ツインズ
「あなたがどうして悪趣味なのか、そろそろ教えてくれませんか」
この世界で捕食したであろう亜人の娘の姿でやってきたシエルの心意をアガレスは問うた。
本体は近くで分裂体を操りながら様子を窺っているに違いない。ここでこの少女を灰に変えるなどアガレスには一手間にもならないが、マオの機嫌をますます損ねては、それはシエルにとっても都合がいい。
「人聞きの悪いことをおっしゃられては困ります。私達は、マオ様に考えていただきたいのです」
「なにを?」
「ねえ、マオちゃん」
妹の亜人がマオに駆け寄ってきた。咄嗟に反応したアガレスの手を、息も絶え絶えになりつつもマオは制した。
丸い目。屈託のない。
だがそこに、光は宿ってはいない。腐り掛けた眼球の裏側で、蜘蛛が蠢く。
「もう一度、やり直さない? わたしたち」
「……どういう意味だ」
「この景色を見てどう感じた――きれい? うつくしい? わたしたちとマオちゃんなら……世界中にこの景色を広げることもできるのよ」
「貴様……マオ様にそのような戯れ言、臆面もなく……!」
奥歯を噛むアガレス。怒りに噛み締めた音がマオにも明瞭に聞こえた。
要は、シエルはマオに回帰を提案した。
魔呪に侵略されたこの街は、強大な力によって、滅んだと形容できる。暫定された規模、加えていつまで続くか不安定だが、経済、物流、ここに住む人々の安全が脅かされているという点で、一時的にだが、滅亡の定義が成立する。
マオが再び力を取り戻せば、この景色を、永遠のモノに実現できる。この状況を受け入れ、それを望むなら、自身の望む望みを『異世界殺し魔王』はいとも容易く宇宙に固定する。
その最初の一歩を叶えられるのは、シエルだけ。
魔王をただの幼女に堕とした、裏切り者の蜘蛛女だけができる提案だった。
「完全に力を取り戻すのはむずかしいけど、マオ様から奪った心臓を返せば、この森を世界中に広げるのは造作もありません。この世界の木々は減っているとも聞きましたし、いっしょに地球を、緑でいっぱいにしましょう」
〈一且千也〉は自然が生んだ生き物。母なる大地の衰退を憂うのは、我が子とも言える生物なら当然かもしれない。木を植えたり環境を破壊しない物質からエネルギーを得ようとするのも――自然から離れたニンゲンも、その想いは共通しているかもしれない。
しかし、これだけは断言できる――蜘蛛女にそんな感情はない。魔力によって怪物化した森が拡大すれば、それを土台に確立された生態系にも変化が生じる。この星にニンゲンが生存できる場所はない。この街の惨状が、その証左だった。
そしてニンゲン、変異した生物――一切も合切も、シエルは選り好みしない。栄養価の高い生物を捕食すればより強い力も得られる。
シエルの頭には、それしかない。産まれた時から。
「マオ様!?」
「いいんだ、アガレス。これは、余の口で直接言わねばならぬのだ」
翼を退け、前に出る。満たされない飢えに耐えられず絶えず絶叫を繰り返す怪物と相対した。
「そうだな。裏切られたとはいえ、貴様は今も余の大切な臣下。アガレス、それはお前も同じだ」
マオがふり返るとアガレスは花開いた顔を隠し蹲った。
押し黙って、シエルはマオの次の言葉を待つ。
(『だが、余の復活はこの娘達の望みではない。この少女の手を余が取るわけにはいかない』)
待ちきれず、決定した未来をシエルは心の中で呟き、振りほどかれる手を前もって下ろしておいた。
「だが、余の復活はこの娘達の望みではない。この少女の手を余が取るわけにはいかない!」
断固とした意志でマオは宣言する。
やはり、預言は決して覆らない。
予定通りマオは、今日、ここで死ぬ。今度こそ、裏切られて。
「そう、でも残念。仲直りできるかもって期待したのに。マオちゃんの意思が変わらないなら仕方ない。ここでは死なないから安心してね」
アガレスの背後に迫る熱。黒炎が地面を炙り軌道上にあった全ては塵も残らず消し飛んだ。
「お怪我は?」
「へっ平気だ。アガレス、お前は」
「ふふ、小生を誰だと思っているのですか」
亜人の少女の姿は二人ともない。盾になったアガレスを避けた炎は分裂体を周囲の物質諸共灰燼に帰した。
「やはり――あなたでしたか」
ビルの蔭からぬらりと出現する影。
屋上に手を掛ける巨影は百メートルを優に超える。一歩一歩に大地が揺れた。
蜥蜴のような手足、蛇のように中空をのたくる長い頸の先端で目配せする流線形の頭部。
その迫力は、この世界でも広く浸透した幻想――ドラゴンの形をしていた。
だが、少し差異が見受けられる。背から伸びる翼の膜は蝙蝠のように薄くはなく、ブーメランに似た造形の翼にはジェット機のエンジンを想わせる機構がいくつも付いて駆動音を上げている。全身を覆う金の煌めきも鱗や甲殻に似せた装甲だった。曲げた間接から張り巡らせた配線が見えた。
「――――――!!!」
足許のマオとアガレスを認めると、機械で構成された『咆哮』が天を衝いた。
〈十八冥光〉序列十位。〈絢爛業火〉の――
「エルキドゥ殿……」
其れは、魔力を持たない人類が龍との戦争に勝つため生み出した新たな種。科学によって無尽蔵の魔力を誇るドラゴンの魔力と高度な知性を再現した生物兵器の名。
高度な知能はやがて自我を発芽させ、龍種との戦争に勝った後――近縁種ともいうべきドラゴンを殺すためだけに創造した人類に今度は牙を剝き、遂に魔王の称号を冠するまでに至った。
「エルキドゥ、貴様も生きて――」
再会に想いを馳せ巨躯に近付こうとしたマオは、光の伴っていない眼と――口部からこぼれ落ちてくる蜘蛛を見、全てを悟った。
「マオ様、マオ様はシエルを見つけてください」
ずん、ずんと迫る機械仕掛けの竜の前にアガレスは仁王立った。
「しかし、余は、お前がいなければ」
我ながら情けないことを言ってしまっていると、マオはアガレスの顔をまともに見れなかった。
「お顔をあげてくださいな、誰も、おひとりで往かせるなんて、そんな酷いこと言ってないでしょう?」
アガレスは背中を向けたまま。
マオの手を取ったのは――背中から生えるように現れたもう一人のアガレスだった。
「ぅえ!? アガレス、アガ……えっえっ」
マオが目を白黒させるのも無理はない。
これは、アガレスの魔力を把握しているマオでも知らない技だったから。
「「最近覚えました――アガレス『双対モード』っ……です!」」
冗談めかし、揃って左右対称のポーズを決める二人のアガレス。
「一体、いつの間に」
「「もう……あのような悲劇は起こしたくありませんから」」
前回、目の前の敵に気を取られるあまり、マオに傷を負わせてしまった責任をどこかで取りたい――アガレスはその機会を待ち望んでいた。
力を分割した分、本来のアガレスよりも双子と見間違えそうなアガレスは背も低く、声も高い。〈角〉は左右に片方ずつしかなく、魔力の根源である翼の数も減らされていた。
「全く、お前という奴は」
仲間が増えた、可笑しな光景にマオは苦笑するしかなかった。
「マオ様を頼むわよ、小生」
「そちらも、くれぐれも礼を失さないよう」
決して成就できない目的をそれぞれ託し、二人はハイタッチを交わした。
「では、参りましょう。あなた様の運命を変える――微力ながらお供します」
「――ああ、望むところだ!」
手を取り駆ける二人を見送って、アガレスは前を向いた。
「さて、こうして逢いまみえるのは何時ぶりでしょうか。同じ創られた紛い物同士、あなたとはよく気が合いましたね? ま、マオ様ほどの想いを寄せてはいませんでしたけど」
はっ、と――鼻で笑ってもエルキドゥは何の関心も示そうとしない。
シエルに操られる以前に、彼は元々寡黙な性格だった。
周囲に満ちた魔力を察知し、体内のシエルの分裂体がエルキドゥに戦闘態勢を取らせる。
「いつか、また、あなたと語らいたいと胸を馳せる時分もございました。言葉ではなく、成長した小生の力で」
スカート摘み、一礼。
「万全ではありませんが、全力で往きます。ぜひ、ご堪能あそばせ――師匠」




