裏切り者は語らない
「……ここ、は」
一段一段、階段を踏みしめながらマオは周囲を窺った。
「どうやら」
「この地下全体が巨大な迷宮と化しているようですね」
前後から庇うような恰好で主を囲む従者が頷き合って言った。アーチ状のトンネルで足下を照らすには頼りないわずかな光を捕らえ、眩く金に輝く髪を共に同じように垂らし、両者どちらも整った眉に目鼻立ち、この世の絶世の美女でも、その透いた肌を前にすれば、手にした鏡に写る己の醜さを心から嘆き、投げ捨てることだろう。
コンクリートから滲む陰湿さも寄せ付けない見事な装束。雪原に光の筋道を示したような生地は国宝級の代物にも価値が上回る。これが、職人が何十年の際の果てに完成させた最高級品――ではなく、一瞬の魔法で発想されたものとは、にわかには信じられなかった。
俯瞰では気づかなかったが、装束の上部には隙間が意図的に設けられ、遠目から感じられた上等さと礼節を小馬鹿にするように、胸元を覗かせていた。だがどちらも、周囲を誘うには成長し切ってはいない。
姉妹と誰もが信じて疑わない二人は、姉妹ではない。人――ですらなかった。造形美を理解する脳を持たないのは自明の理だが、二足歩行で地を這う低俗な劣等種と見間違えられると、控えめに言って――‶ぶちぶちぶちぶちぶちころしてやりたい〟。
後頭部から額に掛けて弧を描く二体の悪魔の左右非対称の角は、影に女の正体を案じさせていたのだった。
「探知魔法も〈司欲淫王〉が使えば、迷路も猫の額ほどの広さか。アガレスの前では余も隠しごともできぬな」
感心したように眉根を上げる幼女に、隔てられた従者は互いに言い争いを始めた。
「小生です!」
「いいえ、マオ様は小生を褒めたんです」
「先に探知魔法を使ったのは小生なんですから、貴方に褒める要素などないでしょう!」
「ハあっ、笑わせてくれるわね。貴方がだらだらと詠唱する前に、とぉお~っくに探知を終えた小生が先に、先に! マオ様に報告しようとしたんですぅー。同系統の魔力も感じられないなんて、ちゃんと神経通ってますかぁ?」
「ムキぃいいいいい!!」
「うがぁあああああ!!」
売り文句に買い文句で煽り合った挙句、言葉では埒が明かないと判断し、実力で真偽を決めることとなった。
「マオ様は、どちらの小生をお褒めになられたのですか!?」
「小生か小生……はっきりしてくださいまし!」
二体の悪魔に詰め寄られた幼女が鏡合わせのような光景に脳をぐるぐると混乱させ、白い頬が紅く色づいた。
助けを求め付近の人影を探す幼女の肩でするすると靡く髪。魔力を含んでおり、毛先に至るまで月光の如く白銀の輝きを湛えていた。泳ぐ瞳は映る世界を碧羅に染めて、熱い吐息に唇は桃色に湿る。
造形美というと――幼女を主と讃える悪魔にも、負けず劣らずの美貌だった。
それもそのはず。この顔は、幼女が望んで手に入れた顔ではない。生まれた時からこうだった――という意味ではなく。
そもそも、こちら側の世界に来るまで。
幼女は幼女どころか――人の身体に命と感情を宿した生命体ではなかった。
「さあマオ様!!」
「どちらですか!?」
‶どちら〟――と言われてもだった。
今は早乙女マオとこの世界で肉体と名を与えられた幼女は苦々しく下唇を噛んだ。当人に比べ分けがあるのはやり取りから推察できる。しかしマオからしてみれば、どちらも自分が『アガレス』と呼ぶ悪魔で侍女であり、区別なんてつくはずなかった。
未知の拠点に足を踏み入れるから護衛の範囲を広げたいと、分裂を許可するのではなかった。人数が増やしたところで護りが固くなるわけでも軟らかくなるわけでもない。それでもゴリ押してきたのは――先の騒動で人格を分けるのが、どうやら癖になったらしい。
とはいえ、階段上でいつまでも立ち尽くしていても足が痺れるだけ。
破れかぶれに――前方を差したマオは、前にいたアガレスを、勝たせてやることにした。
「やりましたわ!」
「そんなぁ……きっ気を落としてはいけません。次こそは――!」
十代半ばの少女特有の顔ではにかむアガレスに、後ろで同じ顔が悔しがりリベンジに拳を固めた。アガレスなら性格を余計こじらせ爆裂魔法くらい放つとマオは気を引き締めたが。
いがみ合っても、相手は、自分自身。決した勝負を破綻させるまでの対抗意識はないようで。
だが当分、有事が起こる度に、身体が二つになった同一人物に優劣を答えなければならないと考えると、腹を押さえずにはいられないマオだった。
「仲がよろしいことで」
先頭を進んでいた黒服姿の男がつるりと剃った禿頭を撫で言った。
「それより、いい加減余の質問に答えよ。我らをどこに連れていきたいというのだ、貴様」
一歩段差を下り行く気になったのを示すマオに、まあまあと男は満足そうに頷き返した。
「来れば判ります」
男――端末真昼は、着いた早々と同じくまたもマオをはぐらかした。
避難キャンプで朝を迎えて七度目。ようやく帰宅の目処が立ちつつあったある日の朝、アガレスを共だって自衛隊のヘリに担ぎ込まれたマオは、真昼に案内されるままどこかの施設に連れて行かれた。
列島を出たヘリはしばらく湾外を縦断し、水平線に見えた小さな島に設けられたヘリポートに降り立った。真昼とマオ、護衛に就くアガレスを下ろしたヘリが、同乗していた自衛官を乗せて再び飛び立つのを見送ると、真昼は二人(人数的には三人だけれど)を、雑木林が生い茂る島の中心へと案内した。
縫うように木々の間を進んでしばらくすると、森に覆い隠された建物が見え、外観から神殿と思しき石造りの建造物の階段を一行は下った。
「そこかしこに魔力の痕跡がありますが、これは」
「なんといいましょう――掴みどころがありません」
壁伝いに入り組む、あるいは部屋で滞留した魔力の波動から地下には数多くの通路がある
と知覚したのが、迷宮と判断したアガレスの心意だった。だが、不鮮明なまでに曖昧な魔力の流れを反芻するアガレスの探知は、いくつかの断片が迷い込み、入口から森に抜けた反応は一つもなかった。
「この場所は……我らを迷い込ませるための罠ですか」
敵意の籠るアガレスの声が唸る。
マオの正体を知る政府の人間なら、世界の脅威となるマオとアガレスを欺き、幽閉しようとするのは尤もな戦略でもある。無人島なら犠牲者も出ない。地下なら生き埋めも可能。
ましてや、不完全にも、大悪魔の感覚を惑わせる魔法が掛かっている。マオの護衛にアガレスがつくのを見越して用意したと、真昼を疑うのが無難だった。
「彼の魔王軍筆頭様の指摘を否定するのは忍びないのですが、違います。閉じ込めたいのは入る者ではなく、ここに囚われている者です」
階段の最後の段差を下りた真昼の前に、人影が一つ浮かび上がる。
「紹介します。この迷宮、牛斧迷獄の管理をしている――ラビリンスです」
真昼に背中を押されてマオ達の前に躍り出たのは、少女だった。数はアガレスの外見年齢をニ、三引いたくらい。特徴は土のこびりつく白い裸足まで全身を覆う髪。絡まる髪は蓑虫のようだが、光も跳ね返す黒髪は新月の夜を想わせる。
「この娘、獣人か」
こめかみから髪をかき分け生える二本の角を見上げながらマオは呟いた。マオが気付いた頭部だけでなく、少女の瞳の瞳孔は球体ではなく横に平たく、声を拾おうと動く、笹の葉のような耳。
「貴方がこの迷宮の主といったところでしょうか」
「猿を猿真似した獣にお似合いな、なんともみすぼらしい娘だこと」
詰め寄るアガレス達の見下ろす四つの視線が少女を貫く。目牛の毛皮で胸元と下半身を隠しただけの粗末な服でマオを迷わせたと思うと不快極まりなかった。
「てい、えい!」
「あだっ!?」
「マオ様!」
頭に覚えた衝撃に手を押さえるアガレス。睨むために姿勢を低くしたおかげでマオはチョップしやすかった。
「連れが失礼をした。早乙女マオだ。よろしく、ラビリンスとやら」
謝罪も込め、マオはラビリンスと真昼に呼ばれた獣人の少女に手を出した。『あ~ん、マオ様ぁ~』と自分達を叩いた手が差し出されたのを悔しがる声は、とりあえず一旦無視した。
出された手を、しばらくあんぐりとラビリンスは見つめた後。
「……も~う……」
と、マオに向かって細い顎をしゃくり上げた。
「え? ‶もう〟?」
「貴様ッ」」
「この方を誰と心得る!?」
無礼な態度を取った獣人の娘にアガレスは火炎系の魔法を掌に展開した。神殿にあった酸素が燻り黒炎が朦々と燃え狂う。
「もう、もう、もう」
一瞬の隙に骨まで灰にする炎を前にしたラビリンスは怯えたような顔色をさせたが、不満の声は止めようとしなかった。
一触即発な空気に割って入った真昼が釈明した。
「マオさんを嫌ったのではありません。彼女は、言葉が喋れないんです」
本能に震えるラビリンスを足の裏に隠した真昼は笑みを浮かばせていた。
このような状況でも、アガレスを諭そうとする。これまで命乞いに幾千万の国家と役人と交渉に臨んだが、ここまで面の皮が厚い者をマオは知らなかった。
「さあマオ様!」
「遠慮はいりません、またお願いします!」
輝かしい期待の眼差しにマオは何のことか判らなかったが。
ずい、と。アガレスは頭頂部を突き出して、ようやく狙いを理解した。
「叩くうちは大人しいか、なら叩いてやらん。それで――ラビリンスは、政府が保護した異世界の住人か?」
「今は――それで正しいことにしておいていただけると、助かります」
「「もー無体なぁあ~♡」」
「ふへ……なにか言ったか?」
この神殿についてもせっかく事情を訊こうと思ったのに、両側から飛び込んできたアガレスに甘い吐息を耳に無理やりねじ込まれ肝心なことをマオは聴きそびれ、つい返答に質問を打ち返してしまった。
「あまりディアに舐めた態度とってると、このう俺様がお前を肉塊に変えてやるのだわさ」
音もなく鼻先に現れた顔に唾を掛けられたマオは驚いてそのまま仰け反った姿勢で尻餅をついた。
「あらあら」
「貴方はいつぞやの、可愛らしい虫けらではございませんか」
柔らかい口調を心掛けるが、アガレスは怒っていた。上品な笑みの隅、こめかみに浮き出た脈を打つ青筋がその証拠だった。
もちろん罵倒である。だが‶虫けら〟という表現を侮辱の言葉として敢えて持ち出したアガレスは、相手の特徴を捉えようとしてのことだった。
二体の悪魔に握り締められても不服そうな顔を止めない人物は、どれだけ大きく見積もってもマオの頭の半分の身長しかなかった。それは小柄というサイズにも満たない。甘い香りが滴る衣裳は、摘んだ花びらであつらえた。線香花火のように紅に煌めく髪の後ろではためく翅は、今はくしゃくしゃ――けれどアガレスの手が放せば、新月を舞う黒蝶のように、闇の中でも光を湛えることだろう。
「改めて僕の方から自己紹介をさせてもらいます。この御方はフェアリーテイル。〈非属同盟〉の団長を任せていただいております」
「ファミリア?」
「隠れて僕がこっそり創った、異世界の方々との倶楽部のようなものです」
言った真昼に対し、ふむとマオは首肯しながらラビリンスを見た。
一つ前の会話は聴き取れなかったが、ラビリンスもその〈非属同盟〉という組織に属する真昼の仲間、くらいは納得した。
「アガレスさん、そろそろ放し――」
「どうして?」
「お仲間が大事でしたら、ご自分で助けられてはいかがでしょう」
慈悲を求める真昼の懇願を、黄色い笑いで悪魔はかき消した。二度に亘って主に失礼を働いた羽虫をこれ以上生かしておく理由などない。
余生は十分楽しんだとみなし、汚物にたかる鬱陶しい蝿には、地下の汚物槽で汚物二匹とも、ここで浄化、……したかったアガレスだったが。マオの手前もあるので、四肢と胴体は残したまま、綺麗に――百裂きで勘弁してやることにした。
アガレスの手の中から、実から果汁を搾るような音が空気なら入り込める神殿中のあらゆるすき間に響き渡った。音は、制そうとアガレスに伸ばしたマオの手がそのまま耳を覆うほど生々しい音だった。
その音をBGMに、子気味がよくなったアガレスが、にたりと口角を上げた。
「彼女は、僕の言うことなら大抵は聴いてくれますが、一度怒ると、僕でも手がつけられないので」
本人ではなく主を通して忠告した真昼。
見てみろ――そうマオに顎をしゃくった。
「……うそッ、であろう……!?」
驚愕に口を開けたマオと似たように、アガレスも、掌から落ちた足を訝しそうに覗く。
フェアリーテイルを絞めるアガレスに重なる同一人物の手。それはまるで、一等賞の旗を竹棒の頂上で奪い合う棒倒しの選手のようだった。
マオの目でも視認できるアガレスの腕の腱。
彼女が本気を出さずとも、豆腐だが大岩だろうが、惑星でも同じようにいとも簡単に粉にできるのはマオも知っている。
妖精の身体は――それよりも、ずっと、堅かった。
不審がったアガレスが二人がかりでそれぞれ力を加えても血の一滴もつかず、小指の縁から零れた二本の足も綺麗なものだった。
本気を出せば神でも殺せる自信のあるアガレスの力を持ってしても傷一つ付かない生物を、まさか人間になって、魔法のない世界で初めて出遭うとは、マオも――そしてアガレスも露ほども想像してはいなかった。
「俺様の身体をその穢れた手で触れやがって。所詮は神の劣化版、審美眼など持ち合わせてはいないだわさ」
洞穴を照らす光の正体は、アガレスの指から溢れた黒い鱗粉。
その中央で翅を広げる妖精が、ぴっと――中指を立てていた。
「アガレス、お主……手が!」
震えたマオの人差し指がアガレスを示し、真昼はやれやれと肩を竦めた。
鱗粉同士が反射し合い増幅したフェアリーテイルの魔力は、アガレスの手首から先を消し飛ばした。欠けた片腕は先が液状化し、蝋が熔けたようだった。
「にわかには信じられん……」
だが、マオは認めるしかなかった。
フェアリーテイルと名乗ったこの妖精は、魔王軍配下で最優と謳われた大悪魔に、傷を負わせたのだ。
「「――あらあら、まあまあ」」
ついさっきまでいがみ合っていたアガレスが、下を出して笑みを浮かべる。
蝋を固めるように、喪った手を互いの身体で補うように身を寄せ合う。身体はそのまま、二人を別けた距離が完全になくなっても融合は止まらず、金の髪は二人分に伸び、装束は一人分にサイズアップした。
「小生としたことが、マオ様の前でみっともない真似を。やはり、知らない虫に素手で触れるものではありませんわね」
元通りになった手で貌を拭い、亀裂のように浮き出た境界を消し去った。
そこには、完全に力を取り戻した一匹の悪魔が微笑みながら立っていた。純粋な魔力で構成された身体に纏う衣裳。本来は純白であるウエディングドレスを漆黒に染めるという、祝福を冒涜したような装束も魔力で編み込まれ聖剣を弾くほどの強度を持っていた。
雪のような白い瞼に嵌めた瞳。クリムゾンの奥で毛細血管が脈を打つ。
一つに戻った頭から生える双角は衝突するように弧を描き、それは、天使の環に見えた。
「ここは貴方がたの領土、なら、敵である小生に壊されたとしても、文句は言えませんね」
完全体となったことで魔力の再循環が始まり、アガレスの腰から翼が現出した。尻尾に代わって悪魔から生えた三対の黒い翼は、片側しかなかった。
アガレスの種族――〈神創聖典〉は腰部の翼で魔力を制御する。神がその身を切り分けて創り出した種族は膨大な魔力を生み、それを操る翼も本来は晴天の元で白く輝く。
完全に力を取り戻しても生えそろわず、片翼は宵闇を吸い込んだかのように黒く暗い。
だがこの姿が本当のアガレスであり、彼女が一族から‶魔王〟と恐れ忌み嫌われた所以だった。
「何千年と続いたその慢心も、四十秒後には黒歴史になってるだわさ」
およそ妖精とは思えない嗤いでフェアリーテイルはアガレスを挑発し、それを受けたアガレスもヴェールの下でにたりと牙を覗かせた。
「アガレス、児戯も大概にせよ」
「これ以上ここに来た本来の目的から反れると、僕も黙っていられませんよ?」
悪魔と妖精、相対する魔力の衝突は空間だけでなく時空の流れをも捻じ曲げ、アガレスとフェアリーテイルの間では一瞬と永遠がそれこそ無数に生まれては消えていった。
止めるのが、あと一秒遅ければ。何百年と提唱された末についに確立した時間の概念が、ほんの見栄の張り合いで破綻していた。
と言っても、それを阻止したマオにも真昼にも時空の歪曲なんて現象、知覚できるはずもなく。‶一秒〟もまた、アガレスらにとっては不滅の刻と等間隔であった。
「――寿命が延びて、飼い主に感謝するだわさ」
「お互いにね」
姿勢を正すアガレスに、マオは胆が冷える思いだった。
「して、真昼よ。余をこのような場所に招いた――貴様の目的は?」
真昼が頷くと、ラビリンスが斧を地面に打ち付けた。
斧の柄から魔法陣が地面に展開、一行が立っていた区画が上下運動に激しく揺れた。
「これは……」
アガレスに支えられるマオが魔法陣から顔を少し上げると、ラビリンスの背後の壁が跡形もなく消え、新しく通路が一直線に延びていた。
「こちらです」
灯りのない通路を進もうとしたマオは、肩と肩とがすれ違う瞬間、ちらとラビリンスと視線を合わせた。
「すでにお気付きかと思いますが、この神殿はラビリンスの意思で内部構造が変化します」
であるな、と、マオは隣を往くアガレスと頷き合った。
通路が現れた時、壁が動いた形跡やそれらしい変化をマオは確認できなかった。
という事は、真昼の言った通り建物の構造そのものが魔法によって変化した。
「空間に作用する魔法。しかし、あの牛娘ひとりで成せるとはどうしても――あの‶斧〟ですか」
地面の魔法陣が光る直前にアガレスが感じた感触に覚えのない魔力。
あの両刃斧を振るえば、神殿は斧の持ち手の意のままに操れるということらしい。
「やはり――敵の罠にまんまとはまった、という事ですね」
マオの手を取ったアガレスの手に力が入る。この暗い闇の中でも真昼の動向は、青空の下の景色にあるようにはっきりと見えていた。
「雑魚の脳味噌ってホントお花畑なのだわさ。過大評価しちゃってまー」
真昼の頭でうつ伏せになったフェアリーテイルが足をばたつかせていた。見ると身体を淡く発光させ真昼の周囲を照らしている。そこで光っていると、背後にいるマオには真昼が頭頂部を自ら発光させ足元を照らしているようにも見えなくもなかった。
「フェアリーテイル、そこだと僕が頭を光らせているようになるので、場所を移動してはもらえませんか」
「ああそっか、ごめん」
「意外と素直!?」
肩に飛び乗ったフェアリーテイルに思わずマオは突っ込んでしまった。
「うふふ、小生を雑魚呼ばわりして、お花が咲いているのはどちらでしょう? あら、妖精は元々植物から生まれるのでしたね。ならお花畑はむしろ貴方の方がお似合いなのでは」
「壊すぞ木偶ぅ……」
「イラガ風情がやってみろよ♪」
罠に嵌めるのも必要ないと、そう豪語したフェアリーテイルの挑発に懲りずにまたも乗ってしまうアガレス。
「――真昼、今度ここに来る時は、アガレスは留守番させておく。貴様も今後はその妖精とアガレスはなるたけ鉢合わせしないよう取り計らってくれ」
「それは、もう手遅れ――ああ、ここです。着きました」
真昼の声がわずかに反響していた。開けた空間に出たのをマオも肌で感じる。
「ここが目的地、相当広いな。ここになにがあるというのだ?」
暗闇に慣れてきたマオの目も、その広さに空間の規模を再び認識できなくなる。
「ラビリンス、お願いします」
「もーう」
「うっわびっくりしたぁ……!」
ぬっと覗いてきたラビリンスの横顔に、マオはラビリンスとは反対方向にいたアガレスに飛び付いた。
「マオ様、人が見ています。ですが、マオ様さえよければ……今夜にでも、ベッドで……」
「貴様……これを狙って、ラビリンスが見えていても余に黙っておったな」
というか、と、ある事情により、今はそういうことができないのを忘れたのかとマオに言われ『そうでした!』と思い出すアガレス。
「では、五河様を呼んでマオ様は横で見守っていただけると」
「なんの罰ゲーム!?」
などと不毛なやり取りを交わしている横で、ラビリンスの魔法は終わっていた。
「ありがとう」
くしゃくしゃと真昼に頭を撫でられると、ラビリンスは照れたような横顔をマオに見せた。
肩でフェアリーテイルが血涙を流したように見えたが、きっと気のせいだろうとマオは頭を振った。いくら妖精とはいえ、血の涙を流すなどあり得ない。
「マオさん」
前に出るように真昼に促され、忍び足でマオは背後に真昼を立たせる位置に着いた。
目の前には、石造のなにかが在って――石柱の断面のように見えた上部は蒼い光で周囲を照らしていた。マオにはそれが、碑のように見えた。
近付いてよく見てみると、真昼がなにを見せたかったのか、そこにあるモノにはっとしたマオは知った。
上部は石ではなく、透明なガラスで造られていた。どうりで――マオはそう思った。四方に散る光はガラスで覆った石碑の頂点から放たれていた。
「――シエル」
その中に閉じ込めたその生き物の名をマオは誰に言うでもなく呟いた。
石碑に封じ込められていたのは、つい先日、マオの命を狙い彼女の住む街を破壊しようとした魔物――シエルだった。
「……なるほど。ここがどういった施設なのか、ようやく小生にも判りました。ここは、異世界から渡った品々や魔物を幽閉する〝監獄〟なのですね」
マオの肩に手を添えたアガレスがふり返る後ろにいた真昼に確認を取った。
口端を微かに上げた真昼に、アガレスも倣って笑みを見せた。
複雑に構造を変化させなければならないのは、万が一にも脱走を図られた際、囚人を出られないようにするため。それでも市街地から離れた孤島なのは、ここには――それだけ危険なモノが在る、ということらしい。
「今回は――お願いがあって、マオさんをお呼びしました」
「〝お願い〟……?」
「かつてのあなたの部下――〈十八冥光〉、〈八束腐巫〉〝シエル〟の身柄を我々に一任する、許可を頂戴したいのです」
芯のある言葉で真昼は言った。
一方、マオは振り返っただけで、それも、アガレスの力を借りてでしかできなかった。
ここにいる全員が、皆、先日起きたシエルとの闘いの当事者だった。失われた魔王の心臓をその身に宿し、かつての主であるマオを手に掛けようと、多くの命を、国家を巻き込もうとした。世界を滅ぼそうと異世界から来訪した魔王の僕であった魔物は、だが、主と同じ敗北の運命を辿った――。
力を失った石碑の中のシエルは、人型から本来の蜘蛛の姿として封印されている。それが、真昼を始めとした政府と――マオ達の完全な勝利の証。
「マオ様の心臓も、ここに?」
アガレスの追加の問いにも真昼は誠実に説明した。心臓の他に『異世界殺しの魔王』の臓器は、輸送の途中でテロリストに奪取された一部を除いて、全てこの地下迷宮に保管されている、と。
「そのような重大な機密を、……〝元・魔王〟たる余に話してもよいのか。仮にも、貴様、余の監視役であろう……?」
「力を失った直後のあなたにだったら、絶対に口を割ってはいませんでした。私、とても口が堅いので」
「口を滑らせるほど――今の余は、貴様らの信用に足る……そう言いたげであるな」
マオにとって、柔和な笑みを絶やさない禿頭の男の軽薄さは、不遜で、とても不敬。腹の内が読めないのは相も変わらずで、心意を計ろうとしてもその浅深もはっきりとしない。
「しかし……そうだな」
下等生物の軽薄さは、魔王の肉体を捨て――同じ人の身となった今のマオは…………。
「やはり、うん、話せてよかった」
前回、マオの命を危険に晒したのはシエル。だが彼女は自らを政府の管理下に置くよう懇願し、魔王を裏切り自軍を敗北に誘った。人の姿をした彼女を完全に信用し切ったといえば、嘘になる。けれど、敵の誘いに乗って、
敵の思惑で勝利し、その貢献に報いねばと思ったのもまた真実だった。そこに、涎を垂らし肉に飢えた蜘蛛の企みがあると事前に知っても、自分達は、蜘蛛の手を取り、魔王の心臓を明け渡していた。
この行いも、もしかしたら間違いなのかもしれない。魔王がかつての力を取り戻すきっかけが、今この瞬間、生まれた。
だが、それでも真昼は信じている。
シエルに狙われる遠因を生んだ真昼の行動が、このように――人の幼女の顔で微笑むマオの役に、いつか、立つ日が来ると。
「まだ、小生がいます。小生にも納得のいく説明を」
「アガレス……?」
悪魔が真昼に異を唱える。平穏な空気に囁くのは、いつだって悪魔だった。
「危険を冒してまで、貴方は、なぜ、マオ様に〝シエルの身柄を引き渡すような〟許可を求めるのですか。シエルは、貴方方についた――裏切り者なのですよ」
首を横に振るようマオに頼めば、シエルの身柄はマオに渡る。この迷宮に在っても所有権はマオにあると、この男が自らそう言った。アガレスにとって、裏切り者を断罪できるまたとない機会だった。
だが、それは、永遠に訪れない。マオはきっと、真昼にシエルを委ねる。自分の命を狙った裏切り者を、自分だけでなくアガレスや、学校のクラスメイトの側に置く決断などしない。
これは――アグレアスの気持ちの問題だった。
「――シエルに裏切られた我々は、彼女の監視役につけていた仲間のひとりを殺されました。シエルの行動は、我々から再び魔王側についた事になります」
「マオ様は命を狙われたのですよ! それは貴方だって――」
「だから、こうして頼んでいるんだわさ。‶仲間を殺されたから、そいつを引き渡せ〟って」
割って入ってきたフェアリーテイルが真昼の本心を――代弁した。ラビリンスも背後に隠れ、真昼の方についている。
「あなたたち……っ!」
彼らを中で、敵となったシエルを気に掛けようとする者は、誰もいなかった。
彼らの――真昼の目が物語っていた。
シエルを裏切り者ではなく――敵として裁きたいと。
「私には、やっぱり無理なようです」
禿頭を撫でる真昼の顔。髪がないのでその表情は伏せていてもよく窺えた。
「真昼……!?」
「貴様、マオ様を騙したね!」
ひっ! とマオが悲鳴を上げ、主に対する不敬にアガレスは怒りを露わにした。
マオは敵ではない。それを解って笑顔になれるのが人間なら。
シエルを敵として、復讐に顔が歪むのもまた、他の生物にはない――人間ならではの特権であった。
「綺麗ごとで、本音を隠すのは」
真昼に見下ろされる裏切り者の魔物は、その眼差しを前にしても。
言い返せるだけの知能は、もはや――残っていなかった。




