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共感の副作用

「おはよう、サクラ」

「おはよう朝日さん。珍しいね、朝日さんの方から声を掛けてくるなんて」


教室で行き会ったサクラは目を丸くさせながら言った。


サクラは、クラスメイトの驚く顔を見るのが日課だった。澄まし顔というか、浮世離れしているというか。普段は大人びでいるくせに、サクラが飛びつくと一瞬の間に見せる年相応の幼女のびっくり顔が可愛らしくて、いけないとは気づいていてもついつい次の日もやってしまう。


今日は生憎と会えなかったので、また明日。

と思っていた矢先、マオの方から挨拶され、一日の猶予があるというのに出鼻をくじかれたような悔しさに唇を尖らせた。そんな自分を、可愛い、なんて心の隙間に思いながら、言葉を変えて愚痴をこぼしてしまう。


「あれ――明久瑠(あくる)さんは。いっしょじゃないの?」

「そうなのだ。朝起きると学校に行った後で……待て、なんだその顔は」


眉根の寄せるマオの前でのサクラは、まさに、この世界での〝鳩が豆鉄砲を食ったような〟顔を浮かべ、初夏の訪れを予感させる晴れた空に窓から頭を出す。


「どうした?」

「いや今日は、大雪かなって」

其処許(そこもと)は、あ奴をなんだと思っておる」


まあ、アガレスのことだから、夏に大雪を降らせるなんて指を鳴らすよりも簡単だが。

余談も余談だが、マオは指パッチンができない。つるつるした指先を擦るだけでどうしてあんな銃弾みたいな音が出るのか。必死に指を鳴らす様子を勇者に馬鹿にされ、夜中、こっそり練習したりもしていた。


冗談はさておき、と、ふり返る。できればその冗談、アガレス本人がいる前では控えてほしい。冗談抜きで命がいくつあっても足りない。


「ケンカでもした?」

「――わからぬ……」


肩を落とすマオの背後に、ずんっ! と重量級の擬音(オノマトペ)が見えた。


「余はもう許したつもりなの……だが」


シエルとの再会から帰ってきてから、アガレスの様子がおかしなことにマオは薄々と気づき始めていた。


アガレスの軽率さに命を脅かされたのは紛うことなき事実で、目覚めた途端、謝罪も陳謝もされた。まさに怒涛の勢いだった。犯した罪の重さに耐え切れないように、耐える行為そのものが罪を重ねるとでも言わんばかりに、頭を地面に擦りつけた。


アガレスが一言謝罪する度、もうよい、もうよい、と、マオはアガレスと立たせた。


約束したばかりに、謝る彼女を見るのは――仲間に裏切られたことと同じく、胸を絞めつけた。

胸など、とうにないというのに。


(かたく)ななアガレスに調子を合わせられそうになった。焦らず、絡まった糸を解す気持ちで説得を続けると、アガレスもようやく鞘を収めてくれた。問題はなにも解決していない。状況も刻々と差し迫っている。悠長に構えてもいられない。


けれど、一日くらいは。

なにより、真昼の計らいにより事情を知らない五河に心配されるのは心苦しかった。解放されてまだ日も浅いというのに。


それから半日は、始まってまだ間もない『日常』を普段通り過ごした。


しかし、マオはずっと引っ掛かっていた。なにをしても、なにを話していても、時たま垣間見せるアガレスの横顔。腑に落ちない、とでも表現するように――アガレスは目を泳がせていた。


そして。一夜明け――これだ。アガレスが、あのアガレスが自らマオを避けるような行動を取るなんて。これを暴挙といわずなんとするか。


もちろん、こんな話サクラに打ち明けられるわけもない。


「ふむ。つまり朝日さんと明久瑠さんは、解決したはずの問題に、今だ悩みを抱えている」

「ッ! どうして――!?」


断片的にさえ語っていないのに、サクラはマオを動揺させるほど現在の状況を的確に言い当てた。


そして、はてとマオは視線をずらす。


首肯するサクラの、正確には右肩辺りが、妙に寂しかった。


「サクラ……スモモは。其処許らこそ、今日はいっしょではないのか?」

「ああ、それが、ねぇ」


二人は同じ異世界人の児童養護施設で暮らしている。知り合う前から仲がよく、一人でいるマオが合流することはあっても、二人が別行動を取っているのを見たことがなかった。なのでマオは、サクラ、スモモ――一人ずつではなく、二人で一人の人物のように認知していた。


そんなマオに、サクラは、なにかを訝しむように苦笑するばかりで、片翼の不在の理由は判らずじまい。


「尺取虫が至高の御方と対等に言葉を交えようなどと、なんと愚かしい。身のほどを弁え自らその無価値な生を絶ったらどうでしょう」

「この声は……!」


その、呼吸するように罵詈雑言を言い放つ声にマオはふり返った。拒絶されていると心配になったりもしたが、思い違いだったらしい。


「アスナ、今までどこ…………へ??」


背後にいるアガレスに所在を問い質そうし、マオは、ふり向いたまま固まってしまった。


「そういうこと。いやぁ、朝からずっとこんな調子でわたしも困っちゃってさー」

()()()……!?」


背中で聞いたその口調は、確かにアガレスだった。


だが、マオの後ろに立っていた人物。サクラとは遅れて教室にやってきたスモモだった。


「スモモ、一体どうしたというのだ!?」


あれだけ大人しく、温厚が服を着て歩いているようなスモモが、普段のあのたどたどしい口ぶりではなく、流暢に喋ったのも驚きだった。しかもこともあろうに、暴言を、一番の友達であるサクラに吐き捨てるなんて真似。


動転して思わずスモモに詰め寄ってしまうと、マオを前にスモモは目を瞬かせながら。


「……あ、れ。スモモ、どうしちゃ、たんだろう……サクラちゃんに、あんな……!」


肩を抱きながらその場に蹲ろうとするスモモは、まるで、己の中でなにかを必死に抑え込んでいるようにもマオは見えた。


「だいじょうぶ?」


様子を近くで見ていた男子生徒がスモモを介抱しようとする、と。


「汚い手で触らないでもらえます? どういった下心があるかは存じませんが、あなたのような口が乳臭い雄に()()がこの身を預けるような真似、すると? この身は、生まれた瞬間から、彼の御方のもの」


払いのけられ後方に後退った男子を、下から睨めつけた。


だがまた、いつものスモモの表情にすっと戻ると、自分の行いに酷く動揺し言葉を繕った。


「ちっ、ちがう……スモ、モは、そんなつもり……じゃ」


滑稽にも見えるスモモの慌てぶりに、些かの憤りを覚えた男子も毒気を抜かれ自分の席に戻っていった。


「スモモ、立てる?」

「! ……へいき、自分で、立てる……から」


サクラが伸ばした手を、またもスモモは拒絶した。

二度に亘って見せたあの虚ろな態度ではなく、スモモ自身の意志のようにマオは側で思った。友達を、これ以上傷つけないとする、スモモの優しさのように。


「ずっと、ってわけじゃないんだけど。ついうっかり――こうなっちゃうんだよ。本人にもどうすることもできないみたい」

「原因は、やはり……」


同じ結論に至ったマオに、サクラは頷いた。


「明久瑠さん、だね」


スモモの意識に反して勝手に動く口。蕩けたように双眸から光は失せ、――だというのに喉は溌溂とニンゲンに敵意を表明する。唇が、少女の魂を操っているかの如き現象。

何者かが、スモモの内に巣食っているとしたなら、サクラも、マオも結論はたった一人だった。


共感(パス)』の影響――副作用とでも呼ぶべきか。アガレスと魂で繋がったことで、彼女の人格がスモモに流れ込んできている。


「アガレスに言って、共感を解除してもらおう」


二人に敵意を持たないようにアガレスが施した術だったが、そのせいでスモモが周囲から孤立しては本末転倒だった。いくら無意識にとはいえ、自分に意思に反して他人を傷つける、なんてことスモモも望まない。


てっきり、そうだとばかり、マオは思って疑わなかった。


「朝日さんに相談したかったのは、それで」

「スモモ、この、ままでも……いい」

「――なぜじゃ、スモモ! お主だって、そんな性格のままで生き辛かろう。アスナの奴は余の方から説得しておいてやるから、怖いなら」


生まれつき、そんな性格な奴を側らに置いておいた自分が言うのもなんだかとマオは複雑に思いつつ、スモモを気に掛けた。


ところが、ううん、違うの、と、スモモは首をなお振るのを止めなかった。


「スモモの、ことは……気にしなくていい、から、明久瑠さんのそばに、いて、あげて。会って、お話、たくさんしてあげて。()()()()() ()……()()()()、あの人は」


絞り出すスモモの言葉を聞いて、後、マオはなにをしていても、アガレスに無性に会いたくてたまらなかった。


それからも、アガレスは、学校に来なかった。


――許すだけじゃだめ――

アガレスと感覚を共有しているスモモの言葉が、マオの脳裏で反芻し続けていた。


あと二日で、シエルに殺されるのに。


アグレアス、スモモ。

どれと比較しても、自分のことは最も些末に思えたのだった。


魔王としての余裕が未だ残っているのか。

……果たしてなぜか、そうとは思えないマオだった。

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