邂逅
「朝日ざぁあああん!!!」
「もっ、もぅ……サクラちゃん」
「よいよい、スモモこそ、心配かけてすまなかったな」
顔面中を濡らしたサクラをあやしながらマオはスモモに言った。
あれから――シエルの予言した刻限を過ぎて、はや三時間。避難したマオと五河は先んじて救助隊と街を脱出したクラスメイトとキャンプ内で落ち合った。
避難区域から数キロ離れた避難キャンプからでも現場の混乱はよく耳に入ってきた。魔力の消失に伴い魔樹は枝一本に至るまで枯れたが、逃げ遅れた市民の捜索、現場調査や報道関係のヘリのホバリングでまだ慌ただしい。
「みなさん、ジュースをもらってきました」
「すまない」
「ゼンゼぇえええええ!!!!」
「サクラさんは、まだ治りませんか」
「……すみません」
マオをヘッドロックした状態で抱きつこうとしたサクラの襟を掴まえたスモモに苦笑する五河。
魔樹に溶かされた服は、アガレスが魔法で繕ってくれた。好きなデザインを一瞬で作れると知って注文するサクラとスモモ……あれこれ注文をされ無言になったアガレスを宥めるのがマオには大変だった。あのままでは、アガレスの手でキャンプ地一帯が、新たな被災地になりかねなかった。
救助された民間人は、自衛隊が設置した難民キャンプにそれぞれ分担して送られた。数――それもんある。自衛隊が一度に輸送できる物資と住民の数があまりにも釣り合わず、自治体のテント、学校の体育館まで間借りした。
もう一つの理由は。
「~~~~~」
「~~~~。~~~~~~」
避難民と自衛官がマオの利き慣れない言葉でやり取りをしていた。
マオ達の住む街は、異世界の人々がこちらの世界の住民と交流するため試験的に設立された。異世界人と元々ここに暮らしていた住民の割合が近い街は世界を探しても早々見つからない。
真昼を通じて‶こちら側〟と‶あちらの世界〟でキャンプの分担を政府に提案したのは、ここに配属された異世界人の元騎士だとマオは聞いた。彼の見立てた通り、長く続いた混乱は住民の心にも大きな作用をもたらし、文化を学んだはずの異世界人でも、キャンプには習得した日本語ではなく口に馴染みのある母国の言語が飛び交って、所作の要所要所も、あちら側寄りのものが目立っていた。
差別を断じて平等を謳うのがこの世界のモットーだが、キャンプを一つにしていたら、何かしらの諍いが起きていたに違いない。余裕のなくなった心は、他人のほんの些細な言動が気になってしまう。
無理を押し通したという騎士は、なかなかの眼を持っている。ここの担当というらしいが、運が巡ってくればその真贋を見極めてみたいマオだった。
異世界人であるサクラ、スモモがマオと五河と同じキャンプにいたのは、彼らの学校の生徒や教師、関係者が避難したキャンプだったからだった。
家族と連絡が取れた生徒や教師陣は、親元、後見人のいるキャンプに随時送り届けられていたが、サクラ達のように今だ里親と連絡が取れない一部の生徒を、市民権を得て一人で暮らしている異世界人の教師が面倒を見ていた。
「サクラちゃん……いい加減、もう、放してあげたら……?」
「!? スモモッ! あーた朝日さんが心配じゃないっての!?」
紙コップのオレンジジュースに波風を立てながら詰め寄るサクラに。
――ぐびっと。飲み干した紙コップを握り潰しながらサクラを見下ろすスモモ。
「……汚らしい粘液を撒き散らすな、と言葉を選んで丁寧に言ってあげているんです。獣畜生に人間様の言葉は、少々難解でしたか。――そうですよね」
「おいスモモ、余はサクラにそこまでは」
「再会の喜びを噛みしめるのは結構、ですが、場を読む――というのを覚えないと、無駄に長~い寿命を減らしますよ。地球のためにはそれが最もいいと思いますが…………ごごごめんなさい……! わたしまた!」
風に地面を転がるゴミ袋を見るような目が治り切っていない――それを隠すようにスモモはサクラに頭を下げた。友達の情緒にすっかり耐性ができたのか、傷つくどころか、面白そうに腹を抱えるサクラ。
難解な日本語を流暢に言い切ったスモモに、マオは才能を感じた。なんの‶才能〟かは、マオにもスモモ本人にも判らない。
ちなみにスモモに才能を授けた悪魔本人は、十分後、炊き出しのカレーライス(一人分)を持ってきて、マオに縋るサクラにスモモと似たような罵倒を似たような表情で言った。
「やっぱ、主すごいな」
カレーを頬張りながら言う。
スモモはさておいて、悪魔から本気の罵倒を笑って受け流せるサクラもまたとんでもない才能の持ち主と感心するマオだった。
それで、友人と悪魔から反感を買ってそれでもサクラがマオを絞め上げるわけは。
全ての元凶は、あの男のせいだった。救助を待っていたサクラとスモモに、ここ三日間マオの周りで起きたことを真昼についうっかり……ばらされた。
マオの正体、五河の事情は国の最重要事項、シエルのについては大戦後の政府を根幹から揺るがしかねない国家レベルの『失態』なので、一民間人になにもかも荒いざらいする、などという行為、魔王周辺の全権を任されているとはいえ真昼にその権利はない。情報は、魔王についての内情に抵触しない部分のみ真昼によって語られた。
いっそ、秘めごとを抱えているマオは真昼に全て語ってほしかった。あれでは、生殺しもいいところ。
ここ数日、マオと五河は魔物に命を狙われていた――深刻な面持ちで最近の近況を真昼が話し出すと、スモモは青ざめ――サクラが、マオから片時もマオから離れない、なんて泣き出しながら誓いを立ててきた。
「ごべん゛な゛ざい゛……ヴぁだじが、ぼっどじっがり゛じでだら゛~~!」
ジュースを飲んだら元気を取り戻したのか、サクラはまたもや天を仰いで泣き出した。
どうしてか、マオと五河に対して責任を感じている。事件に関しては完全に無関係なサクラが。
マオはマオで、号泣するクラスメイトを無下に扱えなかった。休職したり、復学したらまた行方不明になったり、なんの音沙汰もなしに学校からいなくなったり――ここ数日の五河とマオの言動をふり返ってみると少しずつ不振だったことにサクラは気付いた。それが、実は魔物に狙われていたのが原因で、自分がもっと気を配っていれば二人への危険は避けられたのではないかと考えているらしい。
関与していないサクラのせいではない。だがシエルに命を脅かされたマオは、真昼の言い分を完全には否定できなかった。
なんにせよ――とマオは胸で受け止めたサクラを慰めながら思う。
サクラの反応を見越しての発言なら、あの坊主頭――なかなか抜け目がなかった。
勝手な行動は慎めと、自分からシエルを探そうとしたことに釘を刺したのか。
もしかしたら――思い知ってほしかったのか。
この世界には、マオのために本気で泣いてくれる人がいる、と。
「サクラの気持ちはもうわかったから、そろそろ泣き止んではくれぬか。その……そろそろ服が重くなってきた」
サクラの涙を大量に含んだマオの衣服は雨に降られたようで、鉛のようにずっしりと疲れた身体に圧し掛かってきた。
「制御が利かないようでしたら、快楽の魔法を掛けて相殺してあげましょうか。不要な責任も苦痛の後に一瞬で絶頂ますよ?」
「まてまてまて! それではサクラが死んでしまうだろうが!」
拳に魔力を貯めてサクラにとんでもない提案をするアガレスをマオは必死に制止した。
「そっちの方が手っ取り早いのに」
「なにが、だ……サクラよ。今回は余の不手際が招いた、誰でもない余の失敗。いらぬ不安を掛けたのは余で、責められるとしたら、其処許ではなく、この余だ」
拗ねるアガレスは置いておくとして、マオはサクラに、責任の所在は自分に追求するようお願いした。
離れたサクラはマオの意を汲むように俯くと、やがて瞼を擦って。
「じ……じゃあ、一つだけ」
「こんななりでは、どこまで主の願いを聞いてやれるかわからんが、うむ……善処しよう」
「――――名前。名字じゃなくて、呼び捨てで呼んでも……いい、かな?」
え? ――と。緊張していた割には思いがけない要求にマオは上擦った声を上げた。
「余が言うのもなんだが、そんなことでよいのか?」
「本当は、ね。前から我慢してたんだけど。……だめ、かな?」
腫れた目で上目遣いに言ってくるサクラ。活火山のようなテンションで生きているのに、そんな……しおらしい顔もできるだな、などという感嘆は一旦隅にやって。
「構わんが、なにゆえ、このタイミング?」
「…………」
「なにか?」
サクラと目線がかち合ったアガレスが顎をしゃくった。ちなみに今は、身体を一つに統合し魔力も完全に戻っていた。
様子の可笑しいサクラに、ああ……と、呟いたのはマオだった。
マオの周りに、馴れ馴れしく接しようとする者はそう現れない。
特に、マオの側には、彼女を敬称で慕う悪魔が四六時中、憑いて周っている。
スモモの印象もここ最近変化した。タイミングを逃すのも仕方がない。
こんなことでも‶口実〟にしなければ、待っていてもチャンスは永遠に訪れなかった。
「異論はないな。あっても許さぬ」
「……ええ、マオ様の人間関係に口を出すほど、聞き分けのないアガレスです」
笑顔を繕ってはいるが、額に浮かんだ青筋は誤魔化せていないし、本音が言葉に表れていた。確かに、これでは萎縮して気軽に頼むなんて無理だった。
「マオ!」
「いきなり!?」
「ああ、スッキリしたぁ。でも、これで親友だね!」
清々しい笑顔を浮かべるサクラから涙が引っ込んだ。
マオもサクラのことは終始呼び捨てだったし、そういう意味ではサクラの言う通り、二人はようやく対等な関係になれたといえた。
「スモモ、お主はどうする?」
「わっ私……!? ――私、は、……もう、ちょっと、‶朝日……さん〟……で」
「そうか、わかった」
本当は、名字も‶朝日〟ではなくなっていたが。
サクラと違って、スモモはアガレスの影響を受けているから、期待はできなかった。
あるいは――などと、マオはアガレスを一瞥した。
「ああ……そんな舐め回すように小生を見ないでください……!」
紅くなる、変態。
他のクラスメイトも、アガレスの気迫に伸され不用意に近づくのを避けているのかもしれないとマオは疑った。そうでなくても、魔力を扱える異世界人が在籍する学校内で、アガレスの気配は、超弩級過ぎた。
強い存在感は、今後この世界で生きる上で危険を誘発させる。
〈十八冥光〉は自分が完全に制御しているのを証明するためにも、魔力を抑える訓練をアガレスには徹底しなければならない。
(できれば、普通の人間と区別がつかないほどに……)
「サクラ。スモモ。ここにいましたか」
そう思ったマオの肩を、何者かの手が叩いた。
「パパ!」
「おとう……さん……!」
駆け寄ってきたサクラとスモモを、二人まとめて抱き上げた。
その男は、神父が着るような黒い服を纏っていた。細身なのに両手で少女一人を難なく持てるということは、それなりに鍛えていると想像できる。
黄金にそよぐ髪を一つに結い、切れ長の双眸から覗く碧眼が印象的だった。
「貴方が……朝日マオさん、でしたか」
「余を知っているのか」
「この子達から噂は伺っていました。素晴らしい友人ができたと。私も、こうして逢えて、光栄です」
男の目に、おっかなびっくりするマオの顔が浮かんだ。
「失礼ですが、あなたは」
手で示しながら五河が訊ねた。
「セラフと申します。この子達の面倒を私の孤児院で看ています。――失礼でなければ、もしや、早乙女五河さん、でしょうか!?」
「はい……」
「立場は違えと、異世界から来た子ども達を護る者どうし……今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」
「え、あっ、ええ。こちらこそ」
「サクラ、スモモ、帰りましょう」
「ねえパパ、今日の晩ご飯は?」
「秘密ですが、二人の無事を祝って、私が腕によりをかけましょう」
「て、手伝うよ……!」
「おやおや、これは、内緒にしておくのが正解でしたか。――では皆様、また」
「マオ、ばいばい!」
「また……明日!」
そう、三人はテントを後にしていった。
「アガレス? どうかしたか」
「…………いえ。しかし、妙な男でしたね」
「誠実そうで親しみやすそうなニンゲンだったではないか。あれなら、二人も安心だな」
「笑顔がキモいです。こちらの心を鍵穴から覗き込むような」
「初対面にそういう印象はいかんぞ」
肩を抱くアガレスにマオが諭した。
「――そういえば、マオさん。君に言いたいことがあるんだけど」
「…………待っていたぞ」
そろそろ、だとは、マオは五河の言葉を待っていた。
魔物による校舎の立て籠もり、研究所でのアガレスの暴走。そして、今回。
マオの正体に五河が気づく頃合いだった。
こんな身体にした個人的な恨み、世界を滅ぼそうとした憎しみ。
どんな言葉で罵られても――五河の元を去る覚悟はマオはできていた。
「マオさんのおかげで、また助かった。ありがとう」
短いひと時だったが、一瞬でも、五河の家族としてこの世界のニンゲンと時間を共に過ごせた日々を、楽しいと思えた。
アガレスもいるし、しばらくは生活面で苦労することは――。
「……‶助かった〟」
「マオさんがいなかったら、今頃どうなっていたことか」
「助けた――余が、貴様を!?」
「今は、先生、でしょう? まあ、今日くらいはいいか」
納得するように頷く五河。
咄嗟にふり返ったが、マオにアガレスは首をふった。精神系の魔法は発動していないらしい。
「余が、余の正体を知って、恐れないのか!?」
「最初はびっくりしたけど、異世界人ってことは学校に事前に連絡しておいてくれないと」
「異世界人って……」
連絡不足を注意する五河に目が回る想いのマオだった。
どうやら、というか確実に、これまでの経緯からマオを魔法が扱える異世界の出身と五河は解釈した。広く見れば合っているが。
「明日奈さんも、ありがとう」
「えっ? ええ、当然です」
情報を隠している、魔法についても知見はない。
とはいえこの察しの悪さには大悪魔も動揺を隠し切れなかった。
「マオさん、なに怒ってるの?」
「怒っておらん。ほっとしているのだ」
「ほっとしているようには見えないけど」
「うるさい! 察しが悪過ぎるとか、楽観が過ぎると呆れているわけではない! いいから、とっとと家に帰るぞ」
「まだ封鎖されて入れないよ」
「お望みなら、あの目障りな羽虫を小生が殺虫してご覧にいれます」
テントから出たマオを五河とアガレスが追い掛けた。
夕陽を背景に、枯れた魔樹が残る街を飛ぶヘリの音は、遠く聞こえた。
次回から新章です。




