終末後の学び舎
頭の悪い異世界転移です。笑い飛ばして読んでいただけると幸いです。
「で、あるからして――」
蒼穹の午前。揺蕩う雲は流れ、老朽化しベージュに色褪せた校舎を、一迅の風が吹き抜けていく。
「そして、この世界を侵略しに来た魔王率いる異世界の侵略者は、世界各国の政府と勇者が団結して、見事撃退されたわけで……」
三十ばかりの席が並ぶ教室で、一人の男性教諭が、教科書を片手に教鞭をとる。二十をやや過ぎたと言った辺りか――おろしたての白いシャツにノーネクタイ、栗色の後頭部を刈り上げた若い男だった。
男性は小学校の歴史教諭だ。といっても、彼が教師になったのはついぞ二ヶ月前、大学での教育実習を終え、まだ日が浅かった。チョークを動かす手もぎこちなく、教科書片手に字面を読み上げる声にも落ち着きなく、緊張の色が窺える。
だがそれなりに、男は生徒や保護者、年長の教師からの受けは悪くなかった。初々しいというか、青臭いというか――教師たらんと懸命に仕事をこなそうとする男の姿勢に惹かれ、皆面倒を焼いて可愛がってしまうのだ。
――〝若輩者の特権〟は、若い芽を育てるために尊ばれる、重要なステップだとなる。
未熟者な己を歯がゆく思い、一刻も早く期待に応えようと努力を怠ることなく励みつつも、男はそんな彼らの優しさを嬉しくも思っていた。
――しかし。
揚々と新任教師の口から語られるのは、奇妙な単語の数々が飛び交う、なんとも陳腐な内容だった。無論、年端のいかない九、十の子ら。常用漢字すら脳に定着していない――故に教える側としても、限界が付き纏うというもので。
多少お遊びが過ぎても、ここに咎める者も他にいるわけでもない。
しかし、どうか勘違いしないでいただきたい。
公務をないがしろにするなと。公務員である男性教諭に憤慨しないでいただきたい。
なぜなら、彼の言っていることは――全て、紛うことない事実だからだ。
だが、朝日マオにとってそれは、恥辱にも劣る所業だった。
外見を見るに、年齢は二桁及んでいないであろう。梳かした銀の髪を肩にかけ、整った眉、桃色の唇、白く華奢な体躯に整った顔立ちは、精巧に精巧を重ねたアンティークドールを手掛けた人形師さえガラクタに変える。
机に立てた教科書を、マオはぐしゃりと両手で握り潰す。
己の敗北の屈辱を連綿と記した歴史書に顔を埋め喉の奥まで出かかった慟哭をごくりと呑み下した。端麗な面は、熟れたイチジクのように真っ赤に頬を腫れていた。
叫びたい。
だが、悲しいかな。周囲の空気に圧迫され、彼女は、噛み砕かんばかりに奥歯を噛みしめ、黙って屈辱に耐えるしかない。
――なにが『勇者』だ、なにが『魔王は撃退された』だ。嘘っぱちだらけの子ども騙しな忌々しい駄本め!
我が恨みを知れ、我が無念を知れっ!
「そして魔王との最終決戦の幕は、ここ日本で切って落とされ――」
どこか演説めいた担任の進行に、待ってましたと言わんばかりに教室は色めいた。
肩を震わせ、譫言を呟く一人のクラスメイトを除いて。
「ニッポンすげ~!」
「魔王よわっちー!」
「あたしも、勇者さまに会ってみたいなー……」
騙され、陥れられ――揚げ句こんな身体にされた、『生き恥』ともいえる己が敗北を、遊興のように笑い語らう童らの盛り上がる様を、特等席で聞いている。
「このような仕打ち、余は、どの世界でも受けたことがないぞ……」
喉を絞り上げ発した魔王の慟哭は、誰の耳にも届かない。
「マオちゃん、マオちゃん、勇者さまカッコいいね、ね?」
「んなっ!? な、そ……そう、だねェ~……えへ、へ……」
これは、悪夢か。
――ああ、控えめに言って、死にたい。
力を失い、人の子となった今の余に、〝死〟という概念があるのなら。