結局、汝は淫ら
『魔力値、安定していきます! 特異点反応消失……完全に、鎮静化しました……ッ!』
受話器の向こうの指揮所から、歓声と拍手が聞こえてきた。
「ご苦労様でした。長曾根指揮官にも、よろしくお伝えください」
勇者は、スマホの電源を切る役人が――ぐっと親指を上げ成功したことを知った途端、ため息を吐きながらその場にへたれ込んだ。
上空からヘリが、こちらに向かって飛んでくる。おそらく、騒ぎを嗅ぎつけた報道機関のヘリだろう。
「マスコミはこちらで対処いたしますが、静かなうちに――部下に案内させます」
「こちらへ」
スーツ姿の男が、五河の乗ってきたのとはべつのワゴン車を差し勇者に乗るよう促す。
それを押しのけ、前に出る勇者は――柔和で、どこか胡散臭い笑顔を浮かべる、今回の黒幕と向き合った。
「魔王が、あの女を救えなかったら――どうするつもりだった」
「――その時は……その時です。諦めるしかありませんでした。…………ですが」
ぽんと、馴れ馴れしく勇者の肩を男は叩いて。
「今回も――なんとかなったでしょう?」
「偶然、か? それとも――まだほかに、隠しごとがあるのか」
「さあ。でも私たちが望むのは、争いのない恒久的な平和です。退屈で、かけがえのない私たちの世界を脅かす者を、我々は――容赦なく追いつめます」
「〝争いに関わった者を捨て駒にして〟……か」
その眉間に、勇者は聖剣を突きつけた。周囲にいた警官が一斉に拳銃を抜き彼に向ける。計測機が、新たな魔力の上昇を検知する。
「今度、また利用してみろ。魔王のように――この俺がお前を処断してやる……」
「恐喝と公務執行妨害には、今回だけは目をつぶります。ですが今後は気をつけるように。あなたも……この世界に来てまだ日が浅いんですから」
「ふん!」
武器を納めた勇者が乗り込んだワゴンが街へ向けて発進した。
「貴様ら、もう少し……自分の、足で歩け…………!」
「ごめん……」
「面目ございません……」
崩壊した泥の方から、アガレスと五河がマオに支えられながら戻ってきた。二人を両脇にふらふらと千鳥足で向かってくるマオは、遠くから見ると〝M〟の字に見えた。
アガレスと五河も――魔力を使い果たし、足腰に力が入らなかった。特に、マオの魔力でアガレスの精神世界とマオとパスをつないだ五河は、気を抜くとその場で、気を失う。
「あの、マオ様……?」
「わかっている。おい、そこの。この男を頼む。あと、なにか着る物を」
近くにいた警官にマオは五河を任せると、アガレスに着せる服を持ってこさせた。
〈神域固定〉を発動し、さらに、異空間まで創り出したアガレスの魔力はすっからかんになり――魔力で編んだ服も、消失していた。翼を器用に動かし、前を隠した彼女は、今、産まれたての姿だった。
「こッ……コートです……!」
「ああ、すまない」
そう一言言って、マオは女性警官から衣服を受け取った。
「いッいえ……! しつれいします!」
足早に持ち場へ戻る女性警官。その顔はなぜか、耳まで真っ赤だった。
あちこちが『出た』アガレスの露出は男性には刺激が強い――現に今も警官や避難者の露骨な視線が彼女に降り注いでいた――ので同性に頼んだ。だがやはり、催淫されたか?
今のアガレスには魅了の魔力は使えないはずだが、となりにいた五河も、彼女の裸を見て落ち着いていたし。
それとも、魔力的な面で――彼は魅了の影響を受けないのか? まあ今はさておいて。
「ほら」
「あっ、あのッ!」
「お!? な、なんだ?」
「えと、その…………温めて、くれませんか……?」
「寒いか? 温いのを持ってこさせようか?」
「マオ様の、マオ様の体温で温めてほしいんです!!」
食い気味に距離を詰め――ゼロ距離で鼻息荒くアガレスが迫ってきて、その勢いにマオが引く。
「ど……どうぞ……?」
言われたとおり、とりあえず――抱きしめて温まったコートをアガレスにマオは渡した。
「いやいや。服は着ようよ? なんで匂い嗅ぐの?」
「朝日さん――ご無事でなによりです」
手を振りながら、マオの子守り役が二人の方へ駆け寄ってきた。
「なんか嫌味っぽいな」
「いえいえ、なにもなく、うまくいって本当によかった」
「運がよかっただけだ。〈神域固定〉が完全に発動していれば五河でも手に負えなかった」
「ところで、マオ様?」
十分にマオの匂いを堪能したアガレスが、コートを羽織りながら言う。
「あの男が言ったことは、本当なのですか? 彼が――小生の結界に干渉したのは……」
「本当だ」
「いささか理解に苦しみます。小生の魔力を敗れるのは、魔王様――マオ様を措いてほかにいません。ニンゲンは、偽りを述べます。やはりムカつくので、ちょっと殺してきます」
「殺すな!? あいつがお前を救ったというのは本当だ!」
「……どうやったと?」
話せば、いろいろと面倒なことになりそうだったが。このままアガレスを放置すれば、五河が殺されかねなかった。
「――……ちょっと、耳を」
「?」
「実は……余が――それで、余の――――――――」
マオは、アガレスに真実を打ち明けた。
そのとなりで――室長が、肩を震わせ、くすくすとこの状況を面白がっていた。よし、あいつは、後でだれの手も借りずに殺そうと誓うマオ。
「えっ? はあ……、はあ……――――――――!!?」
マオが話す衝撃の事実に、リンゴのように頬を赤らめたアガレスは――言葉を失った。
「それで、実は……朝日さんに相談したいのですが」
「余に? ――これはッ!?」
室長がマオに見せたのは、以前マオが彼らに見せ――連行される前にマオから預かっていた養子縁組の手続き用紙だった。
マオと、五河の名前がそこには書かれており――受理を示した判子が押されてあった。
「今回の件と、早乙女さんの容態から――私が特別に許可いたしました。相手方のご家族の方にも、私から事情を説明済みです。これで――あなたは晴れて法的な日本市民です。歓迎します……〝早乙女〟マオさん」
救急隊から手当てを受ける五河をマオは遠目に見る。
――あの男が……余の〝父になる〟。
「それは、願ってもないことだが……だが、しかし」
頼んだのは自分からだが、今一つ現実味がなかった。ニンゲンとして、ニンゲンの娘になるなど。
それに、ここまで引っかき回されたのだ。またなにか裏があるのではと疑ってしまう。
「彼にはマオさんの身元引き受け人になってもらいます。それが、釈放の条件です」
「いいのか?」
「あなたの側にいる方が、安全でしょう?」
そう言われれば納得せざるをえなかった。
「ですが、二つ目の条件として、今回の件で、アガレスさんはこちらで拘束させていだだきます」
不服そうに眉根を寄せるアガレスだが……渋々了承する。マオを危険に晒した責任として、従者なりのけじめをつけておきたかった。
「また、すぐに迎えに行く。お前は、余の所有物なのだからな」
「……はい! 小生も、マオ様のことを想いながら、お待ちしております。それに子育ては広い家の方がなにかと不便もかからないでしすし!」
「照れるじゃないか――……ん? 〝子育て〟?」
「五河様!」
「は、はい。なにか…………?」
瞳を爛々と輝かせた〈司欲淫王〉が足取り軽く五河に接近した。腰をくの字に曲げ五河の摑んだ腕を――むぎゅ、と胸の谷間に沈める。
「五河様のご自宅は広いのですか!? あっ、まだ未経験ですか!? 処理が必要になったら、このアガレス――いつでも準備してお待ちしてますので!!」
「ぎょッ!? アーガーレースー!!」
五河を追いつめるアガレスの剣幕と、彼女の目論む壮大な計画に――マオは戦慄した。
***
「そういえば――アグレアス?」
「はい」
「なぜ、ほかがいる時は、余に元の名で呼ばせ、本当の名を、だれにも明かさないのだ? お前、自分の名が好きではなかったのだろう?」
「…………マオ様の、わからず屋…‥」
だって、と、察しの悪い主を見ながら。
「大切な方からもらった名は……大切な方にだけ、呼んでほしいじゃないですか」




