TSP
「気になること?」
学校グラウンドの砂を均している所を、アガレスに声を掛けられた。
はい、と。神妙な面持ちで答えるアガレス、それにマオは、体育終わりに着替える暇も惜しんで用務員室に直行した。
「マオ様がお風邪を引いた折、冷静に考えたのですが」
「あの状況下で冷静とか、本気で言っているのか」
幼女の下着をひん剥いておきながら冷静と宣うアガレスの正気を、勇者は思わず本気で寒気を覚えた。それ以前、この悪魔が落ち着く所を一度も見たことがない。
「マオ様には、どうして――薬が効いたのでしょう」
長命を生きるアガレスにとって、十分という休憩は、瞬きよりもさらに短い体感時間にある。さっさと本題に入りたくて勇者を無視したまま続ける。
「風邪薬なのだから、効くのは当然だろう」
トラウマも今ではすっかり癒えたマオが頷いて言った。
「そう。ニンゲンとなったマオ様に、薬が効くのは当たり前。――だからこそ。小生は不安なのです」
要領の得ないアガレスに、マオと勇者は揃って首を捻った。
「……よろしいですか。魔王様の身体は、戦争を終結させるべく、人に似せて姿を変えられました。ですが、魔王が、人になったというわけではない。人に効果を与える目的で作られた薬が、マオ様に効くのは、本来、ありえないんです……これは絶対です」
「……そうか!」
アガレスがなんと言おうとしているのか、マオにもようやく理解できた。
今、目の前にいるアガレスは、自分の意思で、少女に〝擬態〟している。勇者も種族はニンゲンだが、生来の魔力は失われていない。
魔王とは、単体で星を滅ぼし、そこに在る悉くを喰らうことで生きる、生命というよりかは『次元』の一種に近い、生命と定義できるかどうかも怪しい存在。
それが、ニンゲンと同じ姿となったからと言って、笑い、泣き、腹を空かせ、風邪を引くなんて――絶対にあり得ない。これまで数多のセカイを巡ってきたが、ここは、そのどこよりも魔法という概念そのものが皆無だった。
「そこで、謹んで進言いたします。小生に、マオ様の身体を――調べさせてください」
両手を突いて、アガレスは畏まるように頭をすっと下げた。これまで見せた数々の奇行と比べ、その姿勢はとても恭しく、同じ言葉でも違う意味に聞こえた。
「……余は、なにをすればよい」
「まずは、横になってください」
言われた通り、マオはその場で仰向けになった。
天井を見上げるマオにかざしたアガレスの手から放たれた光に、部屋は淡い色を帯びた。
「マオ様の身体には、微かに魔力の気配があります。それがなんなのか、確かめます」
手を交互に動かすアガレスは、まるでレントゲン検査をするかのようだった。
結果が出るのを、マオは静かに待った。
「……なんてこと……!」
アガレスの目は驚愕に見開かれていき、指先はわなわなと震えていた。
「どうした!?」
「マオ様、あなたは……一度、死んでいます」
真実から目を背けようと、アガレスは顔を伏せながら、重苦しく呟いた。
「マオ様の身体は、死体を繋ぎ合わせて造られた、各部位が全く別人のものです。肌の切れ端、毛細血管一本まで、一致するものはありません。魔力で摘出したマオ様の意識を、覆うように施術されています」
アガレスの突き止めた真相は、聞いているだけで我を失いそうだった。
「ということは、余の身体は」
「恐らくは――細かく切り刻まれた後、方々に隠されたかと」
魔王の身体は、たとえ亡骸であっても――一部であっても超高高濃度の魔力を秘めた、爪の先であっても弩級の兵器に匹敵する代物である。
その『一部』が盗まれ、五河に移植された……。
「賢人がやったのか」
『魔力』という単語から、このセカイの政府に協力した賢人の仕業だと勇者は推測した。こと魔法に関して、その領分は賢人のものだった。
「アガレス……やはり」
「ええ。これほどまでに高度な死霊魔法、魔王様の身体の構造を隅々にまで把握したこの不敬極まるやり方。賢人ではありません」
「死霊――『死霊魔法』とそう言ったか」
清廉を謳う賢人は、闇に属する魔法は習わないのが掟だった。邪道に手を染める輩など、あの潔癖な連中の中には一人とていない。
異世界を殺す魔王に死霊魔法をかけようとする豪胆さ。単なる恐れ知らずや野心だけでは達成できない。
――魔王の側に常に侍り、その在り方を熟知した側近を除いて。
「〈十八冥光〉に、裏切り者がいます……!」
やり場のないアガレスの怒りが、周囲にある命を吸い取ってゆく。被害を最低限に抑えるのに勇者は必死だった。
だが、周りのニンゲンを守る一方で、アガレスを諫めようと葛藤する勇者が覚えたのは、裏切られた二人に対する、同情心だった。情報を売ったのではなく、臣下自らの手で人の身に堕とされた、元・魔王の幼女。
「とうとう真実を知っていまいましたか」
ふり向くと、そこには、スーツ姿の男が禿頭を撫でていた。
この魔力の乱気流の真っただ中で平然としている端末真昼。
なんらかの加護を受けているのは明白だった。
「お迎えに上がりました。どうぞ、こちらに」
真昼が手を退かすと、その頭頂部に、一匹の子蜘蛛がとまっていた。




