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予言は当たらない

三段階。それが、シエルが()()()()()()()()()()条件であった。蜘蛛女がいくら〈十八冥光〉に数えられる弩級の怪物だったとしても、魔王の心臓はそう易々と己の手中には入らない。


終戦の混乱下――『異世界殺しの魔王』の心臓は、政府が極秘裏に回収した部位の中で、テロリストに奪取された最後の部位と共に持て余していた。無尽蔵に湧く濃密な魔力は、計った賢人の精神を犯し、二度と地上に上がれなくほどの量と、禍々しい質。


魔王が(のこ)した遺産は、厳重な警戒を以て管理されていた。


その一つ――永遠に等しい時間を使っても尽きない魔力を源に魔族を精製できる‶魔王の珍宝〟が、気絶させられた警備員が気がつくと、保管庫から忽然と消えていた。同じく警備に当たっていた警備員と一緒に。


警備を担当していた若い女は、政府にも魔族軍残党にも属さないこの世界の魔王信奉者だった。捕えたテロリストも素性を明かさず、巧妙に人心を操り新たな魔王をこの世にもう一度顕現しようと画策した。彼女の素性も行方も、今現在も用として判らない。


女の足取りは掴めなかったが、捜しものは見つかった。低位の魔族が起こした、とある学校の立てこもり事件という思いがけない経緯で。

それが、逃走中の女の策略か、あるいは、偶然が重なって集積した結果か。


政府に追い打ちをかけたのは、先の遊園地に偽装した研究施設の襲撃だった。元・魔王の側に‶珍宝〟を移植された男が登場しただけに留まらず、彼の魔王を推して最凶の側近が表舞台に姿を現した。


早乙女五河(さおとめいつか)は、マオなしに魔力を制御できない、だが双方、加えて〈司欲淫王〉に政府への反攻意思はない。


彼らの無害判定を下した、その裏で、‶珍宝〟に対抗する‶魔王の()宝〟を使いこなせる適合者を探した。こちらが先んじて移植した心臓を制御できたことを公表すれば、マオの反乱意志を()げると判断し。


そこで、魔王の魔力との親和性が比較的に高い人材として、政府と賢人らは、‶彼女〟に託した。仲間を裏切り、こちらも裏切る危険性に内では誰もが反対したが、死霊魔法(ネクロマンシー)にも長け、マイナスの魔力との親和性が高い彼女を、彼らは信用せざるを得なかった。


そこまで焦った彼らが、彼女の本心を悟れなかったのも無理ない。なにより――蜘蛛に変わる表情はないのだ。




「三段階……それはなに!?」


怒りに震えたアガレスの声音。それは、迫り来る嵐の余波が人の頬を撫でるかのようだった。


熱に浮かされ朱く色づいたマオの顔。シエルの毒牙から血管へ流れた毒は血流に乗って全身の細胞を引っ()き回し、小さく脆い幼女の身体から生きる気力をじわじわと奪っていった。


時間遡行は、最早マオには効かなかった。魔王の心臓を獲得したシエルの劇毒が、摂理に反そうとする悪魔の行いを赦さない。


「君たちにまた逢えたおかげで、アタシらも命拾いしたにゃ。それも、アタシらにはどうすることもできなかったけど」


回復者(ヒーラー)〉の死体から引き()がした仮面を付けながらシエルは感謝するように言った。


魔王の心臓には、魔力の循環を促す特長があった。心臓という臓器が、酸素と栄養を行き渡らせるように、元がどれだけ低級な魔力でも魔王の心臓を通じ全身に循環すれば、魔王と同質の魔力に変換される。十六位(シエル)の毒が――一位(アガレス)の魔王を上回ったように。


宿主をこの世界のニンゲンに乗り換えたことで死霊魔法(ネクロマンシー)は使えなくなったが。


「生きているなら、目的は達成だしね」


鼓動する心臓に手を添えたシエルの声は弾む。


もう――彼女のものだった。


「……()()()()! ――いえ、裏切り者とはいえ、仲間の本質に関心を持たなかったのは小生の落ち度ですね」


唇を嚙み締め、アガレスは忌々し気に喉を鳴らした。


一且千也(アラクノゥト)〉の本来の魔力は、毒と予知。魔力を持った生き物に寄生した場合は死霊魔法が付加される。毒は獲物の捕獲、死霊魔法は、擬態でより強い獲物を捕まえるため。


そして、予知は――アガレスはここを見誤っていた。魔王がシエルを見出してからずっと。


よくよく考えたならおかしい。シエルの予言は、死を回避し生存する確率を上げるために進化したユニークスキル。だが、関係が断たれたマオの死を当て、それで、どうしてシエルの寿命が延びる、なんて結果になるのか。


〈八束腐巫〉がマオに告げたのは、マオの死などではない。


シエルには――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


一度目の予言で、シエルが裏切った。魔王の勝利は確定していたが、あのまま戦争が長引いていれば、魔王軍も被害は避けられなかった。精鋭と悪名高い〈十八冥光〉も損耗するなら――順番が低い順だ。


勇者か、賢人か。勢力は定かではないが自分の死を予見したシエルは、敵側に取り入ることで死を回避してみせた。


そして二度目、今回シエルを殺すのは、アガレスだった。再会した裏切り者を彼女は決して放置しない。裏についているのが国家でも、裏切り者を処断するなら、世界だって握り潰すのが、アガレスだった。


〈司欲淫王〉の権能、敵の干渉を無効化し、自身の攻撃は当て放題の異能(チート)――〈神域固定〉を唯一無効にできるのは、魔王か、全盛期の魔王と同格の魔力を持つ者だけだった。


あの場で見せた時から、心臓を使ってアガレスの無力化を狙っていたのだろう。


再会が第一段階。


第二段階、それは。


「早乙女五河の、魔力の暴走!」

『エクセレンッ! 花丸をあげよう』


両手をピストルの形にしてアガレスを指すシエル。


手懐けるだけではない、蜘蛛の群体で本体の総魔力量が笑ってしまうほど低いシエルが魔王の心臓との親和性を高めるには、同等の魔力が必要だった。


その魔力を、可能な限り引き出してくれる相手は、この世でもうたった一人しかいない。


五河の魔力が暴走し魔樹が現れたのは全くの偶然だったが、運命はいつだってシエルの生きる道に繋がっている。


魔樹が、街の外にまで領域を広げようとした直前で、不自然に枯れた。

あれが――シエルが魔力を取り込んだ影響によるものだとしたら…………。

そして、今、五河を拘束していた根が、コンクリートを貫通し地上に伸びた先から枯れつつあった。


これが、心臓を完全に掌握するための、最終段階。地上に茂った魔王の魔力を吸収し、魔力を持たない無力で無価値な少女の身で絶対の力をついに得た。


「……そうまでして……そうまでして! あなたは生きたいのですか!?」


シエルの計算にも入っていない。

マオの運命は、シエルという魔物を生かす――ただそれだけのために弄ばれた。


だが、やはり、それでもというか。全身に回り切った毒に穢され、黒くなった血を吐き散らすマオをアガレスに見せられても、シエルは首を傾げ問い返した。


『はて? さて? アガレスたんも異なことを。生きようとするのは生物として当然の行動だにゃ。自ら命を絶とうとする――ニンゲンの方がどうかしてるんだにゃ』


仮面の裏から聞こえる言葉には、何の感情も乗ってはいなかった。間近に迫るマオの死を見たところで一向に発露しない心持ちのシエルとの会話は、アガレスには、まるで、()()()()()()()()かのようで……。


なにを今さら――自嘲する声がした。


これは、蜘蛛(くも)だった。どれだけ友好的な会話ができようと、自らと相手とは自我の在処が違う。命の尊さも、道徳も、善悪も、忠誠も、言語の違いを判別できない蜘蛛には、ただの雑音でしかなかった。


殺め、喰らい、子孫を残し、生きる――生き物はそれさえしていれば正義で、正解で。


(マオ)を裏切り、仲間(エルキドウ)を傀儡に堕とし、この世界を欺むいた蜘蛛女の正体こそは、魔法を操り人語を織る知能はあれど。


足許を見ればすぐに発見できるクモと同種だった。


「マオ、さま……なんと、お詫びしたらよい、か……小生は、どうしたら、あなたさまに、ゆる……して、いただけるのです、か」


もうすぐ、マオを懸命に生かしておいたアガレスの魔力が尽きる。


だが、と、アガレスは掲げた腕を下ろすのを決めかねていた。この手を下ろせば、秒と掛からぬうちに、マオは死ぬ。


傷が修復すれば苦しみも巻き戻り、マオは痛みに耐えなければならない。肉体の傷は癒せたとしても、損傷と回復を何度も繰り返せば精神は変質していき、以前のマオとは別物の、存在の定義ではシエルに近いが――死人の魂が収められた、生きるだけの肉人形と化すだろう。


裏切り者に矜持を示せと、心が問うてくる。これ以上、自分のせいでマオが狂っていくのをアガレスは見たくなかった。


シエルに復讐するのは至極簡単だった。マオに向けていた魔力を、そのままこの世界中に拡散すれば、惑星を真っ二つにできる。この星ごと破壊されれば、シエルの生存本能も対応はできない。


難しい行程は一つもない。ただ――自棄(やけ)になれれば。


『それで、ほんとにいいの?』


また自身の問い掛けと思ったが、どうやら、違ったらしい。忌まわしい声は心ではなく耳をくすぐった。


「いいに、決まっているでしょう。マオ様のいないこんな世界に、未練などありません……!」


いたいけな少女のように吼えるアガレスをシエルが諭す。


『ほんとうに?』

「さきほどから、貴様……なにを――!?」

『アガレスたんは優しいから――魔王(マオ)様の新しい居場所を壊す、なんて真似、本気で言ってるわけじゃあない、そうよね?」


へたり込むアガレスの鼻頭まで顔を近づけたシエルは言った。


――判っていた、アガレスにも。


これが、結末を予言したシエルの抵抗なのは見え透いている。だが先を越され釘を刺されたのは腑に落ちない。


この世界にどれだけの価値があるかは、マオを通してアガレスは初めて量ることができた。マオがいてマオと等価値になる世界は、彼女の存在がなくては――()()()


だがマオは、主には、アガレスには見えない価値を――生きてもいいと思える価値をこの世界に見出した。誰の助言もなくした決断は、本人も自覚のないまま。


――できない。シエルの思惑通りだった。


「マオ様を裏切るような真似……マオ様を想ってのことでも……小生にはできないようです……!」


そんな無力な自分を、アガレスは、誇りに思った。前のように暴走したりはしない。


だから――なのだろうか。


アガレスに、奇跡が起きた。


それは、こんな間の抜けた一言から始まる。


「……あのー、もう、いいですか?」

五河(いつか)、様……?」


アガレスの前に現れたその男、服を溶かされた身体を抱くようにし恥部を隠していた。


アガレスとシエルの視線に晒された早乙女五河は、声を掛ける機会をずっと(うかが)っていた。


『魔力、というかずっと閉じ込められていたから意識は戻らないはず――……ああ、‶それ〟のおかげか』


感心するようにシエルは視線をずらす。五河の、股間へ。


「なっなんですか、人をジロジロ見て!?」

「五河様! マオ様を、助けてください!」


今しがた意識が目覚め状況が呑み込めない五河に頭を下げるアガレス。魔王の力を宿しているとはいえ、ニンゲンに頭を下げる日が来ようとは予想外だった。


「マオさん!?」


服を朱に染めたマオを目の当たりにした五河は、解放した全身でマオの容態を触診した。


『こうしてみると、犯罪の絵面だにゃあ』

「マオさんは……なにがあったんですか!?」


肩を竦めるシエルをよそに、五河はアガレスに経緯を問いつめた。


「魔物の毒に、このままでは……」


深刻な面持ちのアガレスに、最悪の状況が五河にも予想できた。


「今はもう、五河様しかおりません。どうか、マオ様を、救ってください」

「僕!? でもどうやって!?」

「わかりません! わからないけど……マオ様を救えるのは、もう、五河様――あなたしかいないんです!!」


アガレスが自分になにを期待しているか、五河には判らなかったが、目の前で自分と同じ性を授かった教え子が死に掛けている。自分達には救う手立てがないのは伝わった。


「……マオさん」


冬の枯れ木のように、出血で干乾び冷たくなったマオの手を取る。なにもしてやれない五河でも、マオの手を温めやることはできた。希望とは言いがたい、絶望をより深く感じるだけの行為だった――――()


その時。


「あれ?」

「どうか……されましたか?」

「と……と……()()()!」


正座に整えた足を小刻みに震わせ緊張に頬を赤らめ五河は席を立とうとした。


「こんな時に、なんてはしたない!」

「そう、だけッ! ああやばい! 限界!」


目の前がチカチカして、焦点が定まらなくなってきた。


『下水だから、その辺で済ませてくれば?』

「できるッかそん……! んぁあああ!!」


仮面をつけた謎の女の子が下水の流れを指差し、あまりの恥ずかしさに突っ込んだ途端、膀胱を破かんばかりの尿意に五河は前屈姿勢を取った。


状況もだったが、異性二人に放尿を見られたとあっては、教職者である前に、人間を辞任しなけれなならず、五河は必死に耐えマオを介抱した。


――しちゃいなよぉ。

――みられながらはきもちいいぞー。

――こんな体験、今しかできないよぉ。


誘惑する声が尿道を逆流し五河に囁いてくる。そういや、我慢し切った状態で(もよお)すと、普段とは違った快感が味わえるとどこかで聞いたことがある。なんでも、人前や服を着たままだと尿意よりも恥ずかしさが勝ってしまい、どんなにしたくても人は我慢してしまうのだとか。そして、我慢の末に尿意が勝った瞬間、羞恥心が解き放たれた際は、トイレでとは比べ物にならない絶頂が来る、と。


「……あ……」


恍惚に呆ける五河を前に、誰もが、これまでと思った。


だが、尿意は膀胱ではなく、五河の体内に吸収された。


「あれ、治まった?」

『どゆこと?」

「さ、さあ……」


場の空気を読んで尿意が引っ込んだ、というのでもないらしい。


誰も彼も首を捻る中。

()()()()()()()()()だけが、飛び起きて叫んだ。


「と、と、トイレー!?」

「マオさん!」

「マオ様!?」

「……あれ、アガレス、五河? って、余……死んだはずじゃ」


そこには、傷一つない状況で尿意を訴える――早乙女マオの姿があった。


「……まさか、五河様のティンPO!?」

「だから尿意はもうないって」

「そうではなく、マオ様が回復されたのって!」


アガレスの予想は、当たらずとも遠からずだった。


それは、この街に魔樹が出現した原因にも繋がる。


シエルが取り込んだことで、休眠状態から活動状態に入った心臓は、新たな主にずっと拒絶反応を見せていた。だからこそ、再会を利用し元の主・マオを殺そうとしたのが一連の騒動の発端だったのだが。


シエルには、もう一つの懸念があった。


勇者である。予言で直接的な危害を加えてこないと判っていても、マオとその近くにいる勇者を監視するため、シエルは分裂体を何体か学校に忍び込ませていた。


その折、勇者を監視していた分裂体はある人物と偶然出逢った。魔王の力を宿すもう一つの存在に。


彼との遭遇はシエルの予言を干渉しなかった。むしろ、運命的な出逢いとなったのは、相手の方で。


分裂体を通し、心臓が動いているのを察知した五河の魔王の力は、一時的な暴走状態に陥った。力が制御できない五河の対処は決まっていたが、そのせいで街に魔樹が出現した。


だが、どうして五河の対処が、今回だけはこのような結果をもたらしたのか。


鍵は――心臓だった。心臓が生きているのを知った五河の魔王の力は、本来の機能に近い状態に戻っていた。


無尽蔵に魔力を産む『魔王の珍宝』が、植物を魔物に変えたのだ。


魔樹が含んだ魔王の魔力を逆に取り込むことでシエルは心臓を勝ち取った。

――かに思えた。


結論から言えば。

アガレスの行為は、無駄ではなかった。


ギリギリの瀬戸際でマオが生かされ、目覚めた五河と接触したことで、アガレスの魔法に魔王の魔力が上乗せされ、マオは生き永らえることに成功したのだった。


ちなみにマオや五河が度々口にした‶トイレ〟とは。一定以上の魔力が溢れる感覚は、尿意を催す感じが最も近いのに由来する。


「とにかく……ご無事で、本当に……!」

「――大儀であったぞ。よく、余をここまで持たせてくれた」

「……はっ!」


涙を抜いて、マオの意思に答え胸を張るアガレス。


「五河」

「マオさん、なんだかよくわからないけど、よかった」

其処許(そこもと)こそ、なんだかよくわからんが――とりあえず服を着ろ」


満面の笑みで、今の五河の姿を非難するマオ。


だって、前が()()()だった。


「少しは(ねぎ)ってよ!」


ぎくしゃくと、だが和気藹々とした三人の雰囲気を見つめるシエルが、膝を突いた。


『……あレ』


跪いたスカートから分裂体が零れ落ちる。なぜか、どの個体も息絶えていた。


力が入らない。思考がばらけていく。

馬鹿に、なっていく。


五河の中の魔王の魔力は、今だ活性状態を保っていた。


五河とシエル――魔王の力を宿す二人の接触は、空間に、疑似的な魔王の復活を実現させた。


五河のティンPOと共鳴した心臓は、シエルの体内を循環する魔王の魔力をさらに増幅させたのだ。


『あ、A、ア、あ、あ、あ』


力が溢れる。命が漲り、際限のない生命が、その重みに耐え切れなくなった宿主を崩壊しいった。


こればかりは、預言でも見通せない。


結果的に、力はシエルを生かしている。


「これは……!」


死骸を撒き散らして崩れていく少女に思わず口を押さえる五河。


「危険です、下がっていてください」


その肩を背後から叩くのは、スーツを着た役人然とした禿頭の男だった。


「真昼さん!」

「ここからは、我々の仕事です」

「ちょ、いきなり現れてなにを勝手な……!」


シエルに近付こうとする真昼の手を掴もうとしたマオを制す、蝶と同程度の人。


「魔王の死に損ない風情が、ディアの邪魔をするんじゃないだわさ」


小さな身体とは裏腹に、万力のような力でマオの手を砕こうとする。


「この虫がァ!!」

「アガレス、退け……ッ!」


妖精をふり払うと、マオはアガレスの元に戻った。


「この者共は、一体」

「真昼の部下のようだな、しかし……」


スライム。エルフ。ミノタウロス。水竜――リヴァイアサンまで。

真昼が連れてきた連中は、どう見ても、この世界のモノではなかった。


『ア、Aぁ……まひる、きゅンだああ』

「苦しそうですね、シエルさん」

『らkに、し、して、くれにきたのぉ?』


助けを求めるように、よたよたと両手を広げながら歩いてくる少女体のシエルを、中腰で受け止める真昼。


仮面が外れ露わになる顔に、ひっと五河の短い悲鳴が木霊する。


「いいえ、あなたには、仲間の分まで、これからもっと、存分に苦しめます」


胸に手を入れ、心臓を引き抜いた。魔力を絶たれ残っていた分裂体も全て死んだシエルの身体は、波に攫われた砂の城のように、呆気なく崩れ落ちた。


「覚悟するように」


針金のような八本の脚で心臓に組み付いた〈八束腐巫(やつかふふ)〉の本体に真昼は言った。


背を向け顔はマオからは確認できなかったが。


冷気の籠った冷たい声は、蒸気を噴く怒りの声より、恐ろしく下水道に響いた。


蜘蛛(いきもの)に、叛逆の意志はない。足掻きも、マオや五河、アガレスに復讐する意志もなく存在を剥奪された裏切り者。


時計の針は、予言した時間をとうに過ぎていた。

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