニクニよ。その賢人(オーバーズ)とやらに、どうして狙われたのだ? 雑兵はともかくとして――逃亡した魔王軍精鋭を手ずから駆り出すような、好戦的な連中であったか」

「魔王さま、ひょっとして会ったことある系? さっきのシエルの話の時」

「どうだったか、この頭に収まる記憶は限られているからな。しかし……そのような噂はついぞ聞かなんだ」


五河(いつか)の学校に在籍するクラスメイトたちも元は異世界からの難民――サクラとスモモも元は賢人たちに連れてこられた。過激な活動を恒久的に行っているなら少なくとも噂はマオの耳に入るはずだった。


シエルの一件もある。裏で工作しているからこそ、真昼も話題にしない可能性もあった。


「……トモダチできた? 今度ぼんちゃんにも紹介してよ?」

「質問の答えになってないにしても斬新すぎるぞ! 今の余の話で思ったのか?」

「自分より格下の生き物なんて、魔王さまいちいち感心しなかったじゃん。それが――」


噂なんて――積極的に他者と関わろうとしなければ出ない単語を、この元・魔王は、自然と口にしていた。


「当然です。見下げることはあってもマオ様は底辺など気にされない御方でございます」


劣等種の出としてはいいことを言ったメテボンニクニに同調の念を送ったのは、第一の家臣でありながら先ほどから会話からはぶられしおしおと落ち込んでいたアガレスだった。


「輪に入れなかった余が悪いが、貴様のその的を射ているようで反らしまくったフォローも今は余は気にしないでおきたい……」


マオに軽くいなされてしまい、そのまま会話の隅にまた引っ込むアガレスを剛が励まそうしたが落ち込む悪魔相手に尽す言葉が思いつけず距離を置いて頭を抱えた。


三者三様の展開にメテボンニクニは苦笑し、軽く咳払い。


「てか聞いてよ~。冗談抜きで、魔力の残滓をこっちがいくら消しても奴らマヂでしつこく追ってきて」

「そこまで執拗にされ、貴様には、本当に心当たりがないというのか」


マオの疑問は(もっと)もだった。かつて肉体の一部が魔であった自分には、自身の構造を語るような常識。


一度でも魔力を使い世界に干渉すれば、行使した術者の周囲には痕跡が刻まれる。外界に与える威力にしろ、範囲、魔法の精度が高度であれば残留する魔力も色濃く残る。


賢人の航海した先に、魔王の渡り歩いた後の崩壊した宇宙があったわけだ。

魔王は、残した痕跡を消さない。鰭で叩いた波を鯨が掻き消さないように、倒した木をどう起こすか象が知らないように。外敵のない魔王もやり方を学んでこなかった。


だが、『力は放棄した』とまで言わしめた賢人にメテボンニクニがどれだけ頭を悩ませられたかはマオにも共感してやれた。


「ないないないないないないない! ――って、胸張って言いたいんだけどなぁ。どういうわけか奴ら知ってるふうなんだよね」


大賢者の憂いはすぐに解消される。簡単な話だった。


身を隠そうとした魔法で魔力の残滓は残る、なら――魔法が発動しても痕跡が出ないようにすればいい。幸いその方法も大賢者の血肉となっていた。


あるいは撹乱(かくらん)しなければ、追手への嫌悪など生まなかったのかもしれない。


残滓を絶てば居所は悟られなくなる。しかし彼らが(あらかじ)め――メテボンニクニという魔法使いの魔力の性質を掴んでいるなら。


習得した魔術知識が多ければ、蓄積の負荷に耐えられやすくなるよう体内に循環する魔力の濃度も上がる。アガレスのように肉体が魔力でできている種は拡散を抑えられるが、身体から常時漏れ出る魔力を抑制するには、メテボンニクニは、その段階にまだ至っていなかった。


発動者の気配は闇の中でも澄んで判る。視覚を頼らないそれは、ある種の『におい』ともいえた。痕跡を消しても現場にこびりついている。


寝食を共にした身内か、身体を重ね合わせるようなよほど親しい間柄でないと在ることさえ認識できない。かつて仕えた魔王やその側近も知られていない。


なのに、顔も名前もそれまで知らなかった相手に何度もつきまとわれている。行く場所行く場所に遭遇されたメテボンニクニにしてみれば、残り香を憶えられ嗅がれるような気分にされたことだろう。


「それで、とうとう悲願を半ば諦めるしかなかったと……?」


この場に追手がいないということは、そういうことなのだろう。大賢者には争う意志がないというのに。


マオの同情の言葉を、だが、メテボンニクニは明るい声で吹き飛ばした。


「ぼんちゃんあきらめたつもりないし……むしろかなったし!」

(かな)った――()()()()()()

()()()()


これを見れば判るだろうと、メテボンニクニは立ち上がった。肌は窓から射す夕陽に白砂の輝きを放ち瞳の内で世界は鮮明だった。


「きっかけは偶然だったよ。でも盲点だった。まさか魔力を放棄しないと若返れないなんてね」

「……代償で完遂する魔法ですか」


アガレスは呟いた。


古代に遺された秘術、神秘――だがその全てが方法を記す半ばで途絶え伝承され解明するのにメテボンニクニも手を焼いた。


なぜ、賢者や知恵者と讃えられた彼らが、途中で筆を置いたのか。同じ頂から世界を見れば、メテボンニクニにも彼らの(むな)しさが理解できた。


最も叶えたかった夢が実現した後、どうしても考えずにはいられない。他の全てに手がつかないようになるほど。


――これは、今まで払ってきた犠牲に見合う『価値』があるほどの、夢だったのか。


「……事情も知らず()いて済まなかったな」

「だからなーに言ってんだし!」

「落ち込んでは、ないのか、全てを失って……?」

「はぁーあ…………サイッッッコーな気分だよ!」


まずは読んでみなさいなと、メテボンニクニはマオの後方の本棚から一冊の本を引っ張り出した。マオの受け取った本は図書室で触れたのと比べ小さく薄い。だが酸味のようなインクの濃厚なにおいはページを捲れば鼻をついた。


「これは……?」

「その漫画と出逢って、大賢者は変われたの」


ページの端まで絵が占めるこの本はそう呼ばれると、メテボンニクニはマオに教えた。


メテボンニクニも、この本に教わった。あの辛く滲まぬほど血の乾くまで続けた努力の日々、魔王との邂逅、敗北、追跡者への嫌悪感。


払ってきたこれまでのどんな犠牲も釣り合わないような素晴らしい〝夢〟を叶えた自分は。


世界のだれよりも、充実した日々を送っているのだと。


「そのラブコメ漫画に出てくるヒロインのように、大賢者の求めた真の不老不死――それは『ヲタクにやさしいギャル』になることだったのさー!」

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