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悪魔の汁

裸エプロンが出ます。

「どうぞ、せまい所ですが」


アガレスに促されたマオは部屋に上がった。


勇者との密談を終え授業に戻った後、学校が終わると仕事を切り上げるのを待って、正門前で待ち合わせをしたマオはアガレスの家にしばらく身を寄せることにしたのだった。


「ここが、今の貴様の住まいか」

「マオ様をこのような御見苦しい場に招いてしまって、なんと言い訳をしたらよいか」


申し訳なさそうにマオに頭を下げる。

アガレスが今住んでいるのは、この世界のニンゲンにも馴染みな賃貸マンションだった。


「いや。お前がこの世界で不自由なく暮らしていることが(わか)って、ほっとした」


マオが笑うと、不安気なアガレスの表情が少し緩んだ。


しかし……とマオは一応尋ねる。

この部屋、ちゃんと正式な手続きを踏んで借りたのか。


「え? ……ええ。よく分かりませんが、なにやら色々書かされはしました」


通常、マオのような重要人物がこの世界で暮らすには、政府の管理下に置かれる必要がある。

だが大抵は、マオの学校の同級生やその家族といった普通の異世界人は、国が所有する物件に住んでいる。

異界からの難民が行き倒れないよう、最低限の暮らしができる土地と物件を用意するため政府は多額の税を投じたのだ。一部では街の復興に使うべきだという批判もあったが、最終的には、自分たちとなにも変わらない魔王の犠牲者を収容スペースにいつまでも隔離する国を非難する声の方が多かった。


アガレスは今、書類上ではニンゲンということになっていた。


「しっかし、もう少しこう、洒落(しやれ)があってもいいのではないか?」


生活に必要な最低限の家具しかない殺風景な1LDKの部屋を見渡しながらマオは嘆息(たんそく)した。


「……大きなお世話ですぅ~」


「……」

「……」


顔を見合わせ、主と従者は笑い合った。冗談で言ったのが通じたマオもだが、マオが冗談で言ったと予想が当たったアガレスも嬉しかった。


「お夕食を準備いたしますので、後ろを向いていてください」


髪を結うアガレスに、マオは言われるまま卓について椅子ごと後ろをふり返った。背後から聞こえる()()()とまな板を叩く音。


「アガレスよ、もういいか?」


しかし、なぜ後ろを見なければ。


「もうしばし。……あと、二人きりの時は、小生のことは……()()()()()と……お呼びいただけませんか……?」


背中越しに呟く大悪魔は、主に要求する不敬に声が震えていた。


「……許そう、アグレアス」


彼女の意思を尊重したマオは、威厳を持ってそう返答した。


しかし、と思う。

誘ってくれてよかった。


部屋に来るよう提案したのはアグレアスだった。衛星について話したマオに彼女は失態を自決で償おうとした。だがアグレアスと再会せずとも、五河(いつか)を自由にするため政府と対立する覚悟をマオはとうに決めていた。


ひとりで戦おうとしていたマオは、アグレアスの誘いにむしろ励まされた。


「ありがとうございます……っ! ってああ、包丁が!」


カランという音と共に動揺する声がした。


「無事かアグレ……ってええ!?」


ふり向いたマオは、恐ろしいものを()の当たりにしてしまった。

嬉しさのあまり包丁を落としたアグレアスは、()()()()()()()()()身に付けておらず、前(かが)みに包丁を拾い上げる彼女のしなやかな白い腰には、弾力のある桃がぷるぷると揺れていた。

そして、キッチンには色鮮やかな野菜を始めとする食材が並び、くつくつと音を立てる鍋の側には、毒々しいまでに紫の、見るからに警戒すべき色の謎の液体が入った小瓶が存在感を放っていた。


驚愕に眼を充血させたマオは、その液体の正体に心当たりを思い付く。

それは……アグレアスの汗。一滴で百メートル級の竜種(ドラゴン)一頭、王国一個を()かせ滅ぼしたことさえある高魔力、効果絶大の淫王の体液(びやく)


「ひゃっ!? もう、マオ様ったら! 後ろを向いてと言ったのに」


そんな物騒な代物を、しかも小瓶丸々一個もマオに盛ろうとしたアグレアスは、湿気にしっとりと濡れ、照れるように言った。


「この瓶は没収! あと服を着ろ!」

「いやです!」

「うわ即答しやがった!?」


さっきは名前一つであんなにしおらしかったのに。

思わず語彙(ごい)がおかしくなるマオ。


とりあえず瓶は回収したが、さてこれをどう処理するか。トイレに流してうっかり街を滅ぼすわけにもいかないし。


「だって、その……夕食を済ませたら、元気になったマオ様と……一つになりたいな、と」


耳まで真っ赤にしながら恐ろしいことを口走るアグレアス。

顔もスタイルも人間離れ、しかもこの世の欲を司る女悪魔に元気溌溂(はつらつ)で迫られるなど、大抵の世の男なら間違いなくご褒美だろう。


だが、元々性別がなく単体で眷属を生むマオにそういった欲を持っていない。だからこそ彼女とは上手くやってこれた。


それに、マオは少女の頃のアグレアスを知っている。〈十八冥光〉に入りたての彼女は、丁度今のマオと同じ見た目だった。親子というものをまだ理解していないが、マオはアグレアスに接する時は、娘に近い感情だった。

すっかり成長したアグレアスに迫られても、マオはただ困惑するしかない。


「あとな、アグレアス……」


五河について、マオはアグレアスに打ち明けなかった。もし話せば、今自分に向けられている感情がそのまま彼にいきかねない。


「今、余は……」


なので……百聞は一見に()かず。

マオは、アグレアスに、スカートをたくし上げ現実を見せた。


アグレアスは、怒りも、そして悲しみもしなかった。


「…………夕食、すぐ準備いたしますね」


その後、マオはアグレアスの作ったカレー(※毒なし)を彼女と食べた。


宙を眺め、心ここにあらずと言った様子でぶつぶつとなにかを唱えながらカレーを口に運ぶアグレアスが、マオはとてつもなく恐ろしかった。














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