賛美
「こっちから先にシエルを討つ?」
鬱蒼とした森でシエルはアガレスの提案に首を傾げた。
あの後――アガレスの片割れに〈絢爛業火〉を任せ別れたマオ、アガレスのもう一方の片割れはしばらく街の中を進んだ。しきりに背後で爆裂音や金属同士が打ち合う金切り声に不安に駆られるマオに、アガレスは胸を張ってみせ。
「シエルの傀儡に成り下がった師匠など小生の敵ではございません。雲の上ほど強く見違えた小生に師匠も喜んで鉄塊になっている頃合いでしょう」
「少しは歯に衣着せよ」
「小生はいつだって、この身一つでマオ様を包み込む準備は万端にございます」
「言いながら服に手を掛けるな!!」
するすると服を脱ごうとするアガレスマオは制する。
いの一番に胸の衣服を力任せに引き裂き、悪魔的に立派な二つの山と、ほんのりと桃色に色づいた柔らかな〝一本杉〟がこんにちはしていたので、手遅れだとも言えた。羨ましいと思はないが、性別を変えるなら、どうして自分にはあの大層立派な『特典』がなかったのか。……そこは一旦スルーして服を着るよう命令。
欠損箇所を魔力で再び生成しながらアガレスは眉を下げ。
「……本当でしたら、万全の状態で、全身全霊で送って差し上げたかったの、ですが」
「……弟子の成長を知れて、あ奴も、きっと安心しているであろう。しかし、裏切られていたのは、余だけではなかったのだな」
あの機竜は、出逢った頃からアガレスの身を案じていた。目的のために創造された同族としてとかつての魔王は軽視していたが――今なら解る。
臣下の中でも武人だった彼を、アガレスが実の父親よりも愛そうと想わせたほど、エルキドゥもまた彼女を心から愛していた。愛ゆえに、アガレスを厳しく鍛え、本心は決して面に出さず冷徹なマシンで徹した。魔王に仕えると望むなら、あの魑魅魍魎が蠢く〈十八冥光〉の中で誰よりも厳かに、邪悪に、強弱の枠を逸脱した強さを、アガレス自身の力で獲得しなければならなかった。
願わくば、たとえ半身であろうと――アガレスに期待した、何者にも実現が不可能でどこよりも重く冷たい鉄槌が反撃の余地もなく、エルキドゥに手向けられたのを期待するマオであった。
そんな主を尻目に、悪魔は憤る。
もう一人の自分を信じているからこそ、安心して、憤れた。
「マオ様に続いて、あのような辱め。一度地獄に堕とすだけでは師匠も浮かばれません」
辺り一帯の空気を変質させるほどの怒りに呟くアガレス。
これについては、マオも激しく同意だった。
こんなことを思えばまたアガレスに叱られるが、極論――仲間に裏切られるのはいい。だが、仲間達が裏切り合う様を見るのは身を斬られるように辛かった。
そしてアガレスはマオに提案した。
「マオ様には最早数刻の猶予もございません。ならば、ここは打って立ちましょう。彼奴の預言とやらを打ち砕くため小生ら自ら会いにいくのです」
アガレスの言い分にも一理あった。このまま打算なく逃げ回ったところで寿命は延びない。逃亡もシエルの筋書き通りなら、死は、すでに目の前まで迫っている。
問題はいくつかある。だがそれ以前に。
「街にいるであろうシエルをどうやって見つける?」
走り疲れたマオをおんぶして、アガレスは揺れないよう慎重に進みながら会話も続行した。
「〈絢爛業火〉を動かすほどの眷属を輩出しているということは、シエルは今、膨大な魔力を蓄えている。恐らく、この森の中心、魔力源に」
ゆったりと進むアガレスの背中は、ゆりかごのようにとても心地よかった。
「この魔樹が、シエルと関係ないのは余もなんとなくだが判っている。魔力を得るのに手っ取り早いと仮定して、なぜ、この森なのだ?」
単純に眷属を産卵したいというのなら、方法はいくらでもあるはずだった。
〈八束腐巫〉の権能は、あくまで生存確率を上げるという欲求。この森はシエルにも未知で脅威となる。進んで入ろうとは思わないはずだった。
耳の後ろで聴いてくるマオの疑問にアガレスは答えた。
「実は、この森は……マオ様の魔力が元で発生したのです」
「なんだと、どういうことだ!?」
「それは……こちらをご覧くだされば」
マオを背中から下ろした。
景色は森林から洞窟のような場所に変わっていて、薄暗いアーチ状のトンネルには澱んだ空気が充満し酸素もごくわずかだった。
陥没した国道から地下の下水道に入ったアガレスは、壁を指差しマオに注目するように促した。
「――五河!?」
驚愕に口をあんぐりと開くマオの碧眼には、何とも珍妙な景色が映っていた。
壁面を這うように根がびっしりと付き、根自体もマオの腕ほどもあった。
その中心、魔樹の根が絡み合ったことで造られた球体に磔になる恰好で、一人の男が囚われていた。
避難した教員の中に姿が見えないと思ったら、こんな場所にいたなんて、マオには全く想定外だった。
「魔樹の正体は、五河様の魔力で突然変異を起こしたこの世界の植物でございます」
「なん、と……!」
にわかには信じられないが、この五河の姿を見ればマオもアガレスの言うことを信じる他なかった。
魔樹の根から染み出た粘液によって五河のスーツはドロドロに溶かされていた。効率よく体内から魔力を得るのに不純物を排除した結果である。
代わりに、五河の腰部に根が集中し一種の形を成していた。確か、夏場に授業で斬る〝水着〟なるものだったかとマオは真昼から窺った知識を回想した。肩掛けで全身を着る女子と対比し、男子は腰を隠すのみだった。同じニンゲンで、構造になぜ大差があるのか質問したのを憶えている。
五河の下半身に〝密着〟した根はそんな形で、前部から一際太い根が伸び天井を貫通し地上に一直線に伸びていた。恐らく、あれが五河から吸い取った魔力を地上の樹全てに供給しているのだろう。
「と、なると――余の魔力って……まさか!」
「…………」
「急に黙るのやめてくれない!?」
気まずい空気に思わず口調が崩れるマオだった。
一応、従者としてはマオを気遣ったつもりだった。
「だいたい五河の行方が判っていたならなぜもっと早く余に話さなかった!?」
「あの時は、マオ様のことで、頭がいっぱいだったといいますか」
ついと、アガレスは頬を掻いて苦笑を浮かべた。
アガレスに限ったことではないが、マオの側近は生物に対して寄せる感心が薄い傾向にある。軽視とも違い――命というものそのものに興味がない。普段はマオとの子どもが作れると騒いでおいて、魔王の珍宝が生えている五河も、アガレスにはその程度の認識しかされていない。
結果論で、五河も無事でアガレスも案内してくれたのだからこれ以上彼女を責めても仕方ないか――と。
肩を落とすマオも、実はまだ、魔王としての思考回路が残っていた。
「五河、しっかりせよ、おい五河!」
マオがどれだけ揺らしても、五河の意識は戻らない。マオの声を聴き取って瞼はしきりに痙攣するが、口は、轡のような根に塞がれている。あそこから魔樹に養分を送られ、魔力を作らせているとマオは推測した。
となると、魔力の正体は明らかだ、と――上下を見比べマオは深い溜め息を洩らした。近頃、マオのアレ――もうはっきり言って、ティンポPOが原因で周囲で起こる事件が大きくなっている気がした。
「助けられるか?」
他人にかまけている余裕も猶予もない。だが、家族と望んだ者がこのような状態でいつまでもいるのは忍びない。いくら栄養を摂取しているからとはいえ、五河自身も衰弱している。
――カサカサと、数えるのも馬鹿馬鹿しい脚が這う音が暗がりから聞こえた。
「さすがアガレスたんは賢いにゃ。今五河おにいちゃんをそこから引き出すと、命の危険を感じた魔樹がおにいちゃんから魔力を搾り尽くしちゃう。そうなると、おにいちゃんも、上にいる〝お肉〟たちも無事じゃ済まないにゃ」
「――シエル」
杖を携え、とんがり帽のつばをくいっと上げポーズを決めるその姿。
「会いに行こうと思ってたのに、わざわざ来てくれてアタシら嬉しいなぁ。……二人とも聞きたいことがあるって顔だね。なになに、今なら何でも答えちゃう。今アタシら、とっても、とぉおおおおおおおおおおおおおおっても――気分がいいんだにゃあ。迎えに行かせたあのちゅーちゅーねずみの姉妹のこと? 五河おにいちゃんの安否? どうして森ができたか? それともそれとも――……パーパのことかにゃ? アガレスたん☆」
マオばかりを挑発していたが、反応が薄いと標的を変える。
「すごいでしょ!? 十六位が十位に勝っちゃったよ。んー、なんだっけ? 『勝ったらアガレスの居場所を教える』とかなんとか。あのメカ最高! 一騎打ちとかマジウケる! ああ、もちろん負けたよ。アガレスたんの無事もちゃんと教えてあげた。その後すぐ――アタシらにはぜーんぶお見通し♪ 隙もなにもかも」
掌で蜘蛛の児を弄びながら、シエルは小躍りしながら笑って言った。
仮面で見えないのに、アガレスを嘲笑する目が、マオには見えるような気がした。
「――ええ、あなたには全てお見通しですね。今回はあなたの口車に乗った師匠の完全敗北といえましょう。よかったですね、強者に勝てて」
パチパチと喝采を送るアガレスは、称賛の笑みを湛えたまま。
「最初で最後の勝利を嚙みしめながら逝きなさい? 世界のとある地方では蜘蛛を食す文化があると聞きましたが、勝利の褒美にあなたは、ゴミ処理場に行く手間暇も短縮して小生がじきじきに焼却して差し上げましょう。……一分――一分あなたに差し上げます。その間に、ブチ滅される覚悟を決めておくのね――裏切り者」
最後に、アガレスは一つ預言をお願いした。
マオの寿命は残り数刻もないが。
お前は、あとどれくらい生きられるのか、と。




