勇者の探しもの
下ネタ回です。
裏があると疑うのは道理であり、なによりその〝変わり様〟にマオは眉根を寄せ訝しんだ。
長身体躯なのは相変わらず――それが少し恨めしいと歯噛みしつつ――だが、筋骨隆々の身体は痩せ細り、無精髭のせいか老けて見える。魔力の恩恵で長命なのは知っていたが確か、憶えている限り――まだ七十、外見は三十半ばを超えた辺りだったはず。
そして彼のその服装。
くたびれた浅い緑色のみずぼらしい服装。『ツナギ』と、この世界ではそのような簡素な名で呼ばれていたか。
「実は、俺は今――この世界の連中に奪われたお前の『あるもの』を探している。〝元〟持ち主のお前からなら、なにか手掛かりの一つでも摑めるめると思ったのだが」
奪われた『あるもの』ということは、身体のことか。推察する。
「そうか。――なら、無駄な旅だったな、勇者よ。貴様が先に言ったように、こんな姿に変えられ、今の余は、魔力を全く感じない。〝身体〟がどこにあるかなど、知らん」
窓から射し込む陽に映し出される落胆した勇者の顔。
どうやら読みが当たったようだ。
「して――その、余の身体を手に入れ、その後お主はなにがしたい」
「お前の身体の『ある部分』を手にすれば、俺は――この世界でより強い力を手に入れることが、出来る……ッ!」
ぐっと拳を握る勇者の眼は、爛々と野心に怪しく輝いていた。
今さら力を求めた所でなんになるというのがマオの本心だった。戦うべき相手も、救うべき世界も、既にもうないというのに。
異世界に於いて、魔王と長きに亘り歩いてきたのは、勇者の一族だけだった。
互いに好敵手と呼び合う間柄だっただけに、彼らのこともよく知っている。弱者を助け見返りを求めず、力を驕らず悪を征し。
そんな男が、己のため〝だけ〟にここまで求めるものとは一体なんなのか、マオは大いに興味が湧いた。
斜陽の射す沈黙を切り裂くように、勇者が、口火を切った。
「……『ティンPO』だ……」
「……………………」
「『ティンPO』だ」
「――なにを言っているのだ、貴様……?」
面を歪ませ、盛大な侮蔑を湛えた瞳で見下すマオ。
これまで応接室に満ちていた空気が、勇者の開口で――百八十度回転した。
「だーからッ! 『ティンPO』だよ! ティ~ン~PO~!! ティンPOを求めて、俺はお前にはるばる会いに来たの。どうだ! これで分かったか!?」
「なんで貴様がキレ気味!? というかなに! 〝余のティンPO求めてはるばる会いにきた〟ってドユコトー!?」
「俺はお前のティンPOが欲しいの!」
「余のティンPO手に入れてそれで貴様なにがしたいの!? というか、よく知らんが――さっきまでの緊迫した空気返せ!!」
ティンPOティンPOと連呼しながら机を叩き合う、好敵手同士。外まで洩れ聞こえ、阿呆なやり取りに廊下を行き交う者達が足を止めた。
「では、ティンPOがどこにあるのか、お前は……やはり、知らないのか?」
「知らん」
即答。
「……そう、か。――ハハっ…………くそ……クソッ!」
空気が波打ち、空間が音を立て軋む。項垂れた勇者の身体から漆黒に燻る炎が溢れ出していた。
魔法が発動していた。常人と成り果てたマオにも解る。ちりちりと頬を焼かれる感覚と生命の危険に全神経が震え総毛立った。
このままでは、この建物ごと奴に蒸発されかねない。
「わ、わかった! とりあえず、訳を話してはくれないか? そもそも――貴様は、なぜその……余の、〝アレ〟……を求める。先ほど……〝アレ〟……があれば、強くなれると言っていたが」
思わず口ごもり、〝少女のように〟紅潮してしまう。確かに今、自分は自他ともに認識する『少女』なのだが。
しかし――なぜ庶民の暮らしなどに干渉してこなかった魔王が、典型的だが人成らざる魔性には決して聞き慣れない隠語に過剰なまでに反応できるのか。
それは――今これを読んでいる方々が好きなように、精神を毒されない程度に想像してほしい。詳しく言及する内容と言えばそうだが、そこは、小学生。
知る機会は、それこそ、指折り数えても足りないほど恵まれている。
頭を冷やし、ここは一旦冷静に立ち返って『状況』を客観的に見つめ直すとしよう。
魔王は〝魔〟王というその〝名〟の通り、強大な魔力の塊だ――それは、身体の一部であっても例外ない。身に付けているだけで、その者は恐らく、この世界に覇者になれるだろう。というか、なれる。
見てくれを気にしない〝強い精神〟があれば、だが。
「お前の身体は……一部であっても、高密度の魔力を生成する巨大な魔力源だ。だが――とりわけ、『ティンPO』はその中でも、別格だ。――一振りで大地を薙ぎ払い、多くの魔界の軍勢を産み出すことが出来る。兵器として、それ以外の用途でもきっと高値で取引されるだろう。この世界でも、どの世界でも……お前のティンPOは、それだけ、価値のある代物なのだ……!」
固唾を呑み意気揚々と力説する勇者。
だが、なぜだろう――本人は褒めているつもりだろうが、聞いているとコンプレックスを遠回しに馬鹿にされているようで、無性に腹が立つ。
「俺は、貴様のティンPOを金に換えて、この世界で強くなる。一生遊んでも尽きない富を手に入れて――さあ言えっ! お前のティンPOはどこにある!?」
「あれさっき〝知らない〟ってそう言いませんでしたか余?!!」
「はやくいえよぉお……もうつらいんだよぉ……っ」
ぽろぽろとテーブルに落涙し裏声を絞り出す。情けない――万人に求められ剣を振るう勇者が、なにより髭面の男が鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃに揺らし懇願する様に縋り付く様が言葉に形容出来ぬほど情けなく、ドン引くマオ。
だが、勇者がここまでおちぶれ、もとい、涙もろくなったのも仕方がない。
彼は、もう、この世界に希望を見いだせなくなった。
己や賢者のような異世界の干渉を受けずこの世界の人々が団結したことで世界が救われた結果には、素直に満足していた。英雄と祭り上げられても、所詮は戦うだけの存在。お役御免になろうが、むしろ心地良いとさえ思う。
不安がなかったと言えば嘘になる。
故郷を失くし、魔王を討伐するために捧げた生――この世界で人として生きていけるかどうか。
しかし、せっかく得た、〝第二の生と故郷〟。
なにがあろうと、精いっぱい、生きてみたいと思った。
が、これはなんだ?
職を探そうにも、面接で過去の職種を問われ『勇者』ですと〝正直に〟答えると、面接官から白い目で見られ、もしくは苦笑され次の内容に。バイトから得られる不安定な収入では、家賃、食費、光熱費And moreを賄えるわけもなく、いっそのこと、素性を明かし政府に雇ってもらおうとも思った。
が、ギルドはおろか軍のないこの世界に働きの口などなく、いっそ正体を明かそうと思ったが、仕事はおろか、危険因子と認められ投獄されるか、身柄を一生拘束されることになった。
そうこうと考えあぐねている間にも、家賃はふくらみ、食費はかさみ、アパートを追い出されたことで、光熱費なんて〝概念〟は、見事消滅した。
そんな、ある日――滅ぼされたはずの魔王の微弱な魔力を感知し、その日、勇者は決意し、気が付けば保護者を装い、ポーカーフェイスで小学校の応接室で魔王が来るのを待っていた。
日雇いを転々とし、作業服に紙袋片手に路地裏を彷徨いながら、燃えるような夕陽に染まる黄昏の空を仰ぎ願うことは、たった一つだった。
――金が、金が欲しい。高額、且つ高額な金が欲しい!
一生遊んで暮らせるような――手っ取り早く、面接も労働契約も踏まず、手渡し同然に手に入るなら。
「責任とってよ! ねえ! 魔王討伐のせいでこんな糞みたいな第二の生になった勇者の人生の責任取れよ、このロリジジイが!」
赤子のように声を上げながら、マオを抱え上げる。華奢な肢体が中空に浮きじたばたと暴れるが、逃れることが出来ず彼女は、吼えることしか出来ない。
「まくし立てるな! 大体――そんなに金がそんなに欲しいなら、魔物なりなんなり依頼で、あの剣で叩き切ればよかろう?」
監視とは言え、生活面でこの世界から保護を受けている魔王は、この世界でなんの功績も打ち立てることが出来なかった勇者の苦労など知る由もない。
市街で暴れている魔物相手に剣を振るったことで、留置場に七十三回、ぶち込まれたという、事実など。
「いくら強くても、だれかが認められてくれなきゃなんの意味もないのですーっ。お前が
負けたせいで、俺の人生絶賛地獄ですガッデム!!」
「余だって、別に、好きでこんな姿になったつもりじゃ……――ていうか下ろして。早いとこ帰って! そして二度とここには来るなおねがいだから……!」
「……くそ。だが、ここまで来たんだ――ならば、お前に残った魔力を嗅いで、その匂いを頼りに探し出してやる……」
ぐぐっと虚ろな眼で持ち上げながら、マオの下腹部を、猛禽のように凝視し顔を近づけてゆく。
「――へっ? ……ちょ、なにを!? ――やめろ! やめてくれ後生だ、たのむ……!」
前を手で覆い隠す。
ちらちらと蛇のように舌を出す男の荒い息が、手の甲に掛かる。
三千年生きた中、これが、生まれて初めての、命乞いだった。
「おねがい……だめ…………っ」
甘い吐息を漏らしながら、ひゃう……っと、喘ぐ。
一応、誤解がないように言っておく。
この二人――一方は、数多の世界と種族を滅ぼしてきた魔王で、もう一方は、その魔王と戦う運命を産まれながらに背負った救世主である。
「朝日さん、たいへん! 早乙女先生が――ッ!」
開き慌ただしい剣幕で女性教諭が応接室の扉を開ける。
次いで上がったのは――彼女の、断末魔の叫びだった。
女性教諭に飛び込んだ光景。それは、ほろほろと涙を流しながら貞操を守るように前で手を組む少女と、少女を持ち上げ舐め回すように下腹部に顔を埋める中年の男だった。
「キャァアアア!!!?」
「「――あ」」
女性教諭を見、互いに顔を見合わせたマオと勇者の声が、はもった。